6月前半の落語



今月前半を振り返ってみますと、この落語家・落語会が印象的でした。


桃月庵白酒
五街道雲助
柳家三三
立川談志(談志一門会)
立川談春


ではまず、こんなところに行きましたとゆーのをズラズラと。


6/1(火)
1日NO百栄落語会
19:00〜21:04@スタジオFOUR
百栄『花色木綿』
百栄『粗忽長屋
一之輔『錦の袈裟』
仲入り
百栄『天使と悪魔』


6/3(木)
桃月庵白酒独演会
19:30〜21:30@道楽亭
※すべて白酒師
『馬の田楽』
『舟徳』
仲入り
『寝床』


6/5(土)
特選落語会 市馬・白酒二人会
18:50〜21:15@日本橋社会教育会館
柳家小んぶ『子ほめ』
柳亭市馬かぼちゃ屋
桃月庵白酒『火焔太鼓』
仲入り
桃月庵白酒真田小僧
柳亭市馬『宿屋の仇討ち』


6/6(日)
志の輔noにぎわい 昼の部
13:00〜15:20@横浜にぎわい座 芸能ホール
開口一番 志の春『元犬』
志の輔『バスストップ』
仲入り
神田茜『初恋閻魔』
志の輔『抜け雀』


6/7(月)
立川談志一門会
18:30〜21:00@よみうりホール
談修『夢の酒』
談笑『薄型テレビ算』
生志『お見立て』
仲入り
松本ヒロ スタンダップコメディ
談志・山中秀樹志らく トーク
談志 ジョーク


6/8(火)
志らくのピン
19:00〜21:16@内幸町ホール
志らべ『巌流島』
※以下、志らく
宮戸川
愛宕山
仲入り
『紺屋高尾』


6/11(金)
柳家喬太郎 柳家三三 二人会
19:00〜21:26@北沢タウンホール
柳家さん市『子ほめ』
ロケット団 漫才
柳家三三『お化け長屋』
仲入り
林家しん平 映画の宣伝
柳家喬太郎『心眼』


6/13(日)
立川談春独演会 アナザーワールド?
19:30〜21:32@成城ホール
船徳※途中入場
仲入り
『子別れ(下)』


6/15(火)
オリンパスモビー寄席 雲助・白酒親子会
18:45〜21:06@内幸町ホール
春風亭ぽっぽ『動物園』
桃月庵白酒『壺算』
五街道 雲助『つづら』
仲入り
五街道 雲助『幇間腹
桃月庵 白酒『抜け雀』




桃月庵白酒『寝床』『火焔太鼓』
今月前半だけで、3日・5日・15日と3回も白酒師目当てのライブに出かけております。多すぎ?ま、面白いんだから仕方ありません。勢いのある人を観るのは気持ちいいし楽しい。
特に面白かったのが6/3道楽亭で聴いた『寝床』、6/5市馬師との二人会で聴いた『火炎太鼓』。


『寝床』
旦那が「ええそうです!アタシの義太夫は酷いです!」と開き直るのって初めて。
一番番頭の徳兵衛さん、逃げ込んだ蔵に義太夫を語りこまれ、一夜明けて蔵から出てくると…「白いワニが来る!」と一声叫んで姿を消した!(江口寿史の白いワニを知らないお客さんも笑ってたよw)
“流れギダ”に当たるところも笑ったなぁ。「伏せなさい!危ないから伏せなさいって!」「だいじょうぶ、だいじょうぶ…ウッ!」。ギダに当たって倒れる、その間の良さったら。面白かったなぁ。
この日は道楽亭始まって以来の大入りだったそうです。そうそう、高田センセイも来てたよ。白酒さんのこと、好きなのかな?


『火焔太鼓』
「太鼓をいくらで売る?」と訊かれた甚兵衛さん、売れたと分かって気が動転、「売る?売る!うる、うる、うーるるるるーるー」「北の国からではないぞ!」www
他にもふいに口をついて出たかのようなギャグがたくさん。白酒師の『火焔太鼓』は何度も聴いていますが、この日は今まででいちばん面白かった。


市馬師との二人会での『真田小僧』、雲助師との親子会での『壷算』『抜け雀』も面白かった。
『抜け雀』には今回はこんな空耳ギャグが入っていたよ。
「わしは絵師じゃ」「責め上手?」「それはSじゃ!狩野派の絵師じゃ!」「官能派のS?」
誰か白酒師の空耳ギャグ集を作ってくれないかな、マジで。


五街道雲助『つづら』
わたしは雲助師をほとんど寄席でしか聴いたことがなくて、そのくせ師匠が主任の番組はそんなに行っていない。師匠に対しては、古典落語がふつうに上手い人(こんな言い方、雲助ファンの方には誠にすいません)というイメージしかもっていなかった。が、最近ツイッターを始めた雲助師をフォローしてみたら、なんだか呟きが面白いのであった。加えて15日の白酒師との親子会では、一席目のマクラでいきなり「あの〜iPadが欲しいン」「iPhone4も欲しいなぁなんて…」ときたもんだから、自分が勝手に抱いていたイメージとのギャップにおおいにウケてしまった。
お気に入りのアプリの話が面白かったわ。時計のアプリを集めるのが好きで、人生時計と寿命テストで人生を儚んで、般若心経と写経アプリでひっそり解脱を目指してるらしいw。そんなお茶目なヒトとは思いませんでしたよ。


落語も良かったのです。
『つづら』は初めてライブで聴いたということもありますが、とても面白く聴いた。
「間男は七両二分」(昔は、夫は間男を殺害しても構わないということになっていたが、七両二分の慰謝料で示談にされることが多かった…って話)のマクラから始まる間男噺で、金原亭のお家芸だそうですね。
博打に狂った亭主と子供を抱え、生活に困ったおかみさん。やむなく金づくで質屋の旦那と情を通じるようになる。しかし、長屋の住人の告げ口で亭主に知れてしまい、ある晩旦那が訪れているところを狙って亭主が家に戻ってくる。旦那が隠れたつづらを開けようとする亭主に、女房は「博打の借金とりが来なくなったのは、子供に新しい着物をこさえてやれるようになったのは、誰のおかげと思っているのかい?開けてはいけないよ」と懇願する。
亭主はせめてもの意趣返しに…とつづらを背負って質屋の店に行き、番頭にこのつづらを質にとって金をくれと迫る。番頭はこんな汚いつづらは質草にならないと断るが、中に主人が入っていると分かると、七両二分を払って引き取る…という話。


間男が隠れたつづらを前にした夫婦のやりとりを、雲助師匠は淡々とやって、間男された男も生活のために不義をはたらく女も、どちらも情けなく哀しく、それでいて湿っぽくなくてまことに良かった。また、質屋での亭主と番頭のやりとりも可笑し味があった。つづらの中身が主人と気づいた番頭が、引き取ってくれないなら大川に棄てるという男に頭を下げる。「手前どもではもうしばらく要りようのものでございます」。女遊びの過ぎる主人へ向けられた番頭の視線の苦々しさが感じられ、セリフも雲助師匠のいい言い方もいいなぁと思った。


幇間腹も面白かった。一貫してクラシックでありましたが、意外で笑っちゃったのは、若旦那がぱぁぱぁ喋る一八に「うるせぇな。ブブゼラみてえだ」w 雲助師「今日はこれだけ言おうと思って来たン」。


雲助師匠のイメージがちょっとだけ変わった会でした。


柳家三三『お化け長屋』
三三さんはこの日の前日も『お化け長屋』をやってて、両日とも観た落友諸兄によれば、前日のほうがもっと面白かったという。この日は喬太郎師との二人会だから、三三さんはちょっと萎縮したのかな?なにしろ去年「三三 背伸びの十番」にゲスト出演した喬太郎師に『小政の生い立ち』で思いっきり客をさらわれた過去がありますからね、三三師は。また、この日はお客さんもあんまり良くなかった。というか、息があっていなかった。三三さんが「どうせ喬太郎目当てなんでしょ?」って冗談を言ったんだけど(半分はホンキだよね)、それに対して大喜びで笑って拍手する人たちがいて、三三さんは「意外とこたえるのよ」と笑って返していた
けど、実際、ちょびっとこたえたと思うな。アウェイ感がますます募ったのかもしれません。
前日よりは面白さがもう一つだったというのは、そういうことが原因かな?と思いました。
でも、初めて聴いたわたしにとっては十分に面白く、先月聴いた『妾馬』の時以上に嬉しい驚きであった。


肝の据わった男の「頭と足の先もって床柱に固結びにしてこちょこちょこちょ」とか、「近い!」「重い!」とか、繰り返しがいい感じに効を奏していた。
また、「陰にこもって、ゴォ〜ン」と脅かすところで、「陰にこもっ…」のあたりで、男がセリフを遮って「ゴーーン!」と陽気に声をあげるところがありますね。杢兵衛は二回目は男に遮られるのを嫌ってちょっと急ぎ気味に「陰にこもってゴーン」って言うんですが、すると男は「今、おまえちょっと間つめたろ?」「自分の間でやってみろよ。ホラ!やってみ!」w こんなセリフやいい方が可笑しかった。
また、男にやりこめられる杢兵衛の間の抜けた情けない感じは、ちょっと他にない新鮮な印象で、三三さんならではの味が出ているように感じた。


こんな三三さんの最近の変化を、自分はとても好ましく思っています。


立川談志一門会
この会では、談志襲名問題をめぐる家元の発言に客席に衝撃(笑撃?)が走りましたw。


この日も家元は昔のスーツ(ジャケットはダブル、パンツは裾広がりで細く、70年代だ〜w)で登場。お腹の辺りだけパンパンで、鳥獣戯画のカエルのようであったw 元気そうだったけど声が出ていない。
そんなわけで落語はやめて、前夜出演を依頼した山中秀樹アナウンサーを迎えて対談コーナーにすることにしたそう。途中で、家元が舞台袖にいた私服の志らく師を呼んで、3人でトークとなった。


最初のうちは、家元は睡眠薬の話ばっかりしてるし、山中アナが他の話にふろうとしてうまくいかず、全然噛みあってなくておかしかった。
やがて山中アナが圓生圓朝の襲名問題について家元の見解を尋ね(圓生は、現・円楽が継げばいい、で、円楽争奪杯やったらいいってw)、その後「ところで、談志は誰が継ぐんですか?」と質問し、家元に呼ばれた志らく師が加わったあたりから、家元がのってきて面白くなった。


家元は、誰でもいいが、客を呼べる志の輔志らく談春、この3人のうちの誰かが適当であろうと言い、「まぁ志の輔あたりがいちばんいいでしょう」「場合によっては志らくでもいい」 と。
志らく師「談志は談春アニさんが狙ってますから」
家元「談春より志の輔だな」「もっとも今はそう思うけど、明日は変わってるかもしれない」
談志は親方株みたいにしたら?とか、藤子不二夫みたいに、談志A、談志Bにしたら?とか、いろいろな意見が出た後w、山中アナが「(談志を志の輔師に譲ったら)じゃぁ、家元は何になるんですか?」と尋ねると、家元「立川クリスマスとか。お正月とか」wwww
談志改め立川クリスマス!素敵!
志らく師、「家元が立川クリスマスになるって聞いたら、志の輔アニさんも他の弟子も、誰も談志を継ぎませんよ!」w


最後にジョークをいくつか。
始める前にポツリと「志らくもそうだけど、いつも来てる人が多いからね。同じ話で照れるんだ」。可愛いなぁ。こういうところが素敵だ、家元は。


他にも、落語界・芸能界・政界の大物達の裏話などオフレコ話満載のトークであった。結局50分近く喋ってたんですかね、家元は。志らく師「(落語を)やればできたんじゃないですか!」ww


立川談春『子別れ(下)』
この日は仕事があって開演に間にあわず、20時過ぎに会場に着いたら、若旦那のあやつる舟が石垣にひっつこうとしていた。
途中から聴いたということと、暑かったということもあって、噺には最後までのれなかった。
でも、談春師の『船徳』もそんなに良くはなかったように思う (すいません、個人的な感想です。でも、あの『船徳』が良かったと思う方はどうかスルーしてください)。
なんでしょうね?噺自体は、志ん朝師匠のようなオーソドックスな運びでしたが、時々入るギャグ、談春師ならではの理屈っぽい&説明的ツッコミが余計に感じた。そういう“説明”ではなくて、なんかもっと感覚で「つい笑っちゃう」というのがいいんだがなぁ…と思いながら聞いていた。
そう、談春師に対して思ったことは、「コトバで納得させるんじゃなくて、感じさせてくれ!」ということでした。


“説得ではなくて、感じさせて欲しい”ということは、『子別れ(下)』の、冒頭の熊と番頭さんのやりとりのところでも強く感じたことであった。
熊は、おみつと子供を追い出した自分はバカだった、「でも、後悔はしていない」「ああいうことがあったから、今の自分がある」というようなことを滔々と語るのだが、そういう態度は“職人”らしくなくて、言葉を重ねるほどに、自分にはただのきれいごとのようにしか聞こえなかったのであった。
伴侶と別れる、子供と別れるというのは、どれだけ時間が経っても、そんなにきれいに割り切れたり、人に上手に説明できるものではないでしょう。自分のほんとうの気持ちは語らない、語れない、という大工の熊であって欲しくて、そんなに喋りたいなら、せめて番頭が代弁する形にして欲しかった(…と、後に落友と話したりした)。
ともかく、わたしは熊の心情を、あんなに長くて理屈っぽい二人の会話からではなく、もっと練った短いセリフや無言や表情で感じさせて欲しかったと思いました。


あらためて、談春師の落語は良くも悪くも“理屈と饒舌”なのだと思った。その個性が合う噺と合わない噺があるのかもしれないな。
で、それが合うのは、わたしは、『庖丁』のトラさんとか『棒鱈』の酔っ払いとか、談春師の“愛嬌”と達者な理屈と饒舌がうまくあわさったキャラクターが登場する落語なのかな?と思った。


で、『子別れ』の話に戻りますが、『子別れ』は、カメちゃんが登場してから、俄然、良くなった。談春『子別れ』のカメちゃんの生意気さ・可愛さは、談春師の個性にマッチして実に魅力的なのだった。


カメちゃんは、自分がこの前聴いた時(2008年)よりもずっと子供っぽく可愛くなっていた。賢しげな、生意気なことを言うんだけれども、「うわぁ!嬉しいな!食いてぇな、鰻」とかいうセリフが実に天真爛漫な感じ。まだまだ子供っぽい男の子が一生懸命明るく振舞っている…というのがひしひしと伝わってきて、実に健気であった。


談春師はこの日以前の直近では、所沢の会で『子別れ』を通しでやっていて、どうやらその時とも少し違うようなのですが、わたしが以前に聴いたのと変わったかな?と思ったのは次のようなところです。

(父親からもらった50銭で買った青鉛筆で、カメちゃんは画用紙に空(≒父親)を描く。カメはその絵を翌日父親に渡すつもりなのだ。しかし、カメはその絵を忘れて鰻屋に行ってしまい、母親はそれを届けることを口実に鰻屋に出かける。というのがあって…)
おみつが来たとうろたえる熊。座敷におみつが通される。カメは「お茶もらってくる」とすまして席を外す。おみつはカメの絵を熊に見せ、この空は、カメがかつて建前の日に熊に肩車されながら見上げた空で、お前さんなのだと言う。
熊は「いろいろすまなかった」とおみつに頭をさげる。「おまえさんにごめんなさいを言わせて、こちらこそ…」と謝るおみつ。親子三人はまた一緒に暮らせることになった。
カメはいつの間にか物陰で二人の話を聞いていて泣いている。そんなカメちゃんの姿を、談春師は熊の「ピーピー泣くんじゃねぇ!またいつもどおりに憎らしいこと言ってろ」というセリフで浮かびあがらせた。


わたしは、第一回三人集でやった時の、こらえにこらえ続けていたカメちゃんが最後に「おとっつぁん!男だろ!」と父親を叱って、その後わんわん泣いているというのがとても好きなのだけど、子供に叱られる前に男気をみせた熊も、ただ両親がもとの鞘に収まることを願いながら明るく振舞うことしかできなかった、無力で健気なカメちゃん(子供ってそういうもんだと思う)も、とてもいいと思った。


ところで。
わたしは最近の面白い三三さんが好きだけど、三三さんの端正な古典落語が好きな三三ファンの中には「?」と思ってる方もいるのでしょうね。また、わたしが「?」と思った談春師の熊の独白に心打たれた方もいるのでしょう。
でも、こういうのは、どっちが正しいとかじゃなくて、もう個人の好みなんだと思います。というか、多くの人が言うように、落語は“いい・悪い” じゃなくて“好き・嫌い”ってだけなんでしょう。


だから、ここに書いてあることは、落語のレビューなんかではなくて、わたし自身のことなのです。わたしが何が好きで何が嫌いで、どんな価値観で暮らしてるかとか、ただそういうことを落語を語るのを装って繰り返し書いているというだけのものであります。始めちゃった以上、あんまり簡単に辞めたくないんで続けてるけど、恥ずかしく思うときもあるのだ。


何が言いたいかというと、だからこれを読んで、もしも自分と感じかたが違っても、決してムッとしたりしないで、こういう人間もいるのだねと思っておおらかに受け止めて欲しいということですw

5月後半の落語



今回は、この半月の印象に残るベスト5を発表!…なーんて、5月後半はあまり落語に行ってなくて良かった落語がちょうど5席あったってだけですw
その前に、まずは、行った会と演目をざっと書きまする。
なお、最近、終演時間をメモるのを忘れがちなもので、時間はいい加減です。ご了承下さいませ。


5/19(水)
白酒ひとり
19:00〜20:50くらい?@内幸町ホール
『豆屋』
質問にお答えします
『化け物つかい』
中入り
船徳


5/25(火)
桃月庵白酒独演会 白酒むふふ
18:30〜20:39@国立演芸場
開口一番 春風亭朝呂久 『手紙無筆』
桃月庵白酒 『舟徳』
ナオユキ 漫談
中入り
白酒 『らくだ』


5/28(金)
J亭 談笑落語会
19:00〜21:09@JTアートホール アフィニス
立川談笑 『原発息子』
柳家三三 『妾馬』
中入り
立川談笑 『おせつ徳三郎』


5/30(日)
柳家喬太郎みたか勉強会
三鷹市芸術文化センター 星のホール
昼の部 14:00〜16:30?
柳亭市也 『子ほめ』
柳家喬太郎 『そば清』
中入り
三遊亭時松 『松曳き』
柳家喬太郎 『双蝶々 定吉殺し』


夜の部 18:00〜20:30?
柳亭市也 『真田小僧
柳家喬太郎 『花筏
中入り
鈴々舎わか馬 『野ざらし
柳家喬太郎 三題噺(滑舌の悪い噺家・衣替え・一升瓶)〜『東京無宿 棄て犬』


5/31(月)
真一文字の会
19:30〜21:29@日暮里サニーホール
『錦の袈裟』
『麻のれん』
中入り
大山詣り




印象の強い順にこの5席です。
1 柳家喬太郎 『東京無宿 棄て犬』
2 桃月庵白酒 『船徳
3 柳家喬太郎 『そば清』
4 春風亭一之輔 『錦の袈裟』
5 柳家三三 『妾馬』


それでは5位からいってみよー


柳家三三 『妾馬』
三三さんの『妾馬』は昨年6/28鈴本四騎の会以来で、ほぼ1年ぶりに聴いたのです。そしたらなんだか以前より面白いではないか!思わず中入りで知り合いをつかまえて「三三さんの妾馬、面白くなってません?」って訊いたら、知り合い達も今そう話していたところだというので、「あ、やっぱり気のせいじゃないんだ!」と嬉しくなった。


噺の流れや構成自体は以前とさほど変わっていない。伝え聞くところによると、三三さんの『妾馬』は三代目・四代目小さんのものを参考に工夫してこしらえたものだそう。前半の長屋の場面を膨らませ、後半は泣かせずにスパッと終わる。八五郎が長屋の井戸をさらっているところに、お鶴を探して赤井御門守の家来がやって来てドタバタが始まるのだが、以前聴いた時はそれほど面白いとは感じなかった。それで今回も、「なんだ〜、妾馬かぁ」って最初は醒めた感じで聴いていた。八五郎の「お侍さん、バテレン?」なんていうちょっとしたくすぐりが繰り返されるのだが、くすぐりを入れるタイミングがさりげなく絶妙で、また繰り返しがだんだん効いてきて、いつの間にか笑っている自分に気づいて「あれ?面白いじゃん!」と吃驚した。あくまで軽やかで楽しい『妾馬』で、三三さんに合っていた。変わったなぁ三三さん。
三三さんの講釈ネタや怪談の上手さ、アッサリしたところ、女の色っぽさ・きれいさがとても好きで、以前はよく聴いていた。でも、ちょっと物足りなさを感じるようになり、この1年半くらいは聴く頻度が落ちた。それでもやっぱり気になる存在で、だからこんな風にまた「三三さん、いいな!」と思えることがとても嬉しい。
この夏には志らくさんとの二人会もあるみたいだし、もう楽しみでたまらない。


春風亭一之輔 『錦の袈裟』
一之輔さんの与太郎は最強だ。『錦の袈裟』の与太郎は、自分の女房を“おかみタン”と呼びますw
仲間で吉原に行くけど、お前はどうする?と訊かれた与太郎、「アタイはおかみタンに惚れてるから相談してきます!」「だってうちのおかみタン、こわいんだもーん!」。
一度、手をあげようとした途端、女房の拳がみぞおちに入り、気がついたら後ろ手に縛られて梁から吊るされていたw 


与太郎と、仲間の男やおかみさんとの会話がスピーディで間がいい。
「こわいんだもーん!」「バカッ!」
「女郎買いにいってきま〜す!」「死んじまいなっ!」
マヌケな与太郎のセリフに、ツッコミ的ひとことが間髪を入れず入る。小気味いい。
そして、おもしろいくすぐりがちょこちょこと挟まれてて楽しい。
与太郎が“錦のふんどし”とハッキリ言わないので、おかみタン「え?ミシシッピの分度器?」と空耳。
●おかみタンに、どうしても女郎買いに行きたいと訴える太郎、「男だもの!行きたいもの!にんげんだもの〜!」
●おかみタンに錦のふんどしをしめてもらった与太郎股間の違和感に「異文化と異文化のぶつかりあい!」 ・・・


それから、女郎買いの一行には、姿もセリフもないけれど『明烏』の若旦那もいるんだよw 
1人だけモテて、明くる朝仲間にたたき起こされた与太郎は開口一番「…たいへんけっこうなおこもりでございました」。「若旦那っ!コイツにヘンなコト教えちゃダメだ!」


31日の真一文字で聴き、翌日(6/1)の百栄師匠の会(一之輔さんはゲスト出演)でも聴き、二日続けて聴きました。打ち上げで一之輔さんに「同じ噺を聴かせちゃいましたね」と言われて恐縮しました。連日聴きにいってホント迷惑な客ですね、自覚してます、スミマセン。落語家の方々は、落語に通い詰める客は、病んだ可哀そうなヒトだと思って、どうかかまわずに放っておいてください。それに、面白い噺は続けて聞いてもやっぱり面白いので、わたしは連続でも全然ウエルカムなのです。


柳家喬太郎 『そば清』
『そば清』の前の蕎麦のマクラも楽しかった。
柳家、古今亭のそばの食べ方の話が面白かったな。
古今亭の噺家はそば屋でヌキで酒を飲む。「そういうのが“粋”っていうんでしょう」。でも、大ノセの柳家ではそば屋に行ったら蕎麦と丼モノのセットが出てくるのが基本。喬太郎師は、以前さん喬師匠と中華料理店に入り、ラーメン&半炒飯ではなく、ラーメンと炒飯をそれぞれ一人前ずつ頼んだら、さん喬師匠に「本寸法だねぇ」と誉められたw
落語ファンは覚えておこう、中華料理屋における柳家の本寸法は“ひとり、ラーメンと炒飯1人前ずつ”だよ!


喬太郎師の『そば清』は初めて聴いたが、そば清のキャラクターがちょっと新鮮。
蕎麦の食べ方は落ち着いてるんだけど、食べながら、まぁよく喋ること。
「あたし、結構噛みます、蕎麦。粋じゃないんですね」
「あたし、つゆもつけます、ハイ」
「ここでネギを入れます。味が変わりますからね」
「あたし、今日は失敗しました。最初にワサビ溶きました。最初からずーっと辛い!」
「ちょっと変わったことします」(とお茶にそばをつけて…)「やらないほうがよかった!茶そばにはなりませーん」 ・・・
益体もないこと喋りながら、実にリズミカルにそばを食べていく。一枚食べて次の一枚へ移るとき、あれは空になったザルをよけているってことだったのだろうか、箸の先を“ちょっと失礼”って感じにちょい・ちょいと動かす。あの仕草、良かったな。
きれいに食べ終えて、さも“気がついたら全部食べちゃって、自分でもびっくり!”みたいな顔して、「自分で自分に罰を。そば湯いれずにつゆを飲みましょう」とつゆを飲み干すw
そしてお決まりの「ど〜も〜!」を軽やかに言い放って去っていく。
このそば清、ちょっと品のいい植木等みたいと思いましたw


そんなそば清も、50枚のそば賭けでは、いつもの余裕のポーズをかなぐり捨ててホンキでそばに挑む。だから食べ方が今までと違うのw 喬太郎師は座布団の上に膝で立って全身で勢い良くそばをすすっていきました。
で、お腹がいっぱいになっちゃうと、箸をもった手を頭上にさしあげたまま体が折れない!「桂枝雀だね」w


喬太郎師の『そば清』は、ヘビの消化剤を“薬味”と称してつゆにちぎって入れて、そのつゆにそばをつけてすする。で、皆の前でふにゃふにゃ〜と崩れ落ちていく(喬太郎師は座布団に座ったまま後ろに倒れました)。「清さん、解けちゃった!」でサゲ。


桃月庵白酒 『船徳
19日の白酒ひとりで初めて聴いて、それから1週間経たないうちにまた聴いた。それでも面白くて笑えた。この噺は白酒さんの十八番になるんじゃないかしら?


わらっちゃったところを抜き出してみますと…
●船頭になりたい若旦那「春には春、夏には夏、秋には秋、冬には冬、季節・季節の風を感じて働く、そういうところに身を投じていきたいんです、あたしは!」と真摯に訴える。
「そうだったんですか…」と親方がほだされた途端、若旦那「それを見て女の子がどう思う?!」 やっぱ女目当てかw
●若旦那「頼みます、腕がびゅんびゅんうなってるんですから、ホラ…」(と二の腕をまくって女将に見せながら)「旅〜ゆけ〜ば〜♪」 うなるって浪花節か!
●“この間、あんなことがあったばかり”という言葉を聞きとがめ、「なにかあったんだよ!」と怖がる客。舟に誘ったほうの客が安心させようと「女将、なにもなかったんだろ?」 と訊ねると、女将「・・・・・」。客「否定しないよ!」 ますます不安を煽られるw
●舟をこぎだそうと力いっぱい棹を突いて踏ん張る若旦那。この時の白酒さんの腰つきが傑作!可笑しくてたまらない。
●棹から艪に変えた若旦那、艪の扱いが分からず、懐からメモを取り出して読む。
●竹屋のおじさん、若旦那が1人でお客を乗せていくと知り、思わず合掌。
●舟が濠の石垣にぴったりくっついてしまい、客二人に広いほうに舟を出せと責められた若旦那、「やだ!」と逆ギレw 
「そんなことまで言われて船頭やりたくありません!」「謝ってください!」 
二人の客は「どうもすいません」と謝るのであった。
●気を取り直して漕ぎ出す若旦那であったが…「船頭、向いてないのかな」とポツリ。いま悩むな!w
●若旦那は女将から「いよいよダメになったら大声で助けを呼ぶんですよ。助けがいくようにしてありますから」と言い含められて送り出されたのだが、ついに疲れ果ててやんなっちゃった若旦那「助けてー!」と叫ぶ。すると、どこからか女の子達が現れて…「若旦那〜、頑張ってえ〜」と黄色い声援をおくる。俄然生き返る若旦那、再び猛然と漕ぎ出す。女将が言ってた“助け”ってこれだったのかw 客「いろいろ仕掛けがあるんだねぇ」・・・・
というように若旦那が大川に漕ぎ出すあたりからは、もうもう笑いっぱなし。小三治師匠の人間への愛おしさと可笑しさがこみあげてくるような『船徳』も好きですが、白酒師の破壊力のある『船徳』も好き。若さとパワーを感じます。


柳家喬太郎 『東京無宿 棄て犬』
この新作、久しぶりにやったのだそうですが、わたしは初めて聴いた。
二つの意味で喬太郎師らしいと思いました。一つは徹底した女性不信。もう一つは喬太郎師が好む映画や演劇(わたしは詳しくないので具体的にはよく分からないんだけど、映画だったらおそらくATGとかそのあたり?)の影響。特にラストは映画的、あの終わり方は決して落語ではないよね…と、会の帰り道、落友と話したりした。


あらすじはこんな感じ。
同窓会で再会した由美子と里美(喬太郎師の新作に出てくる女のヒト、たいてい由美子か里美ですが、喬太郎師いわく「うち、スターシステムだから」w)。
思い出話がつきない二人は自宅で飲み明かそうということになり、一緒に里美の部屋に帰宅する。そこには里美の飼い犬・ペスが待っていた。ペスは捨てられて雨の中で鳴いていたところを里美に拾われた。「はじめまして、ペス」と犬を抱きあげた里美は妙に懐かしさを覚える。犬の頭にはラーメンの丼の模様みたいな四角いつむじがあって(日本人の100万人に1人しかないっていう“中華つむじ”w)、里美にはそれに見覚えがあった。「…ヒロユキ」。
実はペスは里美のかつての彼氏・ヒロユキの生まれ変わり。トレンディドラマみたいな別れをしてみたいっていう下らない理由で、里美はある雨の晩にヒロユキをこっぴどく振って、ふられたヒロユキはその後交通事故で死んでしまう。
今まで付き合った男の中でヒロユキがいちばん良かった、それなのにあんな振り方をしたことを後悔している、今度こそヒロユキを大切にしたい…と由美子は里美にペスを譲ってくれと頼む。里美は「あんたって昔からそうだった、人のものすぐに欲しがって!」と怒りをあらわに断るが、グラマーな由美子の胸に顔をおしつけられてうっとり状態wのペス(ヒロユキ)を見て、里美は諦めてペスを譲ってしまう。「あんたには二度と会わないから!」「うん、あたしもう同窓会には行かないから」


由美子の部屋でヒロユキとの二人暮らしが始まる。
仕事を終えた由美子は人間だったときの彼が好きだったウニやイクラを買っていそいそと帰宅し、ヒロユキはしっぽを振って出迎える。だが、そんな蜜月は束の間、ウニ・イクラはじきにペディグリーチャムになり、それさえ買い忘れられるようになり、ヒロユキは食事ヌキを余儀なくされる。やがて由美子はヒロユキを置いたまま家を空けるようになる。
3日ぶりに帰宅した由美子をヒロユキが出迎える。
「わんわんわんわん!(どこへ行ってたんだよ!)」
「わん!わわわわん!(ちょっと来い。ここに座れ!)」
ヒロユキのセリフはずーっと犬語(ワン)なんですけど、不思議となに言ってるか分かります。それがなんだか可笑しい。
由美子「仕事だったのよ」
ヒロユキ「ワワワ〜ン!(あのなぁ〜!)」
煩わしそうにヒロユキを追い払う由美子。彼女の心はすっかりヒロユキから離れている。


ある晩。由美子は新しい恋人を連れて帰宅する。
ヒロユキは由美子に“ペス”と呼ばれ、恋人を紹介される。男にむかってうなり・吠えるしかないヒロユキ。
逆ギレした由美子、ヒロユキに「しょうがないじゃない。あなた犬なんだから。じゃぁあたしが抱けるの?」「あたしだって結婚したい、子供生みたい、普通のしあわせ欲しい!あなた働いてくれる?あたしを養ってくれる?」


「どうしたの?」と男が顔を出す。「オレ、すっかり嫌われちゃったな」。再び男に吠えつくヒロユキ。由美子は「出て行って!出て行ってよ!」とついにヒロユキを追い出してしまう。
外は雨。
ヒロユキは雨の晩に再び由美子に捨てられた。


わたしは、この後ヒロユキはもう一度里美に拾われるんじゃないか?と予想していた。でも、喬太郎師はそうしなかった。
結末を書くと、ヒロユキは死んでしまいます。
どうやって死んでいくかは書かないけど、その死に方、噺の結びは、一瞬息を飲むほど残酷だった。


女性への憎悪というのは、いろいろな落語の中に、多くの落語家の中にあって、ときどきそれを感じる。別に落語に限ったことではなく、男のヒトの憎悪はいろんな形に屈折して表現されて、いろんなクリエイティブからそういうものが覗いている。
で、わたしがそういう憎悪や屈折を最も強く感じるのは喬太郎師です。この人の女性観は怖いくらいシビアで冷たい。どこまで女を信じていないのか。人間は齢とれば良くも悪くも丸くなるものだから、若い頃の異性へのコンプレックスだってそうだろうと思うんだけど、男の人はこれほどの屈折と暗さを抱え続けるものなのか?と思う。自分は女だから男の気持ちは推し量りきれないところがあるけど、男の人の中には共感する人もいるんだろうね、きっと。
ともかく、喬太郎師は時々こうやって心の闇をふいにつきつけてくる。全然容赦しない。その容赦のなさが凄い。ここまで容赦ないのは見事という他ない。


だけど、こんなにも、1ミリたりとも女に心を許しそうもないこのヒトを、「キョンさまー!」って追っかけてる女子ファンの心理はさらに謎だ、わたしには。
わたしは喬太郎師が怖いよ。

5月前半の落語



連休明けから忙しくなって今月前半に行った落語会は5つ。健全な日常生活を送るのに理想的なペースではあります。このペースを続けられるとよいのですが。
では、さっそく今月前半の落語活動を振り返ってみよー。


5/4(火)
立川志らく25周年記念公演 立川志らく独演会
18:00〜20:24@よみうりホール
談志・志らく 対談
志らく『寝床』
仲入り
談志 ジョーク
志らく『らくだ』
※これは前々回書いたので、詳しくはそちらを読んで下さい。


5/7(金)
こしらの集い
19:00〜20:45@お江戸日本橋亭
※中入りなし
『たいこ腹』
金明竹
『だくだく』
この会がある日はかなりの確率で雨であることが多い。この日も雨であった。しかも魅力的な落語会が重なってて(横浜で続・志らく百席、人形町で扇辰・白酒、新宿で白鳥ゲストの天どん勉強会等々)、この日、ここにやってきた客はいつもよりずっと少なかった。でも、おかげでゆったり聴けました。


『たいこ腹』
鍼の道具一式をとりよせ、さっそく手に取って遊びはじめる若旦那。畳にうち、障子にうち、次は壁に打ち…という段になって、おもむろに壁にハリを投げ始める若旦那。「そうだ、真ん中にあたったら10点てことにしよう」。それダーツじゃんw
「からすカァと鳴いて夜が明けまして」(こしらさん、“江戸っ子は五月の鯉の吹流し”に続いて覚えたのだろうか、この落語的定型フレーズを?)若旦那また鍼を壁に投げて練習にはげむが、「もう鍼飽きたしなぁ…違うよ!投げるんじゃねぇよ!」とようやく間違いに気づくのであった。
鍼でダーツ始めるっていうのが可笑しいな。
サゲのフレーズはしっかり間違えていたw おかみさん「おまえも名の知れたたいこだろ?」だって、“ならしたたいこ”って言わないと「皮が破れてなりませんでした」がオチにならないじゃんw


金明竹
言い立てで大笑いしてしまった。
こしらさんの言い立て、酷い!本当にまったく何言ってるかわかりませんww こんなにいい加減な言い立ては初めてです。そして本人にちゃんと言おうという意志がまったくない。与太郎も「お前、伝える気ないだろ〜?」
こしらさんの関西弁でちゃんと分かったのは「かなンな〜」だけだった。そして、言い立てを繰り返すうちに、ちょびっとは上手くなって聞き分けられる箇所が出てきて、それがまた可笑しかった。
「おかみさんでっしゃろ?」と訊かれたおかみさんの空耳も傑作。
旦那「なんて言ったんだ?」
おかみさん「ええと…おゆんはん?でっしゃんはん?」
「おゆんはん」って何?w「でっしゃんはん」って何?ww


「最後はボクの好きな噺です」と『だくだく』
この噺はわたしも好きなので、面白いといいなぁと楽しみだったんだけど、期待通り、わたしはコレがいちばん面白かった。


家財道具をなにもかも売り払ってなーんもない部屋、「よく生活感がなくてカッコイイっていうでしょ。でも、生きてる気配がないんですよ」w
その“生きてる気配のない部屋”に男が描いてもらう絵は、桐の箪笥や金庫ばかりじゃないの、「“川”描いてくださいよ」「オレ釣りが好きなんで、釣竿描いてください」。釣竿は、フツウに川に垂れているのと、魚がかかってしなってるのを描いてもらって、その隣に鯛も描いてもらう。男、順番にその絵の傍らに立って「魔日ってあるんだねぇ。全然釣れないよ」→しなった釣竿の絵「キターーッ!」→鯛の絵「釣り上げましたー!」だって。バカw


泥棒とつもりごっこをするところがとっても楽しかった。
男は泥棒を捕らえようとし、泥棒は忍者になって逃れる。男は家を出ていこうとする泥棒を追うが、「あーー!こんなところに川があるー!」。それおまえが描かせたんじゃんw
すいとんの術で川底を渡って向こう岸にいってしまった泥棒を狙って、男は槍を構えて「びゅーんと腕が伸びたつもり!」「腕かよ!普通槍が伸びるんじゃねぇの?」w 
散々遊んで、泥棒「オレ、途中で疲れちゃったんだわ、帰るよ」「うん、また来てよ」「俺達気が合うな」と意気投合した二人…に見えたが、サゲは「友だちになったつもり!」 ww
いいなぁ!おかしいし、なんだか可愛い『だくだく』であった。


こしらのつどい、空いてて快適なんだけど、こしらさんのためには、もうちょっとお客さんがはいることを心から祈る。


5/12(水)
志らくのピン
19:00〜21:03@内幸町ホール
志ら乃『幽霊の遊び』 ※立川企画松岡社長作の新作
※以下、すべて志らく
『道灌』
『堀の内』
中入り
『鼠穴』


志らく師の『道灌』『堀の内』は、前もピンで聴いたんだったと思う、たしか。どちらも前よりゆっくりになった気がしました。
志らく師の『堀の内』は、亭主だけがそそっかしくてヘンなんじゃなく、おかみさんもヘンで、しかも妙に可愛いっていうのがいいです。
このおかみさんは慌てモノで「生きるのに忙しいの!」とバタバタしてて、亭主の“疝気の虫一流のシャレ”的なくっだらないシャレに「おもしろいねぇ、おまえさん!お腹痛いよ!」と大ウケし、亭主に劣らずそそっかしいのだった。
息子・金坊に「なんだお前達!夫婦揃ってバカだな!」と言われてしまう、おバカ夫婦なのであった。
サゲは金坊に「なんだ、おとっつぁん、羽目板洗ってらぁ」と言われた父親が「ハハハ、ハハハ…」と笑いながらお湯屋の羽目板を洗い続ける…という終わり方。


このサゲについて志らくさんは…
落語のオチは思考ストップ。下らなくスパッと終わらせることで「この後どうなるんだろうな?」と気にならないで済む。こういう終わらせ方はアメリカンニューシネマによくある。笑いながらハメ板を洗ってる父親は、アメリカンニューシネマのようなラストシーンにしたいと思ってああした…とのことでした。


志らく師の『鼠穴』は初めて聴いた。
若い頃の家元のはCDで聴いていますが、あれをベースにしたオーソドックスな『鼠穴』という印象でした。
この噺は、竹次郎もその兄も真意が分かりにくく、後味が悪くてあまり好きな噺ではないのだけど、志らく版ではさほどならなかった。また、マクラで小津の『東京物語』の話をしたんだけど、志らく師はこの落語に“田舎と都会の圧倒的な距離感”みたいなものを出したかったのかもしれないと思った。


普通の『鼠穴』と違ったところは…
○兄は、3文入れた袋に更に石ころを入れて竹次郎に渡す。これは、袋を渡した時に袋の重さで僅かしか入っていないことが分かってしまうからそうした…と落語の中で兄に説明させていた(わたしは、これは何か意味があるのかな?オチに関わる伏線になったりするのかしら?と思ったけど、特にそういうことはなかった)。
○竹次郎は兄の仕打ちが悔しくてずっとうらんでいたというのをはっきり出していたように思う。
3文の元手からスタートしてそれなりの身代をこさえた10年後、兄のところに借りた3文と利子として5両を返しに来た時、竹次郎は兄に「来たくないけど、来なくちゃならないワケがある」と言う。このあたりも曖昧にやるヒトもいますね。家父長制の時代だから、竹次郎は気持ちを表に出さないで兄の前では大人しくしているって考え方もあるんだけど、ちょっとでも悔しそうな表情があると、竹次郎の心理が分かりやすい気がします。
○兄が3文しか与えなかったワケを話し竹次郎に頭を下げると、竹次郎は「頭をあげてくんろ!オラ10年間兄貴を怨んでた。この10年は取り戻すことは出来ねぇ」と嘆く。こういうところで“竹次郎=田舎の世間ズレしてない人”というのがよく分かります。
○蔵が次々と燃え落ちていくところ、描写が丁寧だった。竹次郎が使用人に蔵に火が移ったかどうかを確かめさせていく。使用人が屋根にあがっての瓦を一枚はがすと、そこから煙があがる。次の蔵も、次の蔵も…という風に。
○夢から醒めた竹次郎は、兄のことを疑っていたからこんな夢を見てしまったのかもしれないと嘆き「恥ずかしい、穴があったら入りたい」、すると兄「よせ、穴は塞げ」…というサゲでした。


この噺、志らくさんはまだまだ手を入れるつもりのようです。


5/13(木)
浜松町かもめ亭スペシャル「江戸料理 平らげて一席」出版記念落語会」
19:00〜21:07@文化放送ディアプラスホール
桂宮治『狸の札』
柳家喬太郎時そば
中入り
喬太郎・佐藤友美(東京かわら版編集長) 対談
ユリオカ超特Q 漫談
柳家喬太郎 『おせつ徳三郎 刀屋』


江戸料理 平らげて一席」は、食べ物が登場する落語をとりあげて、喬太郎さんがその落語にまつわる話や薀蓄を語った本で、喬太郎さんはこの会では本でとりあげた“食べ物が出てくる落語”を2席なさいました。
時そば』も『刀屋』も喬太郎さんで聴くのは初めてだったので嬉しかったです(わたし、喬太郎さんの落語で聴いてないのいっぱいあるな)。


時そば
“波に南”(あれ?“南に波”だっけ?どっち?まぁいいやw)印の提灯をさげたそば屋、「うちはキッチン南海っていうんスよ」ww
丼はフチが欠けてて、ぐるぐる廻して欠けてないところを探さなくちゃなんない、でも満遍なくかけててどーしようもない。汁は渋くて「茶そば!だから廻すの?演出?」。茶道か!麺にお茶が混じってるんじゃなくて汁にお茶が混ざってるって新しいかもw


対談
あまりにも緊張しているかわら版編集長の佐藤女史を喬太郎師がリードし、対談というよりは喬太郎さんのトークという感じだったが、佐藤女史が『初天神』について「さん喬師匠もなさいますね」と質問したことをきっかけに話題が本を離れ学校寄席のことになった。その話がとても面白かった。


喬太郎さんの『初天神』は学校寄席のために磨いてきたような噺で、学校寄席でほとんどハズしたことがない。この、ギャグをふんだんに入れた『初天神』を、喬太郎さんは「古典としては破綻している」と言う。だが、学校寄席では目の前の落語に興味のない生徒達を“落語で”笑わせるのが大事。だから古典として破綻していようとなんだろうと『初天神』で笑わせる。『初天神』はある意味自信をもっている噺なのだ…という話であった。
とにかく目の前の客に、落語を楽しんで欲しい、落語って面白いんだと思って欲しい、だから笑わせることにファイトを燃やすっていうのは芸人としてカッコイイ。こういうマインドは昇太さんと同じだ。落語をよく知らない、落語を初めて聞く生徒たちに「落語ってつまんないなー」と思わせたらおしまい、とにかく笑わせるって大事なことだと思うな(わたしも中高生の頃、昇太さんや喬太郎さんみたいな落語家と出会っていたらなぁ)。


ただし、落語にギャグを入れることで生徒達が引いてしまう場合もある。やんちゃな生徒の集まってる学校なんかに多い。自分の両親くらいの年齢のいい大人がイマ風のギャグを言うことに「おっさん、なに俺達に迎合してんだよ!」と反発するのではないか?と喬太郎師は分析していた。
で、そういう時には『転失気』をオーソドックスに淡々とやることにしているのだそうです。『転失気』は昨年覚えたばかりで、ある学校寄席でやってみたところ、最初は落語を聴く気がなくしらけていた生徒達が、“おなら”と分かったあたりから少しずつクスクスと笑い始め、最後は皆がちゃんと耳を傾けてくれていたという体験をしたそう。それから『転失気』は『初天神』とならんで学校寄席での武器の一つになった。
それでもホンッとに笑わない時は、もう笑わすことを諦めるw「諦めると『死神』やるの」だそう。「いっちばん諦めた時は『お札はがし』やった」w


もっと聞きたかったが、対談の時間はあっという間に過ぎてしまった。
またこういう話をライブで聴ける機会があるといいな。


『おせつ徳三郎 刀屋』
喬太郎版は二人が心中して終わるというのは聞いて知っていた。「終わり方が暗くてどんよりする」という声もあったので、どんなかな?と思ったが、全くきれいな噺じゃありませんか!
二人が若く幼すぎて成就しない恋愛、脆い恋愛を描いていて、ちょっと感傷的なところのある喬太郎師らしい世界であった。


おせつと徳三郎は花見に行った時に食べた“桜餅の葉”を思い出としてそっとしまっていて、祝言の夜、再会した時にもお互い懐に忍ばせていた。
川に身を投げる二人は、2枚の桜の葉が、桜の花びらが、もつれるように落ちていった…と喬太郎師は結びました。
桜餅の葉は塩漬けの葉だから、色が悪いししめっててひらひら舞わないから、葉はださなくてもいいのになぁと思ったけど、落友の「桜餅の葉を出したのは、今回の会が本にちなんだものだからだろう」という話を聞いて納得。


刀屋の主人の説得も良かった。どうしてもおせつとその夫を斬って、自分も死なないことには苦しくて堪らないという徳三郎に「苦しみなさい、(お嬢様を)憎みなさい。悔しいなら生きなさい。そしていつかお嬢様に“逃がした魚は大きかった”と思わせてやんなさい。それが男の仕返しだ」
いいこと言うじゃんかー


次は、まだ聞いたことがないきょん師『刀屋 任侠編』を聞いてみたいです。


余談ですが、開口一番の桂宮治さん。この方は初めてだったのですが、落友から、昨年入門したばかりの前座さんらしいと聞いて吃驚しました。上手い。お名前、しっかりインプットしました。


5/15(土)
第99回 朝日名人会
14:00〜17:10くらい?有楽町朝日ホール
柳家花いち『一目あがり』
三遊亭きん歌『ぞろぞろ』
古今亭菊之丞『お見立て』
柳亭市馬『宿屋の仇討ち』
仲入り
柳家喬太郎『松竹梅』
立川志の輔『帯久』


当日京都から新幹線でこの会に直行した。前の晩飲んでてあまりコンディションが良くなかったことや、席がかなり後ろだったので演者の表情の動きがよく分からないこともあって、珍しくなかなか噺に入りこめなず、醒めた感じで聴いていた。
こちらが良い状態で聴けたら、もっと楽しめたと思う。


そんな中でも、トリの志の輔師はさすがだった。最初は引いていたのだけど、気づいたら気持ちは前のめりで聴いていた。志の輔師の『帯久』は、客席100名に満たないスタジオFOUR、約300人の新宿明治安田生命ホール、そして約700人のこの会場で聞いたことになるが、どんな大きさの会場であっても、志の輔師は観客の心をぐっと鷲掴みにする。それは凄いことだと思う。
この前この噺を聞いたのは昨年の志の輔らくご@新宿明治安田生命ホールの最終回だったが、その時よりも良かった。


でも、この日は一切メモとらなかったから、細かいこと全然覚えてないや。落友が“ちょっとした、しかし重要な変化を加えた”ってmixiに書いてたんだけど、それにも気づきませんでした。後で教えてもらわなくちゃ。とほほ

4月後半の落語



4/16(金)
J亭 談笑落語会
19:00〜21:00ちょっと前
談笑『まんじゅうとか怖い』
談幸『鹿政談』
仲入り
談笑『死神』


一席目『まんじゅうとか怖い』。談笑版は、男の怖いものはまんじゅうだけじゃなく甘いもの全般。登場するまんじゅうは塩瀬総本家くらい、あとは虎屋の羊羹とか風月堂のゴーフルとかパステルのなめらかプリンとか、いまどきのスイーツの定番ばっかり。シメは「ここらでスタバのキャラメルフラペチーノがダブルで怖い」っていうんだから、この男はどんだけ甘いもん好きなんだw

この日のゲストは立川流の良心・談幸師匠。わたしは3月の末廣亭余一会で『片棒』を聴いて、今回二度目。談幸師は落語らしい落語をなさいますね。


談笑さんの『死神』は初めて。サゲは“ループ落ち”とでもいうんでしょうか。
男は死神との約束(死神が枕元にいる時は呪文を唱えてはならない)を破ってしまい、地の底に連れて行かれる。死神は男に「つけたきゃつけろ。消したきゃ消しな」と新しいろうそくをあたえ、男は新しいろうそくに火を移すことに成功する。「ハッピーバーステー!フーッ…とかやらねぇぞ!」w
ふと気がつくと傍らの死神の姿は消え、男は地上に戻っている。その場所は男が生まれた家。父親と母親がいる。だが、彼らには男の姿が見えない。両親は死にかけた男の子を囲んでオロオロしている。その男の子は、幼い日の男自身・・・
実は、男は幼い頃から何度も死にかけて、そのたびに奇跡的に生き延びてきた。それは死神=男自身が助けてやっていたからだった。そうやって何度も難を逃れて成長するが、最後には死神との約束を破って死神になり、同じ人生を繰り返す…という不毛を延々と繰り返しているのです。


一番最初に死神が男の前に現れた時、死神は「恨みに思うなよ。助けてやろうか?」「おめぇを助けたいんだ。俺とおめぇの仲は深ぇものがあるんだ」と鬱々をした様子で言う。「約束を破ったらどうなるか教えてやりたいけど、おまえに怨まれる。この約束だけは守ってくれよ」と涙をうかべて頼む。
そして、男が約束を破ると「だめだったな。やっちまった…おめぇも」「おめぇだけはやらねぇと思っていたのに」と泣く泣く男を地の底に連れて行く。ここは地獄か?と怯える男に、死神は「地獄じゃない、地獄よりつらいかもしれない」。なるほど、この不毛な繰り返しが永遠に続くって、死ぬよりつらいなぁと思いました。


4/17(土)
巣鴨四丁目落語会 昼の部
13:30〜15:50@スタジオFOUR
我楽亭ハリト『おしゃべり往生』
志の輔『御神酒徳利』
松永鉄九郎&鉄六 長唄
志の輔『壷算』
志の輔&ハリト 短い対談


志の輔師はホーチミン公演で利き手(左手)の中指じん帯を切ってしまって、現在指にギブスをつけている。ギブスが目立たないよう、なるべく利き手を使わないようにしているそうだが、それに気をとられていつもの半分くらいしか落語に脳をつかってない気がするんだそうです。だから、落ち着いて集中を要する落語(人情噺とか)をする気にならないとのことで、この会では当初朝日名人会にかける『帯久』を稽古するつもりだったけれど、それはやめて『御神酒徳利』『壷算』をやったんだって。そういえば、どっちもテンションをあげて勢いで乗り切った感じでした。
でも、夜の部では『ねずみ』をやって、翌日の前進座では『江戸の夢』をやって、『江戸の夢』はわたしも聞いたけど、いつも通りの志の輔らくごだった。この2日間で高座を重ねながら調整なさったんでしょう。そのあたり、さすがです。


ホーチミン公演のこと、シンガポールのカジノ、風水の話から『御神酒徳利』へ。
志の輔師の『御神酒徳利』は番頭さんが主人公で、小田原の宿で出来心で30両の財布を盗ってしまった女中を助けるところまで。この女中に「(病気の父親が)いつ治るか占ってください!」と泣きつかれた番頭が「治った後で聞きにおいで」…というサゲでした。


この日は、志の輔師の落語もさることながら、ゲストの我落亭ハリト君の落語が楽しかった。彼は、現在、阪大大学院で桂枝雀の落語について研究しているトルコ人の留学生。
志の輔師と三枝師匠が審査員をつとめた大学落研のコンクールかなんかで入賞して、それがきっかけでこの会のゲストに招かれた。
亭号はさん喬師匠につけてもらったそうです。さん喬師匠は日本語を学ぶ外国人留学生のための教育活動に協力されているから、その縁かしら。


『おしゃべり往生』は、おしゃべりな男の話。ある長屋にとてもおしゃべりな男がいて、好物の鯛の煮付けを食べながらお喋りしてて、鯛の骨を喉につまらせて死んでしまう。三途の川にたどり着いて渡し舟に乗るが、舟の上でも散々おしゃべりして乗りあわせたお客(死者)たちを迷惑させる…というストーリー。この落語は、劇作家&翻訳者の黒田絵美子氏がさん喬師匠のために書き下ろしたものだそう。


ハリト君の人物の描き分けはまだまだで、時々誰を演じているのか分かりにくい。日本語のイントネーションもおかしいところがある。でも「この落語は自分でやってて可笑しい、楽しい」と言ってて、それが観ていてよく分かりました。
たまにちびっ子落語家みたいな子供が半端に達者にやる落語を聴くと、なんともいえずヤな感じがしますが、彼の落語は天真爛漫で、子供よりよほど微笑ましかった。


100年以上前のトルコには、一人で何人も演じ分ける落語に似た話芸(“メタブルク”って言ったかな?)があったそうです。でも今は廃れてしまった。ハリト君はいずれトルコに戻りその話芸を“トルコ落語”として復活させたいとのこと。
会の最後に志の輔師との対談があり、ハリト君は「その国の人が母国語でやらないと落語のスタイルは伝わらないと思う」。
“落語がインターナショナルになる”っていうのは、日本人落語家の海外公演や外国語で落語をやる日本人の落語家が増えることじゃない。落語という“語りのスタイル”が日本以外の国に受け入れられ、その国の言葉で語る独自の“落語”が生まれる、その国の人がそれを聴いて楽しむようになる…そういうことなのかもしれないです。


立川志らく独演会 夜の部
18:00〜20:18@三鷹市芸術文化センター星のホール
らく兵『宮戸川
志らく『後生鰻』
志らく長屋の花見
仲入り
志らく『百年目』


志らく師、連日公演が続いて、夜の部ではかなり疲れていると仰ってたけど、疲れを感じさせない、素晴らしい高座でした。
『後生鰻』(「折れた釘で書いた“父ちゃんのバカ”」「お前は大坂人か!」…つい笑っちゃうフレーズがいっぱいだ)、『長屋の花見』(大家さんが「人間というものはものすごい可能性をもってるんだよ!」って、そう思いこんで見つめれば沢庵も卵焼きに見える!っていうところが好きですね)、そして『百年目』。三席とも良かった。 特に『百年目』はブロッサムのときより一層良かったです。


旦那を描くのに、師匠(家元)を思い浮かべたりした…と仰っていましたが、最後に、旦那が座敷に番頭を呼んで語りかける場面で、印象的なところがいくつかありました。


旦那は番頭に“下の者たちに厳しすぎる”と注意しますが、下の者たちは、自分は嫌われてるんじゃないか?と思うと辛いものだ、萎縮してしまうと諭す。師弟の関係でも、師匠に嫌われていると思ったら弟子は辛いでしょう。志らくさんにもそういうことがあったのかもしれない。


旦那が番頭にお茶をたててやるところは、ブロッサムでは仕草を間違わないことに夢中で感情を込めてできなかったと反省していらしたが、今回はとても良かった。
お茶をたてながら旦那がふと涙ぐむ様子など、実にしみじみしていいなぁと思いました。


4/18(日)
前進座劇場プロデュース 寄席 噺を楽しむ・その42 立川志の輔独演会
14:00〜16:30くらいだっけ?@吉祥寺前進座劇場
志の春『六尺棒
志の輔『御神酒徳利』
仲入り
松永鉄九郎 長唄
志の輔『江戸の夢』
感想は既述の通りでございます。省略


立川談春独演会 アナザーワールド?
19:30〜21:44くらい@成城ホール
談春『お若伊之助』
仲入り
談春『包丁』


久しぶりに談春師の落語を聴いていいなぁと思ったです。
この日の二席には、落語のテクニックでも、落語家の個性という意味でも、談春師の魅力がおおいに発揮されていた気がします。 噺にキレがあって、意地悪でフマジメで悪戯っ子のような登場人物たち。
『お若伊之助』の鳶の頭、『包丁』の虎サン。談春師の分身のようで可笑しくて魅力的だった。


『お若伊之助』は、アナザーワールドでネタおろしした落語の中では、今後よくやるネタとして定着していく可能性が一番ありそうな気がしました。
個人的には『包丁』が良かったです。
宇野信夫は『包丁』という噺を“圓生の芸に最も適した噺”“フランスのしゃれた映画にでもあるような筋”と言っていますが、この夜は談春の『包丁』を観ながら、ドラマを見ているような気持ちだった。わたしは『包丁』は圓生よりも談春のが好きだなぁ。


圓生の『包丁』はわたしはもちろんCDでしか聞いたことありませんが、小唄を唄いながら女を口説くところ、その唄い方だけで、男が迫る様子、女が嫌がる様子がありありと浮かんでくる…というのが見事だったのでしょう。
談春師の描くトラは、圓生の描くトラと同様にヤな感じがありつつ、でも圓生・トラにはない愛嬌がありますね。
トラは、佃煮の味で、口の奢った男を養う女の苦労を察したり、それをまた「所帯の苦労が大変でしょ?」なんて口に出したりする、細かいヤな男だ。
でも、子供みたいなところがある。酔ったトラの師匠への迫り方なんか子供そのもの。「おそっちゃうぞ〜w」って感じで両手を構える様子なんて、腕白な男の子がふざけてるみたい。
だから、ヤな男には違いないんですが、「しょーがないなぁ」とつい笑って赦したくなってしまう。そこが魅力的と思いました。


でも、いくら子供みたいといったって、迫られる女からしたら不愉快きわまりないわけですが、そのあたりの師匠の嫌悪感も面白おかしく描いていてさすがであった。
この清元の師匠って、落語ワールドの中では珍しい、男を養えるくらい甲斐性のある女のひとなんですが(他にも、『文七元結』の佐野槌の女将とか、豊志賀とか、『厩火事』のおサキさんとかもそうだけど)、この人、経済的には自立してるんだけど、心がぐらぐらしてるのね。ひとりで生きる覚悟さえすればいくらでもカッコよく生きられるのに、そうできない。だらしなく男に惚れてしまう。で、意地張って「今日からあたしの好きなひとは…トラさんなんだからねっ!」と間違った方向に暴走しちゃう。しょーがないなぁ。
トラも常もこの女も、みんなマトモじゃない。でも、そういうヒトたちがいとおしく思えるっていうのが落語の良さであり、また談春師の上手さなんだと思います。


ところで、談春師は、前はトラさんがつまむ佃煮を「椎茸昆布」にしてたけど、いつの間にか「ハゼ」に戻したのねw


4/20(火)
らくご@座・高円寺 喬太郎の古典の風に吹かれて 昼の部
14:30〜16:55@座・高円寺
開口一番 小んぶ『堀の内』
一朝・喬太郎 対談
喬太郎『饅頭こわい』
一朝『淀五郎』
仲入り
喬太郎井戸の茶碗


冒頭の対談は、喬太郎さんが一朝師匠にあれこれ質問する形で進行。
一朝師匠は多くの時代劇ドラマ(主にNHKみたい)で“江戸言葉”を指導されているそうですが、現在の『龍馬伝』でも武田鉄矢勝海舟)に江戸弁を教えてるそーです。
最近は、番組のスタッフに江戸言葉を知った人がいないので、苦労されることも多いとのこと(現代のイントネーションやアクセントと違う言葉なんかもあるので「ホントかな?」って顔をされちゃうんだって)。


江戸言葉は独特のアクセントがあって標準語ではない、でもとても綺麗な言葉なのだと仰っていた。
喬太郎師に、後輩の噺家の言葉づかいで気になることはありますか?と訊かれ、“鼻濁音”が大事と仰っていたな。
むか〜し、少しだけ朗読を勉強していたことがあるのですが、そういえば最初に鼻濁音を練習したなぁと思い出しました。


一朝師匠の『淀五郎』を聴けたのが良かったです。
一朝師匠のは仲蔵がとても優しい。仲蔵は淀五郎に判官の演技のアドバイスをしてやる。心構え(名代・淀五郎の「上手いと思われたい、誉められたい」ではなく、五万三千石の大名の「無念」の気持ちで演じる)に留まらず、大名らしい切腹の仕方・そう見える姿勢のコツ、人相を変えるための細工、腹を切っている時の表情、刀を抜いた手の置き方…といった細かく具体的なコツを「それから…」「それから…」と詳しく教えてやる。セリフや運びはほぼ圓生のCDで聞いたのとおなじだったけど、言い方がとても優しいのが印象的であった。


喬太郎師の『饅頭こわい』『井戸の茶碗』は、もちろん悪くはないけど、まぁ“普通”って感じ?自分の会ではあるけれど、一朝師匠をたてたのね。


4/21(水)
らくご@座・高円寺 平成立川ボーイズの高円寺なう
16:00ちょっと過ぎ〜17:45くらい?@座・高円寺
・こしら&志ららによる木戸銭診断
・こしら&志ららとお客さん、ゆるゆると雑談。なんとなく始まる
志らら『壷算』
こしら『時そば
・こしら&志ららのトーク


この会、半端な開演時間と半端な人気の出演者(ごめんなさい!でも、わたしは行ったんだからさ、赦して)のせいか、200人入る会場にお客さんは16人だけでした。
これは、わたしが経験した“お客さんの少ない落語会”最少記録であったw


この会の木戸銭は“条件変動制”で、こしらさんと志ららさんが決めました。例えば、今回の「らくご@座・高円寺」の一連の公演の別公演に行く人は“チケットや半券を提示すれば300円”“織田信長の末裔でスケートが上手かったら100円”とかってチラシに書いてあったので、わたしは前日の喬太郎師の会のチケットの半券を持っていきました。


会場に入ると、舞台上にデスクを設けてあって、こしらさんと志ららさんとスタッフの女性1名が座ってた。お客さんは一人一人舞台に上っていって、こしらさんと志ららさんに「半券を持ってます」とか「オールナイトニッポン聞いてました」とか、直接申告して木戸銭を決めてもらいます。
わたしはまず半券を見せて「300円」て言われたんだけど、「来るとき、中央線で志ららさんと一緒の車両でした」って言ったら(それはホント)、こしらさんに「じゃぁ100円!」て言われた。もっと安くならないかしら?と思って、さらに「こしらさんをフォローしてます」って言ったら、こしらさんに「それじゃ300円!」。ちっ、上がっちゃったよw


客は最前列〜3列目に固めて座らされ、開演時間までこしらさん&志ららさんと雑談してたというゆるゆるぶり。
観客は落語ファンと、オールナイトニッポンのリスナーが混じってて、中には女子高生二人連れという、フツーの落語会では絶対見ないお客さんも来ていた。彼女達は今まで落語を聞いたことがなかったそうで、初落語がこの二人っていうのはどうだったんだろう?w
こしらさんに、どうせはんにゃのファンなんでしょ?などと言われて、小さい声で「はんにゃのファンじゃない」って抗議してたのが、10代の女子らしくて可愛かったです。


目当てのこしらさんの『時そば』は面白かったです。マネする男が「ひい、ふう、みぃ…」と指をおって数えて1文かすめるトリックに気づくところ。数えてるうちに何故か両手の指でキツネ作ってて、キツネの声色で「一文カスメタ!」とかって喋るのw


志ららさん、マクラがかなり長かったけど、そのマクラが面白かった。4/13紀伊國屋ホールの楽屋で家元の着替えを手伝ったという話。
この日、談志家元は30年前に作ったスーツを着てきたそうですが、落語を終えた後、家元は記者会見のために再びそのスーツに着替えた。30年前とほぼ体型が変わらないとはいえ、首は若干太くなっていたらしく、ワイシャツの第一ボタンはちょっとキツイ。落語の後で汗をかいているのでボタンがはまりづらくなっていた。
志ららさんは、そのボタンをはめてあげようとさりげなく手助けにはいり、家元の喉元のボタンに手をのばした。すると家元、自ら大人しく顔を上にあげた。ボタンがはまりやすい体勢をとったわけですね、自らw 可愛い!
しかし、ボタンはやっぱりはまらない。手伝いを名乗り出た手前、これではまらなかったらおおしくじりだ!と焦った志ららさん、思わず家元の顎をくいっと更に上に押し上げた!
幸いボタンははまった。その間、家元は大人しくされるがままになっていたそうですw その画を想像すると、すごく可愛くないですか?w


4/24(土)
第七回 三田落語会 昼席
13:30〜16:50@三田仏教伝道センター8階大ホール
開口一番 古今亭折輔『元犬』
橘家文左衛門『笠碁』
桃月庵白酒『付き馬』
仲入り
桃月庵白酒『火焔太鼓』
橘家文左衛門文七元結


文左衛門師の笠碁、文七、白酒の付き馬と火焔太鼓を一度に聴けちゃったという、すごく充実した会であった。でも、さすがに3時間を越える会は疲れます。


とはいえ、文左衛門師の『笠碁』をようやく聴けて満足。待ったをかける爺さんが実にいい。番頭に「みのやに使いをやりましょうか?」と言われて、嬉しくて“ニマ〜ッ”と笑うのだけど、その笑顔のかわいいこと!


白酒師の『付き馬』も初めて。これも良かった。大門を出て、やくたいもないことを延々と喋り続ける男は、なにかと若い衆に「ホラ笑って。笑ってくれないと先に進めないよ」「笑って!笑って!」。黙ってしたがっていた若い衆がついに「喋りすぎっ!!」とキレたところが可笑しかった。


『火焔太鼓』は、先日の道玄寄席で聞き取れなかったセリフが分かった。先の割れた竹でバシバシうたれた傷口にすり込まれるのは「塩と七味とハチミツ」だったのねw


4/27(火)
みなと毎月落語会 立川志らく独演会
19:00〜21:00@麻布区民センター
らく八『子ほめ』
志らく『野ざらし
志らく『大工調べ』
仲入り
志らく『おせつ徳三郎(通し)』


4月は志らく師が出演する公演がたくさんありました。この日は、13日に例の家元・談春師と共に出演した立川流落語会@紀伊國屋があって、翌日(28日)は25周年DVD発売記念の会@紀伊國屋サザンシアターを控えているという、緊張する会の谷間の弛緩状態で、「この会があることをすっかり忘れていた」そうですw
でも、そんな状態だから「今日は(落語が)のんびりできるのかなと思います」と。
大きな会やプレッシャーのかかる会で力を入れてやった落語よりも、高熱でようよう一席つとめた落語がバカによかったなんてことが何度もあるそうで、今日も肩の力が抜けた、いい落語ができそうだと。


そう言った通り、この日は志らくさんはとてもリラックスして楽しそうだった。ふいに思いついて口に出たんだろうなって感じのギャグがけっこうあって、自分で「急にそんなこと言うんじゃないよ」って笑いそうになってたりしてた。落語家がこういう状態でやる落語って、聴いててとても楽しい。なんでしょうね、“余裕”というか“遊び”のある落語っていうんでしょうか、凄みとか迫力とかには欠けるのですが、聴いててとても心地良い(上手でもつまらないと感じる落語って、こういう余裕がないのかもしれません)。


志らく師「こんな雨の日にこんな会場に来てくれたお客さんは、よほどコアなファン」と言ってましたが(“こんな会場”って発言はすぐにフォローしてたw)、志らくさんは会の規模に関わらずいい芸を見せてくれるということをファンは知っているのです。だからどこでも追いかけるのよねん(わたしはそんなに熱心に追いかけてないけどさ)。志らくさんは追いがいのあるヒトです。
この日はしかも熱心なファンのためにサービスしてくれて、普段あまりやらない噺を3席かけてくれた。志らくさんにはこういうやさしいところがあります。だから好きなのだ。


『野晒し』
八五郎が「七(質)は先月流れちゃった」というと、尾形清十郎、おもむろに吹き矢を構えて八五郎に「フッ!」w この吹き矢は志らくさんが駄洒落とセットでよくやるギャグですけど、妙に可笑しかった。
この冒頭の八五郎と尾形清十郎のやりとりは、柳好の『野晒し』的なとても落語らしいメロディというか、志らくさんは意識してオーソドックスにやってるような気がしました。


八五郎が土手に着いたあたりからテンポがぐんと速くなって、八五郎のセリフもどんどん早口になった。八五郎の竿の振り回し方が尋常でなかったです。指揮者みたい。隣の男「世界の小澤だね!」w
下らない洒落を言って「…なんて洒落はお好き?」「フッ!(※吹き矢だよ)」なんてお馴染みのギャグがちょくちょく入る。
このあたりは昔からの志らく落語っぽい。


サゲはオリジナル。
河原には骨がたくさん転がってて、八五郎はとりあえずお酒をふりかけて家に戻るが、ちゃんと美人の骨にふりかけたかどうか心配になる。「ババアが来ちゃったらどうしよう?オヤジが来たら?」「あぁ、どこの馬の骨か牛の骨かわからねぇ奴に酒かけてきちゃったよ」
するとトン・トンと戸を叩く音が。誰だい?と訊いても返事をしない。八五郎がガラっと戸を開けると…
「モォ〜」「ヒヒーン!」、八五郎「ホントに馬と牛のコツが来ちゃったよ!」


幇間(たいこ)がやって来て「あぁ馬の骨か」は、マクラで“太鼓は馬の皮でつくる”っていう話を仕込まなければならないし、今となっては分かりにくいので、こういうサゲにしたそう。


『大工調べ』
江戸っ子はちゃんとモノを考える習慣がない。言ってることは頭をぐるっと廻ってない(≒ちゃんと考えをめぐらせて喋ってない)。“頭の皮膚”だけで喋ってて、言ってることはまったく論理的ではない、説明を求められても説明できない・・・という話をマクラでした。
今回の『大工調べ』の棟梁は、まさに“頭の皮膚だけで喋ってる”という感じ、威勢はいいけれど浅薄な江戸っ子らしさがよく出ていた。一方、大家のほうはケチ臭いけれどいちいち理詰め。“仕事をさせると一人前、お金を返す時は半人前、こんな都合のいいことがあるか?”“若い者を束ねるのが棟梁、棟梁の口のききかたがなっちゃいないっていうのはまずいんじゃないか?”等々、言うことに筋は通ってる。この二人の好対照が見事でした。


棟梁の啖呵はすっごい早口で可笑しかった。志らくさんは啖呵とか道中付けとか“決まったセリフを決められたとおりにちゃんと言う”っていうのが苦手だそうで、そういう時はたいてい早口になります。『黄金餅』の道中付けなんかも早口ですもんねw


『おせつ徳三郎』の通し
花見小僧のパートで可笑しかったところ。
小僧(カメ吉)が旦那に自分は怒鳴りつけられたりするのに弱いのだとアピールするのですが、「わぁーっと言われると、死んでしまいます」って言うと、旦那「お前は名古屋コーチンか!…まぁ名古屋コーチンがそうかどうか知らないが」w 


名古屋コーチンて、いわれて見れば大きな声出すと死んじゃいそうな感じがするw、それがフッと頭に浮かんじゃったんだろうな、志らくさん。で、思わず口にだしちゃったものの、「ホントかどうか知らない」って言い訳したわけですね。こういうノリ―志らくさん自身が楽しんでる感じ―がとても良かった。


あと、カメ吉に、お嬢様と徳三郎の仲睦まじいところを見せまいとする婆やは、なんだかんだ言ってカメ吉の注意をそらそうとするのですが…
「ほらカメ吉、鈴々舎馬風師匠が『芝浜』やってるよ!」
「カメ吉、お池をごらん。小三治師匠と圓菊師匠がシンクロナイズドスイミングやってるよ!」
川柳川柳が賛美歌を歌ってるよ!」ww


刀屋のパートで印象的だったのは、徳三郎が刀屋の主人に“自分の友だちのこと”として、おせつと深い中になっていった過程を話すところ。おせつのほうが積極的で、おせつが徳三郎を篭絡したって感じをはっきり出してる気がした。


刀屋の主人は、徳三郎を、刀でお嬢様を斬る前に「お嬢様があなたのこと…いえ、あなたのお友だちのことをどう思っているのか、お聞きになったほうがいい」と諭す。もう心変わりしたのなら仕方ないが、おせつもまだ徳三郎のことを想っているかもしれないじゃないかと言われ、徳三郎は「そのことを、考えたことがなかった!」と目が覚める。そしておせつの祝言の場へと駆けていく。


サゲは志らく師のオリジナルで、映画『卒業』みたい。
「おせつー!おせつー!」と何度も名前を呼ぶ。その声に気づいたおせつも「とくー!」と名前を呼び返す。
「BGMは“サウンドオブサイレンス”」だってw


祝言をあげていたところは神社みたいです。手を取り合った二人は表に駆け出して、左右の狛犬にひょいっと頭を下げて神社の階段を駆け下りる(この画を想像すると、なんとも可笑しく心温まる)。
深川の木場にたどりついた二人は、舟に乗って逃げる。舟の上でおせつは泣きながら「ごめんね、あたし知らないヒトのお嫁になるところだった」と何度も徳三郎に謝る。徳三郎「ふたりは舟に乗ってるんだ。そんなこと水に流そう」
可愛くきれいなサゲと思いました。


4/30(金)
愛山・喬太郎二人会
18:00〜20:30@お江戸両国亭
立川こはる『浮世根問』
神田春陽『安兵衛 婿入り』※初めて聴いたので違ってるかもしれません。講談に詳しい落友に教えてもらって、たぶんこれだと思います。
柳家喬太郎『寿司屋水滸伝
神田愛山『天保水滸伝 笹川の花会』
仲入り
愛山『高校三年生』
喬太郎『吉田御殿』


この日は真一文字の会に行きたかったのだ、ホントは。でも、予約したつもりで予約し忘れてて、気がついたら完売・当日券なしだった。
仕方なく「他にどこか行くところがないかなぁ」と探して出かけたのがこの会。
愛山先生の『天保水滸伝』と喬太郎師の『吉田御殿』がネタ出しされていた。愛山先生は聴いたことがなかったし、たまには『吉田御殿』もいいかなぁと思って。
でも、行ってみたら結構アタリだった。良かったです、この会。すいません、“仕方なく”とか言って。


愛山先生によると、今、東京の講談界は女流が2/3なんだそうです。
先生、「楽屋がセコな宝塚みたい」wと嘆き、「講談はダンディズムなんです」と。
で、今日はそんなダンディズムの世界を描く侠客物の代表作をやります…と『天保水滸伝 笹川の花会』を。
わたしは講談で何度か聞いたことがあるのは、よく寄席に出る宝井琴柳・琴調先生くらいですが、お二人に比べると、愛山先生はちょっとだけ伝法で、任侠物がよく似合ってる気がした。
でも、任侠物は講談よりは浪曲のほうが好きだな。


もう一席の『高校三年生』は新作の世話物。舟木一夫の歌で作った講談をやる会っていうのをやった時に作家につくってもらったものだそう。盲学校の卒業式を描いたもので、いい話すぎて自分はちょっと苦手でした。


喬太郎師は『寿司屋水滸伝』『吉田御殿』。どっちもバカバカしい、落語らしい噺で、堅い講談の口直しにちょうどよかった。
『寿司屋水滸伝は「バレン越しの話で間違ってたらゴメンよ」っていうセリフが大好きなんですけど、この日は入ってなくて残念だったわ。
『吉田御殿』はバレ噺ですが、これやると怒るお客さんがいるのかな、喬太郎師はマクラで「いいですか?落語ってくだらないものなんですよ」「くだらないのはイヤなヒトは今のうちに帰ってください」と念を押し、噺の途中でも度々「怒ってます?」って確認していた(まぁこれは珍しいことではありませんが)。
「これ、わたしが考えてやってるんじゃないですからね、本にこう書いてあるんです」「古典落語にはあんまりズコズコってのはありませんけど…」w
確かに、喬太郎師の古典―特に『文七元結』や『心眼』とか―が大好き!っていうヒトは、なにも知らずにコレを聴いたら怒るかもしれませんねw

立川志らく25周年記念公演 立川志らく独演会



4月後半の落語活動を書かなくちゃいけないんですが、その前に、昨夜行われた、家元をゲストに迎えた志らく師25周年記念の会のことを書きます。


5/4(火)18:00〜20:24@よみうりホール
談志・志らく 対談 〜18:18
志らく『寝床』 〜18:55
仲入り 〜19:10
談志 ジョーク 〜19:45
志らく『らくだ』 〜20:24


板付きで登場した志らく師を大きな拍手が迎える。拍手が鳴り止むと、志らく師「今日はわたしの25周年記念の独演会ですが、お客さんは談志目当ての人ばかり」。
志らくさんは先月の紀伊國屋ホール立川流落語会、今月2日のホテルニューオータニの公演会と、家元と一緒の出演が続いている。志らくさん「家元目当てのお客さんは毎回コイツ(志らくさん)が出てくるなと思ってるかもしれませんが、悪気はありません」。
わたしももちろん家元を観たくて行った、でも同じくらい志らくさんの落語を楽しみに行ったんだよ。客席はそういう人が少なくなかったと思います。


志らくさんの呼びかけで、黒紋付にバンダナの家元が下手から姿を現した。志らく師のときよりも一層大きな拍手。わたしは紀伊國屋ホールホテルニューオータニも行ってないから、本当に久しぶりに家元を見た。バンダナを巻いた家元を一目見て、心から「懐かしい」と思いました。


高座に座布団が二枚置かれ、そこに二人が並んで座って対談が始まった。志らくさんが家元に最近の体調や心境を尋ねる形で、久しぶりに家元を見たお客さんの最大の関心―談志は再び落語をやってくれるのか?また談志の落語を聴けるのか?―に応えようということだったのでしょう。
家元は大分以前から、ものごとすべてに、落語にさえ興味が薄れつつある、自分の思うように落語ができなくなっていると仰っていますが、そういう自分の状態を“談志が談志でなくなった”という言い方で説明することがあります。昨日は、志らくさんが「談志が談志でなくなったら何になるんですか?」と尋ねると「屍だね」。
“屍”という言葉をつかって家元が語ったことは、明るい内容ではなかったけど、それを語る家元の口ぶりは淡々としていて暗さはなかった。


高座を観ることは、人や人の生き様を観るということでもあります。この数年、わたしにとって“立川談志の高座を観る”ということは、老いのとば口に立つ人を見るということでもあります。
普通の人には立川談志のような才能はないのだから、失う怖さなどないのかもしれない。でも、歳をとれば、もっている僅かなものでさえほとんどが失われるのでしょう。大袈裟じゃなくて死はすぐ近くにあるのでしょう。そういう日々がこれから始まるという時、人は、自分はどんな気持ちになるんだろう…というようなことを思う。家元を見てるといつもそれを思います。
老いや死は誰でも迎えることなのだから、怯えているわけじゃないけど、周りにどんなに親しい人や家族がいたって、それはひとりで迎えるものだから、まったく怖くないといったら嘘でしょう。
そうなった時、人はどうするのか、どうなるのか。わたしはどうするか、どうしたいか。そういうことを考えずにいられない。
ともかく、談志家元も、今ひとりで老いに対峙している。そんな家元に何が言えるでしょう。「復活おめでとう!」とか「頑張って欲しい」とか「もう、十分じゃないか」とか、いろんな声が聞こえるけど、わたしは何も言えない…と思うばかりであります。


家元は、また、芸人としてのジレンマについても語りました。客が待っているなら出て行きたい、期待に応えたいという“色気”がいまだにある、その一方で不本意な高座を見せたくないというプライドがある。いっそ客に対して「(公演に)来ないのが親切だ」と言いたいこともある、と。


家元が客が待っている限り高座にあがらずにいられないように、わたしたちも家元が出演する公演がある限り、のこのこ出かけずにいられないんだろうな、これからも。
高座に明るく静かな虚無感をたたえた家元がいて、客席で談志ファンが胸いっぱいで黙ってそれを観ていて…っていう会が、これからまた続くのでありましょう。


なんだか辛気臭いことばっかり書いていますが、家元が確実にお元気になっていることは間違いない。仲入り後、木賊刈の出囃子にのって登場した時は、昨年、休養に入る前のあの頃に比べると、顔色もよく足取りもしっかりしていた。ただ、声はまだ出ていない。そんなわけで昨夜の高座は落語ではなくジョーク。ジョークのテンポは良く、気持ちいいほどピシピシ決まってた。途中で客席に「何分経った?」と尋ね、30分以上やったと聞くと「そんなに経ったの?15分のつもりだったんだけど」と意外そう。
最後は「これで赦してください。本来これは志らくの会なんですから」と高座を降りた。こんなに元気になった家元が観られて嬉しかった。


家元の言う通り、志らくさんの記念の会なんだから、志らくさんのことも書かなくちゃw
話は前後しますが、対談。話題は家元の近況から、今年25周年を迎えた志らく師に移り、家元「(弟子入りに)来た時のこと、覚えてるよ」「ハリー・ポッターみたいな奴だった」(昔の志らくさんは確かにハリー・ポッターに似てる!w)「昔は可愛いコだったと思うよ」。
色川武大氏は若き日の志らく談春に「君達の未来を見られないのが残念だ」と言い、その後じきに亡くなったといいます。家元「(オレは)お前の狂うのをゆっくり見てたいね」。
向田邦子が書きそうな、洒落たセリフだなぁと思った。
言われた志らく師は、客席に「私が狂うのを見届けてくれるそうです」「師匠は長生きの家系ですから」と嬉しそうだった。


家元は志らくさんに「(お前は)あと10年で狂うよ」と折り紙をつけた。マトモにノッテる志らくが観られるのはあと10年ですよ、皆さん!その先は狂った志らくを観る楽しみが待っています。でも、その頃はこっちも狂っちゃってるかもしれないからなw


志らくさんの一席目は『寝床』。これ凄く良かった!
噺の冒頭、大家さんが「アー、ア・ア〜♪」と喉の調子をしらべるところ、異様な声と表情に笑わされる。大家さん、言いつけて持ってこさせた卵を一個割って飲むのですが、「ウエェ、オエェ!」と飲み込まないで喉をいったりきたりさせてるのだ。この様子が、また異様に可笑しい!「牛の反芻運動だよ」「牛をずーっと観察してて気づいたんだよ」。こうすれば卵を何個も飲まずに済んで経済的だってw 
このヘンな大家さんにやられて、客席は大笑い。志らくさん、あとはもうよみうりホールの大観衆を軽々と転がすように自在に沸かせている感じでした。志らくさん、絶好調だなぁ。


繁蔵が旦那に長屋の皆が来られない言いワケをするところ、志らくさん自身が繁蔵になったかのよう、その場の思いつきで言ってるんじゃないの?っていうような、くだらなく可笑しい言いワケがたくさんあって笑っちゃった。
「吉田さんちのご子息は?」「召集令状が来ました」「今、日本にそういう制度があるのかい?」w 「八百屋の金さんは?」「八百屋は地震です」「ちっとも揺れてないよ、おかしいじゃないか?」「八百屋だけが揺れるという局地的な地震なんです」・・・
でも、この言いワケの中でサイコーなのは、なんといっても“20秒に一回「すいっちょん!」って鳴く病気にかかって行けない由どん”でしょうw


かつて旦那の義太夫を聞かされた人々がみまわれた悲劇のエピソードも笑った。旦那の義太夫の一撃を胸にうけてしまった荒物屋のテツさんは、胸が紫色にただれ、そこからたくさんの小さな虫たちが「アー、ア・ア〜!」と義太夫をうなりながら湧き出してきた!こわ〜いw
あぁ、くっだらなくて可笑しいなぁ。サイコーだった、志らくさんの『寝床』。


トリネタは『らくだ』。時間がおしてたからか、やや急ぎ目。仕込みが抜けてたところもあった。でも、急いだことがかえってよかったのかもしれない、一つ一つのエピソードがあっさりしてて、それが軽やかさにつながっていた。スピード感があってナンセンスで明るい『らくだ』で、かなり良かった。


志らく師匠は今すごくのってる。これからもっと凄くなる。わたしは家元の全盛期をライブで観てないけど、この人の全盛期はこれからだ。それをわたしは観られる。その幸せをかみ締めた。


終演後ロビーに出ると、洋服に着替えた家元が居て周りには既に人だかりができていた。
’06年新橋演舞場の談志・志の輔親子会、仲入りの時にロビーを歩き回っていた家元を思い出します。あの時の家元は「志の輔の客ばっかりじゃねぇか!」とご立腹で、オレ様だ!ってアピールするように、ゆっくりとロビーを歩いていた。負けず嫌いだなぁと思った。
でも、昨夜ロビーに居た家元の顔は柔和で、昔からのファンに元気な自分を見せたい、ただそれだけでロビーに出てきた…そんな風に見えました。

4月前半の落語



その前に先月31日のメモ。
3/31(水)
末廣亭余一会 第十九回三派連合落語サミット
11:56〜16:25
笑福亭羽光『時うどん』
瀧川鯉朝『夏泥』
立川雲水『ん廻し』
マグナム小林 バイオリン漫談
林家染雀『音曲風呂』&踊り
立川談幸『片棒』
ナイツ 漫才
桂竹丸『石田光成』
立川志らく『疝気の虫』
仲入り
青年団 コント
林家彦いち『かけ声指南』
立川談笑『イラサリマケ』
ボンボンブラザーズ 曲芸
春風亭昇太『人生が二度あれば』
末廣亭で落語をやる志らくさんが観たくて、この日は一日休みにして早くから並んだのであります。志らくさん、今月のピンのパンフレットに、この高座を務めた後、一気に白髪が増えたくらい疲労困憊したと書いてらしたが、この日の『疝気の虫』は今まで聞いた中で一番良かった。


志らくさんの他は、もちろん昇太さん(すいません、わたし昇太ファンです。って、謝らなくてもいいか別に)、雲水さんと染雀さんが良かったな。
雲水さんと染雀さんは初めて聴いた。雲水さんはいい塩梅に毒があって面白かった。染雀さんは「こんなに落語が上手な人だったのか」と思った。上方の落語家は踊りや音曲も達者な人が多いと聞きますが、染雀さんも実力派なのですね。お見逸れしました、姉キンのあの姿しか知らなかったものでw


みなと毎月落語会 赤坂名人会 柳家小三治独演会
19:00〜20:57@赤坂区民センター
柳亭燕路『たらちね』
柳家小三治『猫の皿』
仲入り
柳家小三治『品川心中(上)』
小三治師匠の『品川心中』を初めて聴けたのが良かった。


ここから4月前半の落語活動。
4/4(日)
きぼーる寄席
15:00〜17:13@きぼーる(千葉市)13F
開口一番 立川らく兵『道具屋』
春風亭一之輔『鈴が森』
  〃     『あくび指南』
仲入り
立川志らく中村仲蔵
良い会でした。二人とも自分の十八番をきっちりやってくれたし、仲入り前に一之輔さんが滑稽噺を二席、仲入り後に志らくさんが長講を一席という流れも良かった。


一之輔さん、『鈴が森』も『あくび指南』もとても面白かった。
『鈴が森』、久しぶりに聞いたけど、やっぱりいいなぁ。
マヌケな泥棒の弟子が「あっしだってまんざらバカじゃない」っていう度に、親分が間髪をいれずに「バカなんだよっ!」って言うんだけど、その間がどんどん短くなってく。「あっしだってまんざら…」「バカなんだよっ!」、「あっし…」「バカっ!」という具合に。こういうやりとりの“間”が一之輔さんはとても上手くて可笑しい。


『鈴が森』で好きなところは、バカなんだか利口なんだかわかんない弟子が「パードン?」っていうのと、「うちで本読んでるのが好き」ってところ。読んでる本はその都度違うみたいで、前聴いた時は漱石の『こころ』だったけど、今回はカツマーの『断る力』だった。弟子、何に目覚めたんだろ?w


志らくさんの『中村仲蔵』は、またちょこっと変わってるところがあった。
舞台上の仲蔵は、定九郎の斬新な演出に声もない客席に「あぁ、しくじった!」とガックリしますが、今回は「ひょっとしたら、みんな感心してるんじゃないか?」と調子づいたりします。
北海道公演でスタッフの人に「稀代の役者である仲蔵がどうして客の反応も分からないんでしょうか」と質問されて、こんな工夫をしてみたそうです。


4/5(月)
志らくのピン
19:00〜21:15@内幸町ホール
開口一番 らく次『引越しの夢』
志らく長屋の花見
志らく『付き馬』
仲入り
志らく『松山鏡』
今月のピンはとっても楽しかった。一席目のマクラ(「近頃、微妙に狂った人たちが多くて怖い」って話で、餃子の王将で居合わせたヘンな客のことを面白おかしく話してくれました)から爆笑、落語も三席とも良くて、特に『松山鏡』がサイコーでした。


『松山鏡』は、むかーし確か寄席で聞いた覚えがあるのですが、たいして面白い噺じゃなかったという記憶でした。でも、志らく師の『松山鏡』はすっごく面白かった。『疝気の虫』以来の衝撃(笑撃)。これがあるからピンはやめられません。


今回『松山鏡』をやったのは、先日、北海道公演に行く飛行機の中で若手の落語家の『松山鏡』を聞いたことがきっかけだったそうです。悪くはないけどごくフツーの『松山鏡』で、「フツウにやるなら文楽師匠がやったほうがいいな」とイライラしてきて「オレだったらこうするな」と考え始めちゃったんだって。志らくさんらしいですねw 気がついたら北海道の街を歩きながら『松山鏡』をさらってて、「ブツブツ喋ってたら、できてしまいました」。
トリにやるような噺じゃないけど「今、自分がやってワクワクするから」、この日最後にやることにしたそうです。


親孝行の庄助さんにお奉行さまがご褒美をくださるということになって、何が欲しいか?と訊かれた庄助さんは死んだ父親に会わせてほしいと願う。奉行が一計を案じて鏡を与え、その鏡でちょっとした騒動が起きるとゆーのがフツウの『松山鏡』のようですが、志らく師の『松山鏡』では、奉行はすんなり鏡をやりませんw

 
奉行は最初、家来の与太夫に、庄助の父親に化けて庄助と共にしばらく暮らせと命じる。与太夫は嫌々百姓の格好になって庄助の前に現れるが、もちろん庄助は易々とは騙されない。で、今度は顔にお面のように鏡をつけて庄助の前に出ると、庄助さんは「おとっつぁまー!」と抱きついて大喜び。奉行は、父親は死んだので今は他人の体に父親を降ろしている、これから桐の箱に父親を入れるから、それを持ち帰るようにと言って、鏡を箱に収めて庄助に渡す。


奉行が大マジメに祈祷師のフリをしてヘンなまじないの文句をとなえたり、「父親になれ!」と言われた与太夫が「それじゃわたしはこの先一生、あの男のうちで暮らすのですか?」と嘆きながらも一生懸命父親のフリをしたり、“死んだ父親に会いたい”と願う親孝行の庄助のために、周りの人間が次第に必死になってオカシくなってくっていうのが面白かった。


それと、志らく師は、庄助がなぜそれほどまでに死んだ父親に会いたいのか?というのを、エピソードを加えて説明していた。なので、庄助はただ愚かで滑稽な田舎者ではなく、愛しさを覚えるほどの純朴な男って感じもして、この落語をほのぼのとした滑稽噺にしていました。


女房からは、葛篭の中に女を隠している、父親がいるだなんてウソをついていると怒られ、尼さんには「謝っちまえ」と勧められ、庄助は「ウソでねぇ!」「おとっつぁまに会いてぇんだ!」と“びえーん、びえーん”と泣きながら駆け去ってしまう。“びえーん、びえーん”、可愛かったなぁw


4/6(火)
桂文珍国立劇場10日連続独演会 初日
15:00〜18:00@国立劇場大劇場
開口一番 桂楽珍『手水廻し』
桂文珍『蔵丁稚』
柳家花緑権助提灯』
仲入り
内海英華 女道楽※俗曲。小菊姐さんみたいな女芸人を、関西では「女道楽」って言うそうです。へぇ〜
桂文珍『らくだ』(上)
ネットで3階席のチケットが2,000円で放出されてて、衝動的に引き取ってしまった。文珍師はちゃんと聴いたことがなかったので、お試し価格としてちょうどいいかなと思って。
文珍師匠の落語はフツーに上手かった。花緑師も聴けたし、英華師匠の三味線も見事だったし、とってもお得に楽しめたよ。チケット譲ってくれた方、ありがとう。


昇太ムードデラックス
19:00〜21:04@本多劇場
昇太 オープニングトーク
遊雀粗忽長屋
昇太『天狗裁き
昇太『花粉寿司』
仲入り
昇太『花見の仇討ち』
オープニングトーク
昇太さん、友だちに「一緒に病院行かない?」って誘われてw、いろいろ検査したんだそーです。そしたら「血管年齢90歳」「動脈硬化でいつ死んでもおかしくない」って言われてしまった(!)。若く見えるけど、体はまっとうにオッサンだったんだね。「だから、僕はいつ死ぬか分かりません」「皆さんだっていつ死ぬか分かりませんよ!」
そうですね。いつ死んでもいいように、これからも好きなことして、時間とオサイフのゆるす限り落語に行こうと思いました。


天狗裁き』はネタおろし。昇太さんは「寄席やこういうところでやるのは危険なネタ」って言ってたけど、ホントにその通りで、つまんないヒトがやると途中で飽きます、この噺は。でも、昇太さんはさすがに面白かった。男の夢を知りたがる嫁さん、長屋の隣の男(アニキ)、大家さん、お奉行様、天狗の“ムキになる”様子がそれぞれ可愛くて可笑しい。
大家さんなんか、教えてくれないって泣いちゃうんだが、泣きかたが『人生が二度あれば』のお爺さんみたいで可笑しかったわ。


『花粉寿司』『花見の仇討ち』は久しぶりに聴きました。『花粉寿司』の激しい動きは血管に危険なので、これもだんだん見られなくなるかもしれませんw
『花見の仇討ち』は「ちゃりん・ちゃりん、やぁー」が実に可愛かったよ。


ところで、フォロアーの方から「昇太ファンは不思議なほどライブのネタバレをしないが、そういう空気は昇太ファン独特のものじゃないか?」と指摘された。そうなんですかね?
いわれて見れば、たしかにわたしも、昇太さんのライブの演目は事前に知りたくないと思ってるし、演目は最終日まではつぶやかないようにしてるけど。


談春師や喬太郎師だったら“何をやったか?”ってことより“(その落語を)どうやったか?”ってところに関心がありますね、だからファンはネタバレに寛容なのかな?
でも、昇太さんの独演会(特にムードデラックス、オレスタイル)の場合は“今回は何をやってくれるか?”っていうのが、ファンにとってのお楽しみなのですよね。昇太さんもオープニングトークで「今日は春っぽい落語を三席やりますよ」なんて言うし、それを聞いて客席で「春っぽい落語って何かな?」「次はなんだろ?」って予想するのが楽しい。
昇太さんのライブって落語だけじゃなくて、オープニングトークも含めた全部の流れが楽しいですよね。だからお客さんは、まだ見てない人に黙っててあげようって心理が強く働くんじゃないですかね?


4/10(土)
黒門亭2部
15:00〜16:40@落語協会2F
開口一番 柳家花いち『鮑熨斗』
三升家小勝『蔵前駕篭』
三遊亭金八『汲みたて』&踊り 夜桜
桃月庵白酒『宿屋の仇討ち』
この日はいいお天気で、不忍池でしばし今年最後の桜を楽しんだ後、白酒師を聴きに出かけました。
『宿屋の仇討ち』。今回は名前で空耳ギャグが展開された。伊八は、イタチ→お鉢→田町→イサキと間違えられ続け、最後は佐々木になりましたw


深夜寄席
21:30〜23:00@末廣亭
柳家さん若『猫の皿』
桂三木男『紙入れ』
柳家初花長屋の花見
鈴々舎わか馬『盃の殿様』
たまには普段あんまり聴かない二つ目の人も聴いておかないとね…と久しぶりに深夜寄席に行きました。


久々に初花さんを聴いた。実は初花さんはちょっと苦手だった。初花さんてちょっとふてぶてしい感じがして、それが面白さに繋がってない気がした。彼の高座や言動はなんだかひねくれてて、観ててあんまり気持ちよくなかった。でも、この日はいやな感じがしなくて、思わず笑ってしまったところもあった。落語もゆったり聞いていられた。
人は変わるものだなぁと思いました(わたしが変わったのか、初花さんが変わったのかはわかりませんがw)。こういうことがあるので、苦手な人も時々は聴いてみたほうがいいですね。


わか馬さんはさすがに良かった。他の三人とは比べ物にならないくらい上手いし楽しい。上手くて可笑しさに品があって爽やかで、しみじみ「あぁ、落語を聴いてるなぁ」という幸せな気持ちになりました。


4/12(月)
鈴本演芸場 四月中席夜の部
17:20〜20:45
開口一番 春風亭一力『たらちね』
林家きく麿金明竹 博多弁ver.』
林家たい平粗忽長屋
翁家和楽社中 太神楽曲芸
柳家権太楼 『家見舞い』
すず風にゃん子・金魚 漫才
橘家圓十郎『紙入れ』
橘家文左衛門『天災』
仲入り
林家正楽 紙切り御柱・母乳育ち・バイオリンを弾く少女)
入船亭扇辰『権兵衛狸』
ロケット団 漫才
春風亭百栄お血脈
昨年、三月下席で鈴本初主任をとった百栄師匠。今年も主任をとれてよかったね。というわけで応援に行きました。
この日は雨の月曜日、しかもとっても寒かったせいかお客さんが少なかった。
まばらなお客を相手に頑張ってくれた出演者の皆さん、どうもありがとう。でも、我々も頑張ったぜ。笑ってるのに、周りから大きな笑い声が聞こえないって寂しいっス。


百栄師匠の『お血脈』は久しぶり。駅のホームの階段、くだりの矢印登った人、本屋の平積み、上から二冊目とった人、なんも悪いことしてない人々が次々に地獄に送られてしまいますw


4/13(火)
道玄寄席
19:00〜20:42@渋谷カルチャーキューブ
桃月庵白酒『馬の田楽』
五街道弥助『夢金』
仲入り
桃月庵白酒『火焔太鼓』
この日は紀伊國屋ホールで談志家元復活の立川流落語会があった。抽選に外れたわたしがとぼとぼと向かったのがこの会。
開場時間ちょっと過ぎに到着したら、ほぼ満席でした。開演後に遅れてやってきた人はしばらく立ち見で、主催者からのお膝送りの要請で、お客さんはズルズルとイスを動かし空間を詰め、そこに楽屋のイスやら折りたたみイスを並べてなんとか全員座れました。70席用意していたそうですが、最終的には来場者は80人を越えたらしい。
秘密クラブみたいだったお得で楽しいこの落語会も、ついにこんな状況になってしまいましたよ。白酒人気はいよいよ盛んであります。
こんなになっても予約制にする予定は今のところないそうなので、次回からは開場の前に来て並ばないといけないかなぁ。どこに並ぶんだろ?


白酒師の二席は、自分は初めて聴いたのですが、とっても面白かったです。
『火焔太鼓』の甚兵衛さんとおかみさんは、白酒『替り目』の夫婦みたいな感じっていったらいいかな?甚兵衛さんはおかみさんの言うことに逆らおうとするんだけど、体は素直に言われる通りに動いちゃうっていうのが可笑しい。
空耳ギャグもちゃんとありますよ。
甚兵衛さん、殿様の家来に「(太鼓を)いくらなら手放す?」と尋ねられ、「え?いくらなめろ手羽先?」w
300両を渡されて「しかと確かめろ」と命じられると、「鹿とたわむれろ?」ww 
この強引さが好きだ!


300両をおかみさんに見せるところでは、おかみさんはちゃんと柱につかまりますよ。古今亭だからねw

3月後半の落語



明日(31日)は末廣亭余一会と小三治独演会の予定ですが(余一会は“行けたら”って感じだけど…)、諸事情によりブログ更新する時間がなさそうなので、とりあえず今日までの落語活動をアップ。今回はそれぞれの会の感想をちょっとずつ。




3/17(水)
立川志らく独演会
19:00〜21:14@銀座ブロッサム
開口一番 志らべ『持参金』
志らく『火焔太鼓』
志らく『疝気の虫』
仲入り
志らく『百年目』
志らくさんの春のブロッサム独演会は絶対外せないライブ。毎年楽しみにしています。今年は志らく十八番の『火焔太鼓』、新しいサゲが愉快な『疝気の虫』(虫たちがパン・パン・パン!って爆ぜて終わります。「明日に向かって撃て」を意識した?w)、そしてネタおろしの『百年目』という充実した内容でした。


『百年目』
花見の翌日、旦那が部屋に番頭を呼んで話をするくだりで、志らくさんは、番頭に茶道の心得があって旦那のためにお茶をたてるという場面を入れていた。番頭が茶道のお稽古もしていたというのは、彼の遊びが“商売上の交際”を意識したものだということが感じられて、良い工夫だなと思いました。仕事で存じ上げている方でとてもゴルフが上手な社長さんがいるのですが、接待ゴルフで上手に負ける(相手に“わざと負けている”と気づかせずに負ける)ために、レッスンに通って上達したと仰っていた。年配の男性の中には、そんなふうに、遊びが全て“仕事”に繋がっている方がいますね。やり手の番頭の道楽は、社長さんのゴルフみたいなものなのでしょう。


志らくさんの『百年目』は、基本的には圓生をベースにしていて大きくは変えていない印象でしたが、後日圓生のCD『百年目』を聴いてみると、他にも所々に志らくさんらしいところがあったのだなぁと気づきました。志らくさんの旦那は番頭に「おまえは怖すぎる」「小言を言いすぎですよ、小言を言う機械のようになっている」と諭す。旦那は“愛情のない小言は効かない”と言ってて、こういうところは志らくさんらしいと思いました。


圓生師匠の他に米朝師匠の『百年目』も聴いてみました。いろいろ聴いて思ったのですが、この落語で描かれている旦那は、あくまで“番頭さんから見た旦那”なのですね。この落語の旦那って、度量が大きいのかいじわるなのか、なかなかわからない。矛盾する言動があったりする。でも、それは“相手の真意が分からない”番頭さんから見るとそう見えるってことなんだなと思った。
それと、この落語では、描かれている“旦那の器の大きさ”や“上司と部下の関係”をとりあげがちだけど、でも、たぶんそこに注目しすぎるとこの落語の面白さを見失ってしまうのかもしれないと思いました。
この落語の可笑しさは“番頭さんの心理と行動”だと思う。
旦那と鉢合わせになった時、番頭さんには「ここであったが百年目!」という旦那の声が聞こえたのでしょう。後ろめたいことをしている現場を、一番見られちゃマズイ人に見られてしまった、そのときの「あぁ、もう一巻の終わりだ〜」という気持ち。でも、そんな心境でありながら、番頭さんは“百年目”にかけた洒落で「お久しぶりでございます」って挨拶をする・・・
この落語の可笑しさって、そういうところなんでしょうね。




3/19(金)
白酒ひとり
19:00〜21:15@内幸町ホール
『親子酒』
『転宅』
仲入り
居残り佐平次
初めて聴いた白酒師の『居残り佐平次』、とても良かった。『居残り〜』といったら談志家元なんだけど、ああいう陰のある佐平次ができる人は他にいない気がする。ああいう風にできないんだったら、ヘンに陰のないカラッと明るい佐平次がいい。白酒師の佐平次はあくまで調子がよくて楽しくて、とても好ましい『居残り〜』でした。
最後のところ。佐平次は、旦那を騙してもらった30両を懐に店を出て行く。後をつけてきた男に、覚えておけ、俺は居残りを稼業にしてる佐平次だ、この30両で一膳飯屋でもやらせてもらうぜ!と言い捨てて、颯爽と去っていく。それを聞いた旦那「どうりで一杯喰わされた」
このサゲ、かつて右朝師匠から「アンちゃん、こんなサゲ考えたんだけど、どう?」って聞かされたものだそうです。




3/21(日)
巣鴨四丁目落語会 昼の部
13:36〜16:03@studio FOUR
立川志の彦『金明竹
三遊亭好の助幇間腹
立川志の輔『花見小僧』
仲入り
ダメジャン小出 ジャグリング他
立川志の輔『江戸の夢』
志の輔師の『花見小僧』は初めてだったのですが、志の輔師自身も久々にやったそうです。つい一昨日くらいに覚えなおしたと仰っていた。小僧(志の輔師は“長松”)がいいです。志の輔版『雛鍔』の金坊に通じる可愛らしさがありました。
志の輔師は「花見小僧から刀屋まで通しでやりたい」と仰っていたので、いずれどこかで通しを聴けるかもしれませんね。
『江戸の夢』は昨年5月の21世紀以来。これもよござんした。




3/22(月)
第133回立川志らく一門会
18:30〜20:35@上野広小路亭
らく兵『宮戸川
らく里『花見の仇討ち』
志ら乃『家見舞い』
仲入り
平成立川ボーイズ(こしら・志らら)漫才
志らく『浜野矩随』
志らく一門会は、こしらさんが出演する時にはなるべく行くことにしてます。今回は平成立川ボーイズとしての出演。こしら・志ららの漫才は、2007年の一門会100回記念スペシャル以来でした。正直、今回はいまいちだったな(ごめんよ、こしらさん)。
後にあがった元祖・立川ボーイズの志らく師匠は「自分達はコントも漫才も真剣にやっていました、それが彼らとの違い」とチクリ、『浜野矩随』でピリッとシメてくれた。


志らく師の『浜野矩随』は昨年3月のピン以来で、約一年ぶりでした。わたしが前回聴いた時から変わっていたところは、次のようなところ。
○先代(父親)は、息子(矩随)に才能があると思っていた。そして生前、若狭屋に「俺には分からないけど、あいつには俺にはない才能がある」「そいつを引っ張り出してやってくれねぇか」と頼んでいて、そのために若狭屋は矩随の才能を疑いながらも、彼の面倒を見ていた
○矩随が若狭屋に「死んでしまえ!」と言われたと知った母親、息子に「あのひとは本当の江戸っ子だからね、(死んでしまえと言うならば)それは間違いないね」「おまえ死んでしまったほうがいいよ。だけど私も寂しい」、だから形見に“自分のために”仏像を彫ってくれと頼む。
○矩随の才能を両親以上に理解していたのは小僧・定吉。母親が自害した後、矩随の作品がガラっと変わったことを「つまり、おっかさんがあのまま生きていたら、矩随さんは満足してあれ以上のものはできない。本当は終着点だった観音像が出発点になったんです」と見事な分析w 若狭屋「おまえは評論家か!」


サゲは「頑張れ、三平、こぶ平!」。前は“こぶ平”だけでしたが、三平も加わったんだねw


志らくさんの『浜野矩随』は聴くたびに良くなってて、評論家・定吉wの言うことがますます鋭くなっている。それは、志らくさんの中でこの噺が着々と固まっているからかな?と思いました。




3/25(木)
浜松町かもめ亭
19:00〜20:57@文化放送ディアプラスホール
立川こはる権助魚』
立川生志『短命』
入船亭扇辰『心眼』
仲入り
桃月庵白酒『松曳き』
皆良かったけど、特に扇辰師『心眼』と白酒師『松曳き』は良かったです。


扇辰師『心眼』
喬太郎師の『心眼』は扇辰師に教えてもらったものだそうですが、それと比べていろんなことを思いました。二人ともそれぞれいい。
喬太郎師の梅喜は、目が明いたことをきっかけに、それまで抑えていた欲望をむき出しにしていく、どんどんつけあがって増長していく。その過程の描き方が素晴らしい。長年コンプレックスを抱えていた梅喜は自分の解放のしかたがひねくれてて、醜い。でも、迫力があって目が放せなかった。
一方、扇辰師の梅喜は単純で喜怒哀楽が子供のようだった。でも、だから深みがないということではなく、そんな子供みたいな梅喜が、最後に夢から醒めて苦い思いをかみしめる場面は、しみじみと哀れだった。
それと、扇辰師は女の人(女房・おたけ、芸者・小春)が上品で上手いなぁと思いました。


白酒師『松曳き』
落語は、いつもいつも大笑いさせて欲しいとは思いませんが、やっぱり時々は思い切り笑いたい。白酒師の『松曳き』は、もう、何度聴いても大笑いしちゃう。
好きなところをひとつあげると…
・お殿様はいろんなコトバがすぐ出てこない、覚えられないのですが、“八五郎”という名前も言えない。植木屋の八っつぁんに呼びかけるたびに“八衛門”“八郎兵衛”と名前がどんどん変わっていく、ついには“富十郎”になっちゃいますw
せめて“八”はおさえとこーよww


マクラも毒炸裂で面白かった。録音なので適宜“編集点”を入れていましたw
今日の出演者は、仲入り前は柳家一派、白酒師は古今亭。でも、みな本家・本流じゃない、“支流”“枝”。「今日は本流からはずれた一門たちの会」だってw




3/26(金)
J亭談笑落語会
19:00〜20:52@JTアートホール アフィニス
※全て談笑師
『看板のピン』
初天神
仲入り
居残り佐平次
わたしは談笑師はたまに聴くくらいなので、聴いたことがない談笑落語がたくさんあります。今回は『初天神』『居残り佐平次』を初めて聴きました。
居残り佐平次がなかなか面白かった。佐平次の“得体の知れなさ”の描き方に、談笑師らしさを感じました。談笑師が「佐平次という男がもし現代にいたら、こんな男じゃないですか?」と言っているような気がした。


佐平次は、若い衆・女郎・女将さんまで、いつの間にか店の者たちの心をすっかり掴んでしまい、店をのっとってしまう。
気が利いて頭がよくて器用な佐平次は、若い衆に経費削減策を指示し複式簿記のつけ方を教え、女郎たちには品川甚句をお稽古してやり、魅力的に見えるシナの作り方・メイクの仕方をアドバイスし、ある時は心理カウンセラーのように女の子を励まし、ある時は自己啓発セミナーの講師のように店の者たちに生きる目標を示して鼓舞し、更には女将さんを慰めちゃうw こうして旦那が留守にしている間に人心をすっかり掌握してしまう。実は佐平次は、この店のことは、旦那が入り婿で経営が杜撰ということまでしっかり調べて、狙いを定めてこの店にあがったのだった。計画的なのっとりなのです。芯からワルなのだ。
旦那が帰って来た時には、誰一人旦那についていこうとする者はいない。店の者&女将さん全員一致で追い出されることになる。旦那は店の者たちに「おまえたち、みんな一人残らず後悔するからな。俺は絶対この店に帰ってくる」と言い捨てて、なぜか布団部屋へ。「ここから、一から始めるんだ!」というサゲでした。


ただ、初めてだったので面白く聴けましたが、おそらく談笑師が描こうとしているであろう“佐平次のワルさ・不気味さ”が、もう一つ迫ってこなかった。 また、笑えるかどうかということでは、白酒師のオーソドックスな居残りのほうが面白かった。
初天神』もそうでしたが、談笑師ならではの工夫やくすぐりに対して「ふーん、そういう風にやるのか」と感心はするのですが、それでおしまい。“驚かされる”というところまでいかなかった。前はそういうことがあったのですが。何故でしょうね?わたしが変わったのか、それとも談笑師が変わったのか。




3/27(土)
柳家小三治独演会
14:00〜16:44@三鷹市公会堂
柳亭燕治『粗忽の釘
柳家小三治 マクラ約30分強 『茶の湯』約40分
仲入り
柳家小三治 マクラ約20分 『猫の皿』約20分
マクラも落語もたっぷりで、小三治ワールドをのんびり楽しめた、なかなか贅沢な会でした。
この日は晴れた、でも寒い日で、一席目のマクラは「こんな季候を“花冷え”という」という話から始まった。そこから“俳句”の話になり、ご自身の句「やわらかき闇を切り行く蛍かな」のエピソードへ。
このエピソード、小三治師のマクラをまとめた本(※)に載ってるので、ご存知の方も多いと思います。小三治師はご自身が詠んだこの句をなかなか思い出せなくて「なんだったっけなぁ、元の句を忘れちゃって…」と困っていらした。
わたしは「やわらかく!」って声をかけたくてたまらなかったけど、席が高座からかなり離
れていたので、できませんでした。きっと、わたしと同じ思いでジリジリしていた小三治ファンがいっぱいいたはずだw
小三治師が自力で思い出してくれて良かったですw
※『もひとつ ま・く・ら』に「蛍」というタイトルで載っています。




3/29(月)
日本橋夜のひとり噺 第十二夜 江戸前落語・特別編
18:50〜21:43@日本橋社会教育会館
入船亭辰じん『真田小僧
春風亭一之輔『あくび指南』
瀧川鯉昇『宿屋の富』
仲入り
桃月庵白酒『替り目』(通し)
柳家さん喬『百川』
四人がそれぞれの十八番をマクラも含めたっぷりと。皆、良かったです。特に一之輔さんの『あくび指南』はとても良かった。


ただ、たしかに顔付けはいい・一人一人のネタはいい、贅沢な会ではあるのですが、これだけ豪華だと正直少々くどい。番組の構成は席亭が決めたのだろうと思うのですが(寄席だったら、こんな十八番オンパレードはありえませんよねw)、“江戸前落語”の会ならば、もう少しアッサリといって欲しかったです。
時間も長い。夜7時前から始まって終演が10時近く、しかも週の始まりの月曜日。「あ〜疲れた…」と帰途についたのはわたしだけじゃないと思うw


噺と一緒で、番組全体に緩急やリズムがないと、「ああ、面白かった!」って感じにならないんだなぁ…なんて思いました。