4月後半の落語



4/16(金)
J亭 談笑落語会
19:00〜21:00ちょっと前
談笑『まんじゅうとか怖い』
談幸『鹿政談』
仲入り
談笑『死神』


一席目『まんじゅうとか怖い』。談笑版は、男の怖いものはまんじゅうだけじゃなく甘いもの全般。登場するまんじゅうは塩瀬総本家くらい、あとは虎屋の羊羹とか風月堂のゴーフルとかパステルのなめらかプリンとか、いまどきのスイーツの定番ばっかり。シメは「ここらでスタバのキャラメルフラペチーノがダブルで怖い」っていうんだから、この男はどんだけ甘いもん好きなんだw

この日のゲストは立川流の良心・談幸師匠。わたしは3月の末廣亭余一会で『片棒』を聴いて、今回二度目。談幸師は落語らしい落語をなさいますね。


談笑さんの『死神』は初めて。サゲは“ループ落ち”とでもいうんでしょうか。
男は死神との約束(死神が枕元にいる時は呪文を唱えてはならない)を破ってしまい、地の底に連れて行かれる。死神は男に「つけたきゃつけろ。消したきゃ消しな」と新しいろうそくをあたえ、男は新しいろうそくに火を移すことに成功する。「ハッピーバーステー!フーッ…とかやらねぇぞ!」w
ふと気がつくと傍らの死神の姿は消え、男は地上に戻っている。その場所は男が生まれた家。父親と母親がいる。だが、彼らには男の姿が見えない。両親は死にかけた男の子を囲んでオロオロしている。その男の子は、幼い日の男自身・・・
実は、男は幼い頃から何度も死にかけて、そのたびに奇跡的に生き延びてきた。それは死神=男自身が助けてやっていたからだった。そうやって何度も難を逃れて成長するが、最後には死神との約束を破って死神になり、同じ人生を繰り返す…という不毛を延々と繰り返しているのです。


一番最初に死神が男の前に現れた時、死神は「恨みに思うなよ。助けてやろうか?」「おめぇを助けたいんだ。俺とおめぇの仲は深ぇものがあるんだ」と鬱々をした様子で言う。「約束を破ったらどうなるか教えてやりたいけど、おまえに怨まれる。この約束だけは守ってくれよ」と涙をうかべて頼む。
そして、男が約束を破ると「だめだったな。やっちまった…おめぇも」「おめぇだけはやらねぇと思っていたのに」と泣く泣く男を地の底に連れて行く。ここは地獄か?と怯える男に、死神は「地獄じゃない、地獄よりつらいかもしれない」。なるほど、この不毛な繰り返しが永遠に続くって、死ぬよりつらいなぁと思いました。


4/17(土)
巣鴨四丁目落語会 昼の部
13:30〜15:50@スタジオFOUR
我楽亭ハリト『おしゃべり往生』
志の輔『御神酒徳利』
松永鉄九郎&鉄六 長唄
志の輔『壷算』
志の輔&ハリト 短い対談


志の輔師はホーチミン公演で利き手(左手)の中指じん帯を切ってしまって、現在指にギブスをつけている。ギブスが目立たないよう、なるべく利き手を使わないようにしているそうだが、それに気をとられていつもの半分くらいしか落語に脳をつかってない気がするんだそうです。だから、落ち着いて集中を要する落語(人情噺とか)をする気にならないとのことで、この会では当初朝日名人会にかける『帯久』を稽古するつもりだったけれど、それはやめて『御神酒徳利』『壷算』をやったんだって。そういえば、どっちもテンションをあげて勢いで乗り切った感じでした。
でも、夜の部では『ねずみ』をやって、翌日の前進座では『江戸の夢』をやって、『江戸の夢』はわたしも聞いたけど、いつも通りの志の輔らくごだった。この2日間で高座を重ねながら調整なさったんでしょう。そのあたり、さすがです。


ホーチミン公演のこと、シンガポールのカジノ、風水の話から『御神酒徳利』へ。
志の輔師の『御神酒徳利』は番頭さんが主人公で、小田原の宿で出来心で30両の財布を盗ってしまった女中を助けるところまで。この女中に「(病気の父親が)いつ治るか占ってください!」と泣きつかれた番頭が「治った後で聞きにおいで」…というサゲでした。


この日は、志の輔師の落語もさることながら、ゲストの我落亭ハリト君の落語が楽しかった。彼は、現在、阪大大学院で桂枝雀の落語について研究しているトルコ人の留学生。
志の輔師と三枝師匠が審査員をつとめた大学落研のコンクールかなんかで入賞して、それがきっかけでこの会のゲストに招かれた。
亭号はさん喬師匠につけてもらったそうです。さん喬師匠は日本語を学ぶ外国人留学生のための教育活動に協力されているから、その縁かしら。


『おしゃべり往生』は、おしゃべりな男の話。ある長屋にとてもおしゃべりな男がいて、好物の鯛の煮付けを食べながらお喋りしてて、鯛の骨を喉につまらせて死んでしまう。三途の川にたどり着いて渡し舟に乗るが、舟の上でも散々おしゃべりして乗りあわせたお客(死者)たちを迷惑させる…というストーリー。この落語は、劇作家&翻訳者の黒田絵美子氏がさん喬師匠のために書き下ろしたものだそう。


ハリト君の人物の描き分けはまだまだで、時々誰を演じているのか分かりにくい。日本語のイントネーションもおかしいところがある。でも「この落語は自分でやってて可笑しい、楽しい」と言ってて、それが観ていてよく分かりました。
たまにちびっ子落語家みたいな子供が半端に達者にやる落語を聴くと、なんともいえずヤな感じがしますが、彼の落語は天真爛漫で、子供よりよほど微笑ましかった。


100年以上前のトルコには、一人で何人も演じ分ける落語に似た話芸(“メタブルク”って言ったかな?)があったそうです。でも今は廃れてしまった。ハリト君はいずれトルコに戻りその話芸を“トルコ落語”として復活させたいとのこと。
会の最後に志の輔師との対談があり、ハリト君は「その国の人が母国語でやらないと落語のスタイルは伝わらないと思う」。
“落語がインターナショナルになる”っていうのは、日本人落語家の海外公演や外国語で落語をやる日本人の落語家が増えることじゃない。落語という“語りのスタイル”が日本以外の国に受け入れられ、その国の言葉で語る独自の“落語”が生まれる、その国の人がそれを聴いて楽しむようになる…そういうことなのかもしれないです。


立川志らく独演会 夜の部
18:00〜20:18@三鷹市芸術文化センター星のホール
らく兵『宮戸川
志らく『後生鰻』
志らく長屋の花見
仲入り
志らく『百年目』


志らく師、連日公演が続いて、夜の部ではかなり疲れていると仰ってたけど、疲れを感じさせない、素晴らしい高座でした。
『後生鰻』(「折れた釘で書いた“父ちゃんのバカ”」「お前は大坂人か!」…つい笑っちゃうフレーズがいっぱいだ)、『長屋の花見』(大家さんが「人間というものはものすごい可能性をもってるんだよ!」って、そう思いこんで見つめれば沢庵も卵焼きに見える!っていうところが好きですね)、そして『百年目』。三席とも良かった。 特に『百年目』はブロッサムのときより一層良かったです。


旦那を描くのに、師匠(家元)を思い浮かべたりした…と仰っていましたが、最後に、旦那が座敷に番頭を呼んで語りかける場面で、印象的なところがいくつかありました。


旦那は番頭に“下の者たちに厳しすぎる”と注意しますが、下の者たちは、自分は嫌われてるんじゃないか?と思うと辛いものだ、萎縮してしまうと諭す。師弟の関係でも、師匠に嫌われていると思ったら弟子は辛いでしょう。志らくさんにもそういうことがあったのかもしれない。


旦那が番頭にお茶をたててやるところは、ブロッサムでは仕草を間違わないことに夢中で感情を込めてできなかったと反省していらしたが、今回はとても良かった。
お茶をたてながら旦那がふと涙ぐむ様子など、実にしみじみしていいなぁと思いました。


4/18(日)
前進座劇場プロデュース 寄席 噺を楽しむ・その42 立川志の輔独演会
14:00〜16:30くらいだっけ?@吉祥寺前進座劇場
志の春『六尺棒
志の輔『御神酒徳利』
仲入り
松永鉄九郎 長唄
志の輔『江戸の夢』
感想は既述の通りでございます。省略


立川談春独演会 アナザーワールド?
19:30〜21:44くらい@成城ホール
談春『お若伊之助』
仲入り
談春『包丁』


久しぶりに談春師の落語を聴いていいなぁと思ったです。
この日の二席には、落語のテクニックでも、落語家の個性という意味でも、談春師の魅力がおおいに発揮されていた気がします。 噺にキレがあって、意地悪でフマジメで悪戯っ子のような登場人物たち。
『お若伊之助』の鳶の頭、『包丁』の虎サン。談春師の分身のようで可笑しくて魅力的だった。


『お若伊之助』は、アナザーワールドでネタおろしした落語の中では、今後よくやるネタとして定着していく可能性が一番ありそうな気がしました。
個人的には『包丁』が良かったです。
宇野信夫は『包丁』という噺を“圓生の芸に最も適した噺”“フランスのしゃれた映画にでもあるような筋”と言っていますが、この夜は談春の『包丁』を観ながら、ドラマを見ているような気持ちだった。わたしは『包丁』は圓生よりも談春のが好きだなぁ。


圓生の『包丁』はわたしはもちろんCDでしか聞いたことありませんが、小唄を唄いながら女を口説くところ、その唄い方だけで、男が迫る様子、女が嫌がる様子がありありと浮かんでくる…というのが見事だったのでしょう。
談春師の描くトラは、圓生の描くトラと同様にヤな感じがありつつ、でも圓生・トラにはない愛嬌がありますね。
トラは、佃煮の味で、口の奢った男を養う女の苦労を察したり、それをまた「所帯の苦労が大変でしょ?」なんて口に出したりする、細かいヤな男だ。
でも、子供みたいなところがある。酔ったトラの師匠への迫り方なんか子供そのもの。「おそっちゃうぞ〜w」って感じで両手を構える様子なんて、腕白な男の子がふざけてるみたい。
だから、ヤな男には違いないんですが、「しょーがないなぁ」とつい笑って赦したくなってしまう。そこが魅力的と思いました。


でも、いくら子供みたいといったって、迫られる女からしたら不愉快きわまりないわけですが、そのあたりの師匠の嫌悪感も面白おかしく描いていてさすがであった。
この清元の師匠って、落語ワールドの中では珍しい、男を養えるくらい甲斐性のある女のひとなんですが(他にも、『文七元結』の佐野槌の女将とか、豊志賀とか、『厩火事』のおサキさんとかもそうだけど)、この人、経済的には自立してるんだけど、心がぐらぐらしてるのね。ひとりで生きる覚悟さえすればいくらでもカッコよく生きられるのに、そうできない。だらしなく男に惚れてしまう。で、意地張って「今日からあたしの好きなひとは…トラさんなんだからねっ!」と間違った方向に暴走しちゃう。しょーがないなぁ。
トラも常もこの女も、みんなマトモじゃない。でも、そういうヒトたちがいとおしく思えるっていうのが落語の良さであり、また談春師の上手さなんだと思います。


ところで、談春師は、前はトラさんがつまむ佃煮を「椎茸昆布」にしてたけど、いつの間にか「ハゼ」に戻したのねw


4/20(火)
らくご@座・高円寺 喬太郎の古典の風に吹かれて 昼の部
14:30〜16:55@座・高円寺
開口一番 小んぶ『堀の内』
一朝・喬太郎 対談
喬太郎『饅頭こわい』
一朝『淀五郎』
仲入り
喬太郎井戸の茶碗


冒頭の対談は、喬太郎さんが一朝師匠にあれこれ質問する形で進行。
一朝師匠は多くの時代劇ドラマ(主にNHKみたい)で“江戸言葉”を指導されているそうですが、現在の『龍馬伝』でも武田鉄矢勝海舟)に江戸弁を教えてるそーです。
最近は、番組のスタッフに江戸言葉を知った人がいないので、苦労されることも多いとのこと(現代のイントネーションやアクセントと違う言葉なんかもあるので「ホントかな?」って顔をされちゃうんだって)。


江戸言葉は独特のアクセントがあって標準語ではない、でもとても綺麗な言葉なのだと仰っていた。
喬太郎師に、後輩の噺家の言葉づかいで気になることはありますか?と訊かれ、“鼻濁音”が大事と仰っていたな。
むか〜し、少しだけ朗読を勉強していたことがあるのですが、そういえば最初に鼻濁音を練習したなぁと思い出しました。


一朝師匠の『淀五郎』を聴けたのが良かったです。
一朝師匠のは仲蔵がとても優しい。仲蔵は淀五郎に判官の演技のアドバイスをしてやる。心構え(名代・淀五郎の「上手いと思われたい、誉められたい」ではなく、五万三千石の大名の「無念」の気持ちで演じる)に留まらず、大名らしい切腹の仕方・そう見える姿勢のコツ、人相を変えるための細工、腹を切っている時の表情、刀を抜いた手の置き方…といった細かく具体的なコツを「それから…」「それから…」と詳しく教えてやる。セリフや運びはほぼ圓生のCDで聞いたのとおなじだったけど、言い方がとても優しいのが印象的であった。


喬太郎師の『饅頭こわい』『井戸の茶碗』は、もちろん悪くはないけど、まぁ“普通”って感じ?自分の会ではあるけれど、一朝師匠をたてたのね。


4/21(水)
らくご@座・高円寺 平成立川ボーイズの高円寺なう
16:00ちょっと過ぎ〜17:45くらい?@座・高円寺
・こしら&志ららによる木戸銭診断
・こしら&志ららとお客さん、ゆるゆると雑談。なんとなく始まる
志らら『壷算』
こしら『時そば
・こしら&志ららのトーク


この会、半端な開演時間と半端な人気の出演者(ごめんなさい!でも、わたしは行ったんだからさ、赦して)のせいか、200人入る会場にお客さんは16人だけでした。
これは、わたしが経験した“お客さんの少ない落語会”最少記録であったw


この会の木戸銭は“条件変動制”で、こしらさんと志ららさんが決めました。例えば、今回の「らくご@座・高円寺」の一連の公演の別公演に行く人は“チケットや半券を提示すれば300円”“織田信長の末裔でスケートが上手かったら100円”とかってチラシに書いてあったので、わたしは前日の喬太郎師の会のチケットの半券を持っていきました。


会場に入ると、舞台上にデスクを設けてあって、こしらさんと志ららさんとスタッフの女性1名が座ってた。お客さんは一人一人舞台に上っていって、こしらさんと志ららさんに「半券を持ってます」とか「オールナイトニッポン聞いてました」とか、直接申告して木戸銭を決めてもらいます。
わたしはまず半券を見せて「300円」て言われたんだけど、「来るとき、中央線で志ららさんと一緒の車両でした」って言ったら(それはホント)、こしらさんに「じゃぁ100円!」て言われた。もっと安くならないかしら?と思って、さらに「こしらさんをフォローしてます」って言ったら、こしらさんに「それじゃ300円!」。ちっ、上がっちゃったよw


客は最前列〜3列目に固めて座らされ、開演時間までこしらさん&志ららさんと雑談してたというゆるゆるぶり。
観客は落語ファンと、オールナイトニッポンのリスナーが混じってて、中には女子高生二人連れという、フツーの落語会では絶対見ないお客さんも来ていた。彼女達は今まで落語を聞いたことがなかったそうで、初落語がこの二人っていうのはどうだったんだろう?w
こしらさんに、どうせはんにゃのファンなんでしょ?などと言われて、小さい声で「はんにゃのファンじゃない」って抗議してたのが、10代の女子らしくて可愛かったです。


目当てのこしらさんの『時そば』は面白かったです。マネする男が「ひい、ふう、みぃ…」と指をおって数えて1文かすめるトリックに気づくところ。数えてるうちに何故か両手の指でキツネ作ってて、キツネの声色で「一文カスメタ!」とかって喋るのw


志ららさん、マクラがかなり長かったけど、そのマクラが面白かった。4/13紀伊國屋ホールの楽屋で家元の着替えを手伝ったという話。
この日、談志家元は30年前に作ったスーツを着てきたそうですが、落語を終えた後、家元は記者会見のために再びそのスーツに着替えた。30年前とほぼ体型が変わらないとはいえ、首は若干太くなっていたらしく、ワイシャツの第一ボタンはちょっとキツイ。落語の後で汗をかいているのでボタンがはまりづらくなっていた。
志ららさんは、そのボタンをはめてあげようとさりげなく手助けにはいり、家元の喉元のボタンに手をのばした。すると家元、自ら大人しく顔を上にあげた。ボタンがはまりやすい体勢をとったわけですね、自らw 可愛い!
しかし、ボタンはやっぱりはまらない。手伝いを名乗り出た手前、これではまらなかったらおおしくじりだ!と焦った志ららさん、思わず家元の顎をくいっと更に上に押し上げた!
幸いボタンははまった。その間、家元は大人しくされるがままになっていたそうですw その画を想像すると、すごく可愛くないですか?w


4/24(土)
第七回 三田落語会 昼席
13:30〜16:50@三田仏教伝道センター8階大ホール
開口一番 古今亭折輔『元犬』
橘家文左衛門『笠碁』
桃月庵白酒『付き馬』
仲入り
桃月庵白酒『火焔太鼓』
橘家文左衛門文七元結


文左衛門師の笠碁、文七、白酒の付き馬と火焔太鼓を一度に聴けちゃったという、すごく充実した会であった。でも、さすがに3時間を越える会は疲れます。


とはいえ、文左衛門師の『笠碁』をようやく聴けて満足。待ったをかける爺さんが実にいい。番頭に「みのやに使いをやりましょうか?」と言われて、嬉しくて“ニマ〜ッ”と笑うのだけど、その笑顔のかわいいこと!


白酒師の『付き馬』も初めて。これも良かった。大門を出て、やくたいもないことを延々と喋り続ける男は、なにかと若い衆に「ホラ笑って。笑ってくれないと先に進めないよ」「笑って!笑って!」。黙ってしたがっていた若い衆がついに「喋りすぎっ!!」とキレたところが可笑しかった。


『火焔太鼓』は、先日の道玄寄席で聞き取れなかったセリフが分かった。先の割れた竹でバシバシうたれた傷口にすり込まれるのは「塩と七味とハチミツ」だったのねw


4/27(火)
みなと毎月落語会 立川志らく独演会
19:00〜21:00@麻布区民センター
らく八『子ほめ』
志らく『野ざらし
志らく『大工調べ』
仲入り
志らく『おせつ徳三郎(通し)』


4月は志らく師が出演する公演がたくさんありました。この日は、13日に例の家元・談春師と共に出演した立川流落語会@紀伊國屋があって、翌日(28日)は25周年DVD発売記念の会@紀伊國屋サザンシアターを控えているという、緊張する会の谷間の弛緩状態で、「この会があることをすっかり忘れていた」そうですw
でも、そんな状態だから「今日は(落語が)のんびりできるのかなと思います」と。
大きな会やプレッシャーのかかる会で力を入れてやった落語よりも、高熱でようよう一席つとめた落語がバカによかったなんてことが何度もあるそうで、今日も肩の力が抜けた、いい落語ができそうだと。


そう言った通り、この日は志らくさんはとてもリラックスして楽しそうだった。ふいに思いついて口に出たんだろうなって感じのギャグがけっこうあって、自分で「急にそんなこと言うんじゃないよ」って笑いそうになってたりしてた。落語家がこういう状態でやる落語って、聴いててとても楽しい。なんでしょうね、“余裕”というか“遊び”のある落語っていうんでしょうか、凄みとか迫力とかには欠けるのですが、聴いててとても心地良い(上手でもつまらないと感じる落語って、こういう余裕がないのかもしれません)。


志らく師「こんな雨の日にこんな会場に来てくれたお客さんは、よほどコアなファン」と言ってましたが(“こんな会場”って発言はすぐにフォローしてたw)、志らくさんは会の規模に関わらずいい芸を見せてくれるということをファンは知っているのです。だからどこでも追いかけるのよねん(わたしはそんなに熱心に追いかけてないけどさ)。志らくさんは追いがいのあるヒトです。
この日はしかも熱心なファンのためにサービスしてくれて、普段あまりやらない噺を3席かけてくれた。志らくさんにはこういうやさしいところがあります。だから好きなのだ。


『野晒し』
八五郎が「七(質)は先月流れちゃった」というと、尾形清十郎、おもむろに吹き矢を構えて八五郎に「フッ!」w この吹き矢は志らくさんが駄洒落とセットでよくやるギャグですけど、妙に可笑しかった。
この冒頭の八五郎と尾形清十郎のやりとりは、柳好の『野晒し』的なとても落語らしいメロディというか、志らくさんは意識してオーソドックスにやってるような気がしました。


八五郎が土手に着いたあたりからテンポがぐんと速くなって、八五郎のセリフもどんどん早口になった。八五郎の竿の振り回し方が尋常でなかったです。指揮者みたい。隣の男「世界の小澤だね!」w
下らない洒落を言って「…なんて洒落はお好き?」「フッ!(※吹き矢だよ)」なんてお馴染みのギャグがちょくちょく入る。
このあたりは昔からの志らく落語っぽい。


サゲはオリジナル。
河原には骨がたくさん転がってて、八五郎はとりあえずお酒をふりかけて家に戻るが、ちゃんと美人の骨にふりかけたかどうか心配になる。「ババアが来ちゃったらどうしよう?オヤジが来たら?」「あぁ、どこの馬の骨か牛の骨かわからねぇ奴に酒かけてきちゃったよ」
するとトン・トンと戸を叩く音が。誰だい?と訊いても返事をしない。八五郎がガラっと戸を開けると…
「モォ〜」「ヒヒーン!」、八五郎「ホントに馬と牛のコツが来ちゃったよ!」


幇間(たいこ)がやって来て「あぁ馬の骨か」は、マクラで“太鼓は馬の皮でつくる”っていう話を仕込まなければならないし、今となっては分かりにくいので、こういうサゲにしたそう。


『大工調べ』
江戸っ子はちゃんとモノを考える習慣がない。言ってることは頭をぐるっと廻ってない(≒ちゃんと考えをめぐらせて喋ってない)。“頭の皮膚”だけで喋ってて、言ってることはまったく論理的ではない、説明を求められても説明できない・・・という話をマクラでした。
今回の『大工調べ』の棟梁は、まさに“頭の皮膚だけで喋ってる”という感じ、威勢はいいけれど浅薄な江戸っ子らしさがよく出ていた。一方、大家のほうはケチ臭いけれどいちいち理詰め。“仕事をさせると一人前、お金を返す時は半人前、こんな都合のいいことがあるか?”“若い者を束ねるのが棟梁、棟梁の口のききかたがなっちゃいないっていうのはまずいんじゃないか?”等々、言うことに筋は通ってる。この二人の好対照が見事でした。


棟梁の啖呵はすっごい早口で可笑しかった。志らくさんは啖呵とか道中付けとか“決まったセリフを決められたとおりにちゃんと言う”っていうのが苦手だそうで、そういう時はたいてい早口になります。『黄金餅』の道中付けなんかも早口ですもんねw


『おせつ徳三郎』の通し
花見小僧のパートで可笑しかったところ。
小僧(カメ吉)が旦那に自分は怒鳴りつけられたりするのに弱いのだとアピールするのですが、「わぁーっと言われると、死んでしまいます」って言うと、旦那「お前は名古屋コーチンか!…まぁ名古屋コーチンがそうかどうか知らないが」w 


名古屋コーチンて、いわれて見れば大きな声出すと死んじゃいそうな感じがするw、それがフッと頭に浮かんじゃったんだろうな、志らくさん。で、思わず口にだしちゃったものの、「ホントかどうか知らない」って言い訳したわけですね。こういうノリ―志らくさん自身が楽しんでる感じ―がとても良かった。


あと、カメ吉に、お嬢様と徳三郎の仲睦まじいところを見せまいとする婆やは、なんだかんだ言ってカメ吉の注意をそらそうとするのですが…
「ほらカメ吉、鈴々舎馬風師匠が『芝浜』やってるよ!」
「カメ吉、お池をごらん。小三治師匠と圓菊師匠がシンクロナイズドスイミングやってるよ!」
川柳川柳が賛美歌を歌ってるよ!」ww


刀屋のパートで印象的だったのは、徳三郎が刀屋の主人に“自分の友だちのこと”として、おせつと深い中になっていった過程を話すところ。おせつのほうが積極的で、おせつが徳三郎を篭絡したって感じをはっきり出してる気がした。


刀屋の主人は、徳三郎を、刀でお嬢様を斬る前に「お嬢様があなたのこと…いえ、あなたのお友だちのことをどう思っているのか、お聞きになったほうがいい」と諭す。もう心変わりしたのなら仕方ないが、おせつもまだ徳三郎のことを想っているかもしれないじゃないかと言われ、徳三郎は「そのことを、考えたことがなかった!」と目が覚める。そしておせつの祝言の場へと駆けていく。


サゲは志らく師のオリジナルで、映画『卒業』みたい。
「おせつー!おせつー!」と何度も名前を呼ぶ。その声に気づいたおせつも「とくー!」と名前を呼び返す。
「BGMは“サウンドオブサイレンス”」だってw


祝言をあげていたところは神社みたいです。手を取り合った二人は表に駆け出して、左右の狛犬にひょいっと頭を下げて神社の階段を駆け下りる(この画を想像すると、なんとも可笑しく心温まる)。
深川の木場にたどりついた二人は、舟に乗って逃げる。舟の上でおせつは泣きながら「ごめんね、あたし知らないヒトのお嫁になるところだった」と何度も徳三郎に謝る。徳三郎「ふたりは舟に乗ってるんだ。そんなこと水に流そう」
可愛くきれいなサゲと思いました。


4/30(金)
愛山・喬太郎二人会
18:00〜20:30@お江戸両国亭
立川こはる『浮世根問』
神田春陽『安兵衛 婿入り』※初めて聴いたので違ってるかもしれません。講談に詳しい落友に教えてもらって、たぶんこれだと思います。
柳家喬太郎『寿司屋水滸伝
神田愛山『天保水滸伝 笹川の花会』
仲入り
愛山『高校三年生』
喬太郎『吉田御殿』


この日は真一文字の会に行きたかったのだ、ホントは。でも、予約したつもりで予約し忘れてて、気がついたら完売・当日券なしだった。
仕方なく「他にどこか行くところがないかなぁ」と探して出かけたのがこの会。
愛山先生の『天保水滸伝』と喬太郎師の『吉田御殿』がネタ出しされていた。愛山先生は聴いたことがなかったし、たまには『吉田御殿』もいいかなぁと思って。
でも、行ってみたら結構アタリだった。良かったです、この会。すいません、“仕方なく”とか言って。


愛山先生によると、今、東京の講談界は女流が2/3なんだそうです。
先生、「楽屋がセコな宝塚みたい」wと嘆き、「講談はダンディズムなんです」と。
で、今日はそんなダンディズムの世界を描く侠客物の代表作をやります…と『天保水滸伝 笹川の花会』を。
わたしは講談で何度か聞いたことがあるのは、よく寄席に出る宝井琴柳・琴調先生くらいですが、お二人に比べると、愛山先生はちょっとだけ伝法で、任侠物がよく似合ってる気がした。
でも、任侠物は講談よりは浪曲のほうが好きだな。


もう一席の『高校三年生』は新作の世話物。舟木一夫の歌で作った講談をやる会っていうのをやった時に作家につくってもらったものだそう。盲学校の卒業式を描いたもので、いい話すぎて自分はちょっと苦手でした。


喬太郎師は『寿司屋水滸伝』『吉田御殿』。どっちもバカバカしい、落語らしい噺で、堅い講談の口直しにちょうどよかった。
『寿司屋水滸伝は「バレン越しの話で間違ってたらゴメンよ」っていうセリフが大好きなんですけど、この日は入ってなくて残念だったわ。
『吉田御殿』はバレ噺ですが、これやると怒るお客さんがいるのかな、喬太郎師はマクラで「いいですか?落語ってくだらないものなんですよ」「くだらないのはイヤなヒトは今のうちに帰ってください」と念を押し、噺の途中でも度々「怒ってます?」って確認していた(まぁこれは珍しいことではありませんが)。
「これ、わたしが考えてやってるんじゃないですからね、本にこう書いてあるんです」「古典落語にはあんまりズコズコってのはありませんけど…」w
確かに、喬太郎師の古典―特に『文七元結』や『心眼』とか―が大好き!っていうヒトは、なにも知らずにコレを聴いたら怒るかもしれませんねw