5月前半の落語



連休明けから忙しくなって今月前半に行った落語会は5つ。健全な日常生活を送るのに理想的なペースではあります。このペースを続けられるとよいのですが。
では、さっそく今月前半の落語活動を振り返ってみよー。


5/4(火)
立川志らく25周年記念公演 立川志らく独演会
18:00〜20:24@よみうりホール
談志・志らく 対談
志らく『寝床』
仲入り
談志 ジョーク
志らく『らくだ』
※これは前々回書いたので、詳しくはそちらを読んで下さい。


5/7(金)
こしらの集い
19:00〜20:45@お江戸日本橋亭
※中入りなし
『たいこ腹』
金明竹
『だくだく』
この会がある日はかなりの確率で雨であることが多い。この日も雨であった。しかも魅力的な落語会が重なってて(横浜で続・志らく百席、人形町で扇辰・白酒、新宿で白鳥ゲストの天どん勉強会等々)、この日、ここにやってきた客はいつもよりずっと少なかった。でも、おかげでゆったり聴けました。


『たいこ腹』
鍼の道具一式をとりよせ、さっそく手に取って遊びはじめる若旦那。畳にうち、障子にうち、次は壁に打ち…という段になって、おもむろに壁にハリを投げ始める若旦那。「そうだ、真ん中にあたったら10点てことにしよう」。それダーツじゃんw
「からすカァと鳴いて夜が明けまして」(こしらさん、“江戸っ子は五月の鯉の吹流し”に続いて覚えたのだろうか、この落語的定型フレーズを?)若旦那また鍼を壁に投げて練習にはげむが、「もう鍼飽きたしなぁ…違うよ!投げるんじゃねぇよ!」とようやく間違いに気づくのであった。
鍼でダーツ始めるっていうのが可笑しいな。
サゲのフレーズはしっかり間違えていたw おかみさん「おまえも名の知れたたいこだろ?」だって、“ならしたたいこ”って言わないと「皮が破れてなりませんでした」がオチにならないじゃんw


金明竹
言い立てで大笑いしてしまった。
こしらさんの言い立て、酷い!本当にまったく何言ってるかわかりませんww こんなにいい加減な言い立ては初めてです。そして本人にちゃんと言おうという意志がまったくない。与太郎も「お前、伝える気ないだろ〜?」
こしらさんの関西弁でちゃんと分かったのは「かなンな〜」だけだった。そして、言い立てを繰り返すうちに、ちょびっとは上手くなって聞き分けられる箇所が出てきて、それがまた可笑しかった。
「おかみさんでっしゃろ?」と訊かれたおかみさんの空耳も傑作。
旦那「なんて言ったんだ?」
おかみさん「ええと…おゆんはん?でっしゃんはん?」
「おゆんはん」って何?w「でっしゃんはん」って何?ww


「最後はボクの好きな噺です」と『だくだく』
この噺はわたしも好きなので、面白いといいなぁと楽しみだったんだけど、期待通り、わたしはコレがいちばん面白かった。


家財道具をなにもかも売り払ってなーんもない部屋、「よく生活感がなくてカッコイイっていうでしょ。でも、生きてる気配がないんですよ」w
その“生きてる気配のない部屋”に男が描いてもらう絵は、桐の箪笥や金庫ばかりじゃないの、「“川”描いてくださいよ」「オレ釣りが好きなんで、釣竿描いてください」。釣竿は、フツウに川に垂れているのと、魚がかかってしなってるのを描いてもらって、その隣に鯛も描いてもらう。男、順番にその絵の傍らに立って「魔日ってあるんだねぇ。全然釣れないよ」→しなった釣竿の絵「キターーッ!」→鯛の絵「釣り上げましたー!」だって。バカw


泥棒とつもりごっこをするところがとっても楽しかった。
男は泥棒を捕らえようとし、泥棒は忍者になって逃れる。男は家を出ていこうとする泥棒を追うが、「あーー!こんなところに川があるー!」。それおまえが描かせたんじゃんw
すいとんの術で川底を渡って向こう岸にいってしまった泥棒を狙って、男は槍を構えて「びゅーんと腕が伸びたつもり!」「腕かよ!普通槍が伸びるんじゃねぇの?」w 
散々遊んで、泥棒「オレ、途中で疲れちゃったんだわ、帰るよ」「うん、また来てよ」「俺達気が合うな」と意気投合した二人…に見えたが、サゲは「友だちになったつもり!」 ww
いいなぁ!おかしいし、なんだか可愛い『だくだく』であった。


こしらのつどい、空いてて快適なんだけど、こしらさんのためには、もうちょっとお客さんがはいることを心から祈る。


5/12(水)
志らくのピン
19:00〜21:03@内幸町ホール
志ら乃『幽霊の遊び』 ※立川企画松岡社長作の新作
※以下、すべて志らく
『道灌』
『堀の内』
中入り
『鼠穴』


志らく師の『道灌』『堀の内』は、前もピンで聴いたんだったと思う、たしか。どちらも前よりゆっくりになった気がしました。
志らく師の『堀の内』は、亭主だけがそそっかしくてヘンなんじゃなく、おかみさんもヘンで、しかも妙に可愛いっていうのがいいです。
このおかみさんは慌てモノで「生きるのに忙しいの!」とバタバタしてて、亭主の“疝気の虫一流のシャレ”的なくっだらないシャレに「おもしろいねぇ、おまえさん!お腹痛いよ!」と大ウケし、亭主に劣らずそそっかしいのだった。
息子・金坊に「なんだお前達!夫婦揃ってバカだな!」と言われてしまう、おバカ夫婦なのであった。
サゲは金坊に「なんだ、おとっつぁん、羽目板洗ってらぁ」と言われた父親が「ハハハ、ハハハ…」と笑いながらお湯屋の羽目板を洗い続ける…という終わり方。


このサゲについて志らくさんは…
落語のオチは思考ストップ。下らなくスパッと終わらせることで「この後どうなるんだろうな?」と気にならないで済む。こういう終わらせ方はアメリカンニューシネマによくある。笑いながらハメ板を洗ってる父親は、アメリカンニューシネマのようなラストシーンにしたいと思ってああした…とのことでした。


志らく師の『鼠穴』は初めて聴いた。
若い頃の家元のはCDで聴いていますが、あれをベースにしたオーソドックスな『鼠穴』という印象でした。
この噺は、竹次郎もその兄も真意が分かりにくく、後味が悪くてあまり好きな噺ではないのだけど、志らく版ではさほどならなかった。また、マクラで小津の『東京物語』の話をしたんだけど、志らく師はこの落語に“田舎と都会の圧倒的な距離感”みたいなものを出したかったのかもしれないと思った。


普通の『鼠穴』と違ったところは…
○兄は、3文入れた袋に更に石ころを入れて竹次郎に渡す。これは、袋を渡した時に袋の重さで僅かしか入っていないことが分かってしまうからそうした…と落語の中で兄に説明させていた(わたしは、これは何か意味があるのかな?オチに関わる伏線になったりするのかしら?と思ったけど、特にそういうことはなかった)。
○竹次郎は兄の仕打ちが悔しくてずっとうらんでいたというのをはっきり出していたように思う。
3文の元手からスタートしてそれなりの身代をこさえた10年後、兄のところに借りた3文と利子として5両を返しに来た時、竹次郎は兄に「来たくないけど、来なくちゃならないワケがある」と言う。このあたりも曖昧にやるヒトもいますね。家父長制の時代だから、竹次郎は気持ちを表に出さないで兄の前では大人しくしているって考え方もあるんだけど、ちょっとでも悔しそうな表情があると、竹次郎の心理が分かりやすい気がします。
○兄が3文しか与えなかったワケを話し竹次郎に頭を下げると、竹次郎は「頭をあげてくんろ!オラ10年間兄貴を怨んでた。この10年は取り戻すことは出来ねぇ」と嘆く。こういうところで“竹次郎=田舎の世間ズレしてない人”というのがよく分かります。
○蔵が次々と燃え落ちていくところ、描写が丁寧だった。竹次郎が使用人に蔵に火が移ったかどうかを確かめさせていく。使用人が屋根にあがっての瓦を一枚はがすと、そこから煙があがる。次の蔵も、次の蔵も…という風に。
○夢から醒めた竹次郎は、兄のことを疑っていたからこんな夢を見てしまったのかもしれないと嘆き「恥ずかしい、穴があったら入りたい」、すると兄「よせ、穴は塞げ」…というサゲでした。


この噺、志らくさんはまだまだ手を入れるつもりのようです。


5/13(木)
浜松町かもめ亭スペシャル「江戸料理 平らげて一席」出版記念落語会」
19:00〜21:07@文化放送ディアプラスホール
桂宮治『狸の札』
柳家喬太郎時そば
中入り
喬太郎・佐藤友美(東京かわら版編集長) 対談
ユリオカ超特Q 漫談
柳家喬太郎 『おせつ徳三郎 刀屋』


江戸料理 平らげて一席」は、食べ物が登場する落語をとりあげて、喬太郎さんがその落語にまつわる話や薀蓄を語った本で、喬太郎さんはこの会では本でとりあげた“食べ物が出てくる落語”を2席なさいました。
時そば』も『刀屋』も喬太郎さんで聴くのは初めてだったので嬉しかったです(わたし、喬太郎さんの落語で聴いてないのいっぱいあるな)。


時そば
“波に南”(あれ?“南に波”だっけ?どっち?まぁいいやw)印の提灯をさげたそば屋、「うちはキッチン南海っていうんスよ」ww
丼はフチが欠けてて、ぐるぐる廻して欠けてないところを探さなくちゃなんない、でも満遍なくかけててどーしようもない。汁は渋くて「茶そば!だから廻すの?演出?」。茶道か!麺にお茶が混じってるんじゃなくて汁にお茶が混ざってるって新しいかもw


対談
あまりにも緊張しているかわら版編集長の佐藤女史を喬太郎師がリードし、対談というよりは喬太郎さんのトークという感じだったが、佐藤女史が『初天神』について「さん喬師匠もなさいますね」と質問したことをきっかけに話題が本を離れ学校寄席のことになった。その話がとても面白かった。


喬太郎さんの『初天神』は学校寄席のために磨いてきたような噺で、学校寄席でほとんどハズしたことがない。この、ギャグをふんだんに入れた『初天神』を、喬太郎さんは「古典としては破綻している」と言う。だが、学校寄席では目の前の落語に興味のない生徒達を“落語で”笑わせるのが大事。だから古典として破綻していようとなんだろうと『初天神』で笑わせる。『初天神』はある意味自信をもっている噺なのだ…という話であった。
とにかく目の前の客に、落語を楽しんで欲しい、落語って面白いんだと思って欲しい、だから笑わせることにファイトを燃やすっていうのは芸人としてカッコイイ。こういうマインドは昇太さんと同じだ。落語をよく知らない、落語を初めて聞く生徒たちに「落語ってつまんないなー」と思わせたらおしまい、とにかく笑わせるって大事なことだと思うな(わたしも中高生の頃、昇太さんや喬太郎さんみたいな落語家と出会っていたらなぁ)。


ただし、落語にギャグを入れることで生徒達が引いてしまう場合もある。やんちゃな生徒の集まってる学校なんかに多い。自分の両親くらいの年齢のいい大人がイマ風のギャグを言うことに「おっさん、なに俺達に迎合してんだよ!」と反発するのではないか?と喬太郎師は分析していた。
で、そういう時には『転失気』をオーソドックスに淡々とやることにしているのだそうです。『転失気』は昨年覚えたばかりで、ある学校寄席でやってみたところ、最初は落語を聴く気がなくしらけていた生徒達が、“おなら”と分かったあたりから少しずつクスクスと笑い始め、最後は皆がちゃんと耳を傾けてくれていたという体験をしたそう。それから『転失気』は『初天神』とならんで学校寄席での武器の一つになった。
それでもホンッとに笑わない時は、もう笑わすことを諦めるw「諦めると『死神』やるの」だそう。「いっちばん諦めた時は『お札はがし』やった」w


もっと聞きたかったが、対談の時間はあっという間に過ぎてしまった。
またこういう話をライブで聴ける機会があるといいな。


『おせつ徳三郎 刀屋』
喬太郎版は二人が心中して終わるというのは聞いて知っていた。「終わり方が暗くてどんよりする」という声もあったので、どんなかな?と思ったが、全くきれいな噺じゃありませんか!
二人が若く幼すぎて成就しない恋愛、脆い恋愛を描いていて、ちょっと感傷的なところのある喬太郎師らしい世界であった。


おせつと徳三郎は花見に行った時に食べた“桜餅の葉”を思い出としてそっとしまっていて、祝言の夜、再会した時にもお互い懐に忍ばせていた。
川に身を投げる二人は、2枚の桜の葉が、桜の花びらが、もつれるように落ちていった…と喬太郎師は結びました。
桜餅の葉は塩漬けの葉だから、色が悪いししめっててひらひら舞わないから、葉はださなくてもいいのになぁと思ったけど、落友の「桜餅の葉を出したのは、今回の会が本にちなんだものだからだろう」という話を聞いて納得。


刀屋の主人の説得も良かった。どうしてもおせつとその夫を斬って、自分も死なないことには苦しくて堪らないという徳三郎に「苦しみなさい、(お嬢様を)憎みなさい。悔しいなら生きなさい。そしていつかお嬢様に“逃がした魚は大きかった”と思わせてやんなさい。それが男の仕返しだ」
いいこと言うじゃんかー


次は、まだ聞いたことがないきょん師『刀屋 任侠編』を聞いてみたいです。


余談ですが、開口一番の桂宮治さん。この方は初めてだったのですが、落友から、昨年入門したばかりの前座さんらしいと聞いて吃驚しました。上手い。お名前、しっかりインプットしました。


5/15(土)
第99回 朝日名人会
14:00〜17:10くらい?有楽町朝日ホール
柳家花いち『一目あがり』
三遊亭きん歌『ぞろぞろ』
古今亭菊之丞『お見立て』
柳亭市馬『宿屋の仇討ち』
仲入り
柳家喬太郎『松竹梅』
立川志の輔『帯久』


当日京都から新幹線でこの会に直行した。前の晩飲んでてあまりコンディションが良くなかったことや、席がかなり後ろだったので演者の表情の動きがよく分からないこともあって、珍しくなかなか噺に入りこめなず、醒めた感じで聴いていた。
こちらが良い状態で聴けたら、もっと楽しめたと思う。


そんな中でも、トリの志の輔師はさすがだった。最初は引いていたのだけど、気づいたら気持ちは前のめりで聴いていた。志の輔師の『帯久』は、客席100名に満たないスタジオFOUR、約300人の新宿明治安田生命ホール、そして約700人のこの会場で聞いたことになるが、どんな大きさの会場であっても、志の輔師は観客の心をぐっと鷲掴みにする。それは凄いことだと思う。
この前この噺を聞いたのは昨年の志の輔らくご@新宿明治安田生命ホールの最終回だったが、その時よりも良かった。


でも、この日は一切メモとらなかったから、細かいこと全然覚えてないや。落友が“ちょっとした、しかし重要な変化を加えた”ってmixiに書いてたんだけど、それにも気づきませんでした。後で教えてもらわなくちゃ。とほほ