2011年 今年の落語総括

多くの落語ファンと同様わたしにとっても、2011年は東日本大震災が起こり立川談志が死んだ年として一生忘れられない年になりました。
談志の死については前回書いた通りなので、もう触れません。けれどそれ以外となると、今年の落語を振り返って記しておきたいことは、そんなにはない気がします。
ここ数年、毎年この時期には、この1年間に足をはこんだ落語会・観た高座の数を確認し、1年を振り返って、印象に残る高座の数々を思い出すのが楽しみでした。
でも、今年はあんまりそういうことをする気にならない。


その理由の一つには、今年はそんなに落語に行かなかったということがあります。
去年の暮れに「来年は少し落語を減らそう」と思い、意識して減らしたということもありますが、今年はふとしたきっかけで演劇を観るようになり、じぶんにとっては新鮮なジャンルだったこともあり観劇が増えました。その分落語が減った。
結果、今年観た落語会・高座の数は例年の半分くらいでした(その気にならないと言いながら、実はざっと数えてみました。すいませんw)。
聴いた落語家の顔ぶれもほぼ固定していました。よく聴いたのは、昇太、志の輔志らく談春喬太郎、三三、白酒、一之輔、こしら…といったあたり。
そんな状況なので、今年印象に残る高座を振り返ると言っても「アレとアレとアレ。以上おしまい」くらいの淡泊な感想になってしまいそう。困ったね。


それと、これは落語だけでなく、いわゆる“鑑賞”の対象になるもの全般(演劇、映画、音楽等々)についてのことなんだけれど、時々ふっと、自分はそういうものをあまりにもぞんざいに消費していてるかもしれないなぁと気が咎めることがある。また、自分は、自分が向き合うべきことを避けてこういうものに溺れていないか?と思ったりもする。
自分の日常がいかに脆いか。いまのところつつがなく生きているけれど、こうしていられるのは奇跡みたいに幸運なことだ。もっと大事に丁寧に暮らすとか、いまのうちにやっておくことが他にあるんじゃないか・・・なーんてね。思うことがあるんですよ、わたしも。
そういう思いとか迷いは今までもあったけれど、今年は今までに増して意識にのぼるようになりました。それは、自分が着実に歳をとっているということもあるし、3.11のこともあるだろうと思います。


そんなこんなで“たくさん”“網羅的に”“観まくる・聴きまくる”ということへの情熱は逓減の途をたどっている。それが2011年末現在のわたくしのありようです。


でも、これからもわたしは落語を聴き続けると思います。わたしはやっぱり落語好きだ。
それを確認できたのは、落語とはジャンルの異なるもの―演劇に数多く触れて改めて落語の魅力に気づいたこと、それから皮肉なことだけれど家元を失ったことです。

芸術的で、しかしなんだか分からない、なーんも心を動かされなかった演劇の公演を観て呆然と帰途につく時w、この気持ちどーしてくれる?落語を見習え、目の前の客を喜ばせることに尽くす落語家(主に春風亭昇太を思い浮かべていっていますがw)を見習え!と何度も思ったです。
(もちろん、演劇にだって素晴らしいものはあり、落語にだってどーしようもなくつまらないものもあります)。
落語の敷居の低さ(言い換えると“低俗”なところw)ってたいしたものだ。
もっと凄いのは、そういう低俗の中―くだらない・ふざけた世界で、時に心打つ・震えさせる“なにか”に出会ってしまうこと。そう滅多にないことだけど。


そして、そういう経験を多くの観客に与えてきた立川談志が逝った。
あれから度々談志を思う。と同時に、じぶんと共にいま・ここに生きている落語家たちを、彼らの高座をちゃんと観ておきたいと、改めて思うようになりました。それは“いまを大事にする”“いまのうちにやっておくこと”の一つである、と思えるのです。


ということで、最後にすこしは生きてる落語家のことも書いておかなくちゃw


今年の嬉しいニュースは、なんといっても一之輔さんとこしらさんの真打昇進決定。
これから二人の高座と落語家人生wをしっかと見まもり、かなうことなら見届けたいと思いますw。落語の楽しみはひとを観る楽しみでもあるからね。まずは春の真打昇進披露目興行が待ち遠しい。


それからわたしの永遠の特別扱いw、春風亭昇太
今年でSWAの活動を一旦停止、2012年は独演会も減らすと言っていたから、昇太師匠の高座を観るのは少し減るかな。しばらくゆっくりして充電した後、また明るくサービス精神たっぷりの高座を観せて欲しい。今年の高座でいちばん印象に残ってるのは、2月の下北沢演芸祭「SWAクリエイティブツアー」の『鬼背』。喬太郎師とはまったく違う、昇太師らしい心温まる『鬼背参り』だった。


3月の「柳家三三北村薫」。これはとってもいい企画だった。三三さんが語る『空飛ぶ馬』、情感あふれるラストシーンが忘れられない。この企画は今年第二弾もあるので楽しみ。


それからこの12月に観た、志らく談春ふたりの『芝浜』。
出来は関係ない、ただ、談志の逝った年の暮れに観たふたりそれぞれの『芝浜』として記憶に残ると思う。
この頃『芝浜』はそんなに好きな落語ではなくなってきているし、談志の落語で『芝浜』ばかりとりあげられるのはどうかと思うけれど、それでも談志の弟子たちがそれぞれどんな『芝浜』を作り上げていくのか、興味をもたずにはいられない。談志が生きているうちはやらないと公言していた志の輔師も、いずれ『芝浜』をやるだろう。それを是非是非観たい。


・・・記すことはそんなにないと言いながら、思い出すと結構あるじゃないかw それに、書いてたらなんだか楽しくなってきたw 来年が待ち遠しい落語のお楽しみもたんとある。
うん。わたしはやっぱり落語好きだ。好きなんだな。