立川談志「お別れの会」

12/21(火)午前11時30分〜@ホテルニューオータニ ザ・メイン 鶴の間
司会:立川談笑
1)黙祷
2)弔辞 石原慎太郎
3)一門より挨拶 山藤章二
4)献杯 音頭 吉川潮
5)参列者お別れの挨拶 
  三遊亭圓歌桂歌丸鈴々舎馬風三遊亭鳳楽三遊亭好楽三遊亭圓楽・三遊亭円橘/橘家 圓蔵/月亭花鳥・桂福団治
  笑福亭鶴瓶中尾彬池波志乃 
6)松元ヒロ パントマイム(ニュース・天気予報原稿読み手  山中秀樹アナウンサー)
7)デキシーキングス+北村英次 演奏『ザッツ・ア・プレンティー』『花嫁人形』『ランベスウォーク』
8)立川談志『芝浜(2007年)』一部上映
9)日野皓正トランペット演奏
10)弟子一同挨拶 土橋亭里う馬
11)三本締め 音頭 毒蝮三太夫


「明日の午前のお別れの会に連れて行ってあげましょうか」と落語関係者の知人に誘われたのは会の前日のことであった。
いえいえ一般人らしく午後の献花式に参列しますと一旦は断ったものの、今年3月家元最後の独演会(川崎麻生)の打ち上げにやはりこの知人に誘ってもらったのを断って、あとで少しく後悔したことを思い出した。
また断ったら今度は激しく後悔するかもしれない、それにこれは談志最後の大きなイベント(って不謹慎ですね、すいません)だし…と自分に言い訳して、前言撤回、知人にお願いのメールを入れてお別れの会に連れて行ってもらった。
何十年来の家元ファン諸兄諸姉、お許しください。あ、でもちゃんと会費は払いました、自腹で(当たり前だ)。


帰宅後、ニュースで参列者1000人以上と知ったが、まことに華やかな会であった。
受付前にクロークに並んでいる時から、ふと周りを見回せばテレビでみたことのある顔ばかり。ぱんぴーのわたくしは自分の場違いにおびえ、傍らの知人がいなかったらとっとと帰っていたかもしれません。


会場入り口で白いカーネーションを渡され、献花を待つ列につく。
もう、ここまで来たらずうずうしく!と遺影の正面の列に並んだ。
見上げる遺影の家元は、ものすごく嬉しそうな、最高にチャーミングな笑顔。いい写真だった。

談笑師匠の司会で会が始まる。
(さすが「とくダネ!」リポーター談笑師匠、滑らかな進行でした)
全員で黙祷、続いて石原都知事の弔辞。
とりとめのない内容だったけれど、遺影をみあげて語りかける声が時々すこし震えて、と胸をつかれた。あ、家元もういないんだ…と思い出した。しゅんとした。


でも、献杯のあとは明るく楽しく華やかだった。
さすが落語家たちは談志を偲ぶにもカラッと明るい毒舌で、会場を笑わせた。
松元ヒロさんの「今日のニュース」はウケてたなぁ。きょうは傍らで山中アナが読むニュースと天気予報に合わせてパントマイム。
談笑師匠の「会場入り口をご注目ください!」という声で、デキシーキングスが演奏しながら入場。遺影の前でひとしきり演奏した後、ステージにあがり『ザッツ・ア・プレンティー』。これがとても素晴らしかった、拍手喝采


ビールで気が大きくなって会場をきょろきょろ見渡すと、有名人がごろごろしてる。
高橋秀樹、顔おおきいわー。あ、ペーさんはやっぱりピンクなんだ、でもスパンコールでキラキラなのはどうかと思う。あ、パックン・マックンだ。テツ・トモだ。松村だ、ばうばう。久米宏、痩せてるー。あ、隅っこに座ってるの海老名香葉子じゃない?じゃ、うしろにいるのは泰葉だよ!小朝は来てるかな?あ、和田アキコ。意外と小さいね…。あ!ほら、たけしが来てるよ!わー!(たけしは献花をすませるとダンカンと森社長と共に風のように帰って行った)
・・・そして、ふと気づくと、目の前にピラフをかきこむ市馬師匠がいたww 他にも昇太師匠、花緑師匠、歌之介師匠、それから、えーと、思い出せないくらい、立川流以外のたくさんの師匠方の姿を目撃した。すいません、こんな感じでミーハーに楽しんでいました。爆笑問題勘三郎と上岡竜太郎には気づきませんでした。残念。


デキシーキングスの演奏の後、家元2007年の『芝浜』が会場の大スクリーンで上映された。大晦日のシーンからで、一部編集したものだそう。わたしはこの高座は見逃している。これが収録されたDVDも買っていなくて、観たのは今日初めてだけれど、これは改めてちゃんと観ようと決めた。映像でこれほどなら、ナマで観ていたらどれだけよかったろう。会場がしんとして、ほとんどの人がスクリーンに見入っていたのが印象的だった。


最後は紋付き袴の談志の弟子一同(高田文夫ミッキー・カーチスもいた)がステージにあがり、代表で土橋亭里う馬師匠が挨拶。それから毒蝮三太夫の音頭で三本締め。デキシーキングスが賑やかに演奏する『聖者の行進』の中、出口にずらりと並ぶ談志の弟子たち(志の輔師も談春師も志らく師も、みーんな!)に送られて会場を後にした。

明るくて賑やかで華やかで、関係者も参列者も笑顔で、談志の意思通りのお別れの会にしたいという皆の気持ちがひとつになって充ちているようだった。本当にいい会だった。


最後に。
立川談志の死は、やっぱりというか、自分で想像していた以上にショックであった。
わたしの周りには、30年、40年と談志を追いかけてきた筋金入りの家元ファンが何人もいて、その方たちに比べたらじぶんなんか全く俄かファンで、それなのに、なんでこんなに悲しいかな?と自分でも不思議に思う。
今思えば、わたしは落語が聴きたくて談志の会に行っていたのではなかった。いや、落語はもちろん聴きたかったけど、それより談志その人を見たいという気持ちの方が強かった。
自分の老いに・衰えに苛立って、それでも落語にしがみついている姿は、見るたびにざわざわと心を動かした。ひとが老いるということ。今できることができなくなるということ。手にしているものを失うということ。やがて自分にも訪れるそれらのことを、この人に教わるんだ。そんな気持ちでわたしは立川談志という人を見ていた。
そして、その最期はやっぱり壮絶で、打ちのめされた。
人はラクに容易に死ねない。


でも、人生の痛さ・苦さを思い知らせてくれる一方で、温かい感情を思い出させてくれる人でもある。
いろんな逸話や実際に目にした高座での振る舞いで知った、この人特有の“照れ”や“やさしさ”が好きだった。もちろん、わたしが見たのは、立川談志のほんの一部・一面に過ぎないし、お弟子さんや身近にいた方たちが知る姿とはきっと違うだろう。でも、わたしは、わたしが好きだった立川談志だけを覚えていたいと思う。


…とここまで書いたところで、落友からメールが来た。
最後の川崎の独演会の思い出が書いてあった。独演会が終わって新百合ヶ丘の駅までの帰り道、わたしが「家元の落語、今夜が最後かも」とつぶやいたのが忘れられない、と。
そうだったな。あの高座は本当に辛かった。考えたくないけど最後かもって思って、その通りになってしまったな・・・
と思いだしたら、また泣けてきた。
訃報から一か月。今日をいちおうの一区切りにするつもりだったけれど、なかなか切り替えられそうにないなぁ(ため息)。