立川こしらの被災地レポート



とても久しぶりのブログ更新です。
3/11の震災のあと、なにかに対する態度を決めるとか判断するということがじぶんの中でとても重くなりました。そのせいで、じぶんの気持ちを言ったり書いたりすることに多少慎重になっていたかもしれません。
なにもかもに、すこし醒めたというような気持ちでした。楽しんでいたもの・惹かれていたものと、すこし距離を感じるようになっていました。
落語を聴いていても、気がつくとなにか別のことを考えていたりする。
なんというか、あの地震で、たぶんじぶんのなかであらゆるものが動いたりずれたりしたのです。その位置づけを少しずつ変えたのです。で、いまだにじぶんは、そのひとつひとつを、もとの場所に置き直したり「これはこっちにしよう」と置き場所を変えたり、そんなことをやっている気がします。


それでも、落語にはぽつぽつと行き続けています。この連休はひさしぶりに3日続けて落語を聴きに出かけました。
5/6には恒例「こしらの集い」に、5/8にはこしらさんが出演した東北福寄席チャリティ落語会に行きました。今回は、その2つの会で聞いた、こしらさんの被災地レポートのことを書いてみます。
“被災地レポート”というのは仮のタイトルで、「こしらの集い」では一席目の落語のマクラで、チャリティ落語会ではいちばん最後の高座で語られた、こしらさんの体験談です。落語ではなく、強いて言えば漫談のようなものです(漫談としてまだ完成されてはいませんが)。


「被災地を巡る落語会をやらないか」という誘いをうけ、こしらさんは被災されている方々に落語を聞いて楽しんでもらう慰問ツアーを行いました。同行者は柳家花ん謝さん(※途中からは弟弟子の志らべさんも加わる)、一行は4/28〜5/5まで岩手県沿岸部の避難所を巡りました。ボランティア興行だからノーギャラ、被災地への交通費も宿泊費も自己負担。こしらさんはツアーに行く前に自身の落語会で「僕の交通費と宿泊費に使います、募金してください!」とお客さんに頼みお金を集め東北に赴いたそうです。


宿泊所を転々としながら日中2〜3ヶ所の避難所を巡ります。
避難所にいる方々は、若い人はボランティアとして瓦礫の撤去作業に出かけたり、子どもは保育所や学校に行っていたりして、昼間避難所に残っているのはお年寄りばかり。そういったお年寄りを相手に落語をやるのです。
お年寄りたちは、被災地の外から誰かが訪ねてくるのをとても楽しみにしていて、大歓迎してくれるのだそうです。段ボールのパテーションで仕切られたプライベートスペースにこしらさんを招いてお茶をふるまってくれたり、いっしょに昼ご飯を食べようと声をかけてくれるお年寄りもいる。
宿泊所と避難所、避難所から避難所への移動は車。その運転をしてくれるのは地元のボランティアで、そういう方々も年配者が多かったそうです。落語好きなおじいさんドライバーがいて、長い移動時間の間中、苦手な落語(笑)の話題で話をしなければならず、花ん謝さんと交互に相手をしてつないだとか(ふたりの見事な阿吽の呼吸に笑わされた)。


ああ見えて(というと失礼ですがw)こしらさんはお年寄りの扱いが上手です。彼の落語はお年寄りが喜ぶタイプのものではないけれど(これもごめんw)、避難所のお年寄りの心をちゃんとつかんで十分に楽しませたことと思います。
実際、ラジオのパーソナリティで鍛えられたこしらさんのトークは、どんな年代の人が聞いてもとても楽しいものだと思います。多くはありませんが、こしらの集いに来るお客さんの中にも年配の方がいます。
でも、こしらさんはもともとお年寄りの扱いが上手かったわけではありません。
そもそも年寄りに喜ばれる分かりやすい落語なんかやるのはダサいと思っていたこしらさんです。けれど、たまの仕事で呼ばれる地方の落語会の聴衆はお年寄りばかり、当然こしらさんの落語はウケない。それを嫌って落語以外の仕事に精をだし、多少大きな仕事をもらえるようになると、偉い人を相手に仕事の話をしなければならなくなる、そして“偉い人”というのはたいていお年寄り。どこに行ってもお年寄り!(笑)
でも、ある時気づいたそうです。お年寄りは“落語家”というだけで信用してくれる、自分が仕事をもらえているのは落語家という“肩書き”のおかげだったのだと。こうなったらちゃんとお年寄りとつきあおう・・・そう決意したこしらさん(この話は6日の集いでもらった「月刊こしら」※に書かれているので、興味のある方は集い参加者に借りるとかして読んでみてね)。
※こしら執筆・編集の「こしらの集い」だけで配られる小冊子。今回はいい話だったけど、いつもはほとんどくっだらない話ばかりなので要注意w


若い落語家の高座や客への接し方を見ていると、かつてのこしらさんのように「自分の客はこいつらじゃない」と思っているんだなと感じることがあります。そういうことはただの客にもなんとなく分かるものです。そういう落語家は、彼がバカにしている客から「おまえのつまんない落語を聴いてやっている」と思われていることに気づかない。結局、目の前のひとを喜ばせることに全力になれないひとは、落語家としてだけじゃない、どんなしごとも上手くいかないのだと思います(そのことに気づいたこしらさんは偉かった!)。


閑話休題
避難所のお年寄りや落語好きの運転手さんとのやりとり、避難所のポケモン好きの子どもとの交流・・・こしらさんのエピソードは笑えて心が温かくなるものでしたが、被災地が抱える様々な問題を痛感する話もありました。
たとえば避難所の格差。
食糧、お風呂やマッサージコーナーといった厚生設備は言うに及ばず、慰問の芸能人のためのステージや音響設備まで整っている避難所(―マスコミにとりあげられる有名芸能人の慰問などは、おそらくこうした避難所に限られたものではないかと感じました―)もあれば、いまだに仮設トイレもない劣悪な環境の避難所もある。
避難している人たちが、なにもすることがなく避難所の外の人と気軽にコミュニケーションもとれず、避難所に囲い込まれたような状態で無気力になってしまっているケースもある。
そういう状況を、避難所のボランティアが作っている場合もあるようです。
被災地に長く滞在してボランティアをしている人たちは、純粋に「少しでも役に立ちたい!」と思って被災地に来た熱意のある人たちなのでしょう。でも、動いてみたもののどう動けばいいのか分からない、自分で判断して問題を処理できる能力に欠けた人たちも少なくない。そうした人たちのために作られたマニュアルがあり、マニュアル通りの融通の利かない対処が被災者を孤独にし、なんでもないことを複雑にしている。ボランティアのあり方を考えさせられる話でした。
(こしらさんが見たものは被災地の一部です。ボランティアの話もほんの一例にすぎません、念のため。)


そして被災地の惨状にはやはり胸が塞がります。見渡す限りの瓦礫。しんと静まり返って生きものの気配がまったくない。こんなところでどうやって気力を振り絞れというのか?とても無理だ…とこしらさんは思ったと言います。
けれど、被災された方たちは、そんな場所に暮らしながら、何故そんなに優しくできるのか?と泣けてくるくらい、一行を歓迎してくれるのだそうです。一行が訪れたなかで最も酷い環境の避難所での話(できたらこしらさんから聞いてほしいので詳しくは書きませんが…)は、聞いていてつい涙ぐんでしまいました。立川こしらの話を聞いて胸が熱くなって涙をこぼす日がくるなんて思いもしませんでした(笑)。
もちろん、そんな話も、あくまであの調子で明るく語るこしらさんでした。


落語家や芸能人が被災地を慰問するというのは、もはや珍しい話ではありません。昨日は偶々テレビで、某二世落語家が一家揃って炊き出しをして被災された方たちを慰めている様子をみかけました。
有名芸能人も二世落語家も「励ましたい」という気持ちに嘘はないでしょう。でも、不思議なことだけれど、テレビを通すと彼らのふるまいは“いいこと(善行)”のアピールのように見えてしまう。彼らが語ることばはすうっと頭の上を通り過ぎてしまう。
被災地でこしらさんが見たこと・体験したこと。その話は生々しく印象に残りました。それは、一つには“ライブ”の力、また“語り”の力なのかもしれません。
もう一つは“センス”でしょうか。同じ場所にいて同じ光景を見ていても、誰もがこしらさんのように感じるわけではない。こしらさんの心に残ったことはこしらさんだけに見えたものです。何気ない光景のなかに潜んでいるハッとするもの、うつくしいもの、矛盾、欺瞞。そういうものを見てしまうセンス。それは、優れた落語家が備えている資質の一つでもあります。


目の前に広がるものの中からある部分にフォーカスするセンス、見たものをいきいきと語る才。それらを備えている人を“語り部”というのかなと思います。落語家の中には語り部として優れた人たちが少なくないですね。代表的なのが鶴瓶師。彦いち師も。こしらさんもそういうタイプなのかもしれないと思いました。
わたしが「この人の噺を聴きたい」と思う落語家は、語り部として優れたひとたちのようです。特に“センス”を重視しているかもしれません。
ヘラヘラしてて生意気で、シニカルでいじわるで、そのくせ避難所のひとたちの歓迎に他愛もなく感動してしまうようなところがある、立川こしら
落語ヘタだけど(ごめん、また言っちゃった)、わたしは「コイツはなんだか信じられるな」と思う。このひとの見たもの、感じたことを知りたいなと思う。立川こしらはそんな気持ちにさせるヤツです。


そうでした。わたしは「このひとの話が聴きたい」と思うひとのところに出かけて、「さぁ、なにかお話しして」ってわくわくと座って話を聴くっていうのが好きだったんだ。自分にとって落語はそういうものだった・・・
そんなことを思い出させてくれた、こしらさんの被災地レポートでした。