立川志らく25周年記念公演 立川志らく独演会



4月後半の落語活動を書かなくちゃいけないんですが、その前に、昨夜行われた、家元をゲストに迎えた志らく師25周年記念の会のことを書きます。


5/4(火)18:00〜20:24@よみうりホール
談志・志らく 対談 〜18:18
志らく『寝床』 〜18:55
仲入り 〜19:10
談志 ジョーク 〜19:45
志らく『らくだ』 〜20:24


板付きで登場した志らく師を大きな拍手が迎える。拍手が鳴り止むと、志らく師「今日はわたしの25周年記念の独演会ですが、お客さんは談志目当ての人ばかり」。
志らくさんは先月の紀伊國屋ホール立川流落語会、今月2日のホテルニューオータニの公演会と、家元と一緒の出演が続いている。志らくさん「家元目当てのお客さんは毎回コイツ(志らくさん)が出てくるなと思ってるかもしれませんが、悪気はありません」。
わたしももちろん家元を観たくて行った、でも同じくらい志らくさんの落語を楽しみに行ったんだよ。客席はそういう人が少なくなかったと思います。


志らくさんの呼びかけで、黒紋付にバンダナの家元が下手から姿を現した。志らく師のときよりも一層大きな拍手。わたしは紀伊國屋ホールホテルニューオータニも行ってないから、本当に久しぶりに家元を見た。バンダナを巻いた家元を一目見て、心から「懐かしい」と思いました。


高座に座布団が二枚置かれ、そこに二人が並んで座って対談が始まった。志らくさんが家元に最近の体調や心境を尋ねる形で、久しぶりに家元を見たお客さんの最大の関心―談志は再び落語をやってくれるのか?また談志の落語を聴けるのか?―に応えようということだったのでしょう。
家元は大分以前から、ものごとすべてに、落語にさえ興味が薄れつつある、自分の思うように落語ができなくなっていると仰っていますが、そういう自分の状態を“談志が談志でなくなった”という言い方で説明することがあります。昨日は、志らくさんが「談志が談志でなくなったら何になるんですか?」と尋ねると「屍だね」。
“屍”という言葉をつかって家元が語ったことは、明るい内容ではなかったけど、それを語る家元の口ぶりは淡々としていて暗さはなかった。


高座を観ることは、人や人の生き様を観るということでもあります。この数年、わたしにとって“立川談志の高座を観る”ということは、老いのとば口に立つ人を見るということでもあります。
普通の人には立川談志のような才能はないのだから、失う怖さなどないのかもしれない。でも、歳をとれば、もっている僅かなものでさえほとんどが失われるのでしょう。大袈裟じゃなくて死はすぐ近くにあるのでしょう。そういう日々がこれから始まるという時、人は、自分はどんな気持ちになるんだろう…というようなことを思う。家元を見てるといつもそれを思います。
老いや死は誰でも迎えることなのだから、怯えているわけじゃないけど、周りにどんなに親しい人や家族がいたって、それはひとりで迎えるものだから、まったく怖くないといったら嘘でしょう。
そうなった時、人はどうするのか、どうなるのか。わたしはどうするか、どうしたいか。そういうことを考えずにいられない。
ともかく、談志家元も、今ひとりで老いに対峙している。そんな家元に何が言えるでしょう。「復活おめでとう!」とか「頑張って欲しい」とか「もう、十分じゃないか」とか、いろんな声が聞こえるけど、わたしは何も言えない…と思うばかりであります。


家元は、また、芸人としてのジレンマについても語りました。客が待っているなら出て行きたい、期待に応えたいという“色気”がいまだにある、その一方で不本意な高座を見せたくないというプライドがある。いっそ客に対して「(公演に)来ないのが親切だ」と言いたいこともある、と。


家元が客が待っている限り高座にあがらずにいられないように、わたしたちも家元が出演する公演がある限り、のこのこ出かけずにいられないんだろうな、これからも。
高座に明るく静かな虚無感をたたえた家元がいて、客席で談志ファンが胸いっぱいで黙ってそれを観ていて…っていう会が、これからまた続くのでありましょう。


なんだか辛気臭いことばっかり書いていますが、家元が確実にお元気になっていることは間違いない。仲入り後、木賊刈の出囃子にのって登場した時は、昨年、休養に入る前のあの頃に比べると、顔色もよく足取りもしっかりしていた。ただ、声はまだ出ていない。そんなわけで昨夜の高座は落語ではなくジョーク。ジョークのテンポは良く、気持ちいいほどピシピシ決まってた。途中で客席に「何分経った?」と尋ね、30分以上やったと聞くと「そんなに経ったの?15分のつもりだったんだけど」と意外そう。
最後は「これで赦してください。本来これは志らくの会なんですから」と高座を降りた。こんなに元気になった家元が観られて嬉しかった。


家元の言う通り、志らくさんの記念の会なんだから、志らくさんのことも書かなくちゃw
話は前後しますが、対談。話題は家元の近況から、今年25周年を迎えた志らく師に移り、家元「(弟子入りに)来た時のこと、覚えてるよ」「ハリー・ポッターみたいな奴だった」(昔の志らくさんは確かにハリー・ポッターに似てる!w)「昔は可愛いコだったと思うよ」。
色川武大氏は若き日の志らく談春に「君達の未来を見られないのが残念だ」と言い、その後じきに亡くなったといいます。家元「(オレは)お前の狂うのをゆっくり見てたいね」。
向田邦子が書きそうな、洒落たセリフだなぁと思った。
言われた志らく師は、客席に「私が狂うのを見届けてくれるそうです」「師匠は長生きの家系ですから」と嬉しそうだった。


家元は志らくさんに「(お前は)あと10年で狂うよ」と折り紙をつけた。マトモにノッテる志らくが観られるのはあと10年ですよ、皆さん!その先は狂った志らくを観る楽しみが待っています。でも、その頃はこっちも狂っちゃってるかもしれないからなw


志らくさんの一席目は『寝床』。これ凄く良かった!
噺の冒頭、大家さんが「アー、ア・ア〜♪」と喉の調子をしらべるところ、異様な声と表情に笑わされる。大家さん、言いつけて持ってこさせた卵を一個割って飲むのですが、「ウエェ、オエェ!」と飲み込まないで喉をいったりきたりさせてるのだ。この様子が、また異様に可笑しい!「牛の反芻運動だよ」「牛をずーっと観察してて気づいたんだよ」。こうすれば卵を何個も飲まずに済んで経済的だってw 
このヘンな大家さんにやられて、客席は大笑い。志らくさん、あとはもうよみうりホールの大観衆を軽々と転がすように自在に沸かせている感じでした。志らくさん、絶好調だなぁ。


繁蔵が旦那に長屋の皆が来られない言いワケをするところ、志らくさん自身が繁蔵になったかのよう、その場の思いつきで言ってるんじゃないの?っていうような、くだらなく可笑しい言いワケがたくさんあって笑っちゃった。
「吉田さんちのご子息は?」「召集令状が来ました」「今、日本にそういう制度があるのかい?」w 「八百屋の金さんは?」「八百屋は地震です」「ちっとも揺れてないよ、おかしいじゃないか?」「八百屋だけが揺れるという局地的な地震なんです」・・・
でも、この言いワケの中でサイコーなのは、なんといっても“20秒に一回「すいっちょん!」って鳴く病気にかかって行けない由どん”でしょうw


かつて旦那の義太夫を聞かされた人々がみまわれた悲劇のエピソードも笑った。旦那の義太夫の一撃を胸にうけてしまった荒物屋のテツさんは、胸が紫色にただれ、そこからたくさんの小さな虫たちが「アー、ア・ア〜!」と義太夫をうなりながら湧き出してきた!こわ〜いw
あぁ、くっだらなくて可笑しいなぁ。サイコーだった、志らくさんの『寝床』。


トリネタは『らくだ』。時間がおしてたからか、やや急ぎ目。仕込みが抜けてたところもあった。でも、急いだことがかえってよかったのかもしれない、一つ一つのエピソードがあっさりしてて、それが軽やかさにつながっていた。スピード感があってナンセンスで明るい『らくだ』で、かなり良かった。


志らく師匠は今すごくのってる。これからもっと凄くなる。わたしは家元の全盛期をライブで観てないけど、この人の全盛期はこれからだ。それをわたしは観られる。その幸せをかみ締めた。


終演後ロビーに出ると、洋服に着替えた家元が居て周りには既に人だかりができていた。
’06年新橋演舞場の談志・志の輔親子会、仲入りの時にロビーを歩き回っていた家元を思い出します。あの時の家元は「志の輔の客ばっかりじゃねぇか!」とご立腹で、オレ様だ!ってアピールするように、ゆっくりとロビーを歩いていた。負けず嫌いだなぁと思った。
でも、昨夜ロビーに居た家元の顔は柔和で、昔からのファンに元気な自分を見せたい、ただそれだけでロビーに出てきた…そんな風に見えました。