三三 談洲楼三夜



久々に時間をおかずに会の感想を書いてみた。これはちゃんと書いておきたいなと思ったので。個人的には、この三夜は記憶に残る会になりそうな気がする。


三三「談洲楼三夜」
日時:11/16(火)・17(水)・18(木)
会場:紀尾井ホール
上演時間&演目: ※時刻は、だいたいの上演時間を把握するためにアバウトに記録したものです。あくまでも参考ということでご覧下さい。この会にいらした方、もし間違ってたら指摘してね。
第一夜 19:00〜20:59
開口一番 桂三木男『新聞記事』〜19:24(約25分)
柳家三三 『嶋鵆沖白波(一)』マクラ〜19:34 本編(?という言葉が適当かどうかわかりませんが、とりあえず)〜20:05(本編約30分)
仲入り 〜20:17
三三『 〃 (二)』 〜20:59(約40分)


第二夜 19:00〜20:38 
開口一番 柳亭市楽『松山鏡』 〜19:15(15分)
柳家三三『嶋鵆沖白波(三)』 〜19:59(約45分)
仲入り 〜20:12
三三『 〃 (四)』 〜20:38(約35分)


最終夜 19:00〜21:09
開口一番 柳亭市楽『道灌』 〜19:18
柳家三三『嶋鵆沖白波(五)』 〜20:02(約40分)
仲入り 〜20:15
三三『 〃 (六)』 マクラ(この会のために噺の舞台・三宅島を訪れた話。エピソード「竹芝桟橋売店の猫と金魚式ガスマスク販売」が面白かったw)〜20:40 本編〜20:59(約20分)
三三 オマケのトーク(原作ではこの後どうなるか?)


圓朝と同時代を生きた柳派の落語家・初代談洲楼燕枝。この人も圓朝のような大作を書いていて、『嶋鵆沖白波』はその中のひとつだそう。
三三さんが3日間で上演したのは原作のあくまで一部のようだ。燕枝が読み物としてストーリーを文語体で書いたものと口演の速記本が残っているそうなので、全体のストーリーを知りたい方はそちらをあたってください(わたしは読んでません。文語体の原作を読んだという博識の落友から、実は大分前に粗筋を聞いたんだけど、すっかり忘れてこの会に臨みました、ハイ)。
あくまでざっくりだけど、三三さんが口演した部分のストーリーはこんな感じ↓。
第一夜
(一)下総・佐原の穀屋の長男・喜三郎。道楽がもとで勘当され土浦の皆次の子分になる。実は喜三郎は後妻である母親の連れ子で、弟に家督を譲るために母親と示し合わせ、わざと勘当されたのだ。喜三郎は男ぶりと気風の良さ、腕っ節の強さで頭角を現し、侠客「佐原の喜三郎」として名を馳せる。
その頃。成田の門前に美貌の芸者・おとらがいた。彼女は江戸・神田の三河屋三五郎の娘だったが、父の死で店が傾き、母を連れて成田に流れて来て芸者になった。おとらは土地のやくざ者・馬差の菊蔵から5両を借り、その金がもとで菊蔵と揉める。宿の一室でおとらの腕をつかみ乱暴に引き立てる菊蔵。そこに、宿に居合わせた喜三郎が割って入る。
(二)おとらを助けた喜三郎。母子を預けようと、二人を連れて兄弟分の倉田屋文吉のもとに駕籠をたてるが、途中で菊蔵とその親分の芝山の任三郎に囲まれる。母子は逃したが喜三郎は捕えられてしまう。喜三郎に惚れたおとらは、凄惨なリンチをうけて瀕死の喜三郎を救い出す。おとらの看病で回復した喜三郎は、菊蔵と任三郎に仕返しをするために夜中に任三郎宅に忍び込む。任三郎は仕留めたが、菊蔵を取り逃がす。人を殺して追われる身となった喜三郎は江戸へ逃れる。
第二夜
(三)母を亡くし借金を背負ったおとらは、身を売って吉原大坂屋の花魁・花鳥となる。ある時、喜三郎にそっくりな旗本・梅津長門に出会い相思相愛に。しかし、花鳥に入れあげて金が尽きた長戸は、花鳥逢いたさに辻斬りをしてしまう。長門は奪った金200両を懐に大坂屋に向かうが、途中で出会った御用聞きに犯行を勘付かれる。大坂屋はすぐに追っ手に取り囲まれ、それを知った花鳥は長門を逃がすため大坂屋に火を放つ。あっという間に火の手が広がり燃え上がる吉原。長門は炎をくぐって脱出したものの、花鳥の身を案じて再び吉原へ走る。
(四)
花鳥は火付けの罪で捕えられ三宅島へ遠島の刑に処される。強情に自白しない花鳥は牢名主のお熊・お鉄の二人の婆に可愛がられ、二人の入れ知恵で拷問に耐え抜いて牢名主を継ぐ。そこに江戸から罪人が送られてくる。その中の一人に元は旗本の娘というおかねがいた。おかねが長門の元恋人で、吉原から逃れた長門を匿っていたと知った花鳥は、嫉妬と長門に裏切られた怒りで、牢の中でおかねを殺す。婆達の入れ知恵で殺しは露見せず。
第三夜
(五)花鳥は島役人・壬生にとりいって妾宅に暮らすようになる。そこで勝五郎、庄吉(三日月小僧庄吉)、僧の玄若と知り合うが、彼らはそれぞれおとらと因縁があることが分かる。そこへ喜三郎が送られてきた。喜三郎は、捕えられて八丈島に送られる途中で病気になり、三宅島に降ろされたのだ。再会したおとらと喜三郎は夫婦のように暮らし始めるが、おとらは長門への、喜三郎は菊蔵への復讐心を抑えられない。二人と同様にそれぞれ江戸に未練がある勝五郎、庄吉、玄若も加わり、五人は島抜けの機会を窺う。
(六)船乗りたちが海に出るのを忌む日を狙って、五人は島を出ることにしたが、たまたまその晩、雨乞いの儀式を済ませた壬生がおとらの住まいを訪れる。おとらと喜三郎は壬生を殺し、彼が携えていた三宅島の宝剣と仏像を奪って逃げる。なんとか海に出たものの、五人が乗った船は嵐に襲われ、さらに船幽霊に遭う。宝剣と仏像のおかげで幽霊から逃れた船は、二日二晩海を彷徨い、銚子の浜に打ち上げられる。娑婆に戻った五人はそれぞれの復讐を果たすために、別れる。


三三さんの語ったストーリーはここまで。原作ではこの後五人がどうなるか?を、三三師は最終日の上演後に“オマケ”としてダイジェスト風に語ってくれた。
(なお三三さんは、三日通しで来られなかった人のために、希望すれば今回の“粗筋”を郵送してくれると約束。希望者はアンケート用紙に住所・氏名と「粗筋希望」って書いて提出しました。わたしもアンケート出してきた。三日コンプリートしたけど、やっぱり欲しいんだもん。三三さん「直筆で書くかも」って言ってので)。
第一夜は講談調の任侠物、第二夜は歌舞伎でいうところの世話物、最終夜は島抜けがクライマックスの活劇風(嵐や幽霊船に遭うあたりは、少しだけ『九州吹き戻し』を連想した)…という感じかな。三三さんは一晩だけ聴いても楽しめるように、また三日連続で聴く客が飽きないように、それぞれの晩で噺の趣を変えて今回のような構成・演出にしたのではないかと思う。三日通して振り返ると、それがよく分かった。


強いて難を言えば(あくまでも“強いて”です)、第一夜がやや物足りなかった。というのは、実に講談らしいストーリーにも関わらず、三三さんはかなりあっさりとやったからだ。このパートは分かりやすいアウトローヒーローが出てくるB級映画みたいなストーリーで、深みがない分、どこかにケレン味がないと面白くない(まぁ、これは聴き手としての気持ちで、演者にはああしたのにはちゃんと理由があると思う。三三さんは“落語らしく”を意識していたのかもしれない)。
たとえば、喜三郎が任三郎を殺す場面(喜三郎は吊ってあった蚊帳を切って落とし、蚊帳にまかれて逃れようともがく任三郎をメッタ刺しにする)などは、もう少し血なまぐさくやってくれたら、ドキドキしてよかったかも。
あるいは、落語らしくということだったら、喜三郎やおとらに、もう少し陰や人間の業みたいなものが感じられたら、聴き応えがあったかもしれない。
そういう物足りなさを感じるというのは、そもそも原作がそんなに良くないからかもしれないなぁ(柳派の皆様、ご先祖を貶すようなこと言ってすいません)。圓朝ものに比べて談洲楼燕枝の作品をやる人が少なかったのは、そういうところに理由があるんじゃないか?と思った。


しかし、第二夜―上述の粗筋(三)のパート―は素晴らしかった。ここは三夜を通しての見せ場だったと思う。三三さんの持ち味・良さが活かされ、今回はこれを聴けただけで充分モトをとった。
このパートは先代馬生も『大坂屋花鳥』としてやっていたそうだが、馬生の演出と三三さんのそれはかなり違うようだ。馬生は花鳥を幸薄い儚げな女性として描いているそうだが(そういう描き方にしたのは、馬生師匠はこのパートだけを上演していたためだろうと三三師は言っていた)、三三師は花鳥を“毒婦”の性質を秘めた女と捉えて、このパートではその本性が少しずつ顔を出し始める。
廓に火をつけて戻って来た花鳥、うつくしい顔を長門に向け「人殺しの相方の女郎ざます。火付けくらいはなんのこともありんせん」「でも・・・わたしのことを、けっして見捨てないでくださいましね」。この言葉に、さすがの長門もゾッとする・・・という場面。女をやる時、三三さんの細身は本当に有利で、首すじや肩の動き・傾け方で、ホンモノのうつくしい女に見えてくるから不思議。
梅津長門が夜の門前で人斬りをする場面も見事だった。三三さん、ああいうところホントに上手いんだよなぁ。長門がグワッと刀を振り下ろす、ザッとあがる血しぶき。すごくテンポがよくてワクワクした。肩に力が入り、思わず身を乗り出すように聞いていた。時々わらいを挟んでそんな緊張をふっと緩めてくれる、その緩急も見事だった。
三三『大坂屋花鳥』。是非もう一度観たい。どこかで再演してくれることを強く願う。


三三さんは、昔から“上手い”“上手い”と言われ続けていて、たしかに天賦の才があるのかもしれない。でも、フラのある人じゃないし、苦手やダメな部分もある落語家だと思う。だけど、そこをひとつひとつ潰していく努力を密かにしていて、そういった努力が少しずつ実を結んでいると感じた。
三夜の構成・演出といい、客へのサービスといい、この三夜は三三さんに感心することが多かった(ナマイキですね、感心だなんて)。
三夜通えたことは本当にラッキーだった。
三三師匠、どうも有難うございます。
ところで三三さんの『情熱大陸』はいつ放映されるのだろう。この会は絶対とりあげられるよね。楽しみだー!