三三 三十三歳 三夜 三席 三宅坂 (第三夜)



6/4(水)19:00〜21:10@国立演芸場
『だくだく』
『三味線栗毛』
仲入り
ゲスト:立川談春 『三人旅 おしくら』
『笠碁』





週間文春にこの三夜連続興行の記事が載っていた。記事および今夜の三三師&ゲスト談春師の話によれば、この会は酒席で(っていっても、お二人とも下戸なので、サバランで付き合ってたそうだが…)談春師にけしかけられたのがきっかけで開催の運びとなったそうだ。三三さん、煽られたとはいえ、やると決めた以上、相当の覚悟があったと思う。この会は、三三さんが次のステージに進むための“区切り”であり、その決意表明の会でもあったようだ。
同じく文春の記事の中で三三さんは『笠碁』のことを“柳家噺家として避けて通れない”と言っていた。そんな『笠碁』を最終回のトリネタにもってきた三三師。「柳家の名人ロードを行きます!」宣言・・・深読みかな?でも、そんな風にとれなくもない。


三三さんの口調は名人然としてるって言われてるけど、いつかホントの“名人”になるかもしれない(その前に談春師がなるだろうけどさ)。三三さんは好きだから名人になってほしいという気持ちもある。でも、わたしは無責任なただの落語好きにすぎないので、“柳家らしい”名人になってほしいというような気持ちはない。それに、こんなこと言っちゃいけないかもしれないけど、三三さんは柳家の噺よりも三遊派の噺が合うんだもん。圓朝モノをやる三三さんの端正な語り口ときれいな様子がわたしは好きで、もっと年とったら、助平な(…いい意味で、ですよ)オヤジになりそうな気がする。で、そういう方向の名人・三三師は想像できるんだけど、『笠碁』が似合う名人・三三師は、どうもうまくイメージできない。ま、そもそも三三さんは『笠碁』が似合うには、まだまだ若いってこともありますが。ところで、三三さん自身は『笠碁』がうまい名人になりたいのかな?どうなのかしら…


そんなことを考えてるうちに三三さんが登場し、「『笠碁』は55分の予定です」。
え?!いくらなんでも『笠碁』に55分はかかんないでしょ。なにかやるのかしら?万が一ホントに55分やるんだとしたら、三三さんの『笠碁』をそんなに長く聴いてるのは辛いな…。正直に言うと、いままで三三さんの『笠碁』はそんなにいいとは思ってなかった。
でも、それは杞憂であった。55分の中には談春師の高座というサプライズがこっそり用意されていた、そして『笠碁』そのものもとても良かったのであった。


一席目『だくだく』 この噺自体好きなのだけど、とりわけ三三さんの『だくだく』は好き。特に、絵師に頼んで壁にはった紙に家財道具の絵を描かせていく男。いかにも軽くて、太平楽を並べてふわ〜っと生きてる感じがいい。こういう人物は三三師に合ってる気がする。この男がたびたび口にする「気で気を養う性質ですからね」ってセリフも好きだ。
壁には白紙がきれいに貼られている。
男「経師屋ですからね」 
絵師「…じゃ、働きなよ」
って会話、こういう三三さんのセンスがいい。
三三さんはパンフレットに「『だくだく』は、噺の中で遊ぶ感覚を与えてくれました」と書いている。今日も男のセリフに遊び心が表れていた。
いつも出てくるネコのタマの代わりに、今日は「“赤いめだか”じゃどうですか?」(いまにして思えば、これは談春師の登場のヒントだったのねー)
「そこんところに大理石の置時計描いてください、三時三十三分でお願いします」
「ラジオもお願いします、天気予報が聞こえてるヤツ」
三三さんはリラックスして楽しんでいる風であった。そんな三三さんを見て楽しかった。


二席目の『三味線栗毛』 三三師のはアニ弟子・喜多八師と同じ型のようだ。マクラで雅楽頭の栗毛の馬・三味線の名前の由来を語り、この洒落っ気のある雅楽頭が、若い頃部屋住みで苦労していた時代の話…として始まる。
のちの雅楽頭となる酒井家の次男・角三郎につかえる中間・吉兵衛は、父親とそりがあわず部屋住みの主人をいたわしく思っていた。ある時、書見ばかりして気がふさぎがちな主人を案じて、按摩・錦着を呼び止め、主人の肩を揉みおもしろい世間話をしてなぐさめてやってくれと頼む。角三郎の肩を揉み言葉を交わした錦着は、角三郎に気に入られ、毎晩屋敷に通うようになる。錦着は角三郎の骨相を“大名となる相”と見て、角三郎にそう言う。すると角三郎は「万が一、自分が大名になるようなことがあれば、お前を検校にしてかかえてつかわそう」と約束する。
ある時、錦着は風邪をひいてしばらく屋敷から遠ざかっていた。しばらくぶりに屋敷を訪れると、屋敷は閉ざされ角三郎も吉兵衛もいなくなっていた。角三郎は跡継ぎとして酒井家に呼び戻されたのだ。錦着は風邪がもとで患いついてしまう。風の噂で角三郎が大名になったと知るが、人に情けをかけられるのは辛い…と角三郎に助けを求めようとしない錦着。錦着の長屋を探し当てた吉兵衛が訪れた時は、錦着は最期を迎えようとしていた。「(角三郎の)やさしい心もちが、指の先から手にとるように伝わってまいりました」と懐かしみながら、ついに角三郎と再会することなく死んでしまう錦着。
錦着の死後、吉兵衛は町で錦着にそっくりな金魚売りとすれ違う。金魚売りの売り声が響く、「けんぎょ〜ぇ、けんぎょー」。これがサゲ。
(悲しいところから、最後にサッと思い切り逸らす。こういうのを落語らしいというのかな。ついこの間聴いた志らく師の『柳田格之進』もこういう感じだった)
人の世話になるのは辛いといいながら、錦着は角三郎の約束に淡い夢をみていたのだろう。哀れだ。でも、三三さんはとりたてて哀れを強調せず淡々とやっていた。人の哀しみや愚かさ、そのおかしみがそこはかとなく伝わってくるようで良かった。


仲入り後
幕があがる。と、めくりに「立川談春」とあるではないか!客席がどよめく。談春師はゲスト出演にあたって、三三師に絶対当日まで秘密にしておけと厳命したそうだ。そのワケを、あとで三三師は「(談春師は)『どよめきが聴きたい』って言ってました」。期待どおりの反応をしてしまって悔しい。
三三師の出演依頼を、談春師は「わたしのカオを立てないと祟ると思ったんでしょうね。正しいです」w
三三師と談春師の関係を思えば、このサプライズは予想できて当然だったかもしれない、やられたなぁ!しかし、ともかく思いがけず談春師を聴けるのは嬉しい!


『三人旅 おしくら』は、もちろん“三”がつく噺だからということもあるし、談春師の『三人旅』の可笑しさは『笠碁』のそれとは対極にあるような可笑しさだ、だからこの噺にしたのかなと思った。
馬にのって都都逸のやりとりをするところはカット、宿屋の婆さんが出てくるところから始めた。
談春師『三人旅』の宿屋の婆さんの可笑しさといったらない。でも、それ以上に、男と婆さん・女中の会話、男のはくセリフが絶妙で、何度聞いても楽しい。お給仕に出てくる娘が歳を尋ねられて「じょーご(十五)!」「ふうん。歳が“じょーご”で、カオは“片口”、名前が“おナベ”ってんじゃねの?女中になるために生まれてきたようだね」“女中になるために生まれてきた”って、こういうのが談春師らしくて素敵だわ(笑)。女中は「ひっとり、ふったり、さーんねん!」て数える、それ聞いて「はずまないとな」って言うのも可笑しい。談春師のツッコミって天性だなぁ。
夜が明けて、婆さんを相方にあてがわれた男が離れからもどってくるあたりからは、もう可笑しさ最高潮。それぞれの相方にこころづけを渡すところ、「功徳だからやれよ」と言われて、男は婆さんに大声で呼びかける「おばあさーーん!…聞こえねぇんだよ!」。
「ゆうべは面倒見てもらったんだろ?」「オレが面倒見たんだよ、夜中に三度も厠に連れてったんだ」(笑)
爆笑をさらって談春師は高座を降りた。


そして『笠碁』
今まで聴いた三三さんの『笠碁』の中でいちばん良かった。セリフや運びは今までとそう変わっていないと思う、ただ、例えば雨の日にたいくつをもてあましてぼんやりキセルをくわえている場面など、前は観ていて間がもたないというか、いたたまれないような気がしたのだけど、今日はゆったりと観ていられた。今日はちょうどその静かな場面で、舞台の上手のほうで大きな音がしてハッとしたのだが、三三さんは店の者に呼びかけるように「なんか、落としたなー」と声をかけて、空気が和んだ。そういうところも落ち着いてて良かった。笠をかぶる時のちょっとおどけた表情や、雫が肩に落ちないようにそっと横を見る仕草なども、前よりも自然でそれでいて可笑しみがあった。三三さんの『笠碁』の老人達はそんなに老けてなくて、そうだなぁ50代後半くらいの感じかな、強情で子供っぽい。ムキになって「いま、なんか言った?!“ヘボ”って言った?!」なんてセリフとその言い方が可愛いかった。
全体的に、三三さんの『だくだく』の楽しさ・軽さに近い印象の『笠碁』だった。具体的にどこをどうして変わったのかわたしには分からないが、観る人が観れば工夫が分かるのかもしれません。
素晴らしい『笠碁』かといったら、そうじゃないかもしれない。でも前よりもいいなぁと思って、とても嬉しかった。


パンフレットから抜粋。
〜自分に自信なんて持てないし、この先どう転ぶかも判らないのがこの稼業。
けれどこれだけは言える。
柳家三三の“今”を見てもらいたい」
そして少しだけ先走って言ってみる。
柳家三三の“これから”は楽しみかも」〜


『笠碁』を終えた三三さんは、いつかまたこんな会をやるつもりだと言った。是非やって欲しい。三三さんの5年後・10年後が、前よりもっと楽しみになりました。


帰る道々、再び思った。
三三さんはいつかホントの“名人”になるかもしれない。
三三さんは名人ロードを行く気なんだろう、これからも『笠碁』や『長短』をやっていくんだろう。でも、一ファンの無責任な願いですが、三三さんには「柳家だから」とかいうことは考えずに、三三さんの良さを存分に開花させて名人になってほしいです。タヌキや枯れた爺さんの噺をやらせるには惜しい色気がある人だ、三三さんは圓朝作品のほうが絶対合うと思うんだけどなぁ。