立川談志 立川志らく 親子会



6/7(土)19:00〜21:14@三鷹市公会堂
前座 立川志らべ 『たらちね』
立川志らく 『鉄拐』
立川談志 『やかん』
仲入り
立川志らく 『品川心中』(上・下)



家元の『やかん』が聴けたし、志らくさんは二席とも素晴らしかったし、満足度の高い会だった。


志らく師の高座のことだけメモ。


『鉄拐』
最初にやるのは「中国の話」と聞いて、『鉄拐』だ…と期待が膨らんだ。家元の『鉄拐』は、わたしは残念ながらCDでしか聴いたことがなく、志らくさんのは一度も聴いたことがなかった。昨年志らく師がどこかでやったのを観た人たちのレポートや感想を読んで、是非観たいと思っていた。


『鉄拐』という落語は、その背景に「道教」があるそうで、道教の仙術が寄席の色物芸の発祥に関わっているというのを、以前どこかで読んだ。家元版は、そうした歴史紹介にとどまらず、仙人・鉄拐が世俗にまみれていく様に家元一流の風刺がある…というような解説を、これもどこかで読んだ(どっかで読んだというハナシばっかで恥ずかしいですが…)。
志らくさんの『鉄拐』は、“俗物と化す鉄拐”を描くというよりは、落語的荒唐無稽というか「壮大なバカ噺」といったストーリーの面白さで楽しませてくれるもので、その面白さが志らく師ならではの映像的なイメージを伴って伝わってきて、とても印象的だった。


噺の大筋は自分が聴いたことのある家元版とおなじだと思う。
北京の大貿易商・上海屋の主人は、毎年8月29、30、31日に店の創立記念の大宴会を催す。その余興のために世界各地から珍しい見世物・芸人を集めるのだが、毎年のこととてさすがに余興のネタがつきた。主人は番頭の金兵衛に諸国を廻って珍しい見世物・芸人を探してこいと命じる。余興のネタ探しの旅に出た金兵衛は、仙境に迷い込み、八仙人の一人・鉄拐と出会う。鉄拐の“一身分体の術”(口から腹の中にいる自分の小さな分身を出す)をみた金兵衛は、その術を是非上海屋の宴会で披露してくれと頼む。鉄拐はしぶるが、芸人好きの鉄拐(世俗を離れた仙人のクセに芸人に詳しいってのが可笑しい)、金兵衛のいろんな芸人に会わせてやるという誘いに心が傾き、下界に降りる。上海屋の宴会でみせた“一身分体の術”は評判を呼び、上海屋の主人のもとには、隣村からの「村祭に出てくれ」という頼みから始まって、テレビ、ディナーショー出演、講演会等々の話が次々に持ち込まれる。やがて金兵衛が鉄拐のマネージャーとなり鉄拐の芸能活動(?)をマネージメントするようになる。
寄席の席亭から声がかかり、寄席に出るようになった鉄拐。弟子を志願する者も現れ、「やっかい」「もっかい」「しじみっかい」と名付けた弟子を抱える。しかし、ちやほやされて慢心した鉄拐は、番組の顔付けに偉そうに口を出し始める。こうした態度が席亭の不興をかい、鉄拐の仕事は減っていく。しかも、あるプロモーターが“ふくべの中から馬を出す”術を心得た張果老という仙人をひっぱりだし、その芸が大うけ。やがて鉄拐の芸は飽きられる。
ある晩、場末のバーのカウンターでヤケ酒を呑んで酔っ払った鉄拐は、ライバル張果老の家に忍び込み、寝ている張果老の枕元においてあったふくべをとりあげ、中の馬を飲み込んでしまう。寄席に出た鉄拐は、馬に乗った分身を出す芸をしてみせると言って、いつものように馬と分身を出そうとするが、うまく吐き出せない。そこで、客席を飲み込んで自分の腹の中で馬に乗って駆け回る分身を見物させる。これが評判を呼び、再び人気者となった鉄拐。
ある時、文士の団体が寄席に来て、いつものように腹に飲み込むと、腹の中で二人の文士が喧嘩を始めた。腹の中で暴れられ閉口した鉄拐が二人を吐き出すと…「それはなんと李白陶淵明」というオチ。


上述のストーリーに志らく師らしい演出がほどこされ、「これぞ志らく」というギャグが散りばめられている。
鉄拐が分身を吐き出すところなんか、映画みたいだ。鉄拐の顔が赤くなった…と見る間に「アゴがスポーン!と」はずれ、口から老人の腕がにょきにょきっと出てくる。そして小さな鉄拐が顔をだし、やがて完全に口から外に出る。分身は、最初は「生まれたての子馬のように」ぶるぶると手足を震わせていたが、すぐにそこらじゅうを駆け回りはじめた…(ひゃ〜!『エイリアン』だぁー)。映像がまざまざと浮かぶ語りと仕草が志らく師らしい。
ギャグも「志らく師ならでは」というのがいっぱいだ。
冒頭、金兵衛と主人が、今までに集めた見世物や芸人達をあれこれあげていくところ、「“いーのちー、みじぃかし〜♪”って唄いながら空中ブランコをする男」っていうのがわたしのツボでしたw。『生きる』のあのシーンの扮装そのままの志村喬空中ブランコをやってる画が浮かんじゃって、もう可笑しくてたまらなかった。
志らく師が“『悲しい酒』のメロディで『どんぐりころころ』を唄う”というのを披露する一幕もあり、それもバカバカしくて可笑しかった。
そうだ!「壁に耳アリ 障子にメアリー 悔しがってるヘレン・ケラー」ってのもあったわ、大笑いしてしまった。


鉄拐は「わしは如何にして仙人になったか」という演題で講演する。仙人になる前の鉄拐には妻子がいて、貧しい生活で常に餓えていた。貧しさから盗みをはたらき、妻子を置いて出奔し仙人になった。ある時、村に戻ってみると、妻は盲目になっていた。汚い身なりの鉄拐は女中に追い払われそうになるが、妻は鉄拐と知らずに女中を制して鉄拐の手をとる。その手の感触で、相手が夫だと気づく妻…そこに流れる『街の灯』のテーマ。
寄席を干された鉄拐がヤケ酒をあおるバーには、厚化粧のマダムがいて、カウンターには笠智衆がいる…なんていうところも映画好きの志らくさんらしくて、楽しい。


志らくさんの落語は、以前は猛スピードに身を任せる楽しさがあったが、今はそれとは違う楽しさを感じる。落ち着いてる…というのとも違うけど、ともかくヒステリックとかハイテンションという印象はない。『鉄拐』は壮大でファンタジックな楽しさだった。


ところで、噺に入る前に志らく師は、“オチが分かりにくい”と言っていたが、たしかに私などには、知ってる名前が出てきたなぁという程度で、それ以上の面白さは分からなかった。多くの落語のオチのように、そういうものだ…という風に思えば特に気にならないけど。仕込みで唐詩人の話をするには時間がかかるだろうし、あれはあれで今のままにするよりしょうがないのかしら?今後、志らくさんは変えるのかしら?


それと、現在、家元十八番の『鉄拐』をやってるのは志らく師だけらしいが、この噺は談笑師でも聴いてみたいなぁと思った。“世俗にまみれていく仙人”とか“算盤ずくの芸能プロモーター”なんていうのが登場する世界は、談笑師が得意とするところではないかしら?志らく師とは方向性の違う面白さの(“風刺”という点で色濃く家元スピリットを継ぐ)『鉄拐』を、談笑師はこさえるんではないかなぁと想像しました。




『品川心中』(上・下)
5月の志らくのピンで聴いたときよりも、更に良かった。
5月にやった時と大きく変えたところはなかったと思うが、一段とスムースで聴きやすくなったような気がしたから、細かいところを整理したのかもしれない。ともかく、前回よりも一層楽しかった。
わたしは、志らく師の『品川心中』は「上」の後半、お染が金蔵をひきずるようにして裏口から出て行くところ、「一面の柵矢来、その一角に木戸があって〜」というセリフから始まる場面から「上」の最後まで、あの辺りがとても好きなのだけど、今回その部分の流れが素晴らしかったと思った。金蔵の背中をせわしなく押すお染、押されてアワアワとうろたえながら前に進んでいく金蔵。「桟橋は長いよ!」「命は短いよ!」…前回観た時もそうだったけど、潮風のニオイに満ちた闇の中、桟橋をもつれながら進んでいくふたりの姿が浮かんでくるようだった。広い会場に、落語世界というか、独特の空気が広がったように感じた瞬間があって、わぁー志らくさん素晴らしいなぁ…と思った。
映像が浮かんでくるような手法の他には、やっぱり、志らく師らしい(いい意味で)ふざけた設定がいい。金蔵が“バカで、いまだに首が据わらなくていつも首を左右に揺らしている”とか“つまんないレベルの低ーいギャグを言うクセがあって、そのギャグを聞いて親分やお染が本人を確認する”とか、そういうのがくだらなくていい。
「お前は誰だ?金蔵か?」「ハイ、金蔵です。胸でバクバクいってるのは心臓です」「あ!その下らないギャグは、確かに金蔵!」このパターンのギャグが全篇を通して何度か繰り返されるんだけど、これが出てくるたびになんだかどんどん可笑しくなってくる。


終わり方は前回と変わっていないが、若干、前よりスッキリした印象だった。金蔵に、お前のためにホントに死のうと思ってたのに、桟橋で振り返って見たお前の顔は鬼のようでおっかなかったんだ!…と言われ、「あたし死にます!」と泣くお染。泣いて「十日にいっぺん、月にいっぺん、いえ年にいっぺんでいいから、あたしのことを思い出してお線香をあげておくれ」「その時は、おまえさんが好きになってくれた、きれいな顔のわたしを思い浮かべておくれ」今にも死のうとする勢いのお染に、ついほだされて「…じゃぁ、オレも死ぬよ」と声をかけてしまうやさしい金蔵。ほのぼのとして後味がいい。
また聴けてよかった!




家元のこともちょっとだけ。
声の調子は相変わらずだけど、『やかん』は面白かった。家元の『やかん』をライブで初めて聞いたのは、2年くらい前の一門会だったろうか。ライブで聴くのはそれ以来だったが、あの時と比べても、今日のほうが面白かったように感じた。以前のテンポやリズムとはもちろん違うけど、自在な感じは相変わらずで素晴らしい。
聞き覚えのあるフレーズが次々に飛び出す。
「すべて感嘆詞ですね」「感嘆詞ですめば、カンタンじゃねぇか」…
「まさか文房具屋で売ってるモン、信用してんじゃねぇだろうな?」…
「努力とは?」「馬鹿に与えられた夢」…
ブルーコメッツが湖で、水木しげるが沼」…
約20分の高座だったが楽しかった、やかんの話になる前に終えたが、最後まで聴きたかったくらいだ。
談春師との親子会まで、喉がちょっとでもよくなってるといいなぁ。