立川談春独演会

9/21(金)19:00〜21:08@練馬文化センター小ホール
らく次 『黄金の大黒』
談春 『紙入れ』」
休憩
談春 『九州吹き戻し』





開演前、舞台には「立川談春」のめくりが立っていた。しかし、時間になるとめくりは袖に引っ込められ、らく次さんが登場した。談春さんがまだ現れず連絡がつかないので、時間つなぎにたまたま着物を持っていた自分が高座に上がった…と説明。「(談春師は)そこまで談志のマネをするこたぁないんですけど」等と軽口で笑わせた後、紀伊國屋ホールで行われた二つ目昇進披露目の会の話を。紀伊國屋ホールでその会ができたことには談春師のひとかたならぬ尽力があったそうです。その際の談春師エピソードをらく次さんが談春さんのモノマネをしながら紹介。らく次さんのモノマネは似ていた(談春師、当初二つ目の会に会場を貸すことを渋っていた紀伊國屋ホールに「ケンカの電話です」と交渉の電話をかけたとか…。談春さんが言いそうなセリフだー)。
らく次さんの『黄金の大黒』は良かった。先日「志らくのピン」でやった時よりも面白かった。客席からもしきりに笑い声があがった。


談春師登場。会場に着いたら、らく次が高座にいるので驚いた、自分はあんな言い方はしない…とらく次さんのモノマネ評(あれを聞いてたってことは早い時間に到着したということで、なにやら意図があって、談春師はわざと遅れたんでない?)。
らく次さんたちの二つ目昇進記念の会のことから、ご自身の二つ目昇進披露の会のこと(志らくさん、文都さんと、もう一人廃業された方の四人で有楽町マリオンでやったそう)、かつて17歳〜22歳の頃、西武池袋線沿線の大泉学園に住んでいたこと等々思い出話。ご自身の中では、その当時の自分と現在の自分はまったく変わっていない気がするという。それは、周りにいる人々が変わらないせいかもしれない、兄弟子の志の輔師からも家元からもいまだに子ども扱いされている。家元にいたっては、人から弟子である談春師を褒められて「アイツ(談春師)がこんなになるとはなぁ、あんな中学生がなぁ」と言ったという(談春師は、自分は高校生で弟子入りしたのだとことわっていた)。20年前、談春師がまだ二つ目の頃は、この練馬文化センターで落語会が開かれるのは年に1度程度だったという(そのくらい落語をとりまく状況は厳しかった)。その会は1500人収容できる大ホールで行われていた。「1500人のお客様の気を受けるというのは大変なこと」、そういう会を現在もやっている「談志はすごい」…
談春師は「秋はいろんなことを思い出しますねぇ」と言いながら、思い出話を続けた。


志ん朝師匠のエピソードが良かった。談春師は志ん朝師匠に3回だけ直接お目にかかったことがあるそうだ。初めて会ったのは二つ目の頃。「談志のところの談春と申します」と緊張して頭を下げた談春師に、志ん朝師匠は目も合わせてくれなかったという。2回目(※訂正「3回目」。マイミクからご指摘をいただきました。すいませーん)。その時は、会の関係者が非常に気を遣って「この人は談春さんといって、落語をたいへん一生懸命やってる人で…」と紹介してくれたそうだ。すると志ん朝師匠「知ってるよ!馴染みだよなぁ?」と談春師にニッコリ笑いかけてくれたという。談春師はその時心から思った「どうしてオレは志ん朝師匠じゃなくて、談志の弟子なんだろう?」(笑)。ステキな話だ。更に家元のエピソードが良かった。談春師、家元に「今度、志ん朝師匠の会で前座をさせていただくことになりました」と伝えると、家元は「え?誰だって?」と何度か尋ねなおし、最後に「お前、志ん朝と友達なの?」。談春師はこの二人の師匠を“太陽と月”(太陽が志ん朝師匠で、月が家元)に喩えた。家元にも似ているところがあり、志ん朝師匠にも似ているところがある談春師からこういう話を聞くというのは、なかなか興味深いです。


談春師は、“不倫”というよりも“間男”といったほうが、罪の意識を感じるという。かつて主ある女に手を出すことは死を科せられるほど重い罪であった。ただし、現行犯でない限り、罪には問われない。そのかわり、現場をおさえられたら、その場で亭主に殺されても文句は言えなかった…という話から『紙入れ』。私が談春師の『紙入れ』を聴いたのは、昨年の「談春七夜・山吹」以来でした。おかみさん、あの時より一段と艶っぽくない?と思った。くどい色気がいかにも年増。「新さんに好きな女ができたっていうんなら、キレイに切れてあげるから」「男が楽しんでよくて、女が楽しんじゃいけないっていうのはヤなんだよ」。現代的なおかみさんだなーと思いました。


『九州吹き戻し』 東京でやるのは3年ぶりという。私はライブで聴いたのは初めてだった。今日はこれ聴けて良かった!CDよりもずっと良いと思った。この噺は語りの調子でいい気持ちにさせて聴かせる噺だと思うのですが、見事にのせられて最後まで一瞬も気がそれることがなかった。玄界灘の嵐、高波から舟が垂直に落ちてくる画が浮かぶようだった。語りに酔うというのはこういうことかと思った。華麗な語りでこういう気持ちにさせてくれるヒトは、今、談春さんの他に誰がいるだろう。すぐには思い浮かばないなぁ。




終わった後、談春師は、この噺は立川談志の大事な噺の一つで、談志のそういう部分(『九州吹き戻し』に代表されるような噺、見事な調子・語り…ということでしょうか?)は自分が引き継ぐつもりでいる、談志がいなくなって、こんな噺が聴きたいと思ったら聴きに来て下さい…ということをおっしゃった。責任感と自信にあふれた言葉だと思った。