7/27 第一回らくだ亭 柳家小三治一門会

19:00〜21:46@江戸東京博物館ホール
開口一番 柳亭市朗 「小町」
柳亭こみち 「壺算」
柳家三三 「笠碁」
仲入り
柳家そのじ(太田その) 寄席囃子
柳家小三治 「死神」





こみっちゃん、三三さん、おそのサン、皆“折り目正しい高座”(…いい意味で言っています)と感じた。そして(…結局、いつもこれが一番の目当てなのですが)、この日もやっぱり小三治師匠のマクラが一番よかったのです、私には。


こみちさん自分は彼女に“ノリのきいたハンカチ”というイメージをもっています。口調がハッキリしてちょっと硬い、でもとても清潔感がある。「壺算」は、私はどうしても昇太「壺算」と比べてしまうから、正直物足りないのだけど、楽しく聴けた。


三三師寄席は別として、三三さんが小三治師匠と一緒に出る会というのは、自分は初めてだった。なので、師匠と一緒の場の三三さんがどんな風なのか、師匠のことを何か言ったりするのかしら等々の期待がちょっぴりあった。三三さんは、両国駅(この会場の最寄駅)で着物姿で売店にいたら、見知らぬオバサンたちに“巡業にも連れて行ってもらえない弱っちい幕下力士”と間違えられた話などで笑わせ(余談ですが、三三さんは身長180cm、体重56〜57㎏なんだそうです。杞憂とは思うが、そのスリムな体型をどうか維持していただきたい、喬太郎師的姿になった三三さんだけは見たくない)、小三治師匠の話などせずに、比較的あっさり短めにマクラを切り上げたように思った。「笠碁」は、6月の飯能の独演会で見たときよりも、全体的にコンパクトで、例えば、後半のケンカ別れした二人がお互いにヒマをもてあます場面などは、前回はもっといろんなクスグリがあったけど、今回は少なかった。でもって、気のせいかもしれないが、店の前の通りを行ったり来たりする碁敵を目で追う様子とか、笠をかぶった男が往来の塀にはりついている様子とか、笑わせるところは前回よりも大げさにやったような気がする。面白かった。どうでもいいけど、私は三三さんの“笠をかぶった男”を見てると“軸の細ーい、かさの開いた頭でっかちのしいたけ”を連想してしまって、それだけでとても可笑しくなります。


太田そのさん柳家そのじ”は、高座に出る時だけ名のっている小三治命名の名前なのだそうだ。普段は裏方のお仕事をされているし、一昨日は小三治師が控えているしで、緊張されていたのかもしれない。いつも小学生が作文を読み上げるような口調ではあるが(悪く言っているのではありません、ぎこちなく高座を務めている様子はとても微笑ましい)、この日は一層硬い感じだった。そしたら、客席から「リラーックス!」と励ましの声がかかり笑いと拍手が起こった。いいですね。
客席からリクエストを募り、そのさんがいろんな師匠方の出囃子を演奏する、というのをやった。早速、客席から「鞍馬!」の声があがり、そのさんは「はい、『鞍馬』ですね。『鞍馬』は先代馬生師匠の出囃子、現在は伯楽師匠がおつかいになっています」と解説して演奏…という具合に、その後も次々あがるリクエストに応じて、さすがプロだー!と思った。
またまたどうでもいいけど、次々にあがるリクエスト、『老松』(志ん朝)とか『にわか獅子』(扇橋)とか…をきいて、この会に来ているお客さんたちがどんな方たちなのか、どんな落語がお好きなのかが分かるような気がした。そして、ここでは、間違っても「デイビー・クロケット!」とか叫んではいけない、ということはよーく分かった。


そして小三治師匠マクラは、自分の師、小さん師匠の話から。
小さん師匠は「弟子を自分の色に染めようとしない人」だった。だが、弟子達は小さん師匠を尊敬しているから、自ら勝手に小さんの色に染まって行ったようなところがある。自分もそうである。例えば、小さん師は協会の会合などで“自分の弟子を真打にしたい”などと決して言わない人だった。だから小三治師は「自分は一生真打にはなれないだろう」と思っていた。だが、それでいい、自分は地位や名誉が欲しくて噺家になったんじゃない、自分は小さんの考え方、「真打なんて、自分で売り込んでなるもんじゃねぇ!」と言ったりする、そういう“おさむらい”のような、いかにも江戸前らしい潔さに惚れたのだから、自分も小さんのように行くのだ、と。
だが、時と共に小さん師は変わった(「自分のセガレが噺家になった頃から」だそうです、笑っちゃうけど、複雑ですね)。かつての発言を自らひっくり返すようなことをする小さん師匠の姿に「あれ?こんなんじゃなかったんじゃない?」と首をかしげるようなこともあった。しかし、さらに時を経て、晩年の小さん師の高座―例えば紀伊國屋でやった『粗忽長屋』、お客を笑わせようとしない、いわゆるけれん味がなくなってしまった小さんの芸―を見た時、再び心から「自分もこうありたい」と思うようになった。
「良きにつけ悪しきにつけ、小さんは私の鑑でした」。
(…ここまでで、私は「今日も、すごーくいい話を聴けた」と思った。でも、いい話は、この後もまだまだ続いたのです)


続いて、話は、自分と小さん師匠のことから、自分と自分の弟子達のことに移る。
「弟子達からいろんなことを教わった」「弟子に育てられた」。はん治さん(いくら鞭でたたいても、どうにもならない者もいるということを教わった)、ふく治さん(呉服屋から噺家になったくせに着物がたためなかった)のエピソードで笑わせた後、でも、そんなふく治さんを「あいつには、せせこましいところがひとつもない」と評する。ダメな弟子をダメなまま、ありのまま肯定するようになりつつある師。


その後、会に出演した三三さん・そのさんの寸評。
「三三も、今とても評判がいいので有り難いことだと思っています。でも、あの程度にしておきたくない」。しかし、師は、そんな風に期待したり、余計な心配をするのがいけないのだと、自分の言ったことをすぐに打ち消した。でも、あの一言をきいた三三さんは、どんなに嬉しかったろうかと思う。
それから、そのさん。私は、そのさんの経歴(芸大卒等々)は多少は存じ上げていたが、「下座になりたい」と小三治師匠に弟子入りしたこと、それが落語の世界では前例を見ない稀なことであったということを、この時の小三治師の話で初めて知った。小三治師は、そんなそのさんを「いつか高座にあげたい」と思っていたという。そして今日のそのさんの高座を「袖で聴いていたが、実にいいですね…ねぇ?」とにっこり笑って客席に同意を求めた。その笑顔たるや、娘を自慢する父親のようだった。寄席で落語と落語の間をもたせる色物は、面白いことを言わなくていい、「ちょっと、こういういい雰囲気にしてくれればいい」、そのさんの三味線の唄は膝枕で聴きたいようないい心持ちだった…と。そう言ったあと「いけない、あいつは芸者じゃありませんでした」(笑)。
そのさんも嬉しかったろうなぁ。


一門の者たちをよろしく。そう言ってるようにも聞こえた。でも、師は最後に、弟子達のことよりも「それより何より自分がどうするか」が大事、自分は監督でもない、教育者でもない、現役プレーヤーなのだから、としめた。


小さん師匠も小三治師匠も、実に人間臭くてとても魅力的だ。
三三さんもおそのさんも、自分の拠って立つところを求めて、それを通してきっちり世の中と対峙していこうとしている人というのは、若くても大人だな。
…そんなことを思いました。


小三治師の「死神」ですが、マクラだけで充分満足してしまったので、オマケみたいに聞いていた。小三治ファンの方には申し訳ないが、肝心の落語については省略(もう眠いという理由もあります)…