三月 池袋演芸場余一会 本調子やなぎの会 〜柳家の若い衆〜



3/31(月)13:50〜17:10
市丸 『道灌』
こみち 『権助魚』
喬之助 『粗忽長屋
市馬 『堪忍袋』
さん助 『親子酒』&あてぶり
花緑 『あたま山
仲入り
三三 『花見の仇討』
喬太郎 『宮戸川





この会、昨年は三三師→市馬師のリレー落語『三軒長屋』が目玉だった。今年は目玉的なネタ出しはなかったが、顔付けはなかなかです、わたしの目当ては市馬師・三三師・喬太郎師。今日は市馬師がずば抜けて面白かった。




市丸さん、こみちさんと順調に進行し、喬之助師が登場。「この後の市馬師匠、まだ来てません」ということで、マクラで時間調整。喬之助師の漫談は面白い。昔、先代小さん師匠のところへ前座として“出向”していた時代があったそうで、その頃の話が面白かった。小さん師匠が外でロザンナ(あの「ヒデとロザンナ」のロザンナだよ、スザンヌじゃないよ)と会って挨拶された時のエピソード。しばし世間話の後に彼女が去ると、「…おい」と傍らの喬之助さんに声をかけ「いまの、誰だ?」。ロザンナさんですと教えると「ロザンナ?…マレーの女か?」(笑)小さん師匠の声と調子で「マレーの女か?」ってセリフを噛みしめると、たまりません。日本陸軍のカオリがしますw。喬之助師「戦争の爪あとは深いなと思いました」。
小さん師匠といえば粗忽長屋。喬之助師の『粗忽長屋』は、熊があまりにもあっさりと“行き倒れ=自分”と信じ込んでしまったように見えて、そこはちょっと物足りないような気はしたが、兄ィはそそっかしく、熊はちょっと足りない感じ…とそれぞれの人物像をきっぱり描き分けてわかりやすかった。喬之助さんらしい若さ、明るさの溢れる『粗忽長屋』で、好感がもてた。聴いていて素直に楽しくなった。


市馬師匠 柳家の古老・さん助師匠に聞いたという“小さん師匠とおかみさんの夫婦喧嘩”のマクラから『堪忍袋』。話は前後するが、市馬師の後にさん助師匠、続いて花緑師が高座にあがった。花緑師、さん助師匠や祖父の小さんくらいの年齢になると、そこに居るだけ・観てるだけで面白いという境地になるのかもしれない、それにひきかえ「わたしや喬太郎は“あざとい”ですからねぇ」「さりげなく面白いこと言ってますが、必死に仕込んでますからね」。花緑師や喬太郎師の面白さに“あざとい”という言葉が適切かどうかわからないが、この花緑師の話をきいた後で思ったのだけど、市馬師の落語には“あざとさ”のようなものは、ない。これも適切な言葉かどうか分からないが、市馬師の落語は“おおらかな自然体”という感じ。喬太郎師のように、その日・その時に起こったことを次々に器用にくすぐりに取り入れて沸かせる…ということはあんまりなさらないが、市馬師の言う“面白いこと”は、滋味がある(ってヘンか?滋味ってのは…)。市馬師の言ったことをこういうところに書いて、それを読んでもあんまり面白くなく、むしろ「どこが面白いの?」という感じなんだけど、でも、実際に聴くとたまらなく面白い。この、なんともいえない可笑しさ、それを文字にして伝えられないもどかしさは、小三治師匠の落語と似ている。
今日の『堪忍袋』は、そんな“なんともいえない可笑しさ”がいっぱいで、今日いちばん大笑いしたのは、この一席だった。


どんなところが面白いかっていうと、例えば、熊とおかみさんの夫婦喧嘩を「よしなさいよ」ととめにはいった旦那が、おかみさんを見て情けなさそうに「おかみさんも、歯むきだして…」って言ったりするところ。キーッとなってるおかみさんが見えてきて、可笑しくなっちゃう。旦那が帰った後でも、二人は相変わらず喧嘩している。おかみさん、熊に「そんな、とんがった顔してモノ言うんじゃないよっ!」「お前のような顔をね、“楽隊ヅラ”って言うんだよ!トンガラガッタ・トンガラガッタ…」クラシックなギャグですねー、“楽隊ヅラ”だって。でも、市馬師が言うと、えもいわれぬ可笑しさがあります。旦那から「袋を縫いなさい。相手に腹が立ったら、袋の中に言いたいことを言いなさい、その後はにっこり笑いなさい」と言われ、おかみさんが堪忍袋を縫う。
市馬師の仕草が可笑しい、由利徹か!ってくらい板についている。ちくちく縫いながら、おかみさんは熊に、自分は“慈悲の心”で嫁に来てやったんじゃないか、その恩を忘れやがって!と悪態をつき、二人のなれそめの頃の話を持ち出す。おかみさんが奉公していたお屋敷の出入り職人だった熊。ひとりだけ質素なお弁当をつかっていた熊を気の毒に思って、おかみさんは“慈悲の心”でこっそりがんもどきの煮付けなんかを与えてやった。「そしたらヘンな気を起こしやがって、物置の陰から“こっちこい”って手招きしやがるんだよ」、物置の陰で熊はおかみさんをくどいた。「それからっていうもの、なにかっていうと物置に呼び出してサ、物置じゃないと何にもできないのかよっ!この物置野郎っ!」。“物置野郎!”を連発するおかみさんに、熊は泣きそうになりながら「物置っていうなっ!」。その後も、なにかと「物置野郎!」「物置っていうなっ!」が繰り返されるのだが、これが、もう可笑しくて可笑しくて…。市馬師自身も、「物置」って言うたびに笑いそうになってて、それがまた可笑しい。なんなんでしょうね、この面白さ。いいなぁ。


さん助師匠は、去年と同じく『親子酒』と釣りのあてぶり。さん助師匠は、“高座にあがっている”、そのことがすごく嬉しそう。その姿が実にいい。面白いとかつまらないとか、そういうのはどうでもいい。観てるだけで嬉しくなる。


花緑師『あたま山 去年、師の『目黒のさんま』を観て、お殿様が志村けんのバカ殿みたいだったんで吃驚したんだけど、今日の『あたま山』に出てくる婆さんも、志村けんの婆さんみたいにイカれていた。「ヒィィー!」とすっとんきょうな悲鳴をあげたりして、エキセントリックな婆さんだ。自分で仰るとおり、あざとく笑わせるなぁ。でも、面白い。あたま山の桜を観ようと、全国から見物人がやってくる、そのうちあたま山に登りだすヤツも出てくる、なかには「『愛宕山』と間違えてかわらけ投げをするひとなんかもいて…」ってのが可笑しかった。


三三師 高座にあがるなり「あざとい間に挟まれまして…」とつぶやいて客席を大笑いさせた。三三さんって、こういう、ちょっと意地の悪いコトを言うときが面白い。後にあがった喬太郎師が、今日の三三師を「ハジけていた」と評したが、今日の『花見の仇討』は明るくスピード感があって面白かった。上野の山での花見の趣向をもちかけられ、「あぁ、上野の“あたま山”ね」「違うだろっ」。その後も「山の上に大きな桜の木があるだろう?」「あぁ、あのあたまの上の桜の木」「そこから離れろっ!」という具合、のってる時の三三師はこういうところがバカに面白い。三人が型どおりに斬りあっているところに、助太刀の武士が現れる。巡礼兄弟に扮した二人、武士に言われるままに、ひとりは上段から刀を振り下ろし、もうひとりが横に払う。敵役の男、目をむいて「なに、言われたとおりに斬ってんだよお!!」。三三師は、ムリヤリ面白い顔をするとかえって全然面白くなかったりするんだが、今日の三三師のくすぐりや表情は、よかった。明るくはじけた『花見の仇討』。


喬太郎 今日も、羽織・着物ともに“真紫”、全身“真紫”で紫の座布団と同化している(絶対、わざとだよなー)。「池袋といえば…」と、キャバクラだのなんとかパブだのの話になって、山本耳かき店の話に。浴衣の女のコがひざまくらで耳掃除をしてくれるお店で、池袋演芸場の近くにもあるんだそうです。このお店、入り口がいかにも怪しい…って感じらしいのだが「猪口才にも『当店は風俗ではありません』って貼紙がしてある」のだそうで。「だったら、キャバクラみたいな入り口じゃなくて、それらしい入り口にすりゃーいいじゃねぇか!」(喬太郎師はこの手のお店はお好みじゃないんでしょーね、世代的に。故・三木助師―もちろん名人じゃないよ、昇太さんに似てる三木助さんだよ―に連れてってもらったキャバクラが楽しかったそうです)。
それにしても、この流れ、また『夜の慣用句』に行ってしまうのか、そうだったら残念だ、今日は古典が聴きたいんだけどな…と思っていたら、『宮戸川』が始まった(よかったー)。
喬太郎師の宮戸川は初めて聴いたが、ネタ下ろしだそうだ。喬太郎師の半七とお花は二人とも初心で清潔な感じ。たいていお花がおきゃんで積極的だけど、喬太郎師のお花は、ホントに行き場所がなくて困って半ちゃんについてきてしまいました…という感じで、わりとつつましやか。全体的にエッチ色は薄い。婆さんが一人はしゃいでいる。昔を思い出した婆さんがウキウキと「覚えていますか?おじいさん」と尋ねると、おじさんがすかさず「その思い出は封印した」っていうのが可笑しかった。この噺、12日の扇辰・喬太郎の会でもかけるそうだが、その時はまた変わってるかもしれませんね。