第五回 黒談春 夜の部



3/25(火)19:00〜21:05@紀伊國屋ホール
『花見小僧』
お血脈
仲入り
『二階ぞめき』





お血脈』『二階ぞめき』は初演、『花見小僧』も久しぶりにやるネタとのことだった。私は三席とも談春師で聴くのは初めて。談春師ご自身は、今日の三席を「立派な寄席芸人になるためのリハビリ」などと言っていたが、どれも頭をカラッポにして気楽に聴きたい感じの噺で、過去の黒談春でかけてきたネタとは趣の違うラインナップ。
談春師は地噺が苦手(…と“自分で思い込んでいる”そう)で手をつけたことのないジャンルだそうだ。この会で苦手な地噺の『お血脈』をやることは、談春師自身にとっては、自分がどう変わったのか測ってみるという目的があったようだ。
パンフレットには「誰もが演る根多を初演する為の黒談春、ようやくそのテーマにたどりつきました」とあった。




『花見小僧』 この噺は、先日21日に三三さんで聴いたばかりだった。間をおかず、違う演者で同じ噺を聴くっていうのは、いろんなメリットがあるな。『花見小僧』という落語が、どういう味わいがあり、どんな風に聴けばいい落語なのか、ちょっと分かったような気がしたし、談春師と三三師の『花見小僧』の違いがよりハッキリ見えてくる気がした。
この噺は、あんまり中味のない(…というと実もふたもないけど)落語だけど、昔の花見の様子 ―舟に乗って桜の名所(向島)に行ってゆるゆる土手を歩いて花を楽しむ、その後で料亭に行っておいしいもの食べて、土産に長命寺で桜餅買って帰る…― を聞いて「あ〜春だねぇ」と楽しむ…というのが、ひとつの鑑賞のしかたなのかもしれない。談春師の『花見小僧』は軽ーく楽しく、三三師もそうだった。たぶん多くの人がそういうふうにやるんだろう。(三三さんの話になっちゃってナンだが)談春師を聴いて、21日に聴いた時はよく分からなかったけど、三三師の『花見小僧』も良かったんだなと思った。食いしん坊でおしゃべりな小僧・定吉は、三三さんのはちょっぴり“おしゃま”な感じで、談春師のは、三三師よりもうちょっと子供っぽく、その分愛嬌がある気がした。そんな定吉が無邪気に語るおせつ・徳三郎の恋はカラッと明るい感じ。一方、おしゃまな定吉の視線で語られる三三『花見小僧』は、思い出して談春師と比べてみるとちょっとコケティッシュな感じもあったかもしれない。全体的にはそんな違いがあるような気がした。
細かいところでは、談春師の『花見小僧』では、店の主は番頭も女中も奥へ下がらせて、定吉をこっそり一人で詰問したが、三三さんの『花見小僧』では、主は襖の向こうに番頭を隠れさせて定吉を問い詰め、そこで定吉の口から番頭さんの女遊びがばれてしまう、「あれ?襖がガタガタいってますね」なんていう可笑しい場面があった。柳橋から向島へ向かう舟の中で、芸者衆が徳三郎ににっこり笑いかけ、それを見たおせつが妬くという場面は、三三さんのにはなかった。


お血脈 談春師のことだから、昼の部と夜の部で細部が変わったりしてるんだろうと思うけど、この噺なんかは尺が変わったりしてるのかもしれないと思った。夜の部では、マクラで東大寺修二会(しゅにえ)初体験の話を25分くらいやった。噺自体が短いから長いマクラだったんだと思うけど、途中でふと「いつ落語にはいるのだろう…」と心配になったりもした(でも、マクラの話は面白かった)。
「苦手なジャンルの噺をやっている」という先入観をもって聴いたせいか、最初のお釈迦様の誕生〜善光寺の由来のあたりは、なんとなくちょっぴり緊張しているようにも見えたし、焦っているような感じもうけた。談春師のかっちりした口調がことさら硬く聞こえたことと、少々早口だったからかもしれない。廃仏派の守屋大臣、一寸八分の小さなプラチナの阿弥陀仏を「こいつ、プラチな(不埒な)ヤツだ」っていうの(談春師はこのくすぐりが好きなんだそうだ)はちょっとクスっとした。善光寺お血脈の御印のおかげで地獄がすっかり不景気になっちゃった…というあたりは、いつもの談春師らしい感じだった。閻魔様の、威厳もなんもない投げやりなもの言いとか、鬼達は栄養失調で、青鬼は「青色から空色になっちゃって、すっかり爽やかになっちゃった」なんていうのは可笑しかった。地獄で五右衛門は“ジャージ”着て“野球帽”かぶって、“釣堀の管理人”みたいな格好でサウナの釜焚きをしてる。その五右衛門に、ちょいとー閻魔様が呼んでるよぉ!と声をかける女は、落語によく出てくる女中さんみたい。ジャージからお馴染みの泥棒装束の盛装に着替えて閻魔様の前に出て行った五右衛門。ここからの五右衛門がケレン味たっぷりで面白かった。談春師があんなコテコテの見栄を切るのを初めて見たかも。


仲入り後、番頭と若旦那の会話から始まる『二階ぞめき』を聞いて、「あぁ、いつもの談春さんだ」と感じた。談春師の落語の魅力は、イキイキした会話でもあるんだなと思った (そこで初めて、なるほど『お血脈』はふだんやらない地噺だけあって、いつもの談春師の落語とはちょっと違う、新鮮な印象だったんだと気づいた)。
『二階ぞめき』は自分が好きなバカバカしい噺で、若旦那が妄想の中で一人でケンカする、あの場面が一番面白い。談春師のも、もちろんこの場面が面白く、時々ふと若旦那(=談春師)が「…(一人で何役もするのは)大変だなぁ」とぼそっと言ったりするのが可笑しかった。若旦那とケンカする目が細くって気の強い廓の妓も面白かった。ただ、いちばん印象に残ったのは、若旦那が「吉原へ行ったことがない」という番頭に、吉原への道順を舟でいくとこう、陸をいくとこう…と教える、ちょっと道中立てみたいなところ。わたしは『二階ぞめき』のこのパートを初めて聞いた。談春師は道中立てが上手いので聴いてて気持ちいい。川筋、道筋の風景が細かく描かれる。語る談春師自身が楽しそうに見えた。この間、志らくさんの『落語長屋』で『二階ぞめき』を聴いて素晴らしいと思ったが、こういうところは志らくさんとは違う、談春師ならではの味がでるところだと思った。




※マイミクさんの日記を拝見して、談春師の『二階ぞめき』は、家元のそれとほぼ同じやり方らしいと知った。談志『二階ぞめき』を先に聴いてたら、昨夜の談春『二階ぞめき』はもっと楽しめたな。やっぱり談志聴くべし!だなぁ。