立川志らく独演会 3/14



3/14(金)19:05〜21:15@銀座ブロッサム中央会館
『子別れ』上中下
休憩
『落語長屋』





久々に興奮してしまった。この会は今年の(…もしかしたら、この先ずっと)忘れられない落語会になりそうです。


『子別れ』 マクラで志らく師もふれたが、今年の一月、この場所で談春師が『子別れ』通しをやった。談春師が2時間かけたものを志らく師は1時間弱でやったわけだが、時間が半分だからなにか物足りないところがあるかというと、そんなことはまったくない。志らく師を聴き始めた頃は、こういうこと(長い噺を短く…)ができるのは、喋り方が速いから?なんて思ってて良く分からなかったのだけど、そういうことじゃなく、天才的な編集センスのなせる技だ。一時間弱でこれだけ充実した『子別れ』を通しで聞かせることができるのは志らく師だけじゃないかと思う。
しかし、編集の見事さ以上に、昨夜の志らく師の『子別れ』が素晴らしかったのは、おみつが可憐で健気で、とても魅力的な女性に描かれていたこと。最後の鰻屋の二階の場面は、一種、おとなのラブストーリーのような趣もあって、こういう『子別れ』は他にあるのだろうか、“子供(亀ちゃん)”“父と子(熊と亀)”の描き方でほろりとさせる『子別れ』が多い中で、志らく師ならではという気がする。おみつと熊の再会の場面、おみつのセリフに涙がこぼれた。


「上」「中」 品川に居続けして帰って来た熊が、昔なじみの女郎・お杉とのことをおみつに惚気るところ。呂律も回らずに「そこで何をしたか、具体的なことは申し上げるわけにはいきませんが、ちょいとオツなことがあって…」と繰り返す。ガマンできなくなったおみつに「いい加減にしやがれ!」と拳固でポカスカ頭を殴られる。「なにすんだよ、そんなに殴ったら、頭に穴が開いて、そこに水がたまって、そこで魚釣りをしたり人が集まってわぁわぁ騒いで、あんまりうるさいんでオレが飛び込んで自殺をするという『頭山』って落語になっちゃうだろ!」…こういうところは可笑しい。
二人の喧嘩をききつけてとめにはいった隣の吉兵衛は、熊に、おみつがどれだけ熊の帰りを待ちわびていたかを語って聞かせ、諌める。「ゆうべ遅く帰って長屋の木戸をトントン…と叩くと、途端に“熊さんかい?!”っておみつさんがが飛び出してきたんだよ」「夫婦になって何年も経つのに、そんな風に亭主を待ってる女房なんかいやしない」「こんないい女房殴ったら、バチが当たるよ!」。しかし、そんなにコイツの肩をもつとは、おめぇら怪しいな?!といきまく熊。吉兵衛は諦めて帰り、おみつは家を出ることを決意する。「おとっつぁん、謝っちゃえよ。おっかさん、普段と違うよ」ベソをかく亀ちゃん・6歳。可愛い。今まで育ててもらったことをおとっつぁんにお礼申し上げるんだよと促すおみつ。おみつは長屋のおかみさんだから夫婦喧嘩で口答えしたり、カッとして熊を拳固で殴っちゃうけど、口が挟めないくらいポンポン憎まれ口をきいたり、男の人に止めを刺すようなことは言わない。あくまで古風な女のひとだった。


女房になおしたお杉は、追い出す前に男をつくって出て行ってしまう。そこでようやくおみつと亀の存在のありがたさ、自分がどれだけ大事なものを失くしたかに気づく熊。こんなことになったのは酒のせい…ときっぱりと酒を断つ。


「下」 熊が、番頭さんと並んで歩きながら、おみつと亀のことを語る場面。おみつのことを「〜おちょぼ口で、ここんところにふたぁつえくぼができて、そこんとこに指を入れるとスポーン!て抜ける…」って惚気る熊(この“おちょぼ口”と、指をぬくと“スポーン!”と音がするくらい“深いえくぼ”の女の人っていうのは、志らくさんの落語によくでてきますね。志らくさんが思う“可愛い女の人”ってこういうんでしょうね)。会いたいだろうね?と尋ねる番頭さんに、熊は、女房はともかく「ガキに会いてぇと思いますね」と言う。「一緒に暮らしてたときは、あっしに似てヤなガキだと思ってました」「でも、今はヤロウのことばっかり思い出します」。三日に一度は亀の夢を見る。夢の中の亀ちゃんはしくしくと泣いていて、熊が傍へ行こうとすると走っていってしまう。追いかけると亀は崖っぷちに立っていて、ぼんっと白い煙と共に亀の子たわし(!)にかわってしまった…志らくさんらしくて可笑しい。


偶然、番頭さんが亀ちゃんの姿を見つける。声をかけておやりよと促されるが、熊は「会うと、別れるとき辛くなりますから…」としぶる。すると、それまで穏やかに熊の話を聞いていた番頭さんが、突然大声で熊を叱りつけた「会っておやりてぇんだ!この馬鹿ッ!!」。番頭さんの一喝で、熊は目が覚めたように素直に頷く。番頭さんは先に行くよと立ち去るが、去り際に「大きな声だしてごめんね」。この番頭さん、いいひとだなぁ。


照れくさい熊は頭のてっぺんから声をだして亀を呼ぶ「…アウッ!アウ、アウ、アウッッ!!」(これは、『天国から来たチャンピオン〜たまや〜』にも出てくる、志らくさんがよくやる例の言い方です)。「…おとっつぁんだな!」駆け寄ってくる亀ちゃん。元気だったか?と尋ねられ、明るく受け答えしていた亀ちゃんだったが、「あたい元気…」と言いかけて、だしぬけに「うわぁぁーっ!」と泣き出した。ここはちょっとうるっとしました。
熊に問われるままに、“畳がみっつ”しかなく、“夜中に寝返りをうつと、その姿勢で水がめの水が飲める”ような狭い部屋で母子で暮らしていること、ひたいの傷のワケを語る亀ちゃん。口調が子供っぽく可愛い。その可愛さが涙を誘う。「おとっつぁんとおっかさんの“なれそめ”というのを聞いてしまいました」というセリフがなんとも可愛い調子で可笑しかった。おみつと一緒になれないんなら…と、熊が屋根に上って鋸ふりまわして暴れたものだから、見物人が集まって大騒ぎになった、旦那様が出てきて一緒にしてやると許され、「おとっつぁん、ワンワン泣いたんだってね、そしたら見物してた周りのみんながわーって拍手したってね」。ふと周りを見回した熊が「八百屋ー!荷ぃ下ろして聴いてんじゃねぇ!」。
志ん朝の『子別れ』にも八百屋が出てくるが、志らくさんの八百屋は何回も出てきてもらい泣きしてるから、可笑しい。この後、おっかさんに会ってよと頼む亀ちゃんに「ちょっとワケがあって会えねぇんだ。お前も大人ンなりゃわかる」と言い聞かせるところを聴いていて「八百屋、この野郎!どうして聴いてんだよ!」とどなられる。「いい話だなぁ…」と涙しながら“商売もののなすび”を差し出す八百屋。ホントに可笑しいなぁ。


熊が亀に50銭を与える。その50銭で「くつを買う」と喜ぶ亀。明日、おみつに内緒で鰻屋で会うことを約束し、二人は別れる。去っていく亀を見送る熊(志らく師)は、なんともいえない今にも泣きそうな顔をしていて、胸をうたれた…こうして思い出しながら書いてみると、最後の場面も良かったけど、この場面も相当よかったなぁ。


おみつに50銭を見咎められて、亀ちゃんは「玄翁で頭をぶつよ!」と脅かされる。「そんなことしたら、頭に穴が開いて、そこに水がたまって、『頭山』って落語になっちゃうよ!」(笑)。父子だねぇ。


そして、鰻屋の二階。熊が煙草を吸いながら「昨日、そこで亀と会って…」といつまでも繰り返す例の場面のあと。素直に戻ってきて欲しいといえなくて、熊は「おれたちゃ今更どうってことねぇが」子供に肩身の狭い思いをさせたくない…と理屈を言ってみたり、今は借金もなく酒も飲まずマジメに暮らしていることをアピールし、おみつに「財布ン中、見ます?」と尋ねたりする。だが、ついにおみつに頭を下げる。「すまねぇ。オレから言えた義理じゃないけど、お前がいねぇとダメなんだ」。これは熊の“I love You”だ。
おみつ「おまえさん、変わってないね」
熊「いや、俺は変わったよ、酒だってやめた、金もある…」
いいえ変わってないとやわらかく遮って、おみつは「あたしが好きだった、出会った頃のあなたのままですね…」
あぁこれはラブシーンだなぁと思った。


この後、親子三人が喜びの涙にくれて、気がつくと…「八百屋ぁっ!このやろー!」三人の横で「いい話だなぁ…」と泣きながら鰻を食べてる八百屋であった。
八百屋が「“子は鎹”とはよく言ったもんですねぇ」といい、亀ちゃんが「どうりでおっかさんが、玄翁でぶつといった」。


この前、志らくさんの『子別れ』(下)を聞いたのは、去年の5月・にぎわい座の「志らく百席」だった。その時の『子別れ』よりもずうっと良かった。




今日はこの『子別れ』を聴けただけで充分だ…と思っていたのだが、仲入り後の『落語長屋』が、これまた感動的だった。志らく師がこよなく愛するものたち―「落語」と「映画」と「家元」と「昭和の名人たち」―に捧げたオマージュだと思う、それはそれは素敵な落語だった。


パンフレットの志らく師の解説によれば、『落語長屋』は“川島雄三の『幕末太陽伝』のような落語をつくりたい、という発想から始まった”ものだそうで、“簡単に言えば「落語チャンチャカチャン」、つまりいくつかの落語がつながっているもの”だ。
『よかちょろ』→『二階ぞめき』→『湯屋番』→『ざる屋』→ちょっとだけ『時そば』『突き落とし』→『付き馬』とつながって、たっぷり1時間!こう言っちゃなんだが、すごくおトクだ。ちなみに『よかちょろ』は文楽、『二階ぞめき』は志ん生、『湯屋番』は圓生、『ざる屋』は馬生、『時そば』『つきおとし』は小さん、『付き馬』は金馬を意識したものだそうです。しかも、ただ古典落語をつなげて面白いってだけじゃなく、そのストーリーとテーマは“居残り佐平次、誕生の物語”。


志らく師はマクラで家元の佐平次像を、結核を患って居残りをやってるなんていう暗さは微塵もない、居残りを好きでやってる男…というように説明した。わたしは伝説の“町田の居残り”を知らないし、この間、志らく師がにぎわい座でやった『居残り佐平次』も観てない。唯一、先日NHK・BSの「談志10時間」でスタジオで撮った『居残り佐平次』を観ただけだが、家元の佐平次は、ひとりぽっちでなりゆきまかせに生きてる陽気な男だった。でも、誰もその正体を知らない、「御輿の上にのって笛吹いてやがったよ」と人から言われてる。志らく師は、そんな佐平次に落語の“若旦那”の姿を重ねた。道楽の果てに様々な商売を転々とした若旦那が、最後に居残りを稼業として生きていくことを選び、“居残り佐平次”となった…というストーリー。ずんずんと陽気に己の道を突き進みながら、ちょっとさみしい感じのする『落語長屋』の若旦那は、たしかに家元の佐平次に似ていた。


お得意から預かった300両を吉原で使い果たし、久しぶりに帰宅した若旦那。45円で仕入れた“よかちょろ”を唄って聞かせ、大旦那を大爆発させる。番頭にあたしが帳面をどがちゃかして、気に入った花魁をひかせるからお囲いなさいと言われるが「あたしは吉原が好きなんだよ!」要するに吉原を身請けしたいのだと言う。「それならここを吉原にしましょう」と、番頭が出入りの大工に命じて二階に吉原を作らせる(よかちょろ→二階ぞめき)。若旦那は大喜びで、一人でひやかしごっこを始める。しかし、妄想の“ひとり大喧嘩”で大騒ぎし、大旦那から勘当をくらって知り合いの職人の親方の家に身を寄せる。親方からなにかして働いてくださいと頼まれた若旦那、湯屋で働くことを思いつく(二階ぞめき→湯屋番)。修行と努力が大嫌いな若旦那は、女湯がのぞける番台に立候補。しかし、番台でも妄想ばかりしていて、すぐにクビにされてしまう。次は人の紹介でざるを売り歩く商売を始める若旦那(湯屋番→ざる屋)。教えられたとおり「米あげ〜ざる〜」と売り声をあげて流していると、株をやっている縁起かつぎの商家の旦那から呼び止められた。暖簾を“はねあげた”、住まいは“上野”の“高台”、名前は“上田昇”…と旦那を大喜びさせてご祝儀をもらう。こういうことが性に合っていると気づいた若旦那、蕎麦の屋台でペラペラお世辞を言って一文ごまかしたり(時そば)、吉原にあがって付き馬の若い衆を騙して溝に突き落としたり(突き落とし)して、面白おかしく暮らすようになる。その日も付き馬の若い衆を騙して、勘定を払わないばかりか、図抜け大一番の早桶をしょわせて吉原へ返してしまった(付き馬)。意気揚々とひきあげる若旦那を呼び止める者があった。それは実家の番頭。久々に会った番頭は「大旦那様は亡くなりました」と言う。若旦那は父親の墓に案内すされる。店に戻っていらっしゃいと言う番頭に、あたしはおとっつぁんのようにはなれないと断る若旦那。すると番頭は、大旦那も若い頃は道楽者だった…と大旦那の過去を語る。ある時、吉原で遊んですっからかんになり、居残りをさせられた。若い衆に殴られ蹴られボコボコにされ、さんざんこきつかわれ、目が覚めた大旦那は、心をいれかえて真人間になり、マジメに働いて身上を築いたのだ。だから、道楽者のあなただって、今からやり直せるはずだ…と説得する番頭。しかし、若旦那は首をたてにふらず、父親の墓に手を合わせ誓う。自分はこのまま道楽者の道を行く、居残りになって、おとっつぁんの弔い合戦だ!と。その後、若旦那は父親の名前“佐平次”を名のり、居残りを稼業に世を渡っていくことになった…ざっとこんなストーリーでした。


全篇面白かったが、『二階ぞめき』〜『湯屋番』の妄想シーンが圧巻だった。このあたりのスピードと流れは、まったく素晴らしかった。途中で拍手したかったが、流れをとめたくなくて我慢した。くっだらない妄想を語る時の志らく師匠って、やっぱり一番面白いなぁ。『二階ぞめき』で花魁と若い衆を相手に喧嘩を始めるところなんか、ホンッとに面白かった、若旦那が「みんなッ、出て来い!」と叫ぶと、大勢の仲間がバラバラっと出てくる、その画が浮かんでくるようだった。でも、それが若旦那の妄想っていうのが、ますます笑える。『湯屋番』の囲いものの女の家にあがる妄想シーンも笑った。蚊帳の中「くの字なりに女が座るよ、岩場のジュゴンみたいだよ」、雷がガラガラっと落ちて、気を失う女のもとに「雪山で遭難したみたい」にほふく前進で近寄って、女を介抱する…。
落語チャンチャカチャンのよう、といっても、『時そば』『突き落し』以外は、一つ一つの落語をほとんど全篇やってるようなもので、トクした気分というのはそういうことです。
『付き馬』も良かった。“吉原の朝はどんよりしてる”っていうところも、志らく師らしい描写で面白かった。大門を一歩出ると澄んだ空気、戻るとどんより、一歩出ると澄んでる、戻ると…と繰り返して、「じゃぁ、もうちょっと行ってみようか?」と大門をくぐって吉原を出てしまうところ、可笑しかったな。


この間、にぎわい座で志らく師の『居残り佐平次』を聴いた人は、あぁこれがあの居残りに続くんだなと分かって、余計楽しかっただろうなぁ。行かなかったことが悔しくなった。こうなったら、志らく師の『居残り佐平次』、是非聴きたい。