7/30 春風亭昇太独演会「オレスタイル」

19:00〜21:11@新宿紀伊國屋サザンシアター

携帯電話撲滅ムービー 
出演:狼(大噛み)の竜二&携帯キッターマン(昇太)/イワシのトム&携帯イレターマン(柳好)
オープニングトーク
ゲスト 三遊亭遊雀 「十徳」

(以下すべて昇太さん)
「ろくろ首」 
いつもの生着替え
「野ざらし
休憩
「死神」
 


携帯電話撲滅ムービー昨年12月の独演会以来の携帯撲滅ムービーは前回の続編。前回、携帯の呼び出し音に倒れたイワシのトム。その復讐に立ち上がった竜二は携帯キッターマンに変身!悪の携帯イレターマンと戦う(イレターマンは、70年代のフォークシンガーみたいなロングヘアのかつらをかぶってます)。このムービー、作るのがだんだんツラクなってきたそうですが、恒例の“ナマ着替え”同様、楽しみにしているお客さんが多いらしい、リクエストに応えて作ったみたい、本当にお疲れ様です。


オープニングトーク今回は何をやろう?と過去にかけた演目の記録を見ていて、しばらくやっていない噺が結構あると気づいたそうです。で、そんな中から今日は「夏らしい、怖いオバケがでてくる噺を3席、やりますよー!」。その他、こんな話題。
●学生時代、政治家の選挙事務所でアルバイト経験のある昇太さん、それ以来、選挙というと燃えるそうです。選挙でもサッカーでも、物事はなんでも自ら“参加”しないと楽しめない、だが一度でも“参加”すると燃えるのだ!と力説(落語もそう、いくらテレビで観たって、爺さんがカミ・シモを向いてぼそぼそ話してるだけの動きの少ない画面を観て面白いわけがない、でも一回ライブにくれば面白さが分かるのだ、と。同感)。そんな昇太さん、前夜もワクワクと選挙速報を観ていたが、政治家・評論家の討論会で、もはや仕切りとは呼べない暴虐無人なワガママぶりを発揮する田原総一郎にイライラ。結局、人は歳をとると、自分が聞きたいことしか聞きたくない、言いたいことしか言いたくない…となるのかもしれないと感じた。それにしても「誰か、田原総一郎に引導を渡すべきですよ!」(笑)。
●電車が大好きな昇太さんだが、最近はさすがに電車には乗れなくなった。先日も京王線の中で、目の前に座った中学生男子たちに、イヤでも聞こえるヒソヒソ声で「だれだっけ?」「しょーた、しょーた」とやられて、いたたまれなくなった。中学生男子が「世の中で一番キライ」な昇太さん、しかし、同じ年頃の甥にはすごくやさしい。昇太さんのことで友だちからからかわれることもあると聞き、なんだか申し訳なく思うこともある。この春、高校に進学して剣道部に入った甥に、防具一式&合宿費15万円、さらに彼が欲しがっていた自転車代5万円をプラスして20万円、「どーんと振り込んでやるつもりです!」(太っ腹〜!と客席から拍手)。「気が弱いのが家系」の田ノ下家一族男子の例に漏れず、恥ずかしがりやの甥っ子が「うつむいて嬉しそうにしてる様子が目に浮かびます」。いいなー、こんなお金持ちのおじさん、欲しいね。ところで、昇太さんの甥っ子のお母さん(兄嫁)は、昇太さんの同級生だそうです。今でも電話で話す時は「松下(兄嫁の旧姓)」と呼んでいるのだとか。


遊雀さん「十徳」前の晩、選挙速報を見ている最中に昇太さんからの電話依頼でこの日のゲスト出演が決まったという遊雀師。十徳(じっとく)は昔の衣類らしい。長屋の愚かモノがその名前の由来を物知りのご隠居に尋ねるという、落語によくあるパターンの噺。遊雀さんは「ご隠居さん、“ツル”ってぇのは、何で“ツル”ってんですかね?」「…それをやると他の噺になるから、よしとこう」というくすぐりを入れた。ご隠居から仕入れた知識をひけらかしたい男、話を聞いてくれない仲間たちに“うわぁ〜ん”と大泣きするというくだりがあって、遊雀師の泣きっぷりが可笑しかった。まるで子供のようで。


「ろくろ首」自分の血(DNA)をひくという意味では甥っこが唯一の存在である昇太さん。“子供が欲しいから結婚したい”という与太郎の「嫁さん欲しいよぉ〜!」「嫁さん欲しいよぉ〜!」という訴えは昇太心の叫びか。年老いた母親と差し向かいでご飯を食べてもつまらない、お袋が入れ歯を洗って…とか、猫が懐のまりに結んだ紐にじゃれつき…というあたりはカット、全体短めでした。“一つひっぱったら「さよう、さよう」”“二つひっぱったら「ごもっとも、ごもっとも」”“三つで「なかなか」”というのがあって、床入りの夜が更け目が覚めた与太郎、「ぼーん、ぼーん」と二つ鳴った鐘に「…ごもっとも、ごもっとも」とつぶやく。ここが可愛いのですが、昇太の与太郎は一層可愛い。隣に眠るお嫁さんの頬を「きれいだなー」と人差し指でそっとつく様子もまことに愛らしい。前後しますが、おじさんから結婚相手がろくろ首だと聞かされた与太郎が「それじゃ、首をこうやって(…その手つきをしながら)たぐってお話ししなくちゃならない」というのも、昇太さんがやるとちょっとメルヘンのようではないか。この噺、二つ目時代以来やっていなかったそう。本人の弁、「なんででしょうね?多分、『ちりとてちん』のほうがウケる!って気づいたからですね」(笑)。


「野ざらしこの噺は「幽ちゃんでもいい、女が欲しい!」というギラギラの欲望と、それがどんどん暴走していく様が面白いのですが、隣のセンセイや周りの釣り人への悪口や啖呵が下品でもの凄く、でもタン・タン・タン・ターンとアップテンポになっていって痛快!という感じにやるのが多いような気がします。一度、遊雀師のをみましたが、スピードはそんなでもないけど、底に凶暴さが潜む軽薄というか、やさぐれた感じが非常によくって好きでした。昇太さんは、すさんだ男の感じとかはないし、狼だし(この日も“ふくべの呑み残し”が言えなかったの)、ひたすらおバカな「野ざらし」という感じ。「鐘がボンとなーりゃさぁ…スチャラカチャンチャン♪」という例の唄は、“粋”というのとは違うけど、良かった。オツな年増の幽霊が“カラコロカラコロ…”やってくるよと大騒ぎするくだり、ここで昇太落語お馴染みのおバカキャラが炸裂した。自分は、この日の三席の中では「野ざらし」が一番好きです。オツな年増の年齢を、昇太さんは「三十、一・二…三十、五・六…八…四十でもいいよ」(笑)、ストライクゾーン、どんどん広げてません?


「死神」マクラで“寿命”の話。昇太さんは、よく“いつも機嫌よく生きる”がテーマだと言うが、この日も寿命からそんな話に。自分は普通の人の3倍笑ってると思う、だから今死んでもいいような気がする、と。腹を立てたり嫌な気分になるのはイヤだから、不愉快なものは避けて、好きなことだけしていたい。ただ、自分が好きなことをしているために、周りに迷惑をかけることはある、それはできるだけ最小限に留める努力をしたい。こういう話を聞くと、あー、やっぱ基本的に結婚に向いてないな(笑)と思ったり、しかし、一人でスマートに生きられる人なのだな、カッコいいと思ったりする。
子供時代、夏休みに訪れていた母方の田舎の話が印象的だった。毎年、雄二少年が来ると、お祖母さんは「よく来たね」と出迎え、やおら鶏小屋へ。雄二少年へ晩のご馳走のために鶏をしめにいくのです。つまり「僕が行くと、毎年、鶏が一羽死ぬんです」。血のしたたる鶏を下げてお祖母さんがゆっくり戻ってくる、その姿をじっと見ていた雄二少年。鶏は納屋の軒下につるされ、その下にできた血溜まりを猫が舐める。凄いといえば凄い光景。野蛮というのか、なんというのか、そういうのが今よりもっと子供の身近にあった昭和30年代。しかし、晩ご飯に食べる鶏肉を、雄二少年は「おいしいな」と思う。他の生き物の命であがなわれる自分の命。なんかいい話だな。そして、昇太師の中の子供、そのルーツをちらっと垣間見た気がした。
さて「死神」。二回くらいしかやってないというだけあって、聴いててハラハラした(「アジャラモクレンキューライス、てけれっつのパッ!」、またまた狼になりそうだったよ)、でも昇太さんはそれでいいと思う、少なくとも自分は“落語”を聴きに昇太さんの会に行っているわけじゃないので。
男と死神の出会いのシーン、
死神「…ふっふっふ…ワシを誰だと思う?」
男「…田原総一郎!」
なんて小さなギャグがあちこちに。今回はほぼ昔やっていた時のままやったそう。「暗く終わりたくなくて」考えたという下げ。ろうそくが消え死んだ…と思われた男が目を覚ます。「こ、ここはどこだ?」と辺りを見回すと、さっきの死神が目の前に。なんと男は、死神に「お前はスジがよさそうだから…」と見込まれて、死神として甦り死神として立派に大成しました!というハッピーエンド。
この噺はいろんなヒトがいろんな下げを考案して“下げ合戦”みたいになっていると昇太さんは言う。だが「こんな噺はどうでもいいんです!」(おおっ!圓朝落語を“こんな噺”よばわりだっ!ひゅーひゅー!)。「(昇太さんがよくやる、両手をふりあげて“ワーッ!!”っていうポーズをとって)こういうのが、僕の落語なんです」。ただ「たまにはこういうのもできるというところを見せておかないと…(笑)」ということで、今回披露の運びとなったそう。


昇太さんの独演会に来る客にはいろんな人がいて、落語初めての人もいれば、昔からのファンもいる。どっちの客に合わせたネタをかけるか悩む…という話をちらっとされた。私は、正直にいうと、今回初めて聴く3席だったのでとても嬉しかった。でも、「壺算」「時そば」「愛宕山」「権助魚」…等々、師のお得意のネタが続いてもいいや、と思う。会場がドォーッと沸いた後、「やったね!」って感じで得意げに引き上げていく、チラッと振り返ってペコっと頭を下げる、幕が下がって見えなくなる刹那のアイドルガッツポーズ、師のあの姿を見るのが自分は好きだ。なにせ「ウケる!」に命かけてるヒトなんだから。これからもがんがんウケて欲しい。