7/31 黒談春

19:00〜21:18@新宿紀伊國屋ホール
(すべて談春
「力士の春〜噺家の春」
「質屋庫」
※ネタおろし
仲入り
「豊志賀」





「力士の春〜噺家の春」2月の下北沢演芸祭で昇太トリビュートでやったネタ(この時は観れなかったので、今回かけてくれて嬉しかったです、自分は)。談春師扮する前座クン“春作”が演るという御愛嬌。談春師の『力士の春』を聴きながら、改めて、この噺は“昇太の落語”だと思っていた。聴いてるとイヤでも昇太さんの口調やテンポが思い出されて、談春師の活舌の良さに違和感を感じてしまう(笑)、新作って、こんなにも作ったヒトの個性が出るものなのだなぁと今更ながら思いました。『力士の春』のパロディ『噺家の春』は、落語および落語界事情のギャグで笑わせる、落語ファンが喜びそうな噺。その意味で黒談春に相応しいのかもしれない。ちなみに、自分はたぶん“灰色”くらいと思うが、そんな自分でも楽しめます。完璧に白いヒトには、「?」というところがあるかもしれません。私は、小学生の松岡・美濃部・克由クン(美濃部はミドルネームです)が、ようかんを食べる仕草トレーニングをさせられるところが好きです。母親が「ようかんを食べるときはね、客には分からなくても、ぬれぬれとした切り口を感じながら食べるのっ」って教えるのが可笑しかった。


「質屋庫」この噺は、一度だけ上方落語のやり方を聴いたことがある。談春師がやったよりも、一つ一つのパート(…という言い方でいいのかな?)がもっと長く、笑わせる感じだった。例えば、小僧が「旦那様がお呼びだよ」と八っつぁんを迎えに行くところとか、番頭と八っつぁんが化け物が出てくるのを待ってるところとか、それぞれの場面で一騒動あって、長かった。この噺に対しては「笑えるところはいっぱいあるけど、とりとめのない噺だなぁ」というのが自分の印象なのだが、談春師はこの噺をどんな風にやりたいのかしら?…というような談春師の意図の推測というのは、灰色程度の自分にはムリです。


「豊志賀」パンフレットの演目を見た時、これをどんな風にやってくれるのかな?と楽しみだった。自分は、それまで身持ち堅く一人で生きてきた豊志賀が、息子のような年齢の男に惚れてみっともなく嫉妬するというのがどうにも腑に落ちなくて、そのあたりを誰か納得させてくれないかなと思っていたので。
結論的には、談春師の「豊志賀」も自分の疑問を解消してはくれなかったのだが、師はパンフレットに「その場、その場で思いつくことをパズルのようにはめ込みながら作ってゆく、いつもそんなことを繰り返しています。正直に云えば、それを舞台でドキュメントとして演りたくて(以下略)」と書いてらしたから、また、次は違うものが観られるのだと思う。それに期待しています。ただ、そもそも談春師がこの噺をどう捉えているのか、どう観せようとしてるのか、自分にはよく分からないので、自分の疑問が氷解するような談春「豊志賀」が観られるのかどうかは分からないけど。
寿司屋の二階で新吉がお久を連れて羽生村へ逃げることを決意する場面が印象的だった。豊志賀を「あの人は遅かれ早かれ死ぬんだ」ときっぱり見放した一瞬。若いって残酷だなぁ、でも自分が一番大事とか未来に惹かれるとか、それが若い人の当然なんだから、しょうがないよなぁ。
ふと思ったのだが、この噺は、年の差カップルとか老いてゆく女の焦りとか嫉妬とか、そういうのをちょっと脇に置いて聴くと、少し理解できるような気がした。新吉と懇ろになって弟子が次々に去っていった時、豊志賀はたつきの路を絶たれたわけで、この時点で、恋愛どころか生活基盤を失ったのだ。彼女はそれに気づいてショックで狂ったんではないか。その後の彼女の振る舞いは、好きな男やその相手の女ということを超えて、無事に生きのびる者への嫉妬とか、やり場のない怒りではないか。そう観ると、私なんかは非常に身につまされる。
ところで、豊志賀の嫉妬の深さの説明に、談春師は「実録:男の嫉妬は女の嫉妬より恐ろしい!SらくさんとD志師匠の場合」というエピソードを挿入した。もともとは自分のファンだった賢く清楚な女子高生を師匠に奪われたSらく師、彼の(おそらく)師匠D志に対する「…あンのやろう〜」というつぶやき、そのシーン想像するだけで可笑しい、いや、怖い。弟子が師匠に対してこれだけ嫉妬するんだから、弟子(お久)に恋人を盗られた師匠(豊志賀)の嫉妬がどれだけ根深いか!分かるだろ?…と。確かにここは納得しました(笑)。
それにしても、このエピソードには相当笑った