柳家小三治一門会 特別企画「公開稽古」



6月前半の落語にまとめて書こうかと思ったんですが、長くなったので別にしました。昨日の小三治一門会・夜の部の「公開稽古」の話です。


見ていた我々はとても面白かったし、ちょっと感動的ですらあったけど、稽古の対象に選ばれちゃったこみちさんとはん治師匠は大変でした。でも、小三治師匠は弟子にダメ出ししたかったわけじゃなく、弟子達への気持ちや落語論を、ああいうカタチで皆に(客と弟子に)言っておきたかったんじゃないかと思った。


もちろん、客の前でやることだから、本当に弟子と一対一の場で稽古をつける時とはやり方も言い方も違うでしょう。そもそも小三治師匠は現在は弟子に稽古をつけないことで有名だし(昨日のはん治師匠の発言によれば、小三治師匠に直接稽古をしてもらったのは「喜多八アニさんとあたしまで」とのこと)、その意味で“普段の稽古”に近いものを見せるということでもない。だから、作り事なんだけど、その作り事の場で小三治師が弟子に語ったことは、おそらく本気・本心なのだろうと思いました。そして、生贄のように(笑)小三治師匠の前に引き出されたこみちさんとはん治師匠は、客の前で体裁を取り繕う余裕はなかったろうと思います、だから、その緊張やとまどいがまる見えで、それがとても良かった。その面白さは、まさにドキュメントの面白さだった。


仲入りの後、幕があがると、真ん中の高座を囲むように左右に椅子が並んでいて、小三治門下の噺家たちが座っていた。下手手前から、三三師・ろべえさん・〆治師、上手手前から、こみちさん・三之助さん・はん治師・小里ん師。
司会の三三師の呼びかけで小三治師匠が登場。高座に座った。
ちなみに全員黒紋付。


最初に小三治師匠が自分が弟子達に稽古をつけない理由を語った。師匠・小さんに倣って自分も弟子には稽古をつけてこなかったという。そんな小三治師匠が、弟子達に一門会の企画のアイディアを求められ、提案したのがこの「公開稽古」だそうです。


出演者の間で「稽古をつけてもらう弟子は舞台上でくじ引きで決める」という合意があり、小三治師匠が弟子達の名前を書いたくじをひいた。最初にひいたのはこみちさんのくじ。


高座の上、舞台に向かって下手側にこみちさんが、上手側に小三治師匠が座り、客席から見ると二人は真横を向いて相対する格好。
小三治師匠、客席に「わたしはお客様のために面白おかしくはやりませんよ」、それからこみちさんに「お客さんに芸を見せるんじゃない、客をうけさせようとしなくていい」と言い、「おまえの顔がちゃんと見えるように…」と懐からメガネを出してかけた。


お稽古のネタは、さっきこみちさんがやったばかりの『狸の札』。
「最初からやってごらん」と小三治師匠が言って、こみちさん「狐、狸は人を化かすと申しましす…」と『狸の札』を頭から始めた。
「ン〜ばんわ!…ぁぬきでやンす」のところで「ちょっと待った!」と小三治師匠の声が飛んだ。「もう一回、最初から」。
こみちさん、また最初から話し始める。
今度は、子狸の声を聞きつけた男が戸を開けたあたりでストップがかかった。


「入ってきたばかりの頃に比べたら、よくここまで来たと思います」
小三治師匠がこみちさんに向かって話し始めた。
「でも、(おまえの落語は)どうにかしなかきゃいけない。だけど、どうしていいか分からない」
「このままでもいいのかもしれない、でも“よくない!”と俺は思うんです」


「おまえはね、並みいる女の噺家の中でとてもいい」(客席から拍手が起きる)
「でも、誉めていない」「そんなものに甘えて欲しくない」
「お前は“どうしたら流暢に聞こえるだろう?”とか、そんなことを考えているようなキレイな言葉ばかり喋っていて、気持ちがそこに流れていない」
「血が通っていない。とてもきれいに見事に話をしているだけだ」
「そんな見事にやんなくていい。フツウにやればいい」
小三治師匠は、こみちさんの話し方を真似て「狐、狸は人を化かすと申します」とやった、そして「こんな“タカラヅカ”みたいな喋り方じゃなく、際だたせないで言ってごらん」。


わたしはそれを聞いていて、わたしがこみちさんに対してぼんやり感じていたことを、小三治師匠がすごく的確に分かりやすく言ってくれたと思った。


わたしはこみちさんに対して“とても清潔なノリのきいたハンカチ”という印象を持っていた。こみちさんの魅力はキリッとした清潔感です。でも、キリッとしすぎてあんまり面白くないことがある。ハンカチは清潔なほうがいいけれど、汗をふいたりするものだからノリづけしてピンと堅くする必要はない(ハンカチにノリづけ当然じゃん!て人がいらしたらごめんなさい。しないヤツもいるってことで、流してください)。でも、こみちさんはノリがきいちゃったハンカチなのです。
でも、ノリをきかせたハンカチは、汗をふいたりするのに使わないで、ただ持っているだけなら、とてもとても清潔でキレイに見える。こみちさんのキリッとした清潔感は、魅力でもあり弱点でもあるのだろうな。そこまでの“個性”を、どう変えるか?変えられるのか?そもそも変えるべきなのか?だから、小三治師匠は「このままでいいのかもしれない」「どうしていいか分からない」と言ったのだろうと思った。


小三治師匠に促され、こみちさんは、また「狐、狸は人を化かすと申します〜」と始めた。
師匠に言われる通り、こみちさんは話し方を変えて何度も同じところを繰り返した。小三治師匠は度々止めて、ある時は「さっきよりずっと良くなった」と誉め、ある時は「フツウの喋り方で、喋ってごらんなさい」「常に目の前に、そこにいる人に向かって喋ってごらん」と注意し、そんなことが繰り返された。
小三治師匠「う〜ん・・・もう、クセになっちゃってるね」「そういうふうにクセがついちまったのは、なかなか抜けないです」


小三治師匠はふと話を変えた。
「お前の師匠は燕路ですが、師匠に対して“この人は違う!”と思ったことはないですか?師匠は絶対ですか?」


えー!それはこみっちゃん、答えにくいのでは…と思っていたら、舞台袖から私服の燕路師匠が飛び出してきた(笑)。
予め打ち合わせていたことなんかではなく、たまたまいらしていたそうです。
(ちなみに、こみちさんの『狸の札』は燕路師匠から教わったもの)
燕路師匠はこみちさんの横(客席から見て手前)に正座した。


師匠の落語に疑問はないか?と問われたこみちさん「ひとつあります」「なんだ?」「…早口」
それを聞いて小三治師は…
「そう、この人は早口です。わたしは“惜しい”と思っていた」
「噺のもっているエッセンスを振り払って、どんどんいくんです」
「でも、この人の脳ミソは、早口でないと表現できないのかもしれない。そう思って、この頃は、早口なら早口を発揮すればいいと思っていました」
「でも、弟子にそんな風に見られているようじゃ、早口を発揮できていないんだね」
あぁ、厳しい・・・


小三治師匠はこみちさんに「でも、批判の目を持っているのはいい」「師匠の言うことならなんでも正しいと思うっていうのは、“君”っていうアイデンティティがないってことです」
「人間は、たとえ師匠でも、やってることが全部正しいとは思えないはずなんです」「そんな(師匠に対して批判的な考えを抱いてしまうというような)人間的なものの葛藤というか、そういうところから稽古をして欲しい」
「そうやって、映画を観ても“芸”、芝居を観ても“芸”…、全部自分にフィードバックです!」
わたしは、孫弟子の歳若いこみちさんに、まじめに芸を語っている小三治師匠を見てたら、なんかちょっと感動した。


稽古再開。
小三治師匠は「わたしに向かって、声の出し方(“声を遠くに届かせる”というテクニック的なこと)じゃなくて、わたしに向かって喋ってくんないか?」とこみちさんに頼んだ。
こみちさんは噺を始めたが、ふいに笑いがこみあげてきたようで、続けられなくなった。たぶん、この状況―隣に師匠がいて、師匠共々、大師匠にダメだしされているという、ヒジョーな緊張感にある状況―に耐えられなくなって、笑っちゃったんじゃないでしょうか?でも、こみちさんはなんとか噺を始めた。しかし、男の「うるせぇ!」というセリフでまた止められた。
「“うるせぇ!”というのが“うるせぇ!”という気持ちになっていません」
「その“うるせぇ!”は、ただの“うるせぇ!”というセリフです。もう、この先聞かなくても、わかっちゃいます」
そして、燕路師匠に「ちょっとお前やってごらん」


燕路師匠が『狸の札』を頭から話し始めた。
小三治師匠はすぐに止めて、こみちさんに「全然、違うじゃねぇか!燕路のほうがいいじゃねぇか!」(笑)。そして燕路師匠に向かって「良くなったよ。お前、真打になって何年だい?」「16年です」。再びこみちさんに「13年はお前と同じだったよ」
13年。人が、その人の落語が、変わるのに要する年月として長いのか短いのか。そして、13年かかって変わるか変わらないか、それも今は分からない。


この時点で、予定していた公開稽古の時間はかなり過ぎてしまっていたようです。でも、わたしだけでなく、たぶんお客さんの多くが、この稽古をとても面白い!と感じていたと思う、そして小三治師匠も考えていたより面白い!と思ったらしく、公開稽古の延長が決定した。
で、二番目は、小三治師匠の指名ではん治師匠が稽古をつけてもらうことになった。


目の前に座ったはん治師匠に小三治師匠が呼びかけた。「久しぶりだね」
「おまえがこんなになるとは思わなかったよ」
小三治師匠がかつてはん治師匠をどんな風に見ていたのか、今どう思っているのか、分かる。


お稽古のネタははん治師匠が昼の部でやった『ぼやき酒屋』。これは三枝師匠の新作。
はん治師匠は話し始めたが、師匠に止められる前に自分で「…ええっと、ここ気持ちが入ってませんでした」とか言って、すぐに止めてしまって、ちっとも先に進まない(笑)。
そんなはん治師匠に、小三治師匠は…
「昔のお前は、なんとか上手くやらなくちゃとか、そんな気持ちがみえみえで、聞いてる俺はちっとも噺の中に入れないんだよ」「でも、三枝の噺は違うね。三枝をバカにしてるの?」


はん治師は(訥々とした言葉でよく聞き取れなかったのだけど)こんなことを言った。「三枝師匠は個性が強いから、これはまったく別の噺に色々工夫しなきゃいけないから…って、わりかし好きにできたんです。怖がったりしなくて済んだんです」。
すると小三治師「どんな噺でもそういうふうにもってかなきゃいけない」。そして、突然大きな声で「おい!他の者、聞いてるのか?お前らの稽古だぞ!」


小三治師匠は、再びはん治師匠に向かって言った「だったらね、三枝の噺をやる以前にやってた古典も、そうやってくんないか?」
頼むように言ったこのひとことにも、わたしは心打たれた。


こうして公開稽古終了。およそ55分。あっという間だった。


実際はもっと笑いが起きた可笑しい言葉や場面もたくさんありました。でも、わたしの印象は“楽しい”っていうより、“感動的”って意味で面白かったのでこんな風に書いてみました。また、ここに書いた小三治師匠はじめ出演者の方々が仰ったことは、実際の発言と違っているところがあると思います。正確じゃないから誤解される心配もあるし、こういうのブログに書くの野暮だよなぁと思いつつ、皆に見て欲しかったなぁという気持ちもあって、アップすることにしました。