3月前半の落語



3/1(月)
立川談春独演会
19:00〜21:10@横浜にぎわい座
開口一番 春太『湯屋番』
談春 『文違い』
仲入り
談春 『火事息子』


3/2(火)
こしらの集い
19:00〜20:45@お江戸日本橋亭
『まんじゅう怖い』
『文違い』
仲入り
お菊の皿


3/6(土)
神保町で一之輔の会
16:00〜17:45@神田餃子屋本店
雛鍔
『百川』


3/8(月)
鈴本演芸場 三月上席昼の部
12:15〜16:25
開口一番 柳亭市也『牛ほめ』
林家彦丸『幇間腹
鏡味仙三郎 太神楽曲芸
柳亭燕路『狸の札』
柳家喬太郎『夜の慣用句』
大空遊平・かおり 漫才
柳家さん喬『短命』
林家正蔵『新聞記事』
柳家小菊 粋曲
三遊亭圓歌 漫談『天皇陛下初めて落語で笑う』
仲入り
ホームラン 漫才
柳亭市馬粗忽の釘
柳家さん生『浮世床
林家正楽 紙切り
橘家文左衛門ちりとてちん


3/9(火)
志らくのピン
19:00〜21:05?@内幸町ホール
志らべ『小言幸兵衛』
志らく『唖の釣り』
志らく黄金餅
仲入り
志らく『柳田格之進』


3/11(木)
神楽坂落語まつり 神楽坂劇場二人会
18:35〜21:00@牛込箪笥区民ホール
立川らく太『蝦蟇の油』
立川志らく『松竹梅』
柳家喬太郎『錦木検校』
仲入り
柳家喬太郎『饅頭こわい』
立川志らく『柳田格之進』


3/13(土)
神楽坂落語まつり 毘沙門寄席 夜の部
18:30〜19:58@毘沙門天善国寺書院
開口一番 林家花いち『たらちね』
立川らく次『黄金の大黒』
三遊亭白鳥『はじめてのフライト』
古今亭志ん輔『子別れ』
仲入り
柳家小菊 粋曲
立川志らく黄金餅


3/14(日)
神楽坂落語まつり 毘沙門寄席 昼の部
14:00〜16:43@毘沙門天善国寺書院
開口一番 春風亭ぽっぽ『やかん』
柳家三之助『棒鱈』
桃月庵白酒『短命』
林家正雀『男の花道』
仲入り
ロケット団 漫才
柳家喬太郎幇間腹


第七回 新文芸座落語会
19:00〜21:15@新文芸座
開口一番 立川談大『持参金』
柳家甚語楼『粗忽の釘
桃月庵白酒禁酒番屋
仲入り
柳家喬太郎『カマ手本忠臣蔵


3/15(月)
立川談春独演会 アナザーワールド
19:30〜21:16@成城ホール
談春『野晒し』
仲入り
談春『猫定』


今月前半は若干立川流率が高かったかな?なので今回はこの半月に聴いた立川流の人々の感想。


談春とこしらの『文違い』
3月の初めに、談春師とこしらさんで『文違い』を聴きました。まったく“対極”にある『文違い』でしたが、どちらも良かったです。


談春師はいつも客席の照明を落として口演しますが、にぎわい座は暗い会場にぼうっと提灯がともります。その雰囲気がいい、この落語にあってるって言ってた。
2007年第一回「白談春」で『文違い』をかけた際、談春師が「この噺は、聴いているお客さんの頭に昔の廓の夜の暗さが浮かんできたら、自分としては成功」と話したのを思い出しました。


この日の『文違い』は幾分滑稽な印象が強かったかな。それと、芳次郎の冷酷・怖さが印象に残りました。
金をもらってそそくさと帰ろうとする芳次郎に、拗ねたお杉が金を返してくれとからむ。途端に顔色を変え凄む芳次郎。ヤクザみたいな男が上手いな、談春師は。


『文違い』って男女の騙しあいが哀しく滑稽で、ちょっと苦さのあるところがいいと思うのですが、談春師のはまさにそういうトーンです。ところが、翌日聴いたこしらさんのは“哀しさ”みたいなものはまるでないw、しかし、とにかく笑える!


『文違い』には田舎者(角造)が出てきますが、こしらさんはこれを“野田の醤油屋のオタクな若旦那”という設定で登場させます。コイツがたまらなく可笑しい!
「ご機嫌うるわしゅう、お染さん!」「僕はお染さんに会いたかったよ、会いたくなるといてもたってもいられなくなってしまう性分なのだ」そんな若旦那を、お染は「わかったよ、気持ち悪いねぇ」と心底気持ち悪がってるのw 
他所の妓のところに通っていたんだろ?と言われると「僕の好きな女はお染さんだよお染さん以外は女じゃないよお染さん以外はクソだよクソだクソクソクソクソ!」(←相手の目を見ずに区切らず息継ぎせずに言う様子を想像してください、そういうオタクっているでしょ?)、お染の母親が病気と聞くと「おーっと!病気フラグ立ったー!」ww
『文違い』であんなに笑ったのは初めてです。それにしても、『文違い』にこういうキャラクターをもってくるところが凄いよなぁ。こしらさんのユニークさって図抜けてるよ。


志らくの『黄金餅』『柳田格之進』
黄金餅』は昨年5月「みなと毎月落語会」以来、『柳田〜』は一昨年6月のピン以来でした。3/9〜13日の間に、どちらの噺も2回聴きました。


黄金餅はサゲが以前と変わっていた。また13日の毘沙門寄席では、9日のピンから更に変わったところもありました(以下は13日に聴いたものの感想です)。


志らくさんは、下谷・山崎町の裏長屋の世界を“黒澤明の『どん底』”に喩え、裏長屋の住人達を野良犬のように描く。人が捨てたゴミをあさり、屋台で飲み食いする人たちを物陰からじぃーっと凝視する長屋の住人達。金兵衛も、そんな飢えた野犬の群れの一匹。だけど、彼は西念の金でそこから脱出しようとする。
西念の遺骸を背負って焼場へ向かいながら、金兵衛はひとりごちる。生まれてからずっと野良犬のように扱われてきた、でも西念の金で人並みの暮らしができるかもしれない、「お前がひとり死んだおかげで、人間がひとり生まれるんだ!」。
(ピンの時は「お前のおかげでオレはうめぇもんが喰えるんだ!」って言ってましたが、↑このほうがいいと思いました)


だけど、夢中で西念の腹を裂く金兵衛はやっぱり野良犬なんだ、「ウォーン!ウォーン!」って吠えながら金を探す金兵衛。
文字通り“野良犬”そのものの金兵衛。その姿は怖くもあり可笑しくもあり、なんともいえない気持ち。


サゲは、まず金兵衛が開いた餅屋は「誰言うことなく“黄金餅”と呼ばれるようになりました」という言葉に続けて、男達のやりとりがある。まだ金兵衛の餅屋に行ったことがない男が尋ねる。「うまいのかい?」「いいや」「じゃ、なんで行くんだよ?」「時々、餅の中からカネ出てくるんだ」
(ピンの時は「誰言うことなく“黄金餅”と呼ばれるようになった」というところがなかったと思うのですが、それを入れたことで分かりやすくなった気がしました)。


今回の『黄金餅』は、わたしは二度目に聴いた時(3/13毘沙門寄席)のほうが良かったです。志らくさんの『黄金餅』って前から“怖いけど可笑しい”という印象があって好きなのですが、二度目に聴いた時のほうが、自分の中のイメージに近かったせいだと思う。


『柳田格之進』
今回、志らくさんは柳田と万兵衛の「友情」を全面に出せるように工夫したとのことです。これもピンでやったものと喬太郎師との二人会でやったものはちょっと違っていて、以下は喬太郎師との会でやったものです。


娘を吉原に売って50両を返した柳田のもとに万兵衛が駆けつけると、柳田は既に姿を消していた…というのが普通の『柳田格之進』ですが、今回はそこにまだ柳田がいて、万兵衛と言葉を交わすのです。


あの50両のことなら気にすることはございません、前から差し上げたいと思っていたくらいだと言う万兵衛に、柳田は尋ねる。「万兵衛殿、お前もわたしが盗んだと思っておったのか」「滅相もない、お友だちじゃございませんか、あなたがそんな泥棒みたいなことをするなんて…」と一生懸命言い訳する万兵衛。
それを聞いて柳田、半ば自分を蔑むように「友だち?武士と町人が友だちになれると思っておったのか?」「米や酒をめぐんで、その溝を埋めたと思っておったのか?」 「柳田は乞食ではないわっ!」
すると万兵衛、バシッと柳田の頬を打つ。
「貴様!武士の面体を!」「お詫び申し上げます、しかし、今までわたしはあなたにモノをめぐんだという気持ちはありません」
「もう、おしまいだ…」そう言って柳田は去っていく。


最後。
万兵衛は番頭は見逃してくれ、自分の首だけを斬ってくれと柳田に頼む。 柳田は万兵衛を斬ろうとするが、どうしても斬れず碁の盤を真っ二つに斬る。そして「斬れん!斬れん!そのほうの首は斬れん!」。そして「…友だちの首は斬れんよな」とつぶやいて、万兵衛の頬を打つ。 「いずぞやの貸しだ」。
「家名よりも世の中には大事なものがあるということを、娘はきっと分かってくれるだろう」と柳田。
こうして二人は和解する。「武士として失格だ、わしが弱かった」「いいえ、わたしが弱かったのです」とお互いに“自分のせいだ”と言い合う二人に、番頭が新しい盤を差し出して「どっちが弱いか、勝負したら?」「新しい碁盤があるのか?」「はい、粗忽で一つ余計に買ってしまいました」でサゲ。


わたしは、“町人が武士の頬を打つ”というところにまず違和感がありました。
例えば二人が乳兄弟で一緒に育ったとか、そういう間柄だったら分かるのですが、身分が違って、しかも大人になってからつい最近知り合ったばかりの関係で、あんな風に頬を打てるのかなぁ?と。
そもそも柳田と万兵衛に好感が持てない。志らくさんの描き方は、好感の持てるような描き方じゃないと思う。万兵衛は商人らしく如才ないけど物事を深く考えない風だし、柳田は融通がきかなくて空気が読めない男で(だから、万兵衛が柳田に米や酒を与える時に言う“番頭が粗忽で余計に買ってしまったから”という言い訳を言葉どおりに信じて、番頭に「また粗忽か?」などと冗談を言って番頭をムッとさせちゃう)、そんな二人がどうして気があったんだろう?よくわかりませんでした。
要するに、この二人の“友情”がそんなにいいものに思えない。
この噺には、面子が何よりも大事な武士の家に生まれて、面子のために自分を犠牲にして不幸を背負った娘が出てきますが、その重さの前には柳田と万兵衛の友情はなんだか薄っぺらくて釣りあわない気がするのです。


…ええと、いろいろ書きましたが、今回の柳田は自分はあんまり好きじゃないってことです。志らく批判をしてるわけじゃないですよ、だいたい今日(3/17)だって「県民ホールの喬太郎」「圓生争奪杯」というビッグイベントを差し置いて、ブロッサムに行っちゃいましたからね、わたしはw(『百年目』良かったです)