2010年1月の落語



今年もよろしくお願い申し上げます(遅きに失するにも程があるくらいの遅すぎなのですが、まだ今年のご挨拶をしていなかったことを思い出しましたので…)。
さて。
今年の落語始めは1/5、今月の落語活動状況はこんな感じ。中旬以降は忙しくてあんまり落語に行けませんでした。1ヵ月まとめての報告なので長いです、特に志の輔らくごin PARCOは。覚悟して読むか適当に読み飛ばすか、どっちでもお好きなようにしてくだされ。


1/5(火) 第66回新春プラザ寄席
18:30〜20:53@大田区民プラザ大ホール
志らく花緑 ご挨拶
柳家三三『引越しの夢』
立川志らく『らくだ(上)』
仲入り
柳家喬太郎『初音の鼓』
柳家花緑『三軒長屋(上)』
今年最初の落語はとてもいい会でした。四人とも良かったが、特に印象的だったのは花緑師の『三軒長屋』 。爽やかで躍動感があって、ちょっとオーバーだけど、高座がキラキラ輝いて見えましたよ、ホントに。二階で喧嘩が始まるところ…“獅子舞”のしくじりとか、過去の行状をわーーーっと言い立てるところ…なんか、リズムがとても心地よくて、聴いてて心が晴々してきた。落語に“爽やか”なんて粋じゃないのかもしれないけど、あんなに爽やかで、それでいて嫌味がないのは“血”と“育ち”なのか。ともかく、今年最初に、こんなに気持ちいい高座を観られて良かった。


1/6(水)立川談春アナザーワールド
19:30〜21:42@成城ホール
談春鰍沢 
仲入り
談春明烏


昨年の談春師は落語のエントリー層を獲るという活動に力を入れていた(そんなこともあって、自分はしばらく談春師から遠ざかっていた)。そうした活動が一段落して迎えた今年。談春師はどうするのかな?どんな落語をやってくれるんだろう?というのを確認したくて、久々に出かけた談春独演会でありました。


明烏のマクラで志ん朝師匠の思い出(東横落語会で志ん朝の『明烏』を聞いた、またその時、楽屋で聞いていた志ん朝と談志のやりとりが忘れられない…というもの)を語ったのだが、その際“昔の名人はヨコに広げる”“縦に積み上げるのを好まない”という発言があった。ヨコに広げるとは「レパートリーを広げる≒いろんな噺をやる」ということで、縦に積み上げるとは「芸を深める」ということだろう。
こうした発言や会の冒頭の話などから、今年、談春師は“ヨコに広げる”ことを意識して落語に取り組んでいくつもりってことが確認できた。
で、この会は、一席は“今まで手をつけていなかった噺(ネタおろし)”“昔一度やったきりそのままにしていた噺”をやる場にするとのこと。早い話が“勉強会”。この会でかけたネタは、その後別の会でもやっていくようにしたいとのことなので、この会を逃しても別の場で聴ける可能性があるってことです。


今回は鰍沢がネタ下ろし。“『芝浜』の勝五郎”“『妾馬』の八五郎”といった、自身の個性が登場人物に強烈に投影されている談春落語に比べると、まだまだおとなしく、細かな言葉遣いこそ違うが、全体的にはほぼ“圓生の『鰍沢』”という印象だった。
これがこの先どうなってくのか?ってのが大事。


その後、現在までの間に、談春師は蕨で久々の『芝浜』を、三鷹で『包丁』をやったそうだが、昔から談春を観ている落友たち(二つ目時代から観続けている人たち)から上々の評判が聞こえてきている。また、14日の「志らくのピン」では、志らく師が先に談春師がやった『鰍沢』『明烏』をやった。“ヨコに広げる”談春師に対して、志らく師は“縦の変化(芸の進化・深化)”を志向する人で、落語へのアプローチが違う二人を期せずして見比べることとなった。こういうのはね、ホント面白いですよ。そんなこともあって、今年は「また談春観るか」って気になっております。


1/10(土)志の輔らくご in PARCO
14:00〜16:40
『身代わりポン太』(今年ネタおろしの新作)
『踊るファックス』
仲入り
中村仲蔵


この公演は、会場の空気も志の輔師の気構えも“普通の落語会”とは全然違うと思う。客は思いっきり「楽しませてちょうだい!」という期待に溢れてここに来ていて、その期待に応えようとする楽しい演出がロビーにも舞台にもちゃんと用意されている(裏方さんや売店の売り子さんにいたるまでスタッフの気が揃ってて、“楽しませます!”というホスピタリティに満ちてる気がします。落語会でここまで気持ちよく迎えてくれるところってなかなかない)。
そして、お正月のパルコ公演における志の輔師の落語は、パルコ以外の会でやる落語とは違う。志の輔師がかねてから繰り返し言っているように、志の輔師はこの公演を“お正月以外の11ヶ月のパルコ”を意識してやっていて、他の落語家・普通の落語会は歯牙にも掛けていない。志の輔師が比較の対象としている見ているもの・届こうとしている場所は、落語の世界にはない。だから、パルコに“粋で江戸前でオツな落語”を期待していったらいけないと思うし、この公演を観て「これが落語なんだ!」と思ったら、ちょっと違うと思う。
今年の公演は、そんな志の輔らくごのエンターティンメント的性格がより強く鮮明になっていたような気がしました。


このお正月、故郷富山は大雪だった。車で移動中、白い雪に覆われた大きなモニュメントのようなものが15、6本並んでいるのを見た。それは、完成間近で予算が凍結し作りかけのままになった道路の橋脚。「仕事で全国あちこちに行きますが、昨年はいたるところでそういう風景を見ました」・・・というマクラから、ネタ下ろしの新作『身代わりポン太』へ。
過疎化が進むくすのき村では、地域活性化事業“狸の里プロジェクト”が着々と進行中。くすのき村の全住人47世帯の家の前に信楽焼の狸を置いて灯を入れてライトアップすると共に、狸の姿をした展望台を建設、観光客を集める!というプロジェクト(笑)。信楽焼の狸をそっくりそのまま巨大化した展望台は、現在ちょうど下半身だけ出来上がった状態で、“算盤”と“徳利”のあたりから上がないw
事業の進捗について話し合う村長とあけぼの建設社長、そこへ県会議員の山川がやって狸の里プロジェクトの予算凍結が決まったことを告げる。ここで工事がストップになると、下半身だけの巨大な狸が放置されたままになってしまう!
村長と社長は、予算凍結が正式に発表されるまではこのことは黙っていようと相談するが、その話を五本松のトメ婆さんが聞いていた。トメ婆さん「この話、まるでこの村に伝わる狸の伝説みたいじゃ」。
その昔、くすのき村にはたくさんの狸がいて人にいたずらをした。中でもいたずら好きだったのはポン太という狸。ある晩、ポン太は武士にいたずらを仕掛け、怒った武士に体を上下真っ二つに斬られてしまう。ポン太の上半身は斬られた勢いでどこかへ飛んでいってしまい、下半身は上半身を探してさまよった。それを哀れに感じた村の人々は、総出でポン太の上半身を捜し出す。後日、狸たちが揃って村に御礼に現われ、二度と人間にいたずらをしないと誓い、ポン太のご加護で村人達は他人に騙されなくなった・・・
「そんな話、聞いたことあるか?あけぼの」「ねぇなぁ」「婆さん、ホントにそんな伝説があったのかい?」、トメ婆さん「ねぇよ。今つくった」(笑)
トメ婆さんは、そうやってウソでもいいから伝説をでっちあげてしまえと二人に勧める。“恋人岬”を見よ、あの岬で恋人が結ばれるなんて伝説はなかった、ただ地元の人間が“恋人”岬って名付けただけ、それなのに全国からカップルが押し寄せるようになった。あの展望台も、伝説にちなんで最初から下半身だけの狸を作るつもりだった、この下半身のポン太を拝むと生涯人から騙されなくなると言えばいい、そこら中から人が拝みにやって来る…と。
壊すのにも莫大なお金がかかるし、ただ放置しておくにはあまりにみっともない下半身だけの狸。しかし世間を騙すのは…とためらう村長に、トメ婆さん「“行くも地獄、戻るも地獄、ならばここらが極楽だ”って言うでねぇか」「そんな諺あるか?」「ねぇよ。今つくった」
こうして、巨大な狸の下半身の建造物は、くすのき村の伝説にちなんだ“身代わりポン太”として無事除幕式が行われ、全国から「どうかオレオレ詐欺にあいませんように」「結婚詐欺にあいませんように」と人々が願いに来るようになった…というお話。


誰もが「なんかおかしくない?」って感じる出来事、それをとりあげる。その“おかしさ(ヘンなところ)”を嗤う。だから痛快なのですね。志の輔師らしい新作。


志の輔師が舞台袖に消え、マンガ日本昔話のテーマが流れる中、舞台にスクリーンが降りてきた。こんなコトが言われていましたね、って様々な言い伝えや都市伝説が流される。“「コアラのマーチ」の中にまゆげのあるコアラが入っていたらいいことがある”“佐川急便の飛脚のふんどしをさわるといいことがある”・・・こんなの企業が言い出したにきまってます。だから、今年はコレをあなたのまわりの10人に伝えてください。「黒紋付の落語家を観ると、幸せになる」(笑)


仕事の関係者が足を捻挫した。原因は…
彼は、スニーカーを履いて外に出てから忘れ物に気づいた。そういう時、ヒモのあるスニーカーなんかをまた脱ぐのは誰でも面倒だ。彼もそうだった、彼は床につく面積を極力少なくしよう…と思い、スニーカーを履いたままエッジをたてて…つまり、足の外側の側面だけで歩いて室内を歩いていったw 忘れ物まであと一歩という時、カクっとよろけて足を挫いちゃったのだった。
そんなコトしたら怪我するかもしれない、それなら最初からスニーカー脱いで面倒でもまた紐を結んだほうがいい、そんなことちゃんと分かっている、でも「人間は分かっていてもバカなコトをしてしまうんですな」「そんな可愛い人間」・・・というマクラから『踊るファックス』へ。
小林薬局に間違いファックスが届き、それがきっかけで最後には顔の見えない知らない相手とファックスで罵倒しあう…というお話。
客席をドカンドカンと笑わせていたなぁ。聞いたことない人が結構いるんだなぁと思ったけど、何度も聞いてる私も声をあげて笑ってしまった。常連の落語客をも巻き込んでしまう、独特の空気―とても素直な熱い期待感みたいなもの―がこの会の客席にはあるみたい。つい、一緒になって笑っちゃうのね。


中村仲蔵
上演時間およそ1時間10分。
志の輔師の仲蔵は、最初に、昔(今もそうだけど)歌舞伎の世界では“血筋”のない人間が役者として出世するのが、どれだけ異例なことであったかということを丁寧に説明する。だから、團十郎に引き上げられた仲蔵が、“特別扱い”と見られて仲間から嫉みをうけるということが自然に納得できる。
説明が丁寧なのは、忠臣蔵「五段目」のかつての位置づけの解説もそう。
こういうところは落語口調じゃなく、マクラを語る時のような口調なんだけど、仲蔵が新しい趣向をぶつける五段目の場面はガラッとケレン味たっぷりになる。そこに会場の照明やツケの音を入れる演出が加わる。
「おーい!とっつぁーん!」カカン!(杵でツケ板を叩く音)、ちょうど花道の位置にあたる舞台に向かって左側の会場通路に天井からパッとライトが当たる、「つれになろうかーーい!」・・・
解説と演劇的なところのメリハリがはっきりしてて、分かりやすく飽きない。


最後の芝居通のおじいさん(何か訊かれると「ホゲェ」って答えるw)が出てくるところでグッとくるんだよなぁ。
この日はあちこちで鼻をすする音が聞こえて、あーみんな泣いてるー、そうだよね、ココいいとこだよねぇ…と思ったら、自分もしみじみしてしまった。


2008年国立劇場大劇場以来の志の輔中村仲蔵』は、その時と大きく変わったところはなかった。
ただ、今回印象に残ったのは、噺の途中に挟んだ志の輔師のこんな芸談
「よくアイツがライバルだとか言いますが、人じゃない、芸人にとって一番恐ろしいのは“飽き”かもしれません」
同じことを繰り返すうちに、昨日も上手くいった、今日も同じようにやればいい、まぁこんなものだ…そういう気持ちになりやすい。
「今日、この瞬間がベストの状態だ!と思い込ませる“技術”、それが大事なのかもしれません」「それくらい“飽き”は恐ろしい」


結局、落語って、落語家は「同じ噺を何度もやる」、客は「何度も聴く」っていう芸能。“客を飽きさせない”ためには“まず自分が飽きない”ということが大切…って考え方か。志の輔師は、自分がどれだけ日々新鮮な気持ちで高座をつとめられるか?ってことにチャレンジっていうつもりもあって、この1ヵ月公演に臨んでいるのかなと思いました。


あー、パルコのことは、コレだけ別に書いても良かったなw


1/11(月) 新春恵比寿寄席 柳家喬太郎橘家文左衛門二人会
16:00〜18:51@EBIS303
前座 柳家小んぶ『小町』
柳家喬太郎『錦の袈裟』
橘家文左衛門『芝浜』
仲入り
橘家文左衛門『のめる』
柳家喬太郎『ハンバーグができるまで』


喬太郎『錦の袈裟』 お馴染みのマクラ「尾がないのに騙すからおいらん(花魁)」に笑わない客席。喬太郎師「落語ファンが揃っているとこういうマクラに反応がない」、袖の文左衛門師に「おーい!手ごわいよー!」w
確かに、やたらヘンなところで笑ったり、“自分、ツウです”的アピールなバカ笑いをするヒトはあんまりいなくて、たぶん両師のファンである常連客と、「初めて落語を聴きにきました!」って感じの若い人が混じっていたのかな?という印象。志の輔師のパルコに比べたら、落語の客として「純度が高い」とでもいうのかしら?w、そんな客層でした。


喬太郎師の『錦の袈裟』を聴くのは初めてだったけど、とても良かった。とにかく与太郎が可愛い。
吉原に誘われて「行きたいっ!ことのほか行きたい!」、女房に口上を“口うつし”で教えてやるからと言われ、嬉しそうに「なんだかんだ言って、あなたも女ですな」、袈裟のふんどしを締めた姿を女房に誉められて「誇らしいっ!」・・・
喬太郎師の新作によく出てきそうなキャラがちょっとだけ入っているけど、与太郎以外は“きちんとした古典”という印象。


そして、続く文左衛門師は本気の『芝浜』。『芝浜』と分かって「え!ここでやっちゃいますか?!」とちょっと吃驚したが、久々に観れる!と嬉しかった。そして、この日の『芝浜』はことのほか良かった。
文左衛門師の勝五郎はあくまで男臭く、女房はあくまで可愛く。ハゼの佃煮を掌にのせて食べるところは、何度見ても上手そうだ。
「別れないで!勝っつぁんのこと好きだから」…女房のこのセリフも良かった。初めて聴いた時のようにドキドキした。
上演時間1時間弱(55分くらいと思う)。仲入り前の二席で、今日はもうこれで終わっても十分満足だと思った。


『のめる』は凄く楽しかったなぁ。
八っつさんがご隠居に“つまらねぇ”が口癖の半公のことをこぼす。「あいつとこないだ寄席に行ったんですよ、やたら“つまらねぇ”って…」、ご隠居「芸協の寄席か?」「えぇ、ま、そうなんですけどね。…アレ、両国寄席だったかな?」(笑)


文左衛門師が終わって仲入りに入った時点で、予定していた終演時間(18時)を過ぎていた。こうなったら、喬太郎師にもガッツリ古典をやって欲しいなぁと思っていたが、マクラで“スーパーのお惣菜”ネタが始まったので「あぁ…アレに行っちゃいますか〜」とw でも、仲入り前にあんな凄い『芝浜』があって、楽しい『のめる』があって…という流れだったから『ハンバーグができるまで』はグッドチョイスだったかも。それにこの日の『ハンバーグが〜』はとても良かった。


チームプレイの妙というか、二人会はこうでなくちゃ!という見事な流れ。息の合った二人だからこう出来るんでしょうね。


1/13(水)白酒ひとり
19:00〜20:52@内幸町ホール
寿限無
質問に答えます
『羽うちわ』
仲入り
『宿屋の富』


わたしは今まで『天狗裁き』しか聞いたことなくて、『羽うちわ』を聞いたのは初めてだった。そーかぁ、あの噺を全部ちゃんとやるとああなるのか。


寿限無が面白かった。『寿限無』にはいくつかやり方があって、白酒師のは甚語楼師に教わったあんまりメジャーじゃないバージョンだそう。学校寄席でやると子供に「ちがーう!」って言われるそうだw
ご隠居が次々と提案する名前に、男がいちいちケチをつけるわけですが…
海砂利水魚シーシェパードにやられそう/スイギョウバツ・ウンライバツ→“バツバツ”って成績悪そう/喰ウ寝ルトコロニ住ムトコロ→言っとくけど、人の名前なんですよ!/ヤブラコウジブラコウジ→杉田ヤブラコウジってダブルスみたい/シューリンガングーリンダイ→うち日本人なんで「ハーフなんですか?」っていじめられても困る・・・
男があくまで“名前としてヘンではないか?”という視点で文句を言っているところが、白酒師らしくて可笑しかった。
わたしが一番ウケたのは…
寿限無のお婆さんが「うちの、じゅ・じゅ・じゅじゅじゅ・・・ジュリアンヌ・マリアンヌ・怒涛の寄り切り!」


『今おもしろい落語家ベスト50』をお読みになったそうです。自分に票を入れたファンのほとんどが、「“毒”がいい」とコメントしていたのが気になったそうで、「今年は“クリーンな感じ”“ホワイト”でいくのが目標」と心にもないことを仰っていらした。
マジな目標としては、圓朝もの・人情噺を手がけたいとのこと。「心中時雨傘」などやってみたいとのこと。


落語者』の収録こぼれ話も少々。
個人的には、あの番組の司会をやる女子アナは落語に“詳しい”必要は全然ないけど、落語に“ホントに興味がある”人であって欲しかったな…と思っている。もっとも、わたしは落語はライブで観る派なので、テレビの落語番組に多くを期待してないんで、まぁいいんですが。


1/14(木)志らくのピン
19:00〜21:10@内幸町ホール
開口一番 らく次『雛鍔
志らく『たいこ腹』
 〃 『明烏
仲入り
志らく鰍沢


志らくさんの『たいこ腹』は、鍼をうたれたネコは一声断末魔の叫びを上げて死んじゃうのだ(笑)、かわいそー(笑ってるけど)。
それから一八が、なんの躊躇も迷いもなく、パーパーパーパーヨイショしまくるのですが、リズムは気持ちよく、言ってることは下らなく(「あなたのことをなんと誉めていいか分からないっ!今、松島を見た松尾芭蕉の気持ちが分かった!」「若旦那、あぁ若旦那、若旦那!」w)、もうホントに楽しかった!。


明烏 “弁慶と小町は馬鹿だなぁ かかぁ”の川柳をあげ、「わたしはあの若旦那は“異常”だと思う」と。なので、志らく師の時次郎は、これでもか!ってくらいオカシイ。紛れも無く異常です(笑)。
志らく師の時次郎はただの読書好きじゃない、“辞書”を読んでるのだw「あと、経文を読みたいですね。耳なし芳一の体に書いてある経文を隅から隅まで読みたい・・・」と目つきが怪しい若旦那。父親「…婆さん、涙ぐむんじゃないよ。どうしてこんなになっちゃったかは後で相談するんだよ」w
もっと別のところをコチコチに…という父親のつぶやきを聞きつけて「どこですか?膝?かかと?頭?」としつこく食い下がる時次郎に、「すまない、ヘンな話題をふってごめんよ」と謝る父親(笑)
時次郎を除けば、他はわりとオーソドックス、「柳の下にたってます」「お化けだな」…なんて聞きなれたやりとりなのですが、とにかくこの時次郎のオカシさが突出してて、それが物凄く面白い。爆笑だった。
志らく師自身は「(明烏は)そんなに得意じゃない」と言っているが、いやもう、こんなに面白い『明烏』は久々でした。


そして志らく師が「わたしの中ではホラー落語」という鰍沢。サスペンスホラーのような緊迫感のある運びと、意表を突くサゲ(「びっくりオチ」って仰ってたw)のギャップが激しく、最後は笑っちゃう。でも、三題噺ってもともとムリのあるストーリーだから、こういうのアリだと思います。
お熊がとっても怖かった。旅人の胴巻きの中をしきりとのぞこうとする様子、何度も何度も「玉子酒どうです?」とすすめるしつこさ、亭主の亡骸(亭主は、毒の入った酒の残りを飲んで死んでしまうのだ)に子守唄を唄いきかせる不気味さ…。
この不気味なお熊の描き方がとても上手い。また、旅人はお酒が苦手でしかも酒が熱いから少ししか飲めない、一方亭主は、冷えた玉子酒だからごくごく飲んでしまう(だから毒で死んでしまう)…というのがよく分かった。細部にちゃんとリアリティがあるから、噺にノレるのですよね。


1/27(水)百栄・一之輔ふたり会
18:45〜21:06@湯島天神
開口一番 ぽっぽ『ん廻し』
一之輔『あくび指南』
百栄『小噺チャチャチャ』
仲入り
一之輔『明烏
百栄『浮世床


男性客および先輩噺家たちの間で絶大な人気を誇るぽっぽちゃんの後に高座にあがった一之輔さん、彼女のことを“ファブリーズ前座”と。彼女が出た後で高座にあがると、とってもいい匂いがするんだそうだw
でも、ぽっぽちゃんのすぐ後の一之輔さんは、返した座布団に座るので、ぽっぽちゃんの匂いもぬくもりも味わえない。「それを味わうのはこの後に出る百栄師匠」と言われ、一之輔さんの後に出た百栄師は、お約束どおり、ぽっぽちゃんが座った座布団に思い切りカオを押し付けた。バーカw
百栄師はそういうスケベ&変態全開のときのほうが断然面白い気がする。


一之輔さん、この日は『あくび指南』も『明烏』もかなり崩していたという印象。『あくび指南』は、最初の、男が習いに行くのが“あくび”だと言うところで“あくび”とはっきり言わない・聞き取れない…というのをヤケに引っ張ったり(自分で「“あくび”でそんなに引っ張るんじゃないよ」と言ってた)、男がカッコつけて言う「でぇくです・・・でぇく」「うち・・・建ててます」というセリフも、かなりタメてたな(ここんとこ好き)。
明烏は、ところどころに挟まれた、一之輔さんらしい醒めたセリフ・醒めた言い方に、くすっときた。
おこわを“13杯”おかわりしたという時次郎に、おとっつぁん「あんまりいい数字じゃないな。もちょっと増やすとか減らすとか」/時次郎にお金はこちらが出します、なんたってあなた方は“町内の札付き”…と言われた源兵衛&太助、「よろしくお願いしマース!」「町のダニと言われておりマース!」・・・とか。
あと、可笑しかったセリフ
時次郎、花魁のかんざしをいっぱい指した髪型を「黒ヒゲ危機一髪みたい」/「青少年吉原入門36ページで読みました!」/「く・る・し・ひ…」・・・


百栄師の『小噺チャチャチャ』は、前日せめ達磨でネタ下ろししたものらしい。落語というより、長めのマクラといった感じ。面白かった!小噺は、ちょっとセリフに感情を込めたりちょっとした設定を足すと、意外なストーリーになります…ということで、例えば“「隣の空き地に囲いができたってね」「へぇ(塀)」「カッコイイ(囲い)」”という小噺が、いつのまにか「実家が牛久の土地持ち」という青年のプロポーズになってしまう(笑)。バカバカしいけど、すごく笑った。
浮世床』は、太閤記をうまく読めない男、読めなさ杉で可笑しい。また、半ちゃんの夢のところ、女が絹布のお布団に入ってこようとして〜というところで、話を聞いてる男達が色めき立つところは、変態全開!で可笑しかった。


1/28(木)源覚寺寄席
19:00〜21:05@こんにゃく閻魔 佛心庵
開口一番 朝呂久『一目あがり』
一之輔『長屋の花見
一左『宮戸川
仲入り
朝也『厄はらい』
正太郎『粗忽の釘


源覚寺寄席第一回は春風亭の二つ目たちの会。会場がご近所だったもので、つい二日続けて一之輔さんを観にいってしまった。


一之輔さんは、昨日に比べたらオーソドックスな『長屋の花見』。トリは二つ目になったばかりの正太郎さん(これ、軽いイジメ?w)。『粗忽の釘』はネタおろしだったそう。本人は早口過ぎた・噛みすぎたと反省していたが(たしかに早口でよく噛んでいた)、そういうのは気にならなかった。安心して楽しく聴いていられたので、立派なものだと思います。


以上。とりあえず一月をソーカツしました。