【感想】『この落語家に訊け!』

『この落語家に訊け』を読みました。とても楽しくて一気に読んでしまった。


なにが楽しかったって、著者と落語家がすごく楽しそうに話してる感じ。落語家がとてもリラックスして喋ってる。例えば、文左衛門師匠の「コーンと打たれたらコーン、ですよ」なんて言葉。あぁ文左衛門師匠はこういう言い方するな…とその時の表情と言い方がアリアリと浮かんできて(文左衛門ファンは分かりますね?)、ニヤッとしてしまった。そして著者本人がすごく楽しそう(笑)。広瀬さんは普段も落語のことになるとお喋りな方ですがw、この対談でも落語家に劣らず饒舌だ。だからこの対談はホントに楽しく盛り上がったんだろうなと想像します。
自分の好きな人に会って、訊きたかったいろんなことを一つ一つ確認してって「やっぱりそうですよね!」っていう著者の嬉しさや喜びが伝わる、そういう空気が読んでいてとても楽しかった。


それと、広瀬さんは基本的に“ファン目線”で落語を観てて、それが一介の落語ファンである自分が強く共感する所以。例えば、喬太郎師との対談で、広瀬さんは2008年10月の「さん喬・喬太郎親子会」(@なかのゼロホール)の公開小言について尋ねている。自分もあの会には行ったが、あの会の値打ちはさん喬師匠の公開小言に尽きる!と思ったし、師匠にああ言われた喬太郎師はどう思ったろう?というのをずっと知りたかった。「よくぞ訊いてくだすった!」って感じ(この件についての喬太郎師のお話、いいですよー!)。
この本を読んだある落友の感想は「広瀬さんが落語家の“心のおだん”って感じ」というものでしたが、ホントにそうです、喬太郎師のことを著者はすごく励ましています(笑)。そういうところからも、“ファン”という立場から落語家を見守ってるのだなと感じる。


落語が好きな人は、きっとこんな風に好きな落語家と話したい!と思うことがあるはず。でも、もちろん、落語が好きなだけでは落語家とこんな風には話ができないのだ。落語家から“ちゃんと落語が分かっている人”と信頼され、落語家への眼差しに愛がある人だから、こんなに楽しい対談になったんだろうと思う。


また、本の中で、繰り返し・強く強く「落語の魅力は、演者の魅力」「面白くない落語は“上手い”とは言えない」と言っているところも心強かった。わたしは数年前からの落語ブームがきっかけで落語を聴きはじめた新参者の落語ファンだけれど、そういう自分のようなファンを「誰にでも分かりやすいモノしか楽しめない、落語という芸能の真髄を理解できないヒト」というような冷ややかな視線で見ている落語通という人たちが、ずっと分からないでいる。また、わたしはただ「この人はなんて楽しそうなんだろう!」って思える落語家を、「なんて面白いんだろう!」って思える高座を観たいだけで、人から“面白い”と聞いた落語家がいればどこへでも観に行くというスタンスなんだけど、落語ファンの中には「古典と新作」「寄席とホール」「○○協会と○○流」…というような線引きをするヒトがいて、そういうヒトから“線”を引かれて「我々とは違いますね」的扱いをされたりすると、とても悲しい。でも、この本を読むと、そういう落語通や落語ファンのことは気にせずに、今のまま落語を観ていればいいんだなと思える。


最後に自慢させてください。
昇太師匠との対談で、広瀬さんが“凄くポジティブ”と言ってる昇太ファンはわたしです。偶々「今度、昇太師匠にインタビューするんですが、訊きたいことありますか?」って訊かれて、「わたしは昇太さんがどんな落語をやろうと(新作でも、カミカミの『宿屋の仇討ち』でも、似合わない『牡丹灯篭』『文七元結』『芝浜』をやろうとも)、この先もずーっと・全面的に肯定!の姿勢をとるものであります!」と伝えてくださいとお願いしたのだった。広瀬さんは昇太さんにそれを伝えてくださった。それを聞いて昇太さんが大笑いした、「僕のファンは日本一ですよ」と言っていたよと後で伺ったのですが、本にも書いてくださった。凄く嬉しいです。