12月前半の落語



あんまり落語に行けなかった先月の反動で、8日から12日まで立て続けに落語に行ってしまった。まぁ行けるときに行っとけって話です。幸運にもアタリ続きで、いい落語をいっぱい聴けました。


12/2(水) 
寄席井心亭 師走 柳家喬太郎
19:00〜22:00@みたか井心亭
柳家喬太郎 『たらちね
春風亭柳朝 『鹿政談』
仲入り
春風亭柳朝 『尻餅』
柳家喬太郎 『彫師マリリン』
トーク&客席からの質問に回答
自宅から遠いしチケットとるのもタイヘンなんで今まで行ったことなかった。たまたまチケットを譲っていただいて、この日初めて行ったんですが、いい感じの会ですね。
喬太郎師がリラックスしてて、でも力は抜いてないって感じ。
『たらちね』はフルバージョン。長屋でお嫁さんを待っている八五郎の妄想が可笑しい。『彫師マリリン』のマクラは、この手の新作(『夜の慣用句』とか)の時によくやるネタ(“女のコが隣に座る店が苦手だ”“進藤さんに連れられて、市馬師・甚五郎師とフィリピンパブに行った”…等々)で、毎度面白い。さすが使い慣れたマクラの会をやるヒトだw この日は内腿の刺青がレインボーダッシュ4だったりして、たいそうノッていらした喬太郎師。


12/4(金)
国際理解のための落語会
18:00〜21:10@お茶の水女子大学徽音堂
主催者の挨拶お茶の水女子大学グローバル教育センター長&ミドルベリー大学夏季日本語学校長・畑左氏)
落語の演じ方のデモンストレーション(さん喬師&畑左氏)
開口一番 留学生達による小噺の発表
柳家さん喬 『そば清』
鏡味仙花 太神楽
柳亭左龍 『棒鱈』
仲入り
林家二楽 紙切り
柳家さん喬 『幾代餅』
留学生一同が舞台に再登場/挨拶
自宅が会場の近所なんで、行ってみた会。さん喬師と左龍師は、毎夏、米国バーモント州で落語会をなさっているが、その関係の催しで、日本語を学ぶ外国人留学生のために開かれた会でした。
落語はさん喬・左龍両師匠のお得意のネタではあるし、楽しめた。さん喬師匠らにお稽古してもらったという小噺を披露した留学生達と、観客のお子達(大学関係者や日本語教育関係者のお子さんだったのかな?)が微笑ましかったです。お子達はおとなしく落語を聞いていたが、紙切りが始まって、二楽師が「ご注文は?」と尋ねたら、一斉に口々にお題を叫び始めた。可愛くて笑ってしまいました。


12/8(火)
志らくのピン
19:00〜21:15@内幸町ホール
志ら乃 『お若伊之助』
志らく 『二十四孝』
仲入り
志らく 『中村仲蔵
志らく師、二席とも良かった。どっちかっていうと『二十四孝』のほうが好きだな。思わず出ちゃったアドリブ的ギャグが可笑しくて。“オツなキャッツだね”は良かったなぁw。留さんに「キレが悪いね」って言われた八っつぁんが「これ!奥や、奥〜」って、いきなり『青菜』を始めたところも笑った。
中村仲蔵』は、また細部を変えていた。仲蔵と金井三笑が「曽我の対面」の演出を巡って対立する件。会の直前にお稽古していたカラオケボックスの中で思いついたことをやってみたそうですが、志らく師の芝居論(落語論でもあると思う)が伺える。
“狐の面をつける”という新しい演出を試みようとする仲蔵を、三笑は“天狗になっている”と決め付ける。面をつけたら、客はホンモノの狐か工藤祐経か分からない、客なんて何も分かっていないのだから…という三笑に対し、仲蔵は「お客さんを見下したら芸の行き止まりだ!」「天狗のほうがまだマシだ!」。
落語もそうだと思うな、落語の客はちゃんと落語家の了見を見透かしていると思う。落語家が考える以上に、客にはいろんなことがちゃんと伝わってるものだと思います。


ところで、この会では、真打昇進をかけて頑張る志ら乃さんが『お若伊之助』をやった。熱演ではあったが、大急ぎでストーリーを追っただけという印象が否めない。志らく師の寸評は「“江戸の風”が吹いていない」。
“江戸の風”とゆーのは、“江戸っ子らしさ”とか“江戸っ子のニュアンス”とか、要するに落語の美学だと思います。“この噺だったら、この場面をこうやるべき”“このフレーズがキモ!”というのも落語美学に関わるハナシだと思いますが、志らく師は『お若伊之助』だったら、例えばココ・このフレーズ…っていうのをやってみせてくれた。 でも、何故そこが“江戸の風”なのか?っていうのは、分かる人は分かるし、分かんない人はやっぱり分かんない。結局、美学―「なにを粋とし、なにを野暮とみなすか?」という基準―は人それぞれで、それは全部ひとの頭の中にあることだから、他人が理解するのは難しい。暗黙知とゆーヤツだ。
落語の世界では、弟子は一生懸命、先人の美学を推し量って、自分で先人の暗黙知を会得するしかないのですが(ことに立川流では談志の美学に合致しないと真打になれないなので、談志に合わせるしかない)、でも、これは落語だけじゃなくて、どんな分野の仕事でもそうかもしれないです。自分の仕事でも、新人に「ココだ!」とゆー勘所を説明するのって難しくて、「頼む、分かってくれ!」と祈るしかないようなコトもあります。自分も、大昔、上司に言われたことで、今になってようやく「こういうことだったんだ!」と分かったこともあるなぁ…。すいません、“江戸の風”と志ら乃さんのことを考えてたら、落語から激しく逸れてしまいました。


12/9(水)
柳家小三治独演会
19:00〜20:50@銀座ブロッサム中央会館
一琴 『壷算』
小三治 『百川』
仲入り
小三治 『粗忽長屋
二席とも、この前聴いたのは2007年。久々に聴けて嬉しかった。特に『百川』!面白いフレーズがあるとか、セリフの言い方が可笑しいとか、慈姑のきんとんを飲み込むときの表情が可笑しいとか、そういうことじゃない。こみあげる“いとおしさ”、ちょっと泣きそうになるので笑うしかない、それが心地よい。なんかもう、得も言われない幸福感が生む笑いといいましょうか…。ああいう落語は小三治師匠でないと聴けないんだよなぁ。


12/10(木)
鈴本演芸場 12月上席夜の部
17:20〜たぶん21:00ちょうどくらい
春風亭朝呂久 『出来心』
三遊亭天どん 『たらちね』
鏡味仙三郎社中 太神楽曲芸
春風亭柳朝 『武助馬』
柳家三三 『加賀の千代』
昭和のいる・こいる 漫才
春風亭百栄 『激突・道案内』
五街道雲助 『強情灸』
仲入り
柳家紫文 三味線漫談
入船亭扇辰 『紋三郎稲荷』
アサダ二世 奇術
三遊亭白鳥 『メルヘンもう半分』
この日は、天どん・百栄・白鳥の新作組がたいへん良かった。特に、百栄師と白鳥師は聞きたいと思っていたネタだったので非常に嬉しかった。


天どんさんの『たらちね』 この前聞いたのは、昨年9月の喬太郎師の勉強会「一本柳道中双六」でした。その時よりも面白かった。八っつぁんがもらうお嫁さんは、父親が日本人・母親が外国人のハーフなんですが(金髪の髷結ってんだぜw)、そのデタラメな英語交じりの言いたてやギャグなんかが前より整理されてて面白くなっていました。
天どんさんは、まず最初に普通の『たらちね』の言い立てやってみせたのですが、つつがなくやり通し、ハラハラと見守る客を安堵させましたw
その後、いったいいつの時代なんだ?という『たらちね』が始まる。
金髪の嫁さんが喋る、いい加減な英語混じりのていねいな日本語が可笑しいです。
「自らの姓名をアンサー・ザ・クエスチョン?」「千代女と申し侍るなり〜ドーン・チュ?」「その英語、間違ってんだろ!?」〜「Oh!マイ・ダーリン、Oh!マイ・ダーリン、Oh!マイ・ダーリン、クレメンターイン♪」「よせよ、友達からクレメンタインの八っつぁんて呼ばれちまうだろ!」 〜「ライスのありかアンサー・ザ・クエスチョン?」「アメリカの国務長官かよ!」
“賤の男”は“ワーキングプア”でした(笑)
ところで、天どんさんは『反対俥』『大工調べ』なんかもおもしろい。天どんさんは実は新作より古典が面白い気がする(天どんさんは心外かもしれないけど)。


百栄師匠の『激突・道案内』は、『怪談・話ベタ』にも登場する、すぐにキレるヘンな奴・青木クンが登場する新作。しばらくやっていなかったけど、この頃頻繁にやってるみたい。とっても面白かった。
百栄師匠の新作も、その面白さを書くのが難しいです。通りすがりの人に道を尋ねられ道案内をした友人に、青木クン「その道案内の仕方は間違ってる!」ってダメ出しして、妙なところに細かくて分かりにくい“正しい道案内の仕方”を教える…ってだけの話なんだけど、青木クンがとにかくヘンで、そのヘンさが百栄師匠独特。ちょいちょい面白いギャグを言うとか、そういうズレじゃない、根本からヘンなヤツで、また、そういう人物を百栄師匠が演るからこそ面白い。百栄師匠じゃなきゃできない落語なんだよね。「その道を、“それなり”に行って下さい、“道なり”じゃなくて」、何故“道なり”じゃなくて“それなり”かっていうと、“みちなり”って言葉を聞いて、教えられた人が「藤原ミチナリかな?」って考えちゃうといけないから…なんだって(笑)。だいたい道真だしw、理屈がおかしいしw。常にキレ気味テンションの青木クンがおっかしい。


白鳥師の『メルヘンもう半分』この日一番面白かった。文字通り、爆笑しました。でも、古典『もう半分』の怖さ―貧乏の怖さ―もちゃんとあって、ちゃんとした“改作”だと思います。また、この作品からも、白鳥師の貧乏時代の恨み・つらみの根深さが分かりますw いや、笑ってはいますが、貧乏は怖いです、マジで。
永代橋のたもとの居酒屋の夫婦っていうのが、スナフキンとミイなんですw 二人はメルヘンの国から人間の国・お江戸に逃れてきて居酒屋を始めたのであった。メルヘンの国では、ムーミンたち妖精はいい暮らしをしてて、人間のミイやスナフキンは貧しい暮らしをしていた。ミイはそれが面白くない。また、人間のミイから見ると、争いごとがキライな妖精たちはきれいごとばかり言ってるようで鼻白んでしまう。ある時、ミイはムーミンパパの金時計を盗む。ムーミンたちはミイを疑うが、ムーミンママがミイを庇い、金時計がなくなったのは“春風のイタズラ”ということにされてしまう。
そんなメルヘンの国に嫌気がさして、ミイはスナフキンと駆け落ちしちゃったのだ。
しかし、お江戸の暮らしも苦労ばっかり。
そんな二人のところにムーミンがやってくるのです。ムーミンは忘れられつつありますが、メルヘンの国の住人は人間の記憶からなくなると死んでしまう。だからムーミンは人々から完全に忘れられないように、お江戸12チャンネルにアニメ「ムーミン」を再放送してもらうように交渉に来たのです(笑)。
ムーミンは懐に(懐ってどこだよw)100両を持ってるんだけど、それはテレビ局から要求されたスポンサー料で、ムーミンの恋人・フローレンが吉原に身を売って(笑)つくったお金だった…というように、基本的に古典『もう半分』どおりのストーリーです。
スナフキンとの再会を「僕達は友だちだよね」と無邪気に喜ぶムーミンに、ミイは「けっ!メルヘン野郎が言いそうなことだよ」と毒づく。
「人間はね、波風立てるのが大好きなんだよ」「金時計がなくなったのが春風のイタズラなら、いっ平が三平になったのは朝の幻かい!」、ムーミン「それはいっ平のお姉さんと別れた小朝師匠の罪滅ぼしだよ」(笑)。こういうギャグが一杯入ってる。白鳥師は自分の高座を録音してて、ウケたところを次回やる時に残すようにしてるそうですが、こういうギャグなんかがそれなんでしょう、ちゃんとキマってて爆笑を生んでいた。
ミイは、ムーミンが置き忘れた100両を届けようとするスナフキンを止めて、100両を奪ってしまおうとそそのかす。「ムーミンなんか、所詮他人だよ!」「これからわたしたちの子供が生まれるかもしれないのに、わたしたちの子供を橋の下なんかで育てて、その子は可哀そうじゃないのかよ!」「100両がなくなったのは春風のイタズラさ!」ミイの理屈は、まさしく古典『もう半分』の女房の理屈であります。
ミイがスナフキンに鰺切り包丁を渡して、ムーミンを殺して来いというところ、ミイのセリフがクール。「ムーミンなんていずれ皆に忘れられて死ぬんだよ、友だちが引導渡してやったほうがどれだけいいか」「人の世では、命より銭が重いときがあるん
だよ」
居酒屋を追い出され降りしきる雪の中を去っていくムーミンスナフキンに刺され川に突き落とされるムーミン・・・それは怖い場面なんだけど、あの丸い水色のムーミンの姿を想像してみ〜、可笑しくってしょーがないでしょー?


12/11(金)
こしらの集い
19:30〜20:50@お江戸日本橋亭
マクラ(今年やり残したこと「地球号に乗れませんでした」「カーナビCMのオーディションに落ちました」〜/知ってましたか?僕ボクシングをやってるんです〜)
『穴泥』
『大工調べ』
レビューが書きにくいといえば、こしらさん。小三治師匠に匹敵する書きにくさ(笑)。すごくどーでもいいところに、独特のくすぐりを入れてるせいだろうか、セリフだけ書いても絶対面白さが伝わらない、どこからどう書いていいかわかんない。
なんでしょう、あのヘンテコな面白さは?(って、かわら版のぐだぐだ連載みたいな言い草だ、すいません)
どうしても三両を工面してこい!って女房に追い出されて、三両欲しい・欲しい・欲しい・・・って思いつめた男が戸締りしていない家に泥棒に入っちゃうって話、『穴泥』。
こしらさんの男は、思いつめ方がヘンだ。ヘンってゆーか“新鮮”なんだよなぁ。
運よく三両が手に入らないか?と夢想するんだけど…
開店したてのふぐ屋が“板前が新米です、ふぐを食べてくれたら三両さしあげます”って話がないだろうか?って考える。「ねぇよなぁ、そんなカットモデルみたいな話」。
ここに木があって、みかんがなってないかしら?それをもいだら、向こうから来た男が「みかんを千両で売ってください」って言わないかしら?と考える。「言わねえよなぁ、しかもみかん今旬だし」・・・こういうの、何が可笑しいかわからないでしょ?
でも、これを、立川こしらが(とりあえずは“軽薄”としか形容できない)あの風貌・あの言い方で言うと、なんともいえず可笑しいのです。
でも、こしらさんは、思いつきでああいうのをやってるんじゃないのは分かる。『大工調べ』の棟梁の啖呵だって、落語らしくはないけど、つかえないんだよね。ちゃんと練習してるんだよなぁ。ただ、尻を端折って「何言ってやがんでぇ!この丸太ン棒!」とか、ああいう見せ場を流すのね(笑)。
こしらさんの落語も“江戸の風”は吹いてないと思います(笑)、でも面白いのです、間違いなく。とにかく不思議な魅力がある、立川こしら


12/12(土)
さと和寄席
14:40〜16:04@nagaya cafe さと和
春風亭一之輔 『ふぐ鍋』
仲入り
春風亭一之輔 『薮入り』
部室落語じゃない一之輔さんの落語を聴くのは、最近珍しいな。どっちも良かった。『薮入り』は、うっかりじ〜んとしちゃったよ(うっかりってこともないか)。
ところで、一之輔さんはこの会場の近くにお住まいだそーですが、このカフェを中心に半径500m内のエリアには、一之輔さんを含め8人の落語家が住んでるんだそうです。ぶらぶらしてたら誰かに会いそうなもんだ。


柳家喬太郎独演会 師走、忠臣蔵にて御機嫌伺い候 夜の部
18:00〜20:50@三鷹市芸術文化センター星のホール
さん若 『真田小僧
一龍斎貞寿 講談『武林唯七 粗忽の使者』
喬太郎 『聖夜の義士』
市馬 『七段目』
仲入り
市馬 唄『元禄名槍譜俵星玄蕃
喬太郎 『俵星玄蕃
さん若さん以外は全員が忠臣蔵に因んだ演目(いっそ、さん若さんもそうしたらよかった)。喬太郎師が二席とも忠臣蔵でくるとは意外だった。例年どおり、忠臣蔵ネタはひとつだけだと思っていたが、嬉しい誤算。トリネタの『俵星玄蕃』が素晴らしかった。


『聖夜の義士』は新作。自分は初めて聴きましたが、かなり前に三題噺で作ったものだそう。クリスマスイブ当日に大石課長から残業を命じられた毛利クン。おかげでやっとの思いでデートの約束をとりつけたケイコちゃんにフラれてしまう。しかもケイコちゃんは友人の上杉クンとディナーの約束をしたらしい。サンタの格好で青山で試供品を配るとゆークリスマスイブにあまりにもツライ残業を終えた毛利クンは、大石課長と二人でヤケ酒。“頑張るんだけど、いつも直前でダメになってしまう”と
嘆く毛利クンは、実は討ち入り直前に脱盟した毛利小平太の子孫。調子のいい大石課長の口調が突然改まり「あの脱盟者がいたからこそ、四十七人が際立つのじゃぞ」「課長…大石内蔵助?!」(笑)・・・グズグズ男に最後に希望の灯がさすとゆー心温まるお話w 喬太郎師らしい新作。


仲入りがあけて市馬師匠が登場、十八番『元禄名槍譜俵星玄蕃』を見事に歌い上げた。会場にはミラーボールが煌き、昭和の歌謡ショーみたい。
満足げに市馬師匠が退場すると、客席が暗くなり喬太郎師が登場。そして、たった今市馬師が朗々と歌い上げた『元禄名槍譜俵星玄蕃』をドラマチックな落語で聴かせてくれたのです。
この俵星玄蕃という落語、講談を落語に直したのか喬太郎師の創作なのか分かりませんが、喬太郎師らしい演出で見事な芝居を見ているようでした。
照明を落としそこだけ明るい高座が、玄蕃と蕎麦屋杉野十平次が二人で酒を飲んでいる夜の道場に見えてきた。上杉に仕えるか?松平に仕えるか?どちらにも仕えずに、赤穂の義士の手助けをするか?迷う玄蕃は十平次に「そのほうならどうする?」と尋ねる。「わかりません。蕎麦屋でございますゆえ…」「いいかげんにせんか!面ズレ蕎麦屋!」
激しい稽古と酒で迷いをまぎらわす玄蕃に、十平次は言う。「先生はずるうございますな」。上杉に行きたくないのは赤穂の侍に刀を向けたくないから、松平に行きたくないのは赤穂の助太刀をしたいから…という玄蕃を「逃げておられます」とズバリと指摘する十平次。
翌日、いとまごいに来た十平次に玄蕃「最後にもう一度聞かせてくれ。そのほうならどうする?」。十平次「蕎麦屋蕎麦屋をやるだけでございます」。
その後、赤穂の四十七士は吉良邸に討ち入る。『元禄名槍譜俵星玄蕃』が描くあの名場面です。
昼の部を観た落友によれば、この場面には、迷っていた玄蕃が十平次のおかげで吹っ切れた…という意味合いの印象的なセリフがあったそうですが、夜の部はなかった気がします。喬太郎師は昼夜二回公演のせいか、喉の調子があまりよくなくて疲れていたのかもしれない(それを差し引いても見事だったけどね、夜の部も)。討ち入りの場面も良かったけど、わたしは夜の道場の場面、討ち入りを前に訪れた十平次の“蕎麦屋蕎麦屋をやるだけ”というセリフが印象に残った。ひょっとして、今の自分の心境を重ね合わせてるのかしら?喬太郎師…と思ったりした。


今年のある時期から、喬太郎師の高座はいつ観ても気持ちよいものだった。実は以前の喬太郎師は、時々「忙しいのかもしれないけど、我々にあたられたって…」と感じることがあって、そんなに好きじゃなかったんだけど、今そういう空気は全然ないなぁ。文春の『今おもしろい落語家ベスト50』、あのアンケートに、わたしは1位志らく師・2位白酒師・3位一之輔さんを回答したのですが、第1位喬太郎師の結果には異議なし!ですw
今の喬太郎師の充実振りは本当に見事です。