五月後半の落語



5/19(火)
みなと毎月落語会 立川志らく独演会
19:00〜21:02@麻布区民センター
開口一番 らく兵 『洒落小町』
志らく 『黄金餅
仲入り
志らく 『井戸の茶碗



5/20(水)
真一文字の会
19:30〜21:10@日暮里サニーホール
『唖の釣り』
粗忽長屋
仲入り
『鰻の幇間



5/21(木)
志の輔らくご 21世紀は21日
19:00〜21:10@新宿明治安田生命ホール

※全て志の輔
志の輔 『だくだく』
志の輔 『お菊の皿
松元ヒロ パントマイム
志の輔 『三方一両損



5/29(金)
立川談春独演会
19:00〜21:20@三鷹市芸術文化センター星のホール
こはる 『金明竹
談春 『不動坊』
仲入り
談春 『木乃伊とり』



5/30(土)
30日WA百栄落語会
14:00〜16:03@studio FOUR

※全て百栄師
『佐野山』
天狗裁き
仲入り
『エンタのジョー』
『化物つかい』



柳家喬太郎みたか勉強会 夜の部
18:00〜20:00
ちょっと過ぎてたかも三鷹市芸術文化センター星のホール
小ぞう 『粗忽の釘
喬の字 『棒鱈』
喬太郎 『へっつい幽霊』
仲入り
喬太郎 『青菜』



5/31(日)
新宿末廣亭特別興行夜の部 文左衛門・喬太郎二人会
17:00〜20:50頃
開口一番 柳家小ぞう 『野ざらし
春風亭一之輔 『初天神
柳家喬太郎 『ぺたりこん』
橘家文左衛門 『寝床』
仲入り
橘家文左衛門 『千早振る』
ロケット団 漫才
柳家喬太郎 『井戸の茶碗



◆一之輔さんのこと
この頃、わたしは、白酒師と一之輔さんが面白いなぁと思っているのですが、一之輔さんは最近とみに面白い気がします。彼が出演する会に行くのが楽しみでしょーがありません。
※余談ですが、わたしは協会の春風亭では百栄師匠がいちばん好きなんだけど、近頃は『天使と悪魔』の鈴○のお席亭のように、一之輔さんに心が傾いています。ごめんよ、百栄師匠。だって師匠ったら、自分で「7回に1回くらい面白い…かもしれない」なんて言ってるんだもん、せめて“3回に1回”、大マケにマケて“5回に1回”くらい面白い百栄を観せてくれないと!
というわけで、今回もまたまた一之輔さんのことを書きます


一之輔さんのご贔屓の方は「今頃一之輔のおもしろさに気づいたのかよー」とお思いでしょうね、すいません。でも、一之輔さんの落語も変わってるんだろうと思います。5月後半に聴いた中では『唖の釣り』『初天神』の面白さが格別でしたが、どちらも何度も聴いてる友人たちは「前よりも面白くなってる!」って言ってた。


(いつも同じコトを書いてますが)一之輔さんは、皮肉を口にする時の醒めた感じがなんとも言えない。『初天神』だと、「あたい、おとっつぁんのこと大好き!」っていう金坊に父親が返すひとこと、「そうか。おとっつぁんはおまえのことそれほどでもねぇ」。“それほどでもない”っていうのと、その醒めた言い方がたまらないです。


また“間”が絶妙。
同じく『初天神』の“♪ヨーイ・ヨーイ・ヨーイ、ヨイットコラセー”のところ。金坊はちょっと嬉しそうな父親に一言、「無邪気だ」(この言い方が、まさに“言い放つ”というような言い方で、一之輔さんらしくて可笑しい)、そして父親は父親で、間髪を入れずに「そういうところがキライだ」。
『唖の釣り』で、親孝行を装ってお目こぼしされた与太郎寛永寺を去っていくところ。
与太郎「また来まーす!」
役人「来てはならん!」
“無邪気だ”“そういうところがキライだ”、“また来まーす!”“来てはならん!”、これだけのやりとりで笑っちゃうのは、“間”が見事だからと思います。


それから、“表情”の面白さと“でかい声”で笑わせられちゃうことが多い。
『鰻の幇間』の、鰻屋で一八が運ばれてきた酒と料理に箸をつけるところ。一八の表情で、それがどんな酷い味なのかよーく分かりました(笑)。香のものを口にした一八が、一瞬、遠い目をしたところ(失神しそうになる)で、すごく笑ってしまった。一八は、後で女中に「口に入れた途端、気を失いそうになったよ!」って怒ってたw。
初天神』で、ゴネて飴を買ってもらった金坊が飴を頬張りながら喋るところ。ここは金坊が何を言ってるのかサッパリ分からないのが可笑しいのですが、一之輔さんの金坊はワケ分からない上に声がムダにでかい。それが可笑しい。父親「ピョンヤン放送か!」「ミサイルが発射されたのかと思った」。


31日、末廣亭余一会の『初天神』は、金坊と父親の攻防が凄くて、ホントに面白かった。
父親にどつかれて飴を落っことしてしまう金坊が、顔をゆがめ声を出さずにアウアウと口だけで泣くカタチを見せ、ためるところがありますね?その後、普通の『初天神』の金坊は思いっきり絶叫して笑わせますが、一之輔さんの金坊は泣き顔からふいに真顔になって「泣くと思ったら大間違いだぞ!!」と父親を怒鳴りつけ、恫喝するのであった。
父子の“アンコ”“ミツ”のやりとり。
父親「アンコ!」金坊「ミツ!」と延々言い合って、最後に金坊が「アンコ!」とわざと間違えるのです、すると父親はつい「ミツ!」と言ってしまい、「今、ミツって言った〜!」。こうして金坊はミツを買ってもらう。
父親も負けてないの。ダンゴのミツを舐めるところ。この父親は、散々ダンゴを舐めた挙句にダンゴを一つ食べちゃうのだ。金坊「いっこ食ったー!普通ミツだけだろ?!(怒)」。


いま思い出してもやっぱり可笑しい。この『初天神』はまた観たい。是非通しで聴きたい。


◆その他いろいろ
末廣亭余一会「文左衛門・喬太郎二人会」は、一之輔さんだけじゃなく、文左衛門師も喬太郎師も、それからロケット団も面白くて、本当に楽しい会でした。ざあざあ雨が降る中並んだかいがありました。小ぞうさんの『野ざらし』には吃驚したが、文左衛門師に脅迫されてやったらしい(笑)。


○5月末は、たまたま立て続けに喬太郎師を聴いたのですが、改めて喬太郎師の達者さに感心しました。4月・5月の2ヶ月間で『次郎長外伝 小政の生い立ち』『心眼』『ハンバーグができるまで』『牡丹灯篭 お札はがし〜おみね殺し』『へっつい幽霊』『青菜』『ぺたりこん』『井戸の茶碗』の八席を聴いたが、どれも良かった。『心眼』の人の心の闇、『ハンバーグができるまで』の男女のかけひき・心の揺れ、『ぺたりこん』の不条理、『青菜』『井戸の茶碗』の楽しさ…どんな噺も面白く聴かせてくれるのはさすが。難しい『へっつい幽霊』も、一年前に聴いたときよりも良くなってて(ナマイキですいません)、次に聴くときはどうなってるかなぁと楽しみ。
会に行くのが楽しみで、行って「来て良かった!」と思わせてくれる落語家、つまり“期待も満足も高くもたせてくれる落語家”がわたしは好きなのですが(…そりゃそうか、誰でも)、自分にとって喬太郎師は、期待と満足のバランスがとりにくい落語家であった。思いがけず大喜びさせられることもあるけど、肩透かしを食らわされることもある。なにか気に障ったの?調子が悪いの?と不可解な時もあって、そういう忖度をさせるところもめんどくさかった。でも、ここんとこ喬太郎師の高座はいつも楽しい。喬太郎師が大らかになったのか、観てる自分が寛容になったのか、なにが変わったのかは分かりません。たまたま今がいい感じなのかもしれない。ともかく、この状態はいいな、これからもこんな風に喬太郎師を観たいなと思うのであります。


○29日、4月のひる談春からおよそ2ヶ月ぶりに三鷹の独演会に行った。久々に談春師の高座を観て、当分談春師の独演会は行かないほうがいいなぁと思った。で、1日の成城ホールの杮おとしの独演会のチケットも持っていたのだが、三鷹の後で人に譲った。


この1〜2年、談春師には“初めて落語を聴く・初めて談春を聴く”客、つまり“白い客”を増やしたい意向があったようで、それは独演会を白談春と黒談春に分けたこと、黒談春を早々にやめたこと、今年は東京での会が減ってること等々から伺い知れた。先日は、にぎわい座での発言を複数の知人から聞いて、立川談春というヒトはこういう落語家であろう、こういう落語をやるつもりであろう…という自分の想像と、談春師が行こうとしている方向は、ずいぶん違ってたみたいだと思った。
久しぶりに行った独演会は、客席で知った顔をほとんど見なかった。客層が変わったのか。それともみんな昨日の公演に行ったのかな?談春師の落語もだいぶ変わってる気がした。白い客に聴かせたい落語がこれなのかな? 『不動坊』も『木乃伊とり』も、自分には面白くなかった。
今の立川談春と自分が勝手に描いていた談春像のズレ、その違和感が自分に談春師の落語を素直に聴けなくさせているのかもしれないなぁ・・・
そんなこんなで、しばらく談春師は観ないほうがいいと思ったのです。
それにこの判断はそんなに悪くないと思う、だって、自分はチケ取りの苦労が減るし、今まで談春師とバッティングしてあきらめていた落語家の会に行けるし、わたしに替わって白いお客さんが行けば、お客さんは喜ぶ、談春師は満足、こりゃーもう八方丸くおさまって、みんなハッピーです。


でも、いずれ談春師も変わるしわたしも変わるでしょうから、また「談春が観たい!」と思う日が来ると思う。たぶん。