立川談志独演会 2009/04/18



4/18(土)18:38〜20:35@よみうりホール
立川談志 『二人旅』19:08〜19:25
仲入り
立川談志 『粗忽長屋』20:07〜20:29



好調だった、家元。


一席目に入る前に、ジョークを含む長いマクラ。最近の家元の落語観を伺い知ることができた。
先月、志らく師の『雨ン中の、らくだ』出版記念落語会で志らく師とのトークでも同様のことを語っていたが、マクラを聴きながら、家元の落語は更に変わるのかもしれない、運がよければ、今まで観たこともないような落語を観ることができるかもしれないなぁと思った。
古稀を超えてなお“変わる”気でいること(家元自身の気持ちとしては、意識して変わろうとしてるわけじゃなく、「変わらずにいられない」「変わっていくことを止められない」ということだと思うけど…)、それを当然のことのように淡々と語っていることに、「立川談志」という落語家の凄さを感じます。


家元の落語は、今までの落語の“枠”や“形”からどんどん離れていってるみたいだ。家元自身が“枠”や“形”に縛られるのがイヤになってるのだろう(この日は「落語に飽きた」と言い、志らく師の出版記念落語会では「人情噺なんてやってらんない」という言い方だったが、わたしはそれらの言葉をそういう意味合いであろうと解釈しています)。
“枠”とか“形”というのは、“落語のリアリズム”とか“落語の美学”とも言い換えられて、そこにはかつて家元自身が完成させたものも含まれているはずですが、家元はそれすら超えたいのでしょう。というか、造りあげたものを、そのままなぞったり繰り返したりすることに、ホントに飽きちゃってるんだと思う。だから「イリュージョンやるよりしょうがない」ということになるのでしょう。


イリュージョンが起きる時のことを、家元は「登場人物がオレに叛乱を起こす」という言い方もしていて、2007年の暮れ、この会場(よみうりホール)でやった『芝浜』がそうだったと語った。あの『芝浜』のことは、家元はいろんなところで度々語っているけれど、登場人物が家元を離れて恣意的に動き回り、家元自身も観客もかつてない感覚を味わったみたい。で、「あれ以上の『芝浜』が、また出るか…」という期待を観客はしているし、家元自身にもその期待はあるでしょう。
ところが、最近の家元の落語は自由度を増すあまり、ヘタすると登場人物たちに制御が効かないくらいになっているらしい。「今、『芝浜』をやるとこうなる」とサラッとやってみせた『芝浜』のラスト。女房は号泣するかわりに、「談志の言うとおりなんか、やってらんないよ!おまえさん、飲んじゃおう!」と酒を飲んじゃう(笑)。『唐茄子屋政談』のおじさんは、「お前なんか、飛び込んじまえ!」と徳三郎を大川に突き落とし(!)、「おじさんも、飛び込む!」と後に続き、抜き手を切って大川を渡る・・・。そんなナンセンスな『芝浜』を『唐茄子屋政談』を、観てみたいよ。でも、家元は、そんな新たな落語の境地を開きたいという思いがありながらも、一方で自分が作り上げてきた落語に対していろんな思いがあるのでしょう。あの日、たしか「落語のリアリズムとイリュージョンの間で悩む」というような言葉があったのだが、それはそういうことなんじゃないかなぁと思った。


『二人旅』
この日、家元は食欲がなく、朝から何も食べてなかったそうだ。ただ、楽屋でちょっとサンドイッチを齧った。
「腹ン中、何もないよ」「腹が減ってんだ。朝から何にも喰ってない」
家元のぼやきは、いつの間にか登場人物のぼやきになり、いつの間にかそれをなだめる男が現われる。空きッ腹の男が「このヤローはサンドイッチ喰ってるけど」と家元を指したりしながら、噺はすすむ。もう片方が「なぞかけやろう」ともちかけ、気がついたら『二人旅』が始まっていた。
“旅”という言葉すらなく、二人がどこを歩いているのかさえ説明されないのだけれど、聴いていると、空きっ腹と旅の無聊と呑気があいまった、さみしいような楽しいような空気の中にいつのまにか居るのだった。


「婆さん!婆さん!久しぶりで出番だぞー」と旅人が呼ばわって、背中をまるめ胸元に手をやってニカっと笑う婆さんが登場。あー、家元の“婆さん”を久しぶりに見たなぁ…と思った。長年の家元ファンの落友は、婆さんを見ただけで嬉しくて泣きそうになったと言っていました(笑)。


「一膳飯ありって書いてあるじゃねぇか」「そう読んではダーメだ、“ひとつせんめし、ありや、なきや”ちゅーんだ」


家元オリジナルのフレーズを、コレコレ!あ、これも…と確認していくのが楽しかった、この日。


粗忽長屋
「ノーテン熊五郎!」「フルネームで言ったね?」
…にまず嬉しくなります。


それから、家元の『粗忽長屋』は“無責任な第三者”の「いいじゃないですか、そういう人がいたって」「ことによると、当人ですよ」っていうセリフが好きだ。無責任極まりなくて、笑っちゃう。


「(自分が死んだということを)心にちゃんと誓わなきゃダメだ!」と兄貴から言われた熊、力を込めて自分に言い聞かせる、「オレは死んだんだー!」。この時の家元の仕草が、ギクシャクとラジオ体操してるお爺さんみたいで、すごく可愛くて可笑しかった。このポーズを“噛みあわせのズレた洗濯ばさみ”みたいって言った楽友もいる(笑)。「オレは死んだんだー!」は、家元も気に入ったみたいで、その後も「やれ!」「死んだんだー!」って二人にやらせていた(笑)。


機嫌よく落語をやってる家元を観ることができて、良かった。
家元の独演会チケットは、ますます入手困難になっているけど、とれる限りは行きたいな。とにかく家元にはご自分の好きなように落語をやってほしい、それをただただ観ていたいと願うばかりです。


※余談ですが、もうひとつ、この会で印象に残ったこと。
家元、“自分の弟子達はちゃんとしてる・落語が上手い”と言って、「志の輔も、志らくも…」と弟子2名の名をあげた。「…ふーん、あの人は入れないのね」と思いました。そのことについては、いろいろと思うことはあるのですが、それはまた別の機会に書いてみようと思います。