四月前半の落語



この4月前半を振り返ると、「やっぱ落語は楽しいなぁ〜」と思えた充実した半月でありました。また、自分が「この人の落語を聴きたい!」と思う噺家ってどういう人なのか?ということを再確認した半月でもありました。そんな素敵な噺家&落語の個々については後述、まずは出かけた落語会をザザッとあげますです、こんな感じでした↓


4/1(水) 柳昇チルドレンの会
19:00〜21:10@紀伊國屋サザンシアター
立川志らら 前説
・高田センセイ登場(「こんばんわ、ウィンクのかたっぽです」「金田龍之介です」「再婚した高木ブーです」〜)
・昇太師登場(「高木ブーが憎い昇太です」)、高田センセイとトーク(昇太師、“50歳にして初婚”という高木ブーの再婚相手を「50歳まで何してたんでしょう?」、すかさず高田センセイ「お前も50だよ」「気づいちゃったよ」)
・鯉昇師登場、続いて桃太郎師登場(桃太郎師「鯉昇の着物は泥大島」「コイツが着てるとそう見えない」いきな りのワルクチを高田センセイと昇太師がたしなめる)
・柳昇クイズ&柳昇イントロクイズで出演順を決める
瀧川鯉昇 『宿屋の富』
昔々亭桃太郎 『ぜんざい公社』(♪キュッキュ・キュ〜、キュッキュ・キュ〜、ブンガチャカ・ブンガチャカ…の歌がしっかり入りました)
仲入り
春風亭昇太 『花筏
・高田センセイと談春師「♪キュッキュ・キュ〜」と唄いながら登場、昇太師と三人でトーク談春立川流三人会の楽屋とは大違い」「志らく志の輔は直接話さない、わたしが通訳するんですから」、高田センセイ「立川流戸田奈津子!」)
・私服に着替えた桃太郎師&鯉昇師登場(桃太郎師、「鯉昇のセーターはカシミア」「コイツが着てると…」〜)


4/2(木) ひる落語・ひる談春
14:00〜16:15@北沢タウンホール
開口一番 こはる 『松竹梅』
談春 『宮戸川
談春 『持参金』
仲入り
談春 『大工調べ』


4/4(土) 第13回特選落語会〜さん喬・鯉昇・市馬の本格・本格・本格…〜
18:50〜21:30@深川江戸資料館小劇場
開口一番 三遊亭歌る美 『たらちね』
柳亭市楽 『長屋の花見
瀧川鯉昇 『千早振る』
仲入り
柳亭市馬 『あくび指南』
柳家さん喬 『井戸の茶碗


4/5(日) 古典印象派 第二回
18:00〜19:30@落語協会二階
春風亭百栄『芝居の喧嘩』
三升家う勝『井戸の茶碗
春風亭百栄『片棒』


4/5(日) 鈴本演芸場 四月上席 夜の部
途中入場〜20:45
アサダ二世 奇術
春風亭一朝 『芝居の喧嘩』
ロケット団
橘家文左衛門 『青菜』


4/6(月) 新にっかん飛切落語会 第七夜
18:30〜21:10@紀伊國屋サザンシアター
開口一番 昔昔亭A太郎 『桃太郎』
柳家三三 『締込み』
桂米團治 『くっしゃみ講釈』
仲入り
昔昔亭桃太郎 『春雨宿』
立川談春 『こんにゃく問答』


4/7(火) 道玄寄席
19:00〜21:00@渋谷カルチャーキューブ
桃月庵白酒 『犬の災難』
入船亭遊一 『ねずみ』
仲入り
桃月庵白酒 『花筏


4/7(火) バーde落語
22:00過ぎになんとなく始まる〜23:45なんとなく終わって流れ解散 @恵比寿cabrioret
すべて三遊亭歌太郎
『子ほめ』
『大安売り』
休憩
雛鍔


4/11(土) 長講・柳家さん喬独演会
14:00〜16:30@三鷹市芸術文化センター星のホール
開口一番 柳家わさび 『狸の鯉』
柳家さん喬 『らくだ』
仲入り
ダーク広和 奇術
柳家さん喬 『たちきり』


4/12(日) 一本柳道中双六 柳家喬太郎勉強会
14:00〜16:30@なかの芸能小劇場
開口一番 柳家小んぶ 『初天神
柳家喬太郎 長くておもしろいマクラ(ブログに書かないでって仰るんで、書きません)
『次郎長外伝 小政の生い立ち』
仲入り
瀧川鯉朝 『夏泥』
柳家喬太郎 『心眼』


4/13(月) 志らくのピン
19:00〜20:55@内幸町ホール
らく次 『紙入れ』
※以下、すべて志らく
『鮑のし』
『花見の仇討ち』
仲入り
『たちきり』


どーしようもなく笑っちゃった落語
瀧川鯉昇 『千早振る』 (4/4 第13回特選落語会)
鯉昇師匠の『千早振る』は聴くたびに一層面白くなってる。
そもそも前から面白いところはいっぱいあった。たとえば、ご隠居が金さんにちゃっかり掃除をさせちゃうところ。
金さんは娘から業平の歌の意味を尋ねられ、困って、厠に行くふりをしてご隠居のところに駆け込んでくるわけだが、ご隠居は金さんが“はばかりの格子を蹴破って裸足でやってきた”と知ると、「なに!はだしで!…お前、その足で座敷に上がったな!」とムッとする。そして、金さんに命じて畳についた泥足の跡を掃除させ始める。「そこにバケツがあるだろ、水汲んで(言われたとおり、金さんは水を汲む)…ぞうきん濡らして…しぼって(言われるままに、おとなしくぞうきんを絞る金さんが見えるw)…畳ふきな!それから…」と、金さんが入っていない隣の座敷まで拭かせちゃう(笑)、そして「バケツ逆さにして、絞った雑巾かけて、日向に出して…帰んな!」「掃除しに来たんじゃありませんよ!」・・・このやりとりは前からあって、前も笑っちゃったのだけど、今回、更に面白かったのは、ご隠居宅を訪れた金さんが家の中になかなかあがろうとしなかったこと。つまり、足が汚れてるから遠慮してるのですね(いじらしーw)。で、後で、ご隠居から汚れた足のまま座敷にあがったことを咎められると「だから、ここでいいって言ったのに、ご隠居があがれって言ったんじゃないですか」(笑)。
この後、ご隠居は、例によって金さんに隣座敷の畳までしっかり拭かせ、雑巾をゆすがせ、ふせたバケツに干させる、そして例の業平の歌の解説を一通り終えると、「雑巾乾いたろ?帰んな」と金さんを帰そうとします。これも可笑しかった。


しかし、それより何より、今回の『千早振る』のわたしの笑いのツボは、竜田川が“モンゴル出身の力士”になってて、モンゴルに帰って豆腐屋を始めたことです(笑)。


竜田川とは何だと思うな?」「なんですか?」「ヒント。ナイル川インダス川チグリス・ユーフラテス川竜田川」…は今までどおりなんですが、「“川”ですか?」「いいや、外国人力士だ。モンゴルから来たんだな」って鯉昇師匠が言ったときには、「えーー!そうなのー!」って驚いた。「…ということは、竜田川はモンゴルで豆腐屋やるわけですか、師匠?」と密かに案じていたのですが、鯉昇師匠はホントにそうしました(笑)。
千早太夫と妹分の神代太夫にフラれた竜田川「その足でモンゴルに帰って豆腐屋になったな」「…すいません、聞きモレがあったみたいなんですが…」(笑)


竜田川の実家はモンゴルで豆腐屋をやっています。しかし、おとっつぁんが年老いて商売がうまくいかなくなり…「実家の豆腐屋は傾きかけていた、パオがこんなに傾いていた」そう言いながらわずかに体を傾ける鯉昇師。その姿に、どーにもこらえきれず座席で体を折って大笑いしてしまいました。


後を継いだ竜田川は豆腐をかついでモンゴル平原を売り歩き(笑)、傾きかけた豆腐屋を立て直した。そして、ある日。モンゴル平原の彼方から、乞食になった千早が“らくだに乗って” (!)ぽこぽこと店先に現われる。
千早は江戸にいたんでしょ?なんでモンゴルに?!と驚く金さんに、ご隠居「当人の強い意思でモンゴルに来た」ときっぱり。
怒る竜田川にトーンと胸をつかれた千早、モンゴル平原をバーーッと飛んでいった。「さいわい土手があったから、ぶつかって戻って来た」モンゴルに土手って(笑)!


モンゴル平原にポツンと建つパオの豆腐屋、だだっぴろい平原を豆腐をかついで売り歩く竜田川・・・その画が頭に浮かんじゃって、もうどうにも可笑しくてたまりませんでした。

この会では、市馬師が『あくび指南』を、さん喬師が『井戸の茶碗』をやって、お二人とも素晴らしかった。要するに全員よかったの。アー楽しかった!と思えた会でした。


震えた落語
柳家喬太郎 『心眼』 (4/12 一本柳道中双六 柳家喬太郎勉強会)
喬太郎師自身の説明によれば、『心眼』は、今度出演する花形演芸会に備えてさらうつもりでこの会でやってみたとのこと。喬太郎師の『心眼』はこれまでにも何度か聴いているけど、何度聞いても素晴らしいと思える落語です。でも、この日の『心眼』の素晴らしさは、過去に聴いたものをはるかに上回るものだった。この会はそもそも“勉強会”で、この日の『心眼』は“おさらい”つまり“お稽古”だから、言いよどんだりするところもあって必ずしも滑らかではなかったのだが、そんな瑣末なことはまったくどーでもよかった、大袈裟でなく圧倒された。幕が下りた後、許されるなら、しばらくそのまま席に座っていたかった。ぼーっと余韻に浸っていたかった。


劣等感と優越感は表裏一体で、謙遜のウラには鼻もちらない自信過剰が潜んでいたりする。梅喜の滑稽や醜さは人が誰でも持ち合わせているもので、あんまり見たくない。『心眼』という落語は見たくないものをつきつけてくる。だからこの噺は苦い。
で、喬太郎師の芸というのは、こういった苦い噺…つまり“人間の暗部を描く”とでもいいましょうか…をやる時に一層冴える気がします。


芸者・小春(あれ?小梅だったっけ?どっち?…ま、どっちでもいいや)が自分のことを憎からず想っていると知った梅喜は、最初は自分を卑下しているのだが、酔うにつれ次第に心の奥に眠らせていた欲望やホンネをむき出しにしていく。その過程の描き方が凄かった。
その凄かったところ、最後の山場のこの場面をちゃんと覚えておいて書きたかったんだけど、実は、喬太郎師があまりにも素晴らしく、文字通り目がはなせなくなってしまい、途中でメモをとるのを放棄してしまいました。なので、今となっては書けません(…う〜、今となっては悔やまれます)。


ちょっとだけ覚えているところを書いてみると、たとえば…
盃を重ねて酔いがまわってきた小春が梅喜に向かって言う「やだなぁ…あたし、何かを言いそうになってます」ってセリフ。
ほどほどに色っぽく思わせぶりで、梅喜が「ホンキかな?」って思っちゃう感じがよく分かる。
小春は、口先だけじゃない、本当に梅喜に惚れているのだ、“芸者風情”が言うことと信じてくれないのか?と言うのだが、そのコトバじりをとらえて梅喜は、ついさっきまでへり下って酌をしてもらっていた小春に「芸者風情なら、ついでもらおうか」と干した盃をぐいっと差し出した・・・実にヤな感じで、そこがたまらなく良かった。「梅喜、やだー」「喬太郎さん、凄いー」と、ぞくぞくしながら高座の喬太郎師を見つめていた。


自分の感想だけでホントに申し訳ないのだが、とにかく、見ていて怖いくらいだった。でも、梅喜を「醜い」「怖い」と思いながら、どうしようもなく哀しい気持ちが募ってくるのだった。最後のセリフ「めくらてなぁ、妙なもンだ。寝ているうちだけ、よぉく見える・・・」を聞いた時は、思わずため息がでた。


もう一席の『次郎長外伝 小政の生い立ち』も、先月三三師の会のゲストでやった時よりも、一層よかった。喬太郎さん、最近なんか調子良さそうだなぁ。


嬉しかった落語
立川志らく 『たちきり』(4/13 志らくのピン)
先月、志らく師の“あらたな『たちきり』”を2度聴いた。この『たちきり』については前回のブログに書いておりますので、興味のある方はお読み下さい。で、この日やったのは“更にあらたな『たちきり』”。前回の『たちきり』とはまったく違うものになってた。
わたしがあんまり好きじゃなかったところ(理詰めなところとか、小久がバケモノみたいなところとか)がすっかりなくなって、笑えて後味の気持ちいい、素敵な落語になっていたのが嬉しい驚きだった。この『たちきり』は好きだ。それよりなにより、志らく師匠が、あれほど自信をもっていた『たちきり』を、短い間にここまで変えたことに軽く感動しちゃったよ。志らく師匠すげーなぁ。この1〜2年のこの方の変わってゆく落語、変わってゆく姿はホントに気持ちいい。この方はこれからどうなるのでしょう。それを見届けたいばかりに、わたしの落語活動にしめる“立川志らく率”は高くなる一方です。


さて今回の『たちきり』。
若旦那が蔵に入れられるまでは、前回と概ね同じだった。だが今回の『たちきり』では、若旦那は小久に手紙を書かない。また“若旦那が母親の手引きで蔵を脱出し、柳橋へ駆けつける途中で追っ手に捕らえられそうになり、ラオ屋の太助爺さんに小久への言付を頼む”というエピソードもなかった。若旦那はおとなしく蔵に入り、100日後に蔵から出てくる。
「これが一番最後の手紙です」と番頭に手渡された手紙を読む若旦那。その前の手紙、さらにその前の手紙…若旦那は封を切るのももどかしく次々に目を通していく。その文面は、芸者が客に寄こす手紙ではなく、夫婦約束をした男の訪れを切に希うものだった。「なんで来ないの?」「どうして来ないの?」「来てちょうだい、お前さん」・・・
「失礼な女だ。芸者のくせに手紙の書き方もしらない」と嘲る番頭。小久に会いに行こうとする若旦那をとめて、番頭は「芸者を忘れるために蔵に入ったのではありませんか」「若旦那にはいずれお見合いをしていただいて、ちゃんとしたところからお嫁を…」。しかし若旦那は、さすがに今度ばかりは引かない。番頭を怒鳴りつけ、人力で柳橋に駆けつける。


若旦那は置屋に飛び込み、小久の名を何度も呼ぶ。すると…
「はい、はい」「若旦那、来たんですね」・・・消え入るような声がして、そこに小久が待っていた(!)。


「なんでもっと早く来てくれなかったんですか?」「あの時、お芝居見物の約束してたでしょ?」
涙ぐみながら、小久はあの日から今日までのことを語り始めた。


あの日、来ない若旦那に手紙を書いた小久は、その返事を、若旦那の訪れを期待して、一晩中玄関のところに座って待っていた。次の日もその次の日も、手紙を書いては届け、返事を待ち続けた小久だったが、やがて「あぁ、あたし、若旦那に捨てられたんだ!」と思うようになる。絶望した小久は次第に衰えてゆき「鏡見てびっくりしたの。げっそり痩せて髪も抜けて…。でも、こんな汚い顔、若旦那に見せられない!って思って、お化粧だけはしてました」。
ある日、若旦那が小久のためにあつらえた、比翼の紋入りの三味線が届く。だが、小久は「これが縁の切れ目だ、これが思い出になるんだ…」と感じ、その日を境に一段と弱ってしまった・・・


「そう思うのは当然だよね…」。小久の話を聞いた若旦那は、あの日から今日まで、ずっと蔵に閉じ込められていたこと、小久から手紙が来ていたことを知らなかったことを語り、小久に詫びる。
自分が捨てられたのではなかったと知った小久は、嬉しそうに「そうだったんですか!」「あー、そそっかしい!死ななきゃよかった」。


「若旦那、手を我慢してたんです、ラクになっていいですか?」そう言って小久は胸の前に両の手を下げて見せた。…そう、この小久、幽霊なのです!
そして、この小久の幽霊のマヌケなこと可愛いこと。
「あたし、影薄いでしょ?」と若旦那に尋ねる小久は、ちょっとはにかんでる風に見えた。「そういや、お前の体、向こうが透けちゃって!」今頃気づくか?遅いよ、若旦那(笑)!
小久、「きまりごとだから…」と胸の前で下げた手をひらひらさせながら「うらめしい〜」・・・
小久、バッカだなー。可笑しくて笑っちゃった。でも、なんとも言えず可愛くていじらしくて、ちょびっとだけ涙ぐみそうになってしまった。


手紙を渡してくれなかった番頭を、殴ってやりたい!と憤る若旦那を、小久は「それはダメ!番頭さんは悪くないです」ととめる。番頭が芸者にいれあげる若旦那を止めようとするのは当然、あたしもよくない、這ってでも店に行けばよかった、「若旦那のこと、信じなかったあたしもよくない」・・・そうだねぇ、生きてるときに気づけばよかったのにねぇ。


「今日、あたしの三七日なんですよ。お線香上げてください、若旦那」「お線香が“いい匂い”と思うようになるとは、思いませんでしたよ」と微笑む小久。
若旦那は「一緒になろう!死んでたって何だって構わないよ!お前を店に連れて帰るよ!」。
小久は三味線を手にとって若旦那の好きな黒髪を弾きはじめるが、しばらくするとふっと止めてしまう。もっと聴きたい、弾いておくれ!と頼む若旦那に、小久「だめですよ、若旦那」「ちょうどお線香がたちきれました」。


実に素敵な『たちきり』。
是非是非、また聴きたいです。


この日のピンでは、志らく師は他に『鮑のし』と『花見の仇討ち』をやったのですが、それも良かった。
“その噺本来がもっているおかしさ”といいますか、登場人物各々のキャラクターが魅力的で、そのやりとりそのもののおかしさで笑っちゃうって感じだった。もちろん、志らく師独特のギャグもちゃんとあって、それは相変わらず可笑しい。


それぞれの噺について、印象的だったことをひとつだけあげます(書きだすとすごーく長くなりそうなので…)。
『鮑のし』
甚兵衛さんがご隠居への口上の練習をさせられるところがありますね。「いずれ長屋からつなぎがまいりますが、これはそのほかでございます」と聞いて甚兵衛さん、「長屋からウナギが来るの?」「ウナギが蝶ネクタイにシルクハットかぶって、“隣の長屋におりますウナギです〜”、ぬるぬる〜ぬるぬる〜、“つかまえてごらんなさい〜!”」(笑)。きっと、志らく師の頭の中に、突然こういうウナギがポンッと浮かんじゃったんでしょうね。こういうバカバカしさが、志らく師の落語の素敵なところです。“蝶ネクタイにシルクハットで挨拶にやってくる隣の長屋のうなぎ”は、このあとも何回か繰り返され、その度にその画を想像しちゃっておかしくてしょーがなかった。


『花見の仇討ち』
すごくテンポがよくって軽快だったのが印象的。これは志らく師の編集センスのなせる技と思います。例えば、浪人が飛鳥山の人だかりに出くわし、見物人に「これはなんの騒ぎだ?」と尋ねるところ。フツウは“女乞食が産気づいた”のなんのという返事が返ってきて、見物人たちのやりとりが挟まれる。このあたりはすっぱりカットされていた。だから、助太刀したくてウズウズして駆けつけてくる浪人たちの勢いは損なわれず、三人を見つけた時の「斬れー!斬り殺せー!」で最高潮になる。テンポがいいから、聴いてて高揚してくるんですね、飛鳥山の桜の下のドタバタ、登場人物たちの興奮がイキイキと伝わってきて、笑っちゃうんです。




以上の三席、三人の噺家のどんなところを、自分は「いい」と思うのだろう?と考えてみました。
“向上心”、いや、そこまでのアグレッシブな気持ちでなくとも“噺家自身が落語を心から楽しんでいる”というような空気、そういうものが感じられる高座を、自分は好ましいと感じるようです。
志らく師匠の場合は“向上心”というのに一番近いかも。喬太郎師匠は、その屈折と繊細に面倒くさくなる時もあるのだけど(笑)、基本的に落語への執着は並じゃないことは分かる。鯉昇師匠は一生懸命なところを絶対見せなさそうだ。それ以前に、マイペースで楽しんでるって感じがする。“モンゴルの豆腐屋”なんか、言ってはみたけど、さてどうしよう?…なんて自分で面白がりながら、やってるのかも…。そんな感じがした。
そういう噺家が好きなのだな、自分は。そういうヒトの高座をいっぱい観たいなぁ。