三月後半の落語



前回の続きです。まとめて書くと長くなりますなぁ。すいません、覚悟して読んでください(読まなくてもいいけど)。


3/17(火) 立川志らく独演会
19:00〜21:03@銀座ブロッサム中央会館
開口一番 らく次『雛鍔
志らく『吉良の忠臣蔵』(新作)
仲入り
志らく中村仲蔵


3/22(日) 下北沢演芸祭2009 ピンクの白鳥 〜江戸からエロへ〜
18:00〜20:15@下北沢シアター711
三遊亭白鳥 『はじめて泡踊り物語』
林家二楽 エロ紙切り
      ・横綱土俵入り/雲竜型エロバージョン(サンプル)
      ・禁断!セーラー服の悶え(客席よりリクエスト)
      ・SMの女王様(客席よりリクエスト)
      ・エロ宝船
神田京子 講談『英語版・浦島太郎〜エロチカ師匠』
神田京子&桑原滝弥 『ケッコン仮面』
仲入り
瀧川鯉朝 『夜の店屋物』
三遊亭白鳥 『エロチカ沢』


3/23(月) 三人集 Aプログラム 昼の部
15:00〜17:33@紀伊國屋ホール
『ちきり伊勢屋』
談春〜15:28 
三三 〜15:54? 
市馬 〜16:20
仲入り 〜16:30
市馬 『二人旅』 〜16:50
三三 『万金丹』 〜17:10
談春 『桑名舟』 〜17:33


3/24(火) 三人集 Bプログラム 昼の部
15:00〜17:43@紀伊國屋ホール
『ちきり伊勢屋』
三三 〜15:36
談春 〜16:00
市馬 〜16:26
仲入り
三三 『三人旅』
談春 『おしくら』
市馬 『宿屋の仇討ち』※宿屋に着いた三人が芸者をあげてドンチャン騒ぎを始める…というところから。万事世話九郎が宿屋に着くところ、三人が相撲をとるところはカット。


3/24(火) 立川志らく「新たな たちきり」
19:05〜21:05@シアター711
開口一番 らく兵 『鮑熨斗』
志らく 質問にお答えします&なべおさみ氏とトーク
仲入り
志らく 『たちきり』


3/26(木) 立川志らく 『雨ン中の、らくだ』出版記念落語会
19:00〜20:50@紀伊國屋ホール
志らくトーク
志らく師&高田センセイのトーク
志らく 『たちきり』
家元登場 志らく師とトーク
高田センセイ再登場 三人でトーク
三本締め


3/27(金) 鈴本演芸場 三月下席夜の部
17:10〜20:40くらい
開口一番 春風亭朝呂久 『たらちね』
桂文ぶん 『元犬』
翁家和楽社中 太神楽曲芸
橘家圓十郎 『ちりとてちん
入船亭扇辰 『道具屋』
昭和のいる・こいる 漫才
柳家喜多八 『小言念仏』
柳亭燕路 『粗忽の釘
仲入り
ペペ桜井 ギター漫談
柳家三三 『のめる』
アサダ二世 奇術
春風亭百栄 落語の小噺を英語でやったら(「捕まえたねずみ、小さいよ」「大きいよ」「チュウ」→「スモール」「ビッグ」「ミディアム」うまくいかないこともあります…他)〜『ツッコミ根問』〜『リアクション指南』


3/29(日) 鈴本演芸場 三月下席夜の部
17:10〜20:45
開口一番 春風亭朝呂久 『桃太郎』
三遊亭窓輝 『壷算』
鏡味仙三郎社中 太神楽曲芸
橘家圓十郎 『禁酒番屋
隅田川馬石 『たらちね』
昭和のいる・こいる 漫才
林家たい平 『紙屑屋』
桃月庵白酒 『代脈』
仲入り
東京ガールズ 音曲バラエティ
柳家三三 『宮戸川
林家二楽 紙切り
春風亭百栄 落語を知らない女子アナの噺家インタビュー〜落語の小噺を英語でやったら〜『マザコン調べ』




◆良かった落語
立川志らく 『中村仲蔵』&『吉良の忠臣蔵 (3/17 立川志らく独演会)
春の志らく師の独演会(@銀座ブロッサム)は毎年楽しみなのだけど、今年もちゃんと期待に応えてくださいました。


中村仲蔵
志らく師は馬生師匠がお好きなので、この噺も馬生師匠がベースなのか?志らく師はパンフレットに「古典落語の美学としてもこれ(中村仲蔵)をほかのものに変えるのは自分の中では許せない行為」と書いてて、なるほどオーソドックスな『中村仲蔵』だったが、仲蔵と二人の師匠(伝九郎&団十郎)の関係に焦点をあてているというのが志らく師ならでは。団十郎が仲蔵に語る芸談や伝九郎が仲蔵にかける言葉の端々に、志らく師の落語観、志らく師が思うところの“師匠と弟子の在り方”が現われていた。また、志らく師と家元の関係が透けて見えるようで、興味深かった。


中村仲蔵』といえば、立川流では志の輔師匠の仲蔵がつとに知られていますが、志の輔師の仲蔵には“演劇的”“ドラマチック”という言葉が相応しく、対して志らく師の仲蔵はあくまで“落語として”上手いという感じ。上手いなぁ〜と思ったところはたくさんあるのですが、特に蕎麦屋での浪人との出会い〜五段目のシーンの語りが見事でした。浪人のなりとか芝居当日の定九郎の扮装とか、ディティールの説明が細かく、しかも気持ちの良いリズムで、画が浮かんでくるようだった(…落語を聴いてて、ついひきこまれたり共感してしまうっていうのは、噺の中のちょっとしたことだったりします。上手い人というのは、細部に手を抜かない、細部まで行き届いているものなのかしらね)。


それから、自分の工夫が受け入れられなかったと落胆する仲蔵を女房・お吉が励ますシーン。ちょっと元気がでた仲蔵が、お吉に「一杯、飲もうか?一緒に…」と誘うと、お吉「ダメ!夢になるといけない」『芝浜』か(笑)!夫婦の語らいが、志らくさんにしてはやけにしみじみしてるなぁと思って聴いてたら、そうきましたか。こういうハズし方も愉快だった。


『吉良の忠臣蔵
忠臣蔵における吉良上野介浅野内匠頭の役割を逆転させたら…という新作。単純に言うと、上野介を“正論を述べる大人”、内匠頭を“常識知らずの困ったヒト”というふうに描いている。この設定自体はとりたてて目新しくはありませんが、さすがに志らく師の理屈と表現にはスキがなく、「なるほど、上野介の言うことには一理ある」「この内匠頭、ヤな奴だなぁ」と思わされてしまう。ご存知の通り、上野介は、勅使さまの饗応役をおおせつかった内匠頭に様々なしきたりを教える、いわば“指南役”“師匠”といった立場。しかし、内匠頭が17歳の時に一度饗応役を勤めた経験があることから、上野介は内匠頭に対して「勅使さまを迎えるにあたって、畳を換えたり、式服が烏帽子・代紋というのは、当然知っているはず。もし忘れたとしても、どうすべきかは常識で考えれば分かるはず。自分で考えて役を務めるべき」と思っている。それなのに、内匠頭はなんでも安直に質問して内匠頭を失望させる。上野介は、内匠頭になんとか自分で考えてほしい、“なんでも人に聞けばいい”という考えは間違いだ、それに気づいてほしいという思いから「畳換えは不要」「式服は長袴」と言ったのだが、内匠頭は「吉良さまが畳替えしないでいいって言ったのにィ!」「長袴でいいって言ったのにィ!」と子供のように切れてわめく。「またイジメですかっ?」と恨みがましく尋ねる内匠頭に、上野介は「いじめではない、皮肉だ」と苦々しげに言い放つ。わたしは、内匠頭を観てて、こういうオトナコドモってホントにいるよなぁ…と思ってイラッとしたりしていました。
この新作からも、志らく師の“師弟関係”であるとか“「師事する」とはどういうことか?”ということに対する考えがうかがえて面白かったです。上野介の「わしを喜ばせることができない人間が勅使さまを喜ばせることができるわけがないであろう」というセリフは、これは家元のコトバであり、志らく師の弟子に対する気持ちなんだろうなと思いました。


立川談春 『ちきり伊勢屋』 (3/24 三人集 Bプログラム 昼の部)
A、Bプログラムのどちらも昼の部を観ました。『ちきり伊勢屋』はみごたえ・聴きごたえがあって楽しかった。後に友人から、この『ちきり伊勢屋』は八代目林家正蔵のテキストを基にしての口演と聞きました。わたしはこれまで圓生のCDを聴いたことがあるだけなので、八代目正蔵の『ちきり伊勢屋』とどこが同じでどこが違うのかはまったく分かりません。圓生版に比べたらかなりスッキリしてて聴きやすかった。
三人ともたいへん良かったのですが、特に興味深かったのは、三三師と談春師。二人が同じパートを二日間で交代でやったのだが、同じ噺でも演者が違うとこうも印象が違うのだなぁと思いました。談春師に感服つかまつりました。


『ちきり伊勢屋』のストーリーと三人がやったパートをかいつまんで書きますと、こんな感じです。
初日・Aプログラム
談春
〜15:28 
質屋・ちきり伊勢屋の若旦那・伝次郎は、易者・白井左近に「先代の業の報いを受けて、来年の2/25に死ぬ」と予言される。来世に幸せに生まれて来たければ、先代が蓄えた財産を、施しや遊蕩で全部使ってしまいなさいと教えられる。〜伝次郎、施しを始めるが、人助けの難しさを悟り、従兄弟の遊び好きな若旦那・正太郎の手ほどきで吉原通いを始める。ある時、酔い覚ましに夜道を歩いていて、一家心中をしようとしていた山城屋を助け、300両を与える

三三 〜15:54? 
5日間盛大な通夜と葬式をした伝次郎は2/25になっても死ななかった。店は人に譲り、財産を使い果たした伝次郎は行くあてがなく寺から姿を消す〜半年後、伝次郎は正太郎のもとに現われる。白井左近が赤羽橋のあたりで辻占いをしていると聞いた伝次郎は恨み言をいいに白井左近に会いに行く。左近は「人助けをしたことで死相が消えた」「辰巳の方角に行けば運が開ける」と告げ、「上方に行って易者としてやり直す」と去っていく

市馬 〜16:20
伝次郎は、辰巳の方角にある品川「いろは長屋」に住む正太郎のもとに居候を決め込む。大家の勧めで、正太郎と組んで駕籠かきを始めた伝次郎。ある時、かつて贔屓にしていた幇間を客にする。幇間は貧しい伝次郎に自分の着ていた絹物を与える。長屋の病気の子供の薬代を工面するために、伝次郎は幇間にもらった着物を質入れしようとする。たまたま訪れた質屋は、かつて伝次郎が助けた山城屋の主人の弟の店で、山城屋の上の娘が養女になっていた。伝次郎は娘と夫婦になり、店を譲り受け、めでたくちきり伊勢屋を再興する。


二日目・Bプログラム
三三
 〜15:36
2/25の前日、伝次郎の通夜の晩まで(昨日談春師がやったところから、昨日の三三師のパートの最初のところまで)

談春 〜16:00
昨日の三三さんのパート

市馬 〜16:26
市馬師は昨日と同じです。


初日、三三師の『ちきり伊勢屋』を評して、市馬師から「くさい」「あんなに力入れてやるこたない」という言葉がありました。具体的には、例えば伝次郎と再会した白井左近が「あぁっ!あなたは…」と驚く様子とか、“死相が消えた”“八十二歳まで長生きする”と言われた伝次郎が「ふざけるなー!」と叫ぶとか、そういうあたりを指しておっしゃったようだ。わたしも、しばらく前から三三さんの落語を聴いててくさいなぁと感じることがあった。ただ、市馬師が指摘する“クサさ”と素人のわたしが感じる“クサさ”が同じものを指してるのかどうか分かりません。わたしは、三三師は盛り上げたいところや笑わせたいところを、結局は、大きな声・しぐさ・表情で表現してるだけで、お客を力でねじふせよう…というような感じがした。ただ、聞くに堪えないとか、そういうことは全然なくて、ソツなくやっているという印象をうけた。
このパートを、二日目に談春師がやったわけ。もちろんストーリーは同じだが、もう「これが同じ噺か?」というくらい、この日はこのパートに引き込まれた。


談春師は、2月25日の暮れ六つ迫る深川・霊岸寺の墓地の描写から始めた。


日暮れて薄暗い墓地で寺男が伝次郎の早桶を埋める穴を掘っている。“サク、サク、サク…”と土を掘る音だけが暮れかけた墓地に響く。やがて暮れ六つの鐘がごぉ〜ん…と鳴る。
早桶の中で伝次郎はその音を聞いた。「…あれ?生きてるぞ」・・・


談春師は、情景を描くときの視点や言葉の選び方が素晴らしいと思うんだけど、この時もそうだった。
旧暦の2月25日というのは、ちょうどこの会が開催されていた時期にあたる。談春師の語りを聴いてると、ちょうどこの時分の薄暮、墓地の湿った柔らかい土、その土に落ちる鍬の刃の鈍い光…そういうものが見えるような気がした。そういう風景と、「今日死ぬ!」という、ある意味すごいテンションから一気に冷めて白々とした伝次郎の心模様がピッタリ合っているなぁと思った。
こういうところが談春師の落語のステキなところで、(三三師をひきあいに出しちゃって申し訳ないんだけど)三三師のは“説明”で、談春師は“描写”なのだなぁと思ったのでした。


それと、このパートの見処の一つは、伝次郎と白井左近の再会の場面。
左近の占いを信じて何もかも失くした伝次郎は「お前のおかげでオレはこんな目に…」と、左近への怒りと恨みをふつふつとたぎらせて会いに行く。で、そこで「死相が消えた」「八十二歳まで長生きする」と言われる。


三三師の伝次郎は、左近の言葉を聞いて「ふざけるなーー!」と怒鳴った(で、市馬師に「寝てるお客様が起きちゃう」なんて嗤われた)。
談春師がどうやったかというと。


伝次郎は左近の言葉を聞くと「…ハハ…、ハッハッハッハーー」と笑い出した。ひとしきり笑って「バカバカしくて殴る気も起きねえな」。
怒ってるのか泣いてるのか笑ってるのか、なんとも言えない表情と声。
お前の言うことを聞いて、箸一本もてない乞食同様の身の上に成り下がった、こんな身の上で八十二歳まで生きてどうしようというのか、ちきり伊勢屋の若旦那のままで八十二まで生きたかったよ!…力が抜けた後で、改めてだんだんと怒りがこみあげてくる…という様子。その怒りは凄まじく、それを左近にぶつける伝次郎。一方、左近は「そうなっていたら今のあなたとわたしはいない」「それがあなたの運命」と、ままならぬ人生の理を諄々と説いて聞かせる。


談春師のここんところは、やり場のない怒りと悲しみでいっぱいの伝次郎が、次第に抵抗を鎮め、納得できないながらも左近を許し、諦め、運命を受け入れる…という過程が細やかに描かれていた。昨日、三三師で観ていたときは、フンフン、そーゆー話なんだね、で?それから?…って感じだったんだけど、談春師のを聴いてたら、そーだよなぁ、人生っちゅーのはどうしようもないことがありますよねぇ…とかなんとか、月並みですがそんなことを思ってしまい、なんだか胸が熱くなりました。


他にも談春師は凄いなぁと思ったところは、伝次郎の“言葉遣い”です。遊蕩を始めた後の伝次郎は、昨日聴いた三三師の場合は「遊び人」のような感じだったんだけど、談春師のは、たしかにスレているんだけどちゃんと「商人」っぽいところが端々に残ってて(興奮してる時も、自分のことを“あたし”って言う、とか)、「遊んでる若旦那」って感じがちゃんとした。
(でも、これは、あくまでわたしだけの感覚かもしれません)




◆その他
志らく師のあらたな『たちきり』を、24日と26日に続けて観ました。この噺を志らくさんはキライなのだと思います。若旦那も番頭も小久もみーんなマヌケなところがイライラするのでしょう。そのあたりの辻褄を合わせるような改良を施していた。24日は大まかにメモをとってたので、それをおこしてみます。主な改良点はこんな感じ。


○冒頭、小久と若旦那の会話から始まる。若旦那はいつか必ず小久を嫁として迎えるよと約束する。明日は序幕から芝居を見に行こうという話になって、「きっとですよ、若旦那」って色目をつかう小久に、若旦那は「そんな言い方は芸者っぽくていやだ」と言う。小久は「ごめんなさい、あたし芸者が体にしみついちゃってるの」と謝る。この“芸者が体にしみついちゃってる”ということが、ラストで、小久が線香がたち切れると三味線をやめてしまうことの理由になってるみたい。


○若旦那の両親は基本的に親バカです。特におとっつぁんは浅はかな人だ。親戚の手前、息子の芸者通いを止めさせようとするけど、息子を百日も蔵住まいさせるのは可哀そうだと思ってて、番頭に「それじゃ、お前が50日、わたしが50日蔵に入ろう!」とか言ったりする。こんなバカ親だから、あんな頼りない若旦那ができるんだなぁと思わせられる。


○蔵住まいをさせられることになって、若旦那は小久に事情をしたためた手紙を書いて番頭に預ける。で、番頭はその手紙を破り捨てる。
息子が本当にひとりの芸者と夫婦になりたいと思っていると知った母親は、若旦那に番頭が手紙を破ってしまったことを教え、若旦那を蔵から逃してやる。若旦那は懸命に柳橋まで逃げるが、追っ手に見つけられそうになり、ラオ屋の多助爺さんに小久への言づけを頼む。捕えられた若旦那は蔵へ。一方、多助さんは小久に若旦那の言付けを伝える前に不慮の死をとげてしまう…というふうに、若旦那は、一応やるだけのことはやった!というコトにしてて、まぬけさが軽減されていた。


○若旦那から「自分が来なくなったら、それは自分が死んだか頭がおかしくなってしまったせいだと思ってくれ」※と言われていた小久は、若旦那は死んでしまったに違いないと思って憔悴しきってしまう。「あたし、死にたい。死ねば若旦那に会える…」と生きる希望をなくしてどんどん衰えていく小久。若旦那があつらえてくれた比翼の紋が入った三味線が届いた晩、小久は三味線を弾いた後で若旦那に会いに行こうとして衰えた身体で這って外に出る。しかし、橋のたもとで息絶えてしまう。
※このあたりの記憶はかなりあいまいです。頭がおかしくなって小久を“忘れてしまった”と思ってくれ…だったかもしれません。


○百日後、蔵から出た若旦那は、番頭から「百日間、毎日手紙が届いたら嫁にしてやってもいいと思ったが、80日頃ぱったりと手紙が来なくなった」と聞く。更に多助さんが死んだと教えられ、若旦那は小久は自分が行かなかった理由を知らないのかもしれない!と知って愕然とする。小久のもとに駆けつける若旦那(呑気にウキウキ小久に会いに行ったわけじゃないってことです。なお、26日は置屋に行ったところで多助さんが死んだことを知らされる、という風に変わっていました)。


○若旦那は小久の死を知り、おかみは若旦那が来られなかったワケを知る。おかみは「こういう世界の女はダメですね。お客さんのこと信じられなくて…」と、若旦那を信じて待っていられなかった小久と自分を責める。
番頭を殺してやる!と怒り狂う若旦を、おかみは「ダメです!いけません!」と一喝。小久と夫婦になるつもりだということを、番頭さんにちゃんと話さなかった若旦那がいけないと諭す。また、自分も若旦那のお店に様子を見に行けばよかったのだと反省する。


○メソメソしてると小久が悲しむから…と、おかみは若旦那に酒をすすめる。若旦那はメソメソ酒を飲みながら、小久に「お前はオレの女房だよ」と語りかける。おかみは「よかったね小久ちゃん、死んだら若旦那と一緒になれるって言ってたけど、その通りになったね」と泣く。で、仏壇の三味線が黒髪を弾きだし、サゲはフツーに「ちょうど線香がたちきれました」です。


わたしはこの『たちきり』は正直あんまり好きではありません。26日に、志らく師はゲスト出演した家元に、自分の『たちきり』や『芝浜』は女性のウケが良くないという意味合いのことを言っていたが、わたしがこの『たちきり』をよいと思えないのは、わたしが女性だからかもしれません(でも、わたしは別に『たちきり』で泣きたいわけじゃありません)。


この『たちきり』は「二人が結ばれなかった“理由”はわかりました、でも、だからなんなの?」って感じなのです。それと、憔悴した小久が「ゲッソリ痩せて髪が抜け落ち、それでも、いつ来るかもしれない若旦那のために化粧をしていた」とか、その姿をおかみさんが「きれいだと思った※」とか、「橋のたもとまで這っていって爪が剥がれ落ちていた」なんていうエピソードに違和感があった。
※24日は、「若旦那のことを想っている、想ってるだけの人がいる」と、“想う姿”がきれいって言ってて、それならまだ分かるんですが、26日はそのセリフがなかったので、余計違和感がありました。


この『たちきり』の小久は、狂人みたいで怖いです。志らくさんは『たちきり』を怪談にしたいのかな?でも、それだとなんだか後味が良くない。
初めて雲助師匠の『豊志賀』を聴いた時、豊志賀の気持ちがよく分からないってことと、なんで豊志賀をこんなにオバケみたいにしちゃうのかな?と思ったのを覚えているのですが、この『たちきり』についても同様の感想をもちました。みーんなマヌケなんだから、小久だけバケモノみたいになっちゃうのは可哀そうじゃん…って思うのです。志らく師匠に、小久の描き方の意図をたずねてみたい気がします。


なお、26日は、『たちきり』の途中(おかみが若旦那に小久の死の様子を語るところ)で、舞台ソデから家元の声が聞こえてきて、志らく師が動揺してるのが分かりました(笑)。26日は、そんなこともあって、意図して変えたところと、意図せずに変わっちゃったところがあるのかもしれないと思います。