冬談春 昼の部 2009/2/28

2/28(土)14:00〜16:23@三鷹市芸術文化センター星のホール
こはる 『道具屋』
談春 『除夜の雪』
仲入り
談春 『宿屋の仇討ち』



高座に登場した談春師は「今日は春の噺をやるつもりだった」と仰いましたが、そうして欲しいと思った、最初はw(とうに立春を過ぎて明日からは弥生なんですから)。「来てみたら“冬”談春だっていうんで冬の噺をする」というので、ちょっと残念だったが「“静かなものは寺の正月”と申します…」。これを聞いて「お!『除夜の雪』か!」とテンションがあがりました。
昨年暮れの三人集でやった『除夜の雪』はひどかった(…異論のある方もいらっしゃるでしょう、すいません、わたしがそう思うだけです…)ので、改めて談春師のコンディションがいい時に聴きたいものだと思っていた。しかし、大晦日の噺だからそうすぐには聴けまいと思っていたのだ。


今日の『除夜の雪』は三人集のときより良くて、好ましいと思いました(すいません、ナマイキで。重ねて謝っておきます)。


前半、寺の小僧三人が寒い厨で炭をおこして暖をとりながら、和尚の部屋からくすねてきた食べ物でささやかな宴を開くシーン。ワケ知り顔のアニ弟子、きまじめな悦念、ちゃっかりものの珍念の3人の会話が楽しい。アニ弟子が、ケチな和尚の陰口を言いながら「もっといい炭はないのか?」「もっといいお茶は?」「せめてせんべいの一枚でも…」とぼやくたびに、新米弟子の珍念が「アニ弟子〜(笑)」と、和尚の部屋から“拝借”してきた炭を、玉露を、干しイワシを出す。「えへへへへ」って珍念の笑い方が可愛い。アニ弟子と息が合ってるとこも愉快。咎めるマジメな悦念を、アニ弟子「人間、なんでも泥棒了見がないと出世しないよ」(笑)


楽しそうな三人。でも、とても寒いから三人は火の周りに固まってて、アニ弟子はなにかと「おお寒っ!」と火に手をかざす。三人の周りを、壁と屋根を隔ててしんしんと音が聞こえてきそうに寒い夜の闇が広がってる…という感じがしました。
三人集の時は、ここのところがムダに長かった気がしたが、今回は静かに迫ってくるように広がる冬の夜の大きさと、わずかな炭の火を囲んで寒さに抗う小さな人間の対比が感じられるような描写で、良かった。


無人の本堂でドラが鳴り…というところからは、寒いわ怖いわ伏見屋の若おかみが可哀そうだわで沈んだ調子になる。前回は、ここも饒舌過ぎた気がしたけど、今回はそうでもなかった。
伏見屋の使用人がやってきて若おかみが自害したことを告げ、実家と釣りあわない大家に嫁いだばかりに、姑にいびられ続けた若おかみを悼む。「分相応の幸せっていうのは、あるねぇ」とため息をつく使用人。
悦念と珍念が除夜の鐘をつき始める。その音を聴き鐘のほうを見やった伏見屋の使用人が、ぽつんと「せつないですなぁ」。「あれが釣鐘。ここに提灯」(あちらに釣鐘、こちらに提灯って言ったんだったかもしれない、ちょっと忘れちゃった)


談春師の『除夜の雪』を聴いたのはこれで2回目なので、例えば七夜の時と比べたらどうなのかとか、その辺りは分かりません。でも今日のは結構良かったな。


仲入り後に再び登場した談春師は、米朝師匠の『除夜の雪』を評して「諦観というイメージの色、それよりは薄くて鋭い…」と言った(と思うんですが、メモをとってないんではっきり覚えてません)。談春師は頭の中にそんなイメージを浮かべながら『除夜の雪』をやってたのかしらね?と思った。伏見屋の使用人に「せつないですなぁ」と言わせる談春師は諦観の境地には行ってない。米朝師匠はおそらく「せつない」とは言わないんじゃないか、言ったとしてもそのニュアンスは談春師とはだいぶ違うだろうと思った(米朝師匠のは昔の録音を聴いたことがあるだけなんで、実際はどうなのかわかりませんが)。


仲入り後の『宿屋の仇討ち』は『除夜の雪』ほど良いとは思わなかった。『除夜の雪』やってホッとして緊張が解けたのかなぁw 最初はよかったんだけど、どんどんムダな描写が増えていった。源ちゃんが川越で侍の奥様といい仲になり主人の弟に踏み込まれて…というところでは、途中で談春師「いいよっ!そんな細かくなくて!こっちで思い浮かべるから」。ホントにそうだよと心の中でうなずいた(笑)。


でも、『宿屋の仇討ち』のマクラでした旅の話(新幹線の車窓を流れる風景を見ているのが好き…って話)はよかった。
車窓に稲刈りを終えた田が広がる、そのはるかむこうで鮮やかに目を惹く柿の実の色、東北は秋田の逢魔が刻の空の色、美しい月とその傍らに光る金星・・・
柿の実の色を「日本の色」と感じ、月と金星のうつくしさに陶然とする談春師の感性、その表現力を素敵と思う(聴いてて「いい日旅立ち」が流れたりしませんでしたか?ディスカバージャパン!w)
「“逢魔が刻”というのは、そもそも都会(京都や奈良)の感覚」という指摘は、なるほどなぁと納得した。あの時間特有の空気というのは街中(まちなか)で感じる薄ら怖さなんだね。田舎の逢魔が刻の空を「わずかに落とした青い顔料が広がったような…」という喩えは昭和の文学のニオイがしますw(でも好きです)
繊細な感性がそういう領域に向けられた時の談春師というのは、とてもいい感じですw いつもそういう話をしたらどうだろう?マクラで。そうしたら師匠の好感度はもっとアップするのではないか?と思います(笑)