志の輔らくご in PARCO 2009 1/12



1/12(月)14:05〜16:36@パルコ劇場
ハナコ』 〜14:38
狂言長屋』 〜15:30
仲入り 〜15:45
『柳田格之進』 〜16:36



お正月のパルコ1ヵ月公演も4年目。今年は「何をやるか?」より「どうやるか?」に関心が向いていて、初日を観た知人から早々に演目を教えてもらっていた。たぶん今日くらいまでは同じ演目なのでは?と予想していたんだけど、思ったとおりでした。
今年のパルコ公演のために作ったという『ハナコ』以外は志の輔ファンには既知の作品。演出も殊更穿ったものではなかったが、2時間半たっぷり志の輔らくごを楽しめた。この贅沢感、満足感は、やっぱりお正月パルコ公演ならではと思います。


※以下、内容を書いております。観にいくまでは知りたくないという方は読まないでちょうだい。


ハナコ
電話をかける時、用件を話し始める前に相手に「今、お電話よろしいですか?」と尋ねる。そんな風に“一言ことわりを入れる”っていうのは日本人特有の“あらかじめ文化”だ…と志の輔師。
でも、電話で「よろしいですか?」って聞かれると、あんまりよろしくなくてもつい話を聞いてしまう。電話の「よろしいですか?」って、こちらの都合を尋ねるようでいて、その実、有無を言わさず用件に入るための枕詞なのかもしれません。
電話くらいはさほどのことはないけれど、いくらあらかじめ断られても「なーんか納得いかない…」ってモヤモヤすることってあります。志の輔師は、かつて台風接近中という日に羽田発沖縄行きの飛行機に乗った。飛行機は“天候調査中”とのことで“とりあえず飛ぶけれど沖縄の気象状況が悪ければ羽田に戻るかもしれないし、別の空港に着陸するかもしれない”とのアナウンスが予め入っていた。結局、飛行機は目的地の沖縄まで2時間半かけて飛び、1時間飛行場上空を旋回して着陸のチャンスを狙ったが、ついに着陸適わず2時間かけて羽田まで戻って来た。「5時間半飛行機に乗って、どこにも行けなかったんでございます」w。どうしようもないことだけど、なーんかむしゃくしゃする。かといって、事前に何も知らされていなかったら余計腹が立っただろうし…そんな内容のマクラから、新作落語ハナコ』へ。


「真実を開示すべし」は正しいコトだと思うけど、偽装表示だの記者会見の虚偽説明だのは絶えることがない。いつでも本当のコトを伝えるのがいいことなのか?あらかじめ言っておきさえすればいいのか?陳腐な正論にナナメから斬り込んだ(笑)、風刺のきいた志の輔らくごです。


某温泉地の旅館に宿泊客の一行が到着する。一行をにこやかに迎えた女将は、挨拶もそこそこに、仲居“マエダスミコ”の不在を詫びる。「マエダスミコは本日お休みをいただいております、マエダスミコの子供が風邪をひいたんですが、この子が学校のウサギの飼育係でございまして、風邪だろうとなんだろうとウサギに餌をやるんだ!ってきかないものですから、仕方なく、マエダスミコがウサギに餌をやりに学校に行くことになりまして…」
客はさっぱりワケが分からない。「…ちょっ、ちょっと待ってよ女将。その“マエダスミコ”がオレたちに何の関係があるの?」
女将が言うことには、本来、自分と仲居全員で一行を迎えるべきところだが、今日は1名足りない、1名足りないために十分サービスが行き届かないかもしれないということを「あらかじめ知っていただいたほうが、お客様がイライラしないのではないかと思いまして…」。そんなことはどうでもいい!と既に苛立ちをみせる一行に、女将「わたしも仲居たちもまだ化粧をしておりません。温泉地は湿気が多く化粧が崩れやすいのでございます、崩れる前にあらかじめわたくしどもの素顔を見ておいていただいたほうがよろしいかと…」(笑)
一行が通された客室は8畳と4畳半の続き部屋。「大工の設計ミスで床の間が張り出しておりまして、厳密には4.3畳です。4.3畳を4畳半と申し上げていることをあらかじめご了承くださいませ」
湯気の立つ蒸し器のおまんじゅうに惹かれる客に「あれはドライアイスの煙でござます」
射的を見つけて「懐かしい!」とはしゃぐ客に「ミッキーマウスだけは狙わないほうがよろしいですよ。テープで固定してあるんです」 ・・・


この旅館の女将と従業員一同は、旅館の施設・サービスの内実を正直に“あらかじめ”お知らすることが、お客様への一番のサービス!と信じて、どんな些細なことでも「真実の開示」を怠らないのであった(笑)。その姿勢の根本には「誠実」があるんでしょうが、安らぎを求めてやってきた温泉客は、ことあるごとに幻滅の悲哀を味あわされ疲弊していくのです。


旅館の「露天風呂」と「黒毛和牛の焼肉食べ放題」を楽しみにしていた一行。仲居に露天風呂の案内を頼むと、歩きづらい山道を延々と歩かされ源泉に連れて行かれる。「ここからお湯を引いております」「…で、露天風呂はどこなの?」「露天風呂は各お部屋についております」 。
頼みの綱の夕食。食べ放題の焼肉を心待ちにする一行の部屋に女将が現われる。「皆さんに入っていただいて!」と声をかけると、男達がぞろぞろと入ってきて…「野菜の生産者の方々です」。焼肉の野菜を安心して食べてもらうために、生産者を紹介するサービスなのだ。そして、続いて現われたのは、田所牧場の田所さんと黒毛和牛!! ・・・


怒った客たちにオロオロと「あ゛ーー(泣)、申し訳ございませーーん!」と詫びる女将(志の輔師がよくやる“泣くおばさんorおじさん”をイメージしてくださいw)。「あらかじめ知っていただくのが、お客様をイライラさせないサービスだと思いまして…(泣)」。


噺の最後に、仲居・マエダスミコが再び話題にのぼります(笑)。女将が彼女の欠勤の真相(それは聞いてのお楽しみ)を明かしかけたその時、客が女将の話を遮る。「ひとつくらい分からないことがあったほうが、のんびりできる!!」


「嘘も方便」ていい言葉だよなぁ…なんて思いました。


狂言長屋』
長屋に住む男が、身投げして死のうとしていた若い男を助けて長屋に連れ帰る。若い男の身なりがよいことから「どこぞの大店の坊ちゃんに違いない」とふんで、二親から命を救ったお礼をたんまりもらうつもりで連れ帰ったのだ。しかし、若い男は狂言師であった。毎年、殿様に狂言をお見せする慣わしになっており、今年は“無情”というお題で作った狂言を披露するはずになっていた。その台本を家老に騙し取られ、ライバルの狂言師横流しされてしまった。あれ以上の台本は書けない…と絶望して身投げしようとしていたのだ。
狂言師を連れ帰った男のうちに、物見高い長屋の衆が集まってきた。狂言師が作ったという“無情”がテーマの芝居のあらすじく(この世に無情を感じ死のうとしている武士。その姿に無情を感じた別の武士も死を決意し、ふたりは死んでいく…って話)を聞いた長屋の衆、「よう、狂言師。それバカの話か?」。人が“死にてぇよう!”と思うのは、そんなくだらないコトじゃない!と、それぞれ自分が「死にてぇよう!」と感じたエピソードを披露しあう長屋の衆。
「オレは金になると思って助けた男をうちに連れて帰って、大事なおまんまを食わせて、そいつが“狂言師”と分かった時に“死にてぇよう!”と思ったね」
「オレは夜中に口をあけて寝てるおっかあを見た時、“死にてぇよう!”って思うな」(笑)。
やがて長屋の衆は、自分達が“無情”な狂言を考えてやる!と順繰りにバカ話を始める(そのバカ話が可笑しいのです)。
最初はあきれて長屋の衆の話を聞いていた狂言師だが、彼らの話にヒントを得て新しい狂言を思いつく。淵に飛び込んで死のうとしている二人の男、先に飛び降りるのを争っているうちに友情が芽生え、一杯飲んで話をしよう!と連れ立って帰っていく…という話。その狂言が劇中劇のように志の輔師と狂言師・茂山千三郎(でしたっけ?違ってたらどなたかフォローしてね)によって舞台で演じられる(それがパルコ劇場で演じられる志の輔らくごならではの趣向でもあります)。


御前で見事に芝居を演じきった狂言師が再び長屋に現われる。「皆さんの話を聞いて、生きることこそ無情だと悟ったのです」。殿様からお褒めをいただいた狂言師は「これを作ったのは自分ではない、長屋の皆さんのおかげ」と申し上げる。すると殿様じきじきに長屋の衆に褒美をとらせるという。狂言師に皆でお城に参りましょう!と促された長屋の衆、「(お城に行かなきゃならないなんて)死にてぇよぉ〜!」。


一昨年の「志の輔らくご in PARCO」で観て以来だったが、ストーリーも演出もほぼ変わっていないように思った。するすると消え、するすると現われる座布団がやっぱり楽しいw。


『柳田格之進』
志の輔版『柳田格之進』ならではの特徴はいくつかあるのですが、その最たるものは柳田の娘・絹と、彼女が50両を用立てるために吉原に身を売るという出来事の描き方だと思います。それによって、志の輔版『柳田格之進』は、現代人―特に女性―が共感しやすいものになっているのだと思う。
武家の娘が「孝行」とか「忠義」とかの大儀のために苦界に身を沈めるというのはよくあるパターンではあります。波乱万丈のストーリーの中で人間の業をドラマチックに描く圓朝作品などではこのパターンはさほど気にならない。しかし『柳田格之進』という落語では、悪意がないとはいえ愚かな男達―50両をぞんざいに扱う大商人の迂闊と傲慢、番頭の浅はか、世知に疎い武士の頑迷―のために、“なんの落ち度もない娘が一人ワリを喰う”といった印象が否めず、後味の悪さを残す。
この問題を、志の輔師は、まず悲劇的な要素(身請けされたのの、娘は泥沼に入ったことを恥じ、誰とも会おうともせず、日ごとやせ衰え、その後姿はまるで老婆…といったエピソード等)を排除することでクリアしていると思います。また、志の輔師は登場人物ひとりひとりをそれほど克明には描きこんでおらず、絹も同様なのですが、登場シーンが少ないにも関わらず志の輔版の絹は「強さ」すら感じさせ印象的です。このことも共感を高めることに寄与していると思う。


お正月パルコで連日やるとなると、今年はこの後しばらく観れないかもしれないな…と思ったので、ちょっとだけ詳しく記録しておきます。


マクラは「裁判員制度」について。「人が人を裁くことの難しさ」「罪を憎んで人を
憎まず」といった話から落語に。
噺は、万屋・番頭が主人に「あの50両はどうなさいました?」と尋ねる場面から始まる。柳田が浪人の身となった理由、万屋の主人と柳田が碁会所で知り合ったこと、碁を通じて柳田と主人が友情を深めていくエピソード(月見の宴など)は一切カットされている。これも志の輔版『柳田〜』の特徴の一つ。
番頭と主人の会話から、主人が柳田に絶大の信頼を寄せていること、番頭はそれを快く思っていないことが明らかにされる。
誘われるままに万屋を訪れては碁に興じもてなしをうける柳田を、番頭は「あんまりにもずうずうしいじゃありませんか?」と非難する。万屋の主人は、自宅に誘っているのは自分、あんなに清い方はいないと柳田を庇う。それを聞いてますます面白くない番頭は悪口をエスカレートさせる。「本当に立派な方が、ご浪人されますかね?」、柳田の住まいを「戸を開けたら音がするんですよ、“ビンボー”って」(笑)。
ついに番頭は50両の行方を「柳田様がご存知なんじゃないですかね?」と言い出す。あの時主人に手渡した50両は、なにかのはずみで碁盤の下に転がり込んだのかもしれない。それを煙草入れか何かと間違えて「柳田様が間違って持って帰られたんじゃありませんか?」。
「そんなことを言うんじゃないよ!」と主人は番頭を咎め、50両は自分が小遣いとして使ったということにしてこの一件を打ち切ろうとする。番頭はますます面白くない。
「30年ご奉公している私よりも、知り合って間もない柳田様のほうを信用するんですね」。
こういうセリフで番頭の“嫉妬”を明示しているのも、志の輔版『柳田〜』の特徴。


翌日。
番頭は、柳田に直接50両の行方を問いただすことを思いつき、主人に断りもせず自分の一存で柳田宅に赴く。
万屋主人と柳田が二人だけで居た離れで50両がなくなった、その50両を知らないか?と問われた柳田は「すると何か?拙者がその50両を盗ったと申すか?」と顔色を変える。番頭「そうは申しておりません」。碁盤の下に転がり込んだ50両を煙草入れか何かと間違えて持って帰られたのでは?…口では“そうではない”と言いながら、50両を盗ったと決め付けて暗に「カネを盗ったことは知っている、返せ」とほのめかす番頭に、誇り高い柳田は激高する。「たわけたことを申せ!カネと煙草入れを間違える柳田ではないわ!」「帰れ!」
番頭は「これからは、独り言です」と断って、50両という大金がなくなった以上、御上に届けなければならない、柳田のもとにもお調べが行くかもしれない…と言う。
すると柳田は顔色を曇らせ「…わかった。拙者がその50両出そう」。この後の娘・絹とのやりとりの中で、柳田は“奉行から調べを受けるようなことがあれば、殿にも柳田の家にも顔向けができない”と、身に覚えのない疑いをうけたまま50両を返すことにした理由を説明している。「その場に居合わせたのが我が身の不幸」とつぶやいて、柳田は「50両は明日届ける」と約束して番頭を帰す。


柳田は娘・絹を呼び使いを頼む。柳田と番頭のやりとりの一部始終を聞いていた絹は、疑いをかけられた父が、自分が居ない間に腹を切って身の潔白を示そうとしていると察する。絹は「そのようなことをしても無駄。相手は商人にございます」と父を止める。“50両を盗んだことを知られて切腹した”と言われるだけだと。絹は吉原にこの身を売って50両をこしらえるから、自分を離縁してくれと頼む。そして「50両が出たら、万屋の主人と番頭をお斬りくださいませ」と静かに言う。
このセリフも“わかりやすさ”を追求した、志の輔師らしいセリフだと思う。
例えば、以前聴いたさん喬師匠『柳田〜』では、ここでは娘に「その50両、必ず他より出てまいります。そして出てきた時、本当にご無念を晴らされませ」と言わせている。これはおそらくは“万屋の主人と番頭を斬って無念を晴らせ”という意味だろうが、志の輔師のセリフのほうが、意味合いがハッキリ伝わる。また、このセリフは、絹が父に「二人を斬って自分たちの無念を晴らしてくれ」と頼んでいるともとれる。ここに絹の強さを感じるのです。


その翌日、柳田は50両を番頭に渡す。そして「もとのカネは、この柳田、神・仏にかけて知らん!」ときっぱり断り、「もとの50両がいでし時、そのほう、何とする?」と番頭に尋ねる。柳田が盗んだものと決めつけている番頭は、その時はこの汚い首を、ついでに主人の首をさしあげますとうそぶく。
「旦那様!出ましたー!」番頭は得意気に主人に報告する。「柳田様のところから、離れの50両、出ました!」。
だが、それを聞いた主人は番頭に腹を立てる。「(50両など)どうでもいいんだ!」「わたしは毎晩少しずつ柳田様にお金をお持ち帰りいただきたいくらいだったんだ…」と嘆く主人。「余計なことをして!」と番頭を叱責し、番頭を伴って慌てて50両を返しに柳田の自宅に向かう。しかし、そこに柳田と娘の姿はなく、大家に故あってひきうつることを告げる手紙だけが残されていた。


柳田の行方を案じる万屋だったが、「去る者は日々に疎しと申しますが、万屋は次第に何も言わなくなりました」。志の輔師、地の語りで、柳田が姿を消したのが夏、やがて季節は師走になり、時が経つにつれて万屋はこの出来事を忘れつつあった…と説明する。
暮れの大掃除の折、小僧・定吉が額の裏にある50両を発見する。柳田を探し出してお詫びをせねば!と顔色を変える主人に、番頭「探さないほうがよろしいかと…」(この後「わたしの汚い首をさしあげると言ってしまいました」「おやんなさい」「ついでに旦那様の首もと…」というやりとりがあります)。万屋は柳田が見つかるまで、とても安らかに眠る日々を過ごすことはできないと思う。「あたしは眠れない。人間、眠れなきゃ死ぬよ」。このまま眠れずに死ぬのも、柳田に首を斬られて死ぬのも、死ぬには変わりはないと心に決めた万屋は、店の者に「見つけたものには5両をやる!」と柳田を探させる。だが、柳田の行方はようとして知れない。


年明けて新年。
万屋では、毎年、番頭と鳶頭の二人で新年の挨拶まわりをすることになっている。雪の湯島を通りかかった時、番頭は立派な煤竹羅紗の合羽をつけた侍に目を留める。その身なりからさぞ身分の高いお侍だろうと感心する番頭(「戸を開けると“ビンボー”って音がする」と貧しい柳田を見下していた番頭らしいw)。
視線に気づいた侍は、番頭を見ると声をかけてきた。「万屋のご支配、徳兵衛殿ではござらぬか?」。さようでございます…と答えながらいぶかしげな番頭に、侍「久しぶりじゃのう」と言って笠をとる。その侍は柳田格之進。
あれからすぐ国許に帰参がかなった、万屋にも挨拶に行くべきだったが「足が向かなかった…」と柳田。


「番頭さん、良かったね、5両もらえるじゃん!」(笑)と他人事の鳶頭に、番頭は「旦那様に柳田様が見つかったことを知らせてくれ」と頼んで一足先に帰らせる。
柳田は番頭を湯島天神境内の店に誘う。「酒でよいか?」と穏やかに尋ねる柳田。しかし、ついに首を斬られる!と思う番頭はとても柳田と酒を飲む心境ではない。酒を断り帰ろうとするが、思い返して「…帰る前に申しあげたいことがあります。去年の春…」と言いかける。それを柳田は「これこれ!申すな」と遮った(こうした振舞いからは、柳田は50両が出てくることを半ば諦めていたと思えます)。だが番頭はついに「50両は出てまいりました」と告白し、今は盃をうけられないと謝って帰ろうとする。


帰りかける番頭を、柳田は「待てっ!」と大声で呼び止めた。その声は泣いているようにも聞こえた。
「…出たのか…出たのか…。なんと今日は吉日!」。柳田は拳で何度も自分の膝を打ちながら「よくぞ、出たか!今日は吉日」と感に堪えたよう言う。


めでたく帰参がかなったものの、50両を盗った疑いをかけられ娘が吉原に身を売ることになった無念はいまだに晴れない。娘に「50両出たら、万屋の主人と番頭をお斬りくださいませ」と頼まれた柳田は、そうすることでしか娘と自分の無念を晴らせないと思っていたろう。その一方で、万屋が柳田を忘れかけたように、安定した暮らしの中で心の痛みも薄れつつあったのかもしれないと思う。そんな気持ちが相俟って、柳田はこの一件を諦めかけていたのではないか。そんな時、思いがけず“50両が出た”という番頭の告白を聞いたのだ。
諦めかけていた無念を晴らす日が来る!と思った時、柳田の感情はまさに“万感胸に迫る”といったものだったのではないかと思います。志の輔師の「出たのか!」「今日は吉日」というセリフとその言い方は、胸にこみあげる思いに耐えかねて思わず口にした…というように感じられ、印象的なシーンでした。


戻った番頭を迎えた万屋は、「首のところは念入りに洗っておきなさい」などと言うものの、番頭を助けるために、5本の手紙を届けることを番頭に言付け、店に居ないように計らう。


翌日、柳田は絹を伴って万屋を訪れる。
“娘を連れて行く”というのも志の輔版『柳田〜』ならでは。例えばさん喬師匠の“碧の黒髪は白髪と化し、呼びかけても返事をせず、食事もせず、部屋の隅で壁に向かい泣き暮らしている”という娘と比べると、「強靭」といっていいくらいの心の持ち主であることを感じさせます(笑)。また、悲劇色はまるでない。


柳田父娘を迎えた万屋は、番頭が50両のことを尋ねに伺ったのは、自分が命じてしたこと、この首をお斬り下さいと謝る。すると、襖が開いて使いに出たはずの番頭が「わたしのしたことです。旦那様は関係ありません!」と現われる。「わたしのやきもちでございます!」(ここでも志の輔師は、はっきり“嫉妬”と言っております)、「いいえ、わたしがしたことだ」とかばいあう主従を「黙れ、黙れ、黙れ、…黙れーー!」と大喝する柳田。
「黙れっ!今更そのようなことを申して何になる?あのせつ渡した50両、どのようにこしらえたと思う?」「わが娘・絹が、吉原に身を沈めてこしらえた金じゃ」「そのほうらを斬らねば、娘にあいすまん!」と刀を振り下ろす!番頭と主人の首が転がる…かわりに、床の間の碁盤がまっぷたつになり、黒と白の石が座敷一面にバーッと広がった。


「案ずるな、絹。少々、手元が狂うただけじゃ。二人がなにやら申しているのを聞いているうちに、すこうし手元が狂うただけじゃ…」
すると「父上」と、絹が静かに呼びかけた。「父上は、今ほどお斬りになりました。お見事にございました。おめでとうございます」


かつて“50両が出たら、万屋の主人と番頭を斬ってくれ”と言った娘が、“父は見事に斬ってくれた”と言っているわけだ。つまり、絹は主人と番頭を許したと言っている。
柳田「よう言うた。よう言うたの。…柳田の娘じゃのう」。


「出来すぎた娘」という印象を受けなくもない。でも、この結末は納得感がある。この一件で一番酷いめにあったのは絹で、その絹がハッキリ「許した」という態度を表明しているのだから。
女性は“強くて賢いヒロイン”が登場するストーリーを好むという話を聞いたことがあるが、志の輔師の描く絹は賢く強い。志の輔版『柳田〜』は女性の共感性が高いのではないかと思う所以です。


柳田は万屋と番頭に「晴れて詫びはかなった」と声をかけ、絹を促して帰ろうとする。ひきとめる万屋。柳田は、またいずれ足の向く日もあるかもしれないが…と断り去ろうとする。だが、ふと「これだけは詫びなければならん」と改まり、万屋の碁盤を真っ二つにしたことを詫びる。すると万屋「わたしはもう、碁はいたしません」「たった今、白と黒とがつきました」


爽やかな終わり方の『柳田格之進』。


13、14日の休演後、三席目の演目が変わるのでは?と予想しているのだけど、さてどうなるんでしょう?