志らく一門会特別篇 志らく独演会



12/23(火)18:30〜20:45@上野広小路亭
志らく 『落語長屋』 18:30〜19:51
仲入り 〜20:05
志らく 『居残り佐平次』 20:05〜20:45





今年3月銀座ブロッサムで演じられた『落語長屋』の再演。3月に観た時、是非『居残り佐平次』と続けて観てみたいと思っていたのだが、ようやくその機会が訪れた。
志らく師には、900席の銀座ブロッサムでやった『落語長屋』をごく小さい所でやってみたらどうなるか?という「実験」の意図もあったそうです。ブロッサムで聴いた時も素晴らしかったけれど、今回は80席という狭い空間ならではの濃密な空気の中で志らく師の落語の世界にどっぷり浸ることができた気がする。その意味で贅沢な体験でした。


『落語長屋』 
志らく師が映画『幕末太陽伝』のような落語を作れないか?と思ったところから出来上がったもので、『よかちょろ』『二階ぞめき』『湯屋番』『ざる屋』『付き馬』をつなげた落語。『付き馬』の前にほんちょっとだけ『時そば』『つき落とし』も入る。ただ複数の落語をくっつけて演じるというだけでなく、主人公・吉原好きの若旦那が、放蕩の果てに“居残り”稼業で世を渡る決意をするまでの物語・『居残り佐平次・エピソード1』になっているところがミソ。また、この落語は昭和の名人たちへのオマージュでもあり、『よかちょろ』は文楽、『二階ぞめき』は志ん生、『湯屋番』は圓生、『ざる屋』は馬生、『時そば』『つきおとし』は小さん、『付き馬』は金馬のものを踏まえている。


ブロッサムでの初演の時は、『二階ぞめき』〜『湯屋番』のパートの、ぐんぐん加速していくような、勢いのあるスピードで語られるバカバカしくも華麗な妄想(さすが“妄想名人”w)が印象的だった。今回も妄想名人ぶりは相変わらずだったが、スピードはそんなに速くはなく、それぞれの落語の“ならではのフレーズ”をより丁寧に再現していた気がします。上演時間は、ブロッサムでは1時間だったが、今回はもうちょっと長かった(ちゃんと測っていなかったんだが、落語だけで75分くらいだったと思う)。
話はちょっとそれますが、スピードで圧倒するっていうのは一種のケレンで、そういう落語は大きな会場なんかで聴くと華やかでワクワクする。一方、狭い空間では、今回のように、フレーズをこっそりかみしめてククッと笑ったりするのが合ってるな・・・そんなことをふと思ったりしました。意識的にせよ無意識にせよ、“会場”によって落語が変わる(落語を変える)っていうことはあるんですかね?そのあたりを志らく師に尋ねてみたいです。
さて、話を戻して。
また今回は、冒頭『よかちょろ』から、若旦那がヒトを煙にまく“居残り”の才能の片鱗をのぞかせ、それが見事に花開いてゆく様が実に愉快だった。


最初は『よかちょろ』。
吉原に居続けしてようやく戻って来た若旦那。「どこへ行ってたんですか!」と説教モードの番頭の額を、若旦那は人差し指で「ヨ・シ・ワ・ラ」とつついて怒らせる。声を聞きつけた父親が若旦那を呼びつける。若旦那、右手をおでこの前にもってきて手先を前に倒して前後に動かしながら(…ええと、ダチョウの首の動きをマネたような仕草をイメージしてください)「いよっ!おとっつぁん」。このダチョウの動き、実にバカバカしくて力が抜けます(笑)。この後も、若旦那は追い詰められそうになると、こうしたヘンな動きや駄洒落で相手の気勢をそいで難局をしのいでいくのであったw。こんなギャグもあるけど、この『よかちょろ』は基本、文楽の型。髭剃り5円の説明をするところには「〜そこにまめどんが居眠りをしていて、そこに猫がいたりいなかったり」等々の定番フレーズが入ってて楽しい。


よかちょろ節を唄って大旦那を呆れさせた若旦那をつかまえ、番頭が再び説教。ここから『二階ぞめき』です。
ともかく、そんなに吉原に通い詰めじゃしょうがない、気に入った花魁がいるならひいて囲ったらどうです?と提案するが、若旦那は「女がいればいいんじゃない」「女がいる吉原が好きなんだ」。そこで番頭は出入りの大工に命じて二階に吉原を作ってやる。若旦那はさっそく唐桟の着物に着替え、頬ッ被りで素見に。


見事に再現された吉原に感嘆しながら若旦那は歩いていく、最初は人気がなくて(当たり前だw)さみしいねって思ってるんだけど「こんなさみしい時があるかい?…あるよ、うん、決めちゃおう!」って、ここは大引け過ぎの吉原と決めてウキウキと素見を続ける。やがて張り見世の中の妓に声をかけられ…と一人芝居を始め、若旦那は段々忙しくなる。
妓に煙管の火をもらい「ありがとよ」「寄ってってよ!」「だめだよ、俺ぁ素見と決めてんだ!」「フンっ!泥棒っ」「なにをっ!」つかみ合いの(ひとり)喧嘩が始まる。「まぁまぁ…」と止めに入った若い衆に手をあげて、大喧嘩に発展。「ちくしょー!面を割りやがって」「ぴしゅーっ!目潰し!」(笑)…この辺りからちょっとずつアップテンポになってくるんだけど、ブロッサムで観た時よりも気持ちゆっくり。「おおいっ!みんな、出て来い!」「なんだ」「なんだ」バラバラっと現れた大勢に取り囲まれ、若旦那は「さぁ殺せ!」と地べたに大の字になる。若旦那を取り囲んだ連中の一人(ちょっと与太郎っぽい)が「お前、肩のところに犬のウンコがあるぞ、“犬”ってぇ字みてぇだ」「うるせい!そんじゃ、股の間にウンコを置いて“太”だ!」(笑)このくだらなさが素敵!


この騒ぎの一件で勘当になった若旦那は店の出入りの頭の家に居候を決め込む。「若旦那、ひとつ奉公してみちゃどうです?知り合いにお湯屋があるんですけどね…」ここから『湯屋番』。
さくら湯に向かう道すがら、若旦那はさっそく“湯屋の主人が死んで後家になったおかみさんに惚れられる”という妄想を始める。後家さんの名前は何故か“さゆり”(笑)、「呼び捨てにしてちょうだい、“おかみさん”だなんて、水くさい、水くさい〜」と騒いで溝にはまる。
ちゃっかり番台にあがると、今度は“ばあやの清を連れた芸者”に惚れられる妄想。芸者が手をとる格好で「あがってって、あがってって〜」と番台で一人芝居をする若旦那を指差して、お客が「ゲンちゃん、見てご覧よ!イッセー尾形みてぇなヤツがいるぜ」(笑)。芸者の家に上がりこんだ後も、「まぁ、このヒトったら長っちりね、アフリカのホッテントット族みたい」、蚊帳の中で長襦袢のおんながくの字なりに座ってるっていうのを「岩場で休息しているジュゴンみたい」、可笑しい妄想に志らくギャグがかぶさって、更に可笑しい。このあたりでは、リズムの良さ・スピードと相俟って、聴いてて気分が高揚してくるようでした。


すぐにさくら湯を首になった若旦那は、『ざる屋』になる。このパートでは、株をやってる旦那の喜びようが可笑しかった。若旦那が“上田昇”“上野”“高台”だのと縁起のいい言葉を連発するたびに「うぅ〜〜。いいっ!」と目をむいて喜ぶのがヘンで可笑しい。ざる屋の経験を経て、若旦那は“ヒトをヨイショしてお金をもらう方法”を習得するのであった(笑)。
その後、夜鷹蕎麦で一文かすめる方法を覚え(『時そば』)、吉原の牛太郎を溝に突き落として勘定を払わずに逃げる悪さを覚え(『突き落とし』)、若旦那の中には着々と居残りの素地がつくられていく。そして『付き馬』へ。


『落語長屋』における『付き馬』は、若旦那の“居残りとして生きていく運命の幕開き”のエピソードといった意味合いがある。『付き馬』の中で若旦那が牛太郎を煙に巻くために繰り出されるあの手・この手は、『居残り佐平次』の中でも使われていて、続けて観るととっても面白かった。


例によって吉原を素見して歩く若旦那。持ち合わせがないからあがれないという若旦那を、若い衆が拝み倒す。若旦那が承知すると、若い衆は目を輝かせる。その目を見て若旦那「今の目はいい!フランスのお人形さんみたい」と誉め、この後なにかと「あのお人形さんみたいな目を見せておくれよ」と言うのですが、この“フランスのお人形さんみたい”っていうのが、ちょっとクラシックな可笑しみがあって好きです。
この『付き馬』では、なんといっても、牛太郎に口を挟む隙を与えずペラペラペラペラ益体もないコトを喋り続けながら、いつの間にか大門を出て仲見世まで行ってしまうところが愉快。“益体もないコト”とはいえ、妙に説得力があったりして、牛太郎がつい黙って聞いちゃったのがなんとなく分かります。ただヨイショやおしゃべりが上手いだけじゃ、ヒトは騙せないんですね。
吉原のお茶屋にお金をもらいにいく…と言って、牛太郎を供に連れて店を出た若旦那、なんだかんだいいながら大門まで来てしまう。
「大門ですよ!なんで鳥居の形してるのか、キミ考えたことある?」吉原では、そこに来る客も、そこで働く人も、皆なんとなく心にやましさ・後ろめたさを感じている。でも「そこに鳥居があると“あぁ神様が認めてくれてるんだなぁ”と思えるでしょ?」。
「吉原の朝はどんよりしてるねぇ。何故だか分かる?」。日中、街には人間の様々な感情が渦巻いている。その感情を夜の帳が吸い取ってくれるのだ。しかし、吉原は昼夜が逆転している。夜の間に感情が鬱積していって、朝になるとすっかり空気が淀んでいる。「大門を一歩出ると…ホラ!空気が澄んでるよ。もっと先出てみようか?」。
ついに吉原を出た若旦那、湯豆腐を肴に迎え酒、続いて銭湯でひと風呂浴びてスッキリ。「あたしお湯屋だーい好き。いろんな思い出があってね」(笑)。
仲見世おもちゃ屋の店先に飾ってある“シンバルを叩くおサル”のオモチャを指差して、「動物は、人間と同じことをやらせると親近感が湧くんだよ」「そういうものがヒットするんだ」って説明に妙に納得しちゃいました(笑)。


花やしきで象にパンかなんかやろう!」とはしゃぐ若旦那。しかし、ここでついに牛太郎が怒り出す。「アンタ、お茶屋にお金もらいに行くって出たんじゃないか!なんで仲見世に来ちゃってるんだよ!」「しょーがないよ、流れだもん」。“流れ”じゃしょーがない(笑)。「疑いの目をするんじゃないよ、フランス人形の目をしておくれ」。


その後、田町の早桶屋まで牛太郎を連れてって、まんまと牛太郎を出し抜いて難を逃れた若旦那は、番頭と再会する。
父親が亡くなったことを知らされ、これから旦那様のお墓参りに行きますという番頭についていく若旦那。父親の墓の前に立った若旦那「♪よかちょ〜ろ、パッパ!」と口ずさむ。すると番頭「大旦那には口止めされていたんですがね…」と、若旦那に父親の秘めた過去を語って聞かせる。
若い頃の大旦那は、若旦那と同様の道楽者で吉原で遊びまくっていた。しかし、ある時吉原の妓に裏切られ酷い目にあい、それをきっかけに万事に堅い真人間になった。「大旦那は若旦那の道楽を心配していたんですよ、同じ血が流れているから、若旦那も女で酷い目にあうんじゃないかって…」
店に戻ってやり直したらどうか?と勧める番頭に、若旦那は笑って告げる。「わたしは、吉原で遊んで遊んで遊びぬいておとっつぁんの仇をとるよ!」。若旦那は父親の名前・佐平次をもらい、番頭の前から姿を消す。
初演では“父親は若い時に吉原で居残りになって酷い目に遭い、それがきっかけで真人間になった”という説明でしたが、今回は“女に裏切られて酷い目にあった”と変わっていました。


ところで『落語長屋』というタイトルを、志らく師はあまりピッタリとは思っていないそうで、もっと相応しいタイトルを募集しているそうです。どんなタイトルがいいんだろうなぁ?




居残り佐平次
『落語長屋』で番頭の前から消えた若旦那は、『居残り佐平次』で名代の居残りとして再び姿を現す。若旦那の人を喰った居残りぶりがカッコよく、すこぶる痛快だった。


「あの人が来てくれっていうんだ」「あの人、何モンだろう?」「オレ、三社祭の神輿の上で踊ってるの見たよ」「異人館で蝦蟇の油の口上を言ってたぜ」「オレはいつだったかお湯屋でみた」・・・『居残り佐平次』は若旦那と一緒に品川に遊びにいく男達の会話から始まる。ここらへんは家元の『居残り佐平次』を彷彿とさせる。
若旦那(佐平次)は、集めた仲間から一人一円を徴収すると品川へ繰り出す。


首尾よく座敷にあがってドンチャン騒ぎの後、再び自分の座敷に仲間を集めると、徴収した五円が入った財布を預け「夜が明けたら財布持ってけぇれ。財布はお袋ンとこに渡してくれ、おっかさんには“いつものこったよ”って言っといてくれ」とニヤッと笑って命じる。
翌朝、勘定をとりに来た若い衆を誉めたりおだてたりして煙に巻くのだが、ここは『付き馬』のノリとまったく同じで、実に楽しい。
「ゆんべは遊んでる間中、ずーーっと楽しかったよ。普通はさ、はばかりに入ると“こんなことしてていいのかなぁ”って思ったりするけど、ゆんべはそんなことない!ずーっと楽しかった」。若い衆が「さようでございますか。…あの、係が変わりますので…」と“お勘定”をほのめかすと、「きゃー!」「ズドーン!」「あぱぱぱぱ…、赤ちゃん!オギャー・オギャー」「スイッチョン!」ってヘンなギャグを連発、目を白黒させる若い衆を「オレぁね、どんだけ遊んだらイヤになるか、限界に“チャーレンジ”してるんだよ!」「“勘定”なんてコト言うなら、他所行っちまうよ」と追い払ってしまう。
夜になっても勘定を払わない若旦那に、若い衆がさすがに痺れを切らして怒りだすと「そんな目をしちゃダメ!フランス人形みたいな目をしておくれ」(笑)。
食い下がる若い衆に、若旦那「カバチタレ!ファック・ユー!サノバビッチ!I'd like to take a nap、ちょっと昼寝していいですかぁ?」(笑)と罵詈雑言を浴びせ、「わかんねぇのかよ!つないでんだよ!」と仲間が裏を返しに来ると言いくるめ、居続けをきめこむ。


明くる朝、再び勘定をしに来た若い衆に、若旦那「重大な発表があります」「お金はない!」
若い衆は匙を投げ、替わって別の男が若旦那のところにやってくる。若旦那は「あぱぱぱぱ…、赤ちゃん!オギャー・オギャー」とやるが、男は「そいつは聞いてきたよ、オレは!」とたじろがない(笑)。
「行灯部屋に下がりやしょう〜」「今時行灯部屋があるかっ!」と、若旦那は布団部屋に放り込まれてしまう。


その晩。
布団部屋の近くの座敷では、花魁は来ないわ、刺身を食べようにも下地がないわでお客が腹を立てている。するとそこへ「いよーっ!」と“ダチョウ”みたいな手つき(『よかちょろ』でやってた、あの仕草ですよw)をしながら、若旦那が下地を持って入ってくる。「お客さん、紅梅さんとこのかっつぁんでしょ?紅梅さん、あーたのことばっかり噂してますよ」とヨイショを始め、客をすっかりなだめてしまう。
ようやくやってきた紅梅花魁「あら?あんたなんでこんなトコに居んのよ?」「え?こいつ店のモンじゃねぇのか?」「ええ、居残りよ」「おめぇ、居残りか?!」
若旦那「へへへへ…スイッチョン!」と一声鳴いて座敷を去っていく・・・。このあたり、実に楽しかったです。


気がきいてヨイショが出来て、その上芸事も上手い若旦那には、お座敷がかかるようになる。客に「居残りを呼びなよ」って言われて、オバサンが「ちょいとー!いのどーん!」って呼ぶ名場面。
「いよっ!」と扇子片手に座敷に入った若旦那、一言「赤ちゃん!」っていうと、それに続いて客の旦那衆が声を揃えて「オギャー・オギャー!」ってこたえる(笑)。これ、すごくウケた。


やがて若旦那は花魁に踊りや駄洒落を教えるようになる。客にも花魁にもひっぱりだこの若旦那だったが、周りの若い衆の妬みを買い、店の主人に告げ口されてしまう。
若旦那を呼び出した主人は「お前のことはいい評判ばっかりだ。だけどいいことばかりは続かないよ。そのうちきっと誰かが何か言い出す」。払っていない勘定は月々少しずつ返してくれればいい、とにかくもう帰りなさい…と若旦那を諭す。


若旦那は、自分は凶状持ちで追われる身とウソをつく。凶状持ちと知ってはかくまっておけないと慌てる主人から、20円入った財布とまだ袖を通していない結城の着物を騙し取る。悠々と店を出て行く若旦那を、若い衆のひとりが「上手くやったな」と呼び止める。「あんないい旦那に、なんでそんなウソを?」と尋ねられ、若旦那は明るく言い放つ(ここがカッコイイ)。「覚えとけ!俺は居残りを稼業にしてる佐平次ってんだ。居残りで吉原を荒らしまわって居られなくなって、河岸変えて、品川に来たんだい!あばよっ!」
捨て台詞を残し去っていく佐平次を廓の屋上から花魁たちが見送る。夕陽の中、小さくなっていく佐平次の後姿に花魁が声をかける「いのこり惜しい〜!」
佐平次に教えられた駄洒落なのね。
このサゲの軽さ・下らなさが、すっごくいいと思いました。


志らく師は『居残り佐平次』のマクラで「落語はストーリーではない」「ギャグ、業を描くもの」って言っていた。『落語長屋』も『居残り佐平次』もホントに軽くて楽しい。でも、ただ軽いんじゃないですね。軽さの後ろには、温かくて至極まっとうなヒューマニティ(このコトバは志らく師は嫌いかもしれないけど)がある気がする。それは決して主張されず、表に現われたりはしないんだけど、なんとなく匂い立ってくる。そういう空気の中ではどんなにくっだらないギャグを連発されても気持ちがシラケない。ほのぼのと楽しい。「チャーミングな軽薄」って感じなんですよね、志らく師の落語は。




※久々にレポートをアップしてみました。今年は秋あたりからなんやらかんやらで適当なものが書けませんでした。反省。来年はちと考えなくちゃ。