市馬・談春 盆の二人会



8/13(水)18:20〜21:07@国立劇場演芸場
開口一番 立川春太 『十徳』
立川談春 『替り目』
柳亭市馬 『宿屋の仇討』
仲入り
柳亭市馬 『かぼちゃ屋
立川談春 『白井権八



談春師は少し前まで体調が悪かったらしいが、この日は元気そうで上機嫌に見えた。この会は去年も8月13日にこの場所で行われたが、談春師はこの会に出演することを“おじいちゃんの家に里帰り”したかのような心持ちと語った。大らかな市馬師の高座を観るたびに「癒されるなぁ」と思うけど、市馬ヒーリング効果は談春師にとっても絶大らしいです。楽しそうな談春師と、こちらはいつもにこやかな市馬師。そういう二人を見るのは気持ちよかった。
談春師は歌舞伎座の後、解放感のあまり各所でハジけまくった高座を見せていたと聞いていたが、この日は“ほどほど”って感じではなかったでしょうか?(熱をおしてやったという三鷹の会なんかを観てないのでなんとも言えないのですが…)『白井権八』でも笑いを入れてたけど、脱線というほどじゃなかったし。


談春師『替り目』 お酒には、酔いを言い訳にホンネを語って相手との距離を縮めるという効用がありますね…というマクラから、車夫に声をかけられ車に乗るところをカットし、酔った男が帰宅したところから始めた。短く切り上げるためにカットしたのか?とも思ったが、そうじゃなくて、談春師の『替り目』においては、車夫とのやりとりは余計だからだろう…という気もしてきた。マクラで“酔わなきゃ言えないホンネ”というコトを言ってて、そう思ってこの噺に登場する酔っ払いを見れば、この男は酒が好きで毎晩飲んでるんじゃなくて、酔っ払ったことを口実に毎晩毎晩おかみさんに甘えたいヤツなのだった。談春師はこの落語で“酔っ払い”の生態を面白おかしく描きたいわけではなくて、自身が思うところの“夫婦愛”を描きたいのだろう。だとしたら、車夫をからかうところはなくてもいい…と思えてきました。
談春師の『替り目』には、談春師ならではの、可笑しい、そして素敵なセリフがいっぱいで、それを見事に息の合った夫婦漫才みたいにやる。すごく笑えてほのぼのする。おかみさんが男に度々「お寝っ!」と命じて、亭主が「ワン!…っつってオレがなついたらどーすんだ?」って返すところなんか、とても微笑ましい。おかみさんがおでんを買いにでかけ、男は、いつの日か万が一にも自分より先にアイツが死んだら…と想像して「俊寛より悲しいぞぉ〜」と泣くところも可愛い(“俊寛”がでてくるところがイイ)。
それにしても、なんと可笑しくも麗しい夫婦愛。この男は、おかみさんには自分が死ぬ前にたった一度だけ「ありがとう」と言うつもり…って言ってるけど、毎晩おかみさんに「かまって!かまって!」と猛烈にラブコールしているとしか思えない。
談春師の後に高座にあがった市馬師は、ひとこと「春さんの『関白宣言』でした」。
言い得て妙だなぁと思いました。


仲入りをはさむ市馬師の二席は、オーソドックスな『宿屋の仇討』『かぼちゃ屋をやるならば、こういう風に観せて欲しい…というような二席(もっとも『宿屋の仇討』は、三人が芸者衆をあげて大騒ぎするところで、市馬師得意の相撲甚句がはいったりしたので、“オーソドックス”とは、ちょっと言いにくいんだけど…)。つまらないことですが、『宿屋の仇討』で「伊八ー!いはーちーー!」と呼ぶ万事世話九郎の声がとっても朗々としていて、今更のように市馬師匠って美声なんだなぁ…と思った。


ところで『宿屋の仇討』『かぼちゃ屋』というと、どちらも三三師を思い出さずにいられない。三三師の『宿屋の仇討』は何度もその高座を観ているし、『かぼちゃ屋』は今月5日の市馬師との二人会で観たばかり。どちらも悪くはないのだけど、市馬師のを観てしまうと三三好きのわたしでさえ「…やっぱり三三さんは、この手の噺はおもしろくないなぁ」と思ってしまう。
特に『かぼちゃ屋』は、くすぐり(例えば、仕入れ値でかぼちゃを売ってしまった与太郎をおじさんが「そんなことで、どうやってメシを喰う気だ」と叱る場面で、「箸で喰うよ」「当たり前だ!」「ライスカレーは匙で喰うよ」…なんていうの)を含めてほとんど三三師が演ったのと同じで、それなのに三三師とはケタ違いに面白いのだった(余談ですが、三三師はこの噺を市馬師に習ったのかもしれないと思った)。
市馬師の『かぼちゃ屋』は、例えば、湯へ行くからかぼちゃは買えないと断った男に与太郎が「かぼちゃと一緒に湯へ入ってると、他のひとが楽しいよ」なんて言うところとか、細い路地で方向転換しようとして天秤棒がつかえて回れないでいる与太郎に、長屋の住人が「なにを格子ガタガタやってんだよ」とひょいと首をだして声をかけるところとか、そんな何でもないところが可笑しくて笑っちゃうのだ。三三師の『かぼちゃ屋』は、微笑みは浮かぶんだけど大笑いできなかったもんなぁ・・・この違いはどこから来るのか。


談春師『白井権八 冒頭、茶屋に腰掛けている権八の身なりの説明をカッチリとした口調で語り、ふと「…目に見えるような描写ですね」と自分で茶々をいれ、これまた自分で即座に「やれ!黙って!」と突っ込んだ(こういうのって、ひとりで何役も演る落語家の宿痾なのかなぁと思ったりする)。こういう時の一言も談春師の場合はセンスがよくって、決して嫌いではない(それに、この日はわりとガマンしてちゃんとやってくれたような気がする)。


『白井権八』は「悪いヤツをやって、もの凄くカッコイイ」談春師の魅力を堪能できるので好き。談春師は色男というタイプではないけど、融通のきかない侍らしいもの言いとか、暗くて鋭い眼で薄く笑ったときの表情とか、そういうところから“カオがきれいで冷酷な権八”がみえてくる。
「役者」と言われてカッとした権八が雲助の頭領を斬ろうとして思い直すところが印象的だった。「喩えるにことかいて、河原者に喩えるとは!」と斬ろうとするが、ふと「この短気がいかんな…」と思い直した権八、ニヤっと笑うと殺気が消えて…というところ、緊迫感のある語りでちょっとドキドキした。


立ち回りのところはスピード感があってカッコよかった。焚き火を背にして正眼に構えた権八、一人の山賊が誘い込まれて思わず斬り込む、そいつの首をスパーン!とはねて「あがった、あがった、たーがやー!」w(9日に演った『たがや』を思い出してガマンできなかったんですね)。どっと倒れた死体からすぐに血溜まりができ、そこから“鉄のような血のニオイ”が漂う、血のニオイで興奮した山賊たちが一斉に権八に襲い掛かる…。
“鉄のような血のニオイ”とか、権八の癇症を表現するのに、額に“じゅんさいみたいな青筋”を立てた…なんて喩える。こういう言葉の数々が談春師らしい。
聴いてるうちに猛烈に『鈴ケ森』が観たくなってしまった。


終演後、舞台に私服姿の三三師が呼ばれた。市馬師・談春師の間に挟まれて、たいそうカオが小さく見えた三三師であった。高座に並んだ三人に今日も橘蓮二氏がカメラを向けていた。
その後、楽屋にいた王楽さんを呼び、楽太郎師の円楽襲名などを話題にトーク(座布団の上でクネクネしてる王楽さんの姿に、このヒトは大丈夫か?と不安になった観客は少なくないと思うぞ)。最後にこはるちゃん、春太くん、その他、遊びに来ていた若手(三木男くんなんかもいた)全員を舞台に呼んだ。全員で市馬師を囲み、最後に市馬師が『皆の衆』を唄ってお開き。


今年は三人集、いつやるんだろうなぁ?