喬太郎伝説



7/19(土)14:00〜16:37@世田谷パブリックシアター
開口一番 柳亭左龍 『お菊の皿
柳家喬太郎 『純情日記渋谷篇』
仲入り
林家正楽 紙切り
柳家喬太郎 『双蝶々』



喬太郎師の二席とも初見だったこともあって満足度の高い会だった。


『純情日記渋谷篇』 喬太郎師が日大・落研時代につくった新作…というのは知っていたが、聴くのは今日が初めて。
就職したばかりのカップル。広島に転勤が決まった男、広島なんて“や”のつくコワい人がいっぱいのところに行ったら生きて帰れるか分からない、だから別れよう!(その理屈、ワケわからんw)と涙に暮れながら彼女と一緒に思い出の渋谷の街を歩く。
西武(どっちがA館でどっちがB館かいまだにわかんない)、東急(駅にあるのが本店って思うじゃないか?)、パルコ(多すぎ)、渋谷公会堂(C.Cレモンに売っちまって、渋谷“後悔”堂…)、三千里薬局(1万2千キロー!)、スペイン坂(どこがスペイン?)・・・「道中立て」で遊んだ新作なんですね。思い込みの激しい男の独特な喋り方に一種のリズムがあって、どんどんヒートアップしていくのが楽しかった。
噺の中で二人が歩いているのはイマの渋谷なんだけど、ところどころきょん師・20代の頃の渋谷が垣間見えて可笑しい。


『双蝶々』は通し。席は最前列だったのだが、喬太郎師の表情を間近で観ながらじっくり聴けたのは良かった。
展開はざっくりこんな感じ。
<前半>
酔って帰宅した八百屋の長兵衛は、息子・長吉の告げ口を鵜呑みにし、後妻・お光に手を上げる。大家は長兵衛を諌め、長兵衛が知らないところで、彼の息子・長吉がどんな振る舞いをしているかを教える。大家のセリフから“子供の頃から性悪な長吉”の姿が強く印象づけられる。
「放っておくとロクなものにはならない。奉公に出しなよ」と大家に勧められ、長兵衛は長吉を奉公に出すことにする。


奉公先で18歳になった長吉。表向きはマジメに奉公していたが、裏では盗みを働いて小金を稼ぐいっぱしの悪党になっていた。ある晩、長吉の銭湯の帰りが遅いのを怪しんだ番頭に、稲荷町・広徳寺前で盗みの場面を目撃される。長吉を強請りにかかる番頭。しらを切りとおせないと悟った長吉(ここで、喬太郎師は表情と口調をサッと変えた)「…番頭さん。あなたもよほどワルだね」「お前に誉められりゃ嬉しいや」
いやぁな汗が流れるような緊張感。
長吉は主人の寝間から100両を盗み番頭に渡そうとするが、いっそ番頭を殺して100両もって逃げるか…とひとりごちた。それを小僧・定吉に聞かれてしまう。「長吉っつぁん。番頭さん殺すの」「100両とったの」「おいら聞いちゃった」無邪気に言う定吉だが、上目遣いの笑顔が不気味。金をやって黙らせようとする長吉に、定吉は掛羽織をねだる。長吉、寸法をはかるふりをして、定吉の首に細紐(…なのかな?手拭が“何”なのか、よく分からなかったのですが)をまわし、ぐっと締め上げる。喬太郎師は短めにもった手拭の端の片方を口にくわえ、ピンと張った。なんともいえない声を出して、定吉は絶命する。
この後番頭を殺し、長吉は奥州路を逃げる。


<後半>
息子が二人殺して100両を盗ったとあって、湯島大根畠の長屋に居られなくなった長兵衛・お光夫婦。転々と住まいを変え、本所馬場の裏長屋に隠れ住む。腰が立たなくなり寝付いてしまった長兵衛を抱え、お光は道端で「長々亭主に患われ難渋しております」と通行人の袖を引いて施しを乞い、なんとか飢えをしのいでいる。
通りかかった中間が金をやるから抱かせろとお光に迫る場面があって、その田舎者丸出しの野卑な言葉つきは耳をおおいたくなる。何もしないでタダで金をもらおうとするなんてとんでもない了見だと、蔑みの捨て台詞を残して中間たちは去る。「ちくしょう…ちくちょう…」とつぶやくお光。しかし、このままでは生きていくことができない、身を汚してでも…と決意する。凶状持ちを出してしまった一家の悲惨を象徴するような暗澹たるシーンだった。


一方、長吉は、奥州・石巻で魚屋を営み、裏稼業では50人の子分を抱える盗賊の頭目となっていた。父親を案じて江戸へ様子を見に来た長吉。道を通りかかった長吉に、息子と気づかずにお光が声をかけ、二人は再会する。
「あの頃、おまえがよくしてくれればくれるほど、憎くて…。おやじをとられちまったようでよ」継母に詫びる長吉。お光は長吉を長兵衛が寝ている裏長屋へ連れて行く。


先に長屋に入ったお光に呼ばれ、外で待っていた長吉が長屋に入る。長兵衛の顔を一目見て、長吉「老けたなぁ…」としみじみとした声を出す。
だが長兵衛は病んだ体を震わせて、何しに帰って来たと怒鳴りつけ、長吉が、魚屋でまじめに稼いだ金だ、受け取ってくれと差し出す50両も「そんな汚ねぇ銭はもらえねぇ!」と押し返す。
「なんでぃ、なんでぃ!!」精一杯の労わりの気持ちを受け入れてもらえずに、長吉は拗ねて声を荒げる。50両は捨てていく、そうすれば拾う人もいるだろう、その金で夫婦養子でもとって幸せに暮らせ…と帰ろうとする長吉。その姿に長兵衛は、何故ひとこと、親父すまなかったと謝って、一緒に暮らそうと言ってくれないのだと泣く。父親の姿にほだされて長吉は、今の自分が手下のいる盗賊であることを打ち明け、そんな自分がここにいては迷惑をかけると言う。
それを聞いた長兵衛は「…立派になりやがったなぁ」。結局、長兵衛は息子を許すのだ。もう二度と会えないであろう息子に、お光に命じて羽織を着せかけ、出て行こうとする息子に「もう一度、顔を見せろ」と呼びかける。とても哀しいシーンだった。


長兵衛の長屋を出て、吾妻橋にさしかかる。長吉の七五調の述懐を、舞い散る雪(照明で表現)と三味線が盛り上げる。シアターならではの演出。黙阿弥の生世話を思わせる印象的なシーンだ。
「御用だ!」「御用だ!」…暗闇の中の長吉を御用提灯が幾重にも取り囲み、雪の降りしきる吾妻橋で、ついに小雀長吉はお縄になる。
喬太郎師「双蝶々、読みきりでございます…」と下げた。


緊迫感に満ちた前半と、哀感漂う後半。全篇暗く、長谷川伸の『暗闇の丑松』を思い出させる、見ごたえのある一席だった。


志らく師の『双蝶々』は、二匹の蝶々がもつれるように飛ぶオリジナルシーンを挿入して映画のようなラストだったが、喬太郎師の『双蝶々』は見事に芝居の世界だったな。そういうところは、やっぱりさん喬師匠の弟子なんだなぁ…と思わずにいられない。