7月前半の落語



7月に入って落語会にはぼちぼち行っているのですが、ちゃんと記録できずにいます。このままだと書かずに終わる可能性が高いので、たまには一気にまとめ書きとゆー姑息なことをしてみますw (なので今日は長ーいです)


まず、この半月に行った落語会はこんな感じ。


ラジオデイズ落語会@コア石響
7/5(土)14:30〜17:00?
開口一番 瀧川鯉斗 『動物園』
三遊亭遊雀 『堪忍袋』
瀧川鯉昇 『へっつい幽霊』
仲入り
三遊亭遊雀 『四段目』
瀧川鯉昇 『質屋蔵』

遊雀師の『堪忍袋』がキョーレツに可笑しかった。鯉昇師『質屋蔵』の熊さんのフレーズ「昇り龍、下り龍、背中にネコ」は、ふとした時に思い出してニヤニヤしそうで心配です。


柳家三三独演会 〜夏〜
7/7(月)19:00〜21:00@中野ゼロホール
開口一番 柳家右太楼 『四段目』
柳家三三 『青菜』
仲入り
柳家三三 『たちきり』

三三さんの『たちきり』を聴きたくて行った会。期待通り。この半年くらいずーっと観たいと思っていた柳家三三はコレ!


志らくのピン
7/8(火)19:00〜21:20@内幸町ホール
らく次 『持参金』
志らく 『火焔太鼓』
志らく 『お化け長屋』
仲入り
志らく 『豊志賀の死』

三席とも素晴らしかった。どれが一番よかったか?と訊かれたらすごく悩む。
『火焔太鼓』と『豊志賀の死』が甲乙つけがたい感じかなぁ?しかし『お化け長屋』もやっぱり捨てがたい…と聴いた直後は思っていたのですが、時間が経っていまだに印象が鮮やかなのは『豊志賀の死』。

鈴本7月上席夜の部
7/9(水)
五街道雲助『豊志賀』

前日の志らくさんと聴き比べてみましょう…と主任・雲助師匠だけ観にいった。


10日 ni 栄助落語会
7/10(木)19:30〜21:00@庚申塚・Studio FOUR 』

※すべて栄助さん
『劇空間プロ野球
『子別れ(下)』
仲入り
『修学旅行の夜』
『江戸っ子検定』

一席目、『劇空間プロ野球』で、巨人の星のオズマを髣髴とさせるメジャーリーガーがバッターボックスで唄うヘンな歌に笑いすぎて涙でた(大笑いしたクセにうろ覚えなんですが、♪コネティカットじゃいちばんで〜 サウスダコタにゃかなわない〜 思い出すのはインディアナー とかゆーんです、あのくだらなさは聞いた人でないとわかってもらえないわー)。あと、クサくない面白い『子別れ』がよかったです。


きゅりあん寄席
7/11(金)19:00〜21:20@きゅりあんホール
開口一番 春風亭正太郎 『たらちね』
柳家喬太郎 『竹の水仙
仲入り
柳家三三 『五目講釈』
立川談春 『らくだ(上)』

きゅりあんホールって初めて行ったんですが、あんなに大きいと思わなかった。『竹の水仙』『五目講釈』と続いて、こういう会場では三人とも鉄板ネタでもしょうがないな…と諦めていたが、最後に談春師が素晴らしい『らくだ(上)』をやってくれた。大満足。


立川志らく独演会
7/12(土)14:00〜16:20@三鷹芸術文化センター星のホール
開口一番 立川志らべ 『黄金の大黒』

※以下、すべて志らく
『あくび指南』
宮戸川(上)』
仲入り
『らくだ(通し)』

志らく師のクレージーな部分が強く印象に残った三席。
それにしても、2日に渡って談春志らくで『らくだ』を聴けるとは望外のしあわせ。


特に印象的だった高座のことだけ書いてみます。


■きれいな柳家三三が好きだ! 三三『たちきり』
基本的にはオーソドックスな『たちきり』。まくらで、花柳界では芸者の花代は線香一本が燃え尽きる時間を単位にしているという解説をして、噺にはいった。
自分の処遇を話し合っている親族会議の席に立腹して入っていった若旦那は、番頭に乞食になってもらうと言われると、「乞食はイヤだ」と泣きを入れる。


続いて三三さんは「どうしてこんなことになったかと申しますと…」と、地の語りで若旦那と柳橋の芸者・小久との出会いと、二人が惹かれあっていった過程を説明する。花柳界の客らしくない若旦那と芸者らしくない小久。二人は純粋に想いあっている。でも、周りの大人たちから見れば、若旦那はただ芸者にいれあげている困った若者にしか見えなくて、蔵住まいを余儀なくされてしまう。


番頭が小久から届く手紙を中も見ずに引き出しにしまってしまい、そのくせ、もしも100日間、一日も欠かさず手紙が届いたら二人を添わせてもいいと思っていた…なんて言うのはホントに解せない。小久との約束があったのに何もしなった若旦那もバカみたいと思う(そういう疑問をすっきり納得させてくれる談春師の『たちきり』は、だから好きだ)。三三さんの『たちきり』もそのあたりはやっぱり気にはなるんだけど、その後の場面―女将が若旦那に小久の死を語り、二人で小久を偲ぶ場面―がきれいでとっても良くて、そのあたりのギモンはとりあえずどうでもいいわ…と思ってしまうのであった。


女将は若旦那に恨みごとを言うが、それは怒りを秘めた言い方ではなくて、ただ悲しんでいる風だった。女将は在りし日の小久を、彼女の死を淡々と語る。三三さんの『たちきり』の女たちは、おとなしやかで品のいい色気がある。
若旦那が、比翼の紋のはいった三味線を仏壇に置き手を合わせる。女将に大きな茶碗に酒を注がせ、ぐっとあおると…三味線が鳴り始める。驚いてむせる若旦那に女将「あなたの好きな『黒髪』を弾いてます」。「小久、許してくれ。生涯“女房”と名のつく女はもたないから」と涙ながらに誓う若旦那。この場面は実に情感のあふれる、しっとりした空気だった。


だが女将は言う。「だめですよ若旦那。あの娘のことはきれいに忘れてやってください」「あなたとあの娘はもう、住むところが違うんですよ」「あなたがきれいに忘れてくれないと、小久はいく処へいけないんですよ」
女将のこのセリフはとても静かなもので、言葉も言い方もかなり違うが、談春師の女将を思い出させた。


「ムリだよ!忘れられるわけがないだろ。…小久。もう一度お前に会いたいよ。会いたい…」悲しげにつぶやき、若旦那が顔を伏せる。すると、三味線がパタリとやんだ。「若旦那、小久はもう弾きません」「ちょうど線香がたちきれでございます」


悲しい場面をやって決してクサくならない、しっとりときれいな印象を残す…。こういう三三さんがわたしはとても好き。


ちょっとだけ『青菜』のことも。
マクラを除いて30分くらいかけてやって、前半のお屋敷のシーンなんかとても丁寧だった。旦那様は奥様の「鞍馬から〜」は、奥様がとっさに気転をきかせて言ったのだと説明する。それを聞いて植木屋さんはいたく感心してしまう。「とっさに出たんでしょ?そういうところがお屋敷のお屋敷たるところですねぇ」「ただ庭が広いの、氷があるのじゃない、こちらの奥さまですよ」と。このあたり、植木屋のキモチがとても良く分かりました。
お屋敷の出来事を得意気に話す植木屋を、「今度は何に感心したんだい?感心バカ」とあっさり断じてしまう女房が可笑しい。三三さんの女房は、品がないというよりは、どっしり現実的って感じ。「“柳影”っておまえなんだか知ってる?」「“直し”だろ」「鯉の身って黒いと思うだろ?」「白いんだろ?」にべもない女房の反応に、植木屋「どうしてオマエ、亭主の知らないこと知ってんの?上から上から見んの?」なんていうのは可愛かった。こういう、女房に頭の上がらない弱い男が三三さんは上手いみたい。


■クレージー妄想派 志らく『火焔太鼓』
クレージーという言葉が相応しいヒトはたくさんいるけれど、“妄想”といったら志らくさんです、師匠の右に出るヒトはいないわ。『火焔太鼓』は、例によっておかみさんがサイコー可笑しい。亭主がお屋敷で拷問をうける…というのをこれでもか!というくらい微に入り細に入り妄想する。松の木に後ろ手に縛られた亭主が、アリに蚊に蝙蝠に蛇に、よってたかって苛まれるとか、“アルミホイル”を口につっこまれるとか、耳元で黒板をキィィーーってやられるとか、しまいに耳元でオカリナを吹かれて「水木しげる悪魔くんか!」とか。
おかみさんが亭主に、今度ヘンなものを仕入れてきたら「あたしは鬼になるよ!おまえさんを店へ出すよ!」…って『文七元結』か!たまらんよ、志らくギャグ。
しかも流れるような気持ちのいい語りなのだった。あの『火焔太鼓』は素晴らしかったなぁー。この日のオチは“笛を吹いてピーピーになる”で、志らく師いわく「なんとなくオチ」だそうです。


『お化け長屋』『あくび指南』『宮戸川』も、それぞれ相当イカれたキャラクターが出てきて楽しかった。『お化け長屋』の二番目に長屋を借りに来る豪胆な男。杢兵衛が作り話の怪談をして男を脅かそうとするところがとっても面白かった。「こっちへお上がり、お上がり〜」と恐ろしげな声色をつくって招く杢兵衛を、男は「パシュ!」とパンチ!ケタケタケタと笑う後家の幽霊(杢兵衛)に、男は「チュッ!」とキスw 何故そこでキス?!
宮戸川』のお花は戦時歌謡を唄うし、『あくび指南』の師匠は「へっへっへっへ…ひひひひー」って実験博士みたいだし、あくびを習いに来た男は「あう!船頭ツク!」って、何回やっても陸にあがらず吉原に行っちゃうし…。改めて振り返ると、この短い間に“志らくの華麗なるクレイジーワールド”にどっぷり浸った感じ。


■クレイジー幼児派 栄助『子別れ(下)』
クレイジーといえば栄助さんも間違いなくイカレている。ただし、栄助さんはクレイジー幼児派です。普段とてもおとなしいのに、突然「きーーっ!」って奇声をあげる小学1年生男児のような、動物的な子供っぽさがあるような気がします。
『子別れ』の亀ちゃんには、そういう子供ならではのワケのわからなさ・可笑しさがありました。
再会した父親に鰻屋に連れてってやると言われた亀ちゃん、「竹葉亭?!」と目を輝かせる(笑)。
「違うよ!そこらの鰻屋だよ。…がっかりしてんな」
そういう反応って子供がいかにもしそうで、妙にリアルで可笑しかった。
あと笑ったのはここ。
息子から、額を傷つけたのは世話になっている地主の息子だと聞いた母親は「我慢おし」と涙をこぼした。それを父親に話す亀。「あたいのココも痛かったけど、おっかさんの胸はもっともっと痛かったよ!もっともっと痛かったんだよ!」
すると熊…「クサイよっ!!」「どこで覚えたんだ、そんなこと!きょんきょんの師匠かっ!」
笑ったわー。


■クラシックな外連・雲助と現代的な志らく 『豊志賀』
志らく師は、豊志賀と新吉の心理をはっきり説明していて、大変わかりやすかった。何故、豊志賀は男嫌いになったのか?何故、新吉を誘ったのか?新吉はいつからお久に心移りしていたのか?…等々。たぶん、もう少し昔だったら、はっきり説明しなくても、男が・女が、こういう言い方をしたら・こういうことをしたら、その真意はこうだ…というふうに、ブレなく聴き手に伝わったのだろうけど、現代は男女の在り方も多様だし、恋愛だの義理だのについても考え方は人それぞれだから、このくらいハッキリ説明したほうがいいんだろうなと思った。


説明というのは、例えば豊志賀と新吉が初めて結ばれるところで、豊志賀のなかには“悪い豊志賀”と“正しい豊志賀”がいて、悪い豊志賀のささやきに負けて豊志賀は年下の新吉を誘惑した(この誘惑シーンはたいへん色っぽかった、『お化け長屋』の後家さんが襲われるシーンを踏まえたギャグにもなっていた)、でも新吉のなかにも“悪い新吉”と“正しい新吉”がいた…とか。あと、寿司屋の二階で新吉がお久を「一緒に羽生村へ逃げよう」と誘うところ。新吉にははっきりと「前からお久さんに惚れてました」と言わせ、お久にも「わたしも新さんのこと、好きでした」と言わせている。とっても分かりやすい。
しかもダメ押しのように、新吉に「(豊志賀とは)歳が離れすぎですもの」と言わせる。若さの残酷さが強く印象に残る。


新吉のおじの家に豊志賀の幽霊がやってきた場面。豊志賀は新吉にすがる。「もう一度、きっとよくなりますから。だから、今は捨てないで下さい。新吉さんが好きな娘と一緒にさせますから」
豊志賀にしみじみと同情してしまった。


ラストのお久殺しの場面は、志らく師の真骨頂を示すものだった。
累ケ淵の近くまで来て、転んだお久はたまたま落ちていた鎌で膝に大怪我を負う。「助けて、新さん!」。新吉に呼びかけるお久に、豊志賀の姿がだぶる「新さんはひどい人!」、更に、新吉の兄・新五郎に殺されたお園、因果の発端・深見新左衛門に殺された宗悦の姿までが重なる。「お前のことは、なんだか虫が好かないよ」「深見さま、お金を…」…恨みを訴える登場人物たちの姿がカットバックのように浮かんでくる。凄いラストシーンだった。


志らく師の『豊志賀の死』を観た翌日、鈴本のトリが雲助師匠の『豊志賀』だった。実は『豊志賀』を初めて観たのは雲助師匠で、初めての時は、正直、豊志賀のキモチが全然分からないわーと思って終わりだった。雲助師匠がどんな風にやったのか、細部をまるで覚えていない。もう一回ちゃんと観ようと思って行った。


「根津の七軒町に富本節の師匠で豊志賀という女がおりました…」で始まる雲助師の『豊志賀』。豊志賀と新吉が関係をもつ場面は「男女ひとつ屋根の下に暮らすものではないと申しますが、ふとしたことから豊志賀と新吉は深い仲になってしまいます」という説明だけであっさり処理。そういう関係になってみると「亭主のような、息子のような、真夫のような、弟のような」新吉を見るにつけ、豊志賀は「温かいような冷たいような、どてらを着て水風呂に浸かっているような」妙な心持ちになる。…こういういい方は、初めて聴いた時はさして感心しなかったが、今日ははるかに年下の若い男と恋愛するという、夢のような、しかし日々薄氷を踏むようなキモチを、うまく言い表してるなぁと思いましたw。
やがて“悋気”のせいで目の下に出来物ができ、寝付いてしまった…というところまで地の語りだった。


この後が雲助『豊志賀』の見せ場のひとつで、嫉妬の炎を暗く燃やしてねちねちと新吉に迫る雲助師の豊志賀はとっても怖かった。
病み衰えた豊志賀はもはや老婆だ。「お前のような、若くてきれいな人に親切に看病されると、気の毒で気の毒でならないと思って、病が重ってくるよ」「少しでも早く死んでやりたいと思うけれども、どうにも死に切れないよ」。お久に惹かれていく新吉が恨めしいというよりも、新吉・お久、二人の“若さ”への嫉妬を感じた。


くどくどと嫌味を言い続ける豊志賀に、新吉は「今日は少しいいようだ。腫れがひいたようだよ」と慰める。すると豊志賀「嘘をお言いよ!おまえは口と心が違っている!」と大きな声を出してドキッとした。…こういう演出って、なんというか、昔のお芝居みたいなケレンというか、クラシックだな。


見舞いに来たお久が帰った後、新吉は豊志賀の脚をさすって寝かしつける。一人で膳の仕度をしている新吉の背後に、いつの間に起きたのか、豊志賀が立っている。「新さん…」振り向いた新吉は、醜く病み衰えた豊志賀の姿にゾッとする。
夜中、寝ていた新吉がふと気がつくと、わが身の上に馬乗りになった豊志賀がいる。「新さん、あたしゃ、こんな顔になっちまったよぉ」これを毎晩やられて、新吉は「不人情なようだが、もうこれはどうしても、ここには居られない」と思うようになる。


寿司屋の二階の場面は、なんとなく意識しあっていた新吉とお久が、お互い憎からず思っていることを探りあっている風の会話が続く。
お久は「わたしのような者を連れていては外聞が悪い」「新吉さんの情人といわれるのは冥加でございます」と言って、新吉を嬉しがらせる(お久って凄いな)。それに舞い上がった新吉は「お久さんは今日はどこへお出かけで?」を繰り返す。
志らく師ははっきり「惚れていた」「好きでした」と言わせたが、雲助師匠のような、下心が見え隠れする会話のやりとりが続いて、なんとなく気持ちを通じ合わせてしまう…というのは観てて面白い。この場面は、雲助師匠のやり方もいいなと思った。


大門町のおじの家に現れた豊志賀(幽霊)は、新吉に自分の了見違いだったと詫びる。お前とはスッパリ縁を切るつもりで来た、お久を嫁にもらえと言う。「おまえとおまえの女房で、看病しておくれ、あたしの死に水だけはとっておくれ」と頼む。
志らく師のここのセリフは「今は捨てないでください!」だったけど、おじの家に現れた豊志賀のキモチは、まさに“捨てないで!”だったんだろうと思う。これは志らく師のセリフのほうがストレートで切なくて好きだな。


雲助師匠の落語ってクラシックなケレン味たっぷりで、ハマるとクセになりそうだな。ただ、この『豊志賀』が好きか?と訊かれたら、好きでも嫌いでもない…という感じ。とっても勉強になったけど。


■目が怖い談春・半次とイカレてて怖い志らく・半次 『らくだ』
談春師の丁の目の半次は、顔は笑ってても目が全然笑ってない。頭を下げながら脅す。屑屋を大家の家に使いに出すところ、「行ってくれるよな。頭下げてんだ。」「そうかい、行かないのか…おまえ、六道の辻あたりでらくだと会うか?」(こわいー)。そんな半次が、実はあんまりお酒に強くなくて(ヘンな飲み方をして、思い切りむせる)、しかも泣き上戸っていうのが可笑しい。生前のらくだの仕打ちを思い出し、憤る屑屋に「くずやー(泣)!そう言わねぇでやってくれぇ!らくだはよぉ、ガキの頃、親に捨てられてよぉ…」と突然だらしなく泣き出したのには笑った(ここで二人の立場がはっきり逆転する)。「くずやぁ!おめぇもつらかったなー(泣)。でもよ、らくだはおめぇが好きだったんだよ」「らくだはそんな風にしか、おめぇとつきあえなかったんだぁ(泣)」この泣きっぷりは、さっきまで、ひと睨みで屑屋を言う通りにさせていた男とはとても思えない(笑)。「ぴぃぴぃ泣きやがって陰気くせぇんだ!さっきの勢いはどこ行った!」と怒鳴りつける屑屋。
屑屋と丁の目の半次のキャラが入れ替わっていくあたりが、大変素晴らしかった。
ところで談春師を観ながら「文左衛門師の屑屋の呑みっぷりは実にリアルだったなぁ」と改めて思った。


一方、志らくさんの丁の目の半次は、文左衛門師や談春師のようには怖くない。志らく師の丁の目の半次の怖さは“ヘンなヒト”の怖さ。屑屋が言うことをきかないと「あ゛ーーーー!」って奇声を発するので、屑屋は「意味が分からないよ」と怯える。で、その奇声はどんどんエスカレートしてって、奇声にくわえてぐるぐる首をまわしはじめ、屑屋「今度はうねりが入ったね」(笑)。
大家のところに行った屑屋は“かんかんのうを踊らせます”を言わずに半次のもとに帰ってしまい、半次に命じられてもう一度大家の家に。あれは、志らく師の仕込み忘れだったのかしら?




※さて、明日から銀座落語です。明日は「柳家三三の世界」。楽しみー