志らくのピン 古典落語篇 5/13 



5/13(火)19:00〜21:15@内幸町ホール
開口一番 志ら乃 『蜘蛛駕籠
※以下すべて志らく
『天災』
粗忽長屋
仲入り
『品川心中 上・下』



談志ひとり会のチケットはもちろんとれなかった。ヤフオクで買おうかなぁとも思ったが、あまりの高値にあっさり諦めました。で、急遽志らく師に行くことにした。
感動の3/14銀座ブロッサム以来志らくさんを聴いてなくて、このところ志らくさんを聴きたくてたまらなかったこともあって、今日はしごく満足。特に『品川心中』!これはホンッとに良かったです。


『品川心中』はそれほど好きな落語ではなかった(“好きでも嫌いでもない”といったほうがより気持ちに近いかな?)。しかし、今日の志らくさんの『品川心中』のおかげで、わたしのこの落語の印象は大きく変わりました。
サゲが素敵だった、あのサゲのおかげで貸し本屋・金蔵は、わたしの中で“愛しくなるよなバカ”(これは談春師の『紺屋高尾』の親方のセリフですが…志らくさんスイマセン)になった。また、お染の好感度も多少アップしましたw


お染という女は、負けず嫌い。紋日の移り替えにカネをだしてくれる贔屓もいなくなり、年下の女郎に馬鹿にされるのが悔しい!という理由で死のうとする。あからさまにお金がなくて死ぬと分かるのはイヤなので心中を思いつく(こういうところも、負けず嫌いらしいですね)。で、あんなバカなら、死んでも誰も困らない…と心中の相手として白羽の矢をたてたのが金蔵。志らく師の金蔵は、いつも首をゆらゆらさせてて、いい大人なのに「まだ、首がすわってねえんだ」、年齢を尋ねられると「犬でいうとみっつ!」と答えるバカっぷり。金蔵の前で、お染は「お金がなくってみんなにバカにされるくらいなら死んだほうがいい、だからあたしは死ぬ」と嘆き、でもあたしが死んでも「十日にいっぺん、月にいっぺん…いえ、年にいっぺんでもいいから、あたしのことを思い出しておくれねぇ」と泣いてみせる。すると金蔵は「じゃあ、わかった、おれも一緒に死ぬよ!」と心中を申し出る。お染の手管にまんまとひっかかる金蔵なのです。


その後、ご承知のストーリーがあって、最後にお染は丸坊主になる。で、ふつうの『品川心中』は、金蔵が「ざまぁみろ!」と登場し、お染が「騙したね!」と怒って、“あんまり客を釣る(だます)から、魚篭に(比丘尼)されたんだ”でサゲですが、志らくさんのは最後が違う。
押入れから出てきた金蔵は、怒りながら、お染にこう言う。「いろんな女郎んとこに通ったよ、でも、おれはおめぇがいちばん好きだったんだ!」
(心中しようとした)あの晩は、死ぬのは怖かったけど、お染のためなら海へ飛び込んで死のうと思っていた(※この、ふたりが品川の海に飛び込もうとするシーンは映画みたいでした、ここもよかった!)、それなのに、オマエはオレを後ろから思い切り押しやがった、おめぇのキレイなカオが、あん時は鬼のようだった!海に落とされた後でも、あの鬼のような顔が、オレはおっかなくてたまらなかったんだ!…と半泣きで怒る金蔵。
すると、それを聞いたお染は「…おっかない思いをさせてごめんね、あたし、尼になります」と素直に謝るのだった。そして、尼になって死んでお詫びをすると言い出す。「あたしが死んでも、月にいっぺん、いえ、年にいっぺんでいいから、おまえさんが好きになってくれた、きれいな顔のわたしを思い浮かべておくれ」「死んでお詫びをしないと、あたしはもう生きていけないよ!」なんてハチャメチャなことを口走りながら、泣くお染。この場面、お染はけっして金蔵をだましているわけじゃないんだ…と思った。悔しくて死のう!と思うくらいだから、お染って根が単純な女なんだろう、でも、単純な分、人が好い女なんだなぁという気がした。
泣きながら「死ぬ!」と言いつのるお染に、金蔵「じゃぁ、わかった、おれもホントに死ぬよ!」…この一言でサゲでした。
金蔵という男、バカかもしれないけど、なんてやさしいんだろう…と思いました。
こんな心温まる『品川心中』は、他にありませんよ。
ちなみに『品川心中』は、上下で45分でした。


今日はしばらくぶりで志らくさんを聴いて、あれ?志らくさんの古典って、こんなにまっとうだっけ?(“まっとう”というのは、いい意味でいっています)…と思った。特に『天災』と『粗忽長屋』がそういう感じが強かった。どちらも、とっても落語らしいリズムで、聴いてて気持ちいいなぁと思った。まっとうな古典、でありながら志らく師ならではの落語…なんかうまくいえませんが、志らくさんに“貫禄”のようなものを感じた。
初めて志らく師を聴いた時、「早くて個性的な落語」としか感じなかった自分を恥ずかしく思いますですw


最後に、今日のパンフレットから抜粋


「先日の、にぎわい座の志らく百席の評判がすこぶる良い。私としては今年に入ってのベストは銀座ブロッサムでの独演会なのだが、客の反応は百席である。緊張感の違いか。ブロッサムは相当緊張していた。プレッシャーも受けていた。1時間の噺を二席。そしてやりきった。記憶にないほど落語の世界にのめりこんで語っていた。それが己の満足感につながったのか。百席にはその緊張感はなかった。プレッシャーもない。しかし、同じように落語にのめりこんでいた。なるほど、この肩の抜け具合がいいのか。肩肘張った落語なんて駄目ということかもしれない。なにはともあれ、落語の世界に入り込むと良いのである。
今年になって少しではあるが、この術を会得した感がある」


わたしはにぎわい座は観てないから、どっちがいいか言えませんが、銀座ブロッサムは、まちがいなくわたしの今年のベスト落語に入ると思うので、これを読んで我が意を得たりという気がしました。


※昨日は志の輔らくご『牡丹灯篭』に行って、その感想も書きたいんですが…。
そのうち、書けたら書きます…ということでご容赦。