円丈の『らくだ』をやる会





12/23(日)13:00〜16:00@国立演芸場
林家彦いち 『反対車』
柳家喬太郎 『擬宝珠』
柳家小ゑん 『鉄の男』
春風亭昇太 『お見立て』
仲入り
三遊亭白鳥 『ナースコール』
三遊亭円丈 『らくだ(通し)』





昨年末に『文七元結』をやった円丈師が今年は『らくだ』に挑戦!の会。円丈師匠の古典をほとんど聴いたことがなく一度聴いてみたいと思ったのと、SWAメンバーの今年の聴き納めのつもりで行った。
新作落語の第一人者の円丈師匠だが、昔(昇太師匠が学生だった頃…くらいの昔)は寄席で古典落語もたくさんやっていらしたそうだ。喬太郎師の解説によると、円丈師匠が『宗論』『強情灸』などにいれたギャグは、現在の『宗論』『強情灸』の定番ギャグになっているとか。


彦いち師『反対車』は、威勢のいい車引きの、画に描いたような猪突猛進ぶりが面白かった。「らぁーらーらーらーらーー!」と疾走し、おーい車屋と呼びかけると、ひひーん・ぶるるるッていなないて止まる。道に横たわるドラム缶を飛び越す、その際のジャンプが高い高い!正座の姿勢から飛び上がった彦いち師の膝と座布団の間から向こうが見えた。川に潜って川底を突っ走るところでは、車にのせたお客の鼻先を魚がすいと泳ぐ(30度くらい広げた扇子でお魚を表現しました)。併走する列車を追い越して着いたところは浦和でしたとさ。彦いちさんらしいパワフルな『反対車』。


喬太郎 今日もマクラの漫談が面白い。一時期ガチャポンのウルトラマンシリーズのフィギュアを集めていたという話から、“もしも国立演芸場のロビーに落語家フィギュアのガチャポンがあったら?”というネタへ。「皆さんだって絶対やりますよ!」「志ん朝師匠なんか『火焔太鼓』の形でね」と、有名なあのポーズをとる(太鼓をさげ、バチに見立てた扇子をもった手をまっすぐまえに伸ばしたあのカタチ)。「談志師匠なんかこんなカタチですよ」と、例のポーズ(ホラ、あれですよ、指先を下に向けて掌をぐっと前に出す、あの仕草)。そのフィギュア欲しー!でも、ガチャポンの例に洩れず、皆が欲しがるフィギュアは滅多に入ってなくて、ハズレがいっぱい入ってる。同じものばっかりたくさん集まっちゃう。「『まーた“のいる”だよ』って“のいる師匠”ばっかり何体も集まっちゃうんですよ。『“こいる”がいねーよ』って」。ホントにそういうガチャポンあったら面白いなー。
他人に理解されない趣味…というマクラから『擬宝珠』へ。わたしはCDでしか聴いたことがなかったが、今日はCDよりちょっと短めで「恋わずらいじゃない?…それじゃ『崇徳院』じゃないね」といった細かなくすぐりは省略。喬太郎師は、この後、談笑師、栄助さんらと一緒にお江戸日本橋亭に出演、そこでは『ゆず』をやったそうだ(聴いたことがないので、それ、聴きたかったなぁ)。


小ゑん師 ラジオデパート、LED、駅前でチラシを配るメイドたち…と秋葉原ネタ満載のマクラから、鉄道マニアの話『鉄の男』へ。久しぶりに聴いた。面白おかしく描かれた“てっちゃん”の生態、その詳しさ・細かさは小ゑん師ならでは。主人公の友人―鉄っちゃんであることを隠して結婚した男―の新婚生活エピソードが可笑しい。結婚前、デートの時は必ず妻を実家の三浦海岸まで送っていったのは、ただ京急に乗りたかっただけとか、新婚旅行で行ったヨーロッパ旅行は鉄道ツアーだったとか…。ただ、途中で「長いな…」と感じてしまった。鉄道マニアという存在がそんなに珍しいものではなくなって、以前感じた面白さが褪せたのか。どんなに“ヘン”なものもすぐ慣れて飽きてしまうのかなぁ…そんなことをちらっと考えた。


昇太師 喬太郎師・小ゑん師と続いた“他人に理解されない趣味”の話をうけて、マクラは中世城郭&畝状竪堀の話。「どんな大群も一列になる、そこを上からダーーッツとやっつける!」何度聴いても、笑っちゃうなぁ。
『お見立て』は、今年は4月の落語研究会で聴いて、それ以来。最近ではにぎわい座の雀三郎師と一緒の会でもかけたそうだ。こういう会でやる昇太さんの定番ネタの一つだからな。我儘な喜瀬川花魁が可愛い。「肺病?いやだよぉ〜」「脳卒中?いやだよぉ〜」。“いやだよぉ〜”の言い方が好きだな。


白鳥師 奥さんが出産した時のこと。分娩室に入り奥さんを励ましていたが、つい退屈になってゲームボーイを始めたら、周<りの計器が狂って、看護婦さんにえらく叱られた…そんなマクラから『ナースコール』へ。出来の悪い新人看護婦みどりちゃん。今日は先輩ナースと一緒に夜勤。看護学校を卒業する時、ナイチンゲール賞のメダルをもらったというみどりちゃん、先輩にメダルを見せるが…「それはメンソレータムのフタじゃないのっ!」。そこに、糖尿病で入院中の老人・吉田さんのナースコールが。みどりちゃん、意気込んで吉田さんの病室へ向かうが…。この新作、わたしは初めて聴いたが、ずいぶん前のネタで、しばらくやっていなかったらしい。


円丈師は「今日は古典をやるので…」とトレードマークのメガネはかけず、着物もオーソドックスなもの(ワッペンなし)だった。12月はネタおろしが続いたという円丈師。「午前中は覚えていたんですが、もう4時間たってしまいましたから…」などと言い訳して始めた『らくだ』。屑屋の境遇や心情をへんに湿っぽく語ったりしないところに好感がもてた。
屑屋が生前のらくだに酷い目にあったことを語る場面はあっさりと、遺骸の髪を剃る残酷な描写もカット。屑屋と丁の目の半治が酔っ払ってキャラクターが入れ替わるところにフォーカスしたのかな?という印象だった。
円丈師は「この噺は難しい。人情噺のほうがよほど簡単」と仰っていたが、私もこの噺はどういう風に楽しんだらいいのか、まだよく分からない。円丈師の『らくだ』も、実は途中で長さを感じたところもあり、全体的にはやや平板な印象ではあった。この落語には、いろんな要素があるように思う。屑屋と丁の目の半治のキャラクターが入れ替わる面白さ。小心でみじめな屑屋の哀れ。硬直した遺骸にカンカンノウを踊らせる、遺骸の頭を血だらけにして髪を剃り脚を折って坐棺にいれる、そういったスラップスティックコメディ的な残酷・面白さ。そういう要素が全部バラバラで、笑ってればいいのかしんみり聴いてればいいのか、分からなくなるような『らくだ』を聴くことが多い。いっそスラップスティックで押し切って、最後までダーッと勢いのいい『らくだ』だったら、そういうとまどいを感じなくてすむのかなぁ?などと思うこともある。…なんてナマイキな御託を並べてしまったが、要するに、自分にとってコレ!という『らくだ』にまだめぐりあっていないのだろうな。




たっぷり3時間の落語会。充分聴き応えがあったけど、連休中日の今日は、この後さらに『三三・左龍の会』へ向かったのでありました。