立川談春 まっくら落語会





12/20(木)19:00〜21:00@赤坂区民センターホール
『死神』
仲入り
『夢金』





ダイアログ・イン・ザ・ダーク2007」というイベントの開催記念として行われた落語会。このイベント、“日常生活のさまざまな環境を織り込んだ豊かで温かいまっくらな空間を聴覚や触覚など視覚以外の感覚を使って体験する、参加型ワークショップ形式のプロジェクト”(パンフレットより抜粋)だそうだ。


上演開始後は会場をすっかり暗くしてしまうので途中入場できないと聞いて、遅刻しないように出かけた。早めに会場に着いて場内に入ると、開演前だというのに既にかなり暗い。座席番号を確認するのにちょっと苦労した。開演前からこんなに暗くしなくてもいいじゃないのと思ったが、雰囲気作り、あるいは観客を闇に慣れさせるために、あえてそうしていたのかもしれない。
ほぼ席が埋まるとスタッフが会の趣旨および注意事項の説明を始めた。携帯の電源、時計などのアラームを切ってという注意は通常の落語会と変わらないが、光るアクセサリーや時計の類もはずすよう協力を求める徹底振り。
「あらかじめ、どの程度の暗闇なのかを試していただきます」と場内の全ての照明が落とされる。暗闇にパニックを起こす人がいることを想定して予行練習ということらしい。一瞬、距離感が分からなくなる。これほど真っ暗の場内は、たしかに初めて。でも、視覚はなくても周囲に人がいる気配は濃厚にある。再び照明がつけられる。「もし、息が苦しくなったりしたら軽く手を鳴らしてください」と主催者。場内の各所に控えているアテンドスタッフが音を頼りに助けにくるそうだ。場内の壁際の所々に2、3人ずつ固まって立っている人たちがいる。何故あんなところに立ってるんだろう?と思っていたが、彼らがそのアテンドスタッフのようだ。白い杖を持っている方が混じっている。視覚に障害のある方たちらしい。暗闇の中で鳴らした手の音で位置が分かるのだろうか?すごいなぁ。
目が慣れることのない上下左右も分からない真の闇の中で聴く落語。どんなだろう?軽い緊張とワクワク感が高まる中、幕が上がり明るい舞台が現れる。談春師が拍手で迎えられた。


談春師は、落語の仕上げにいつも真っ暗な部屋で目をつぶって一席やるそうだ。客席の反応をまったく気にしないですむそのひとときは、名人とうぬぼれるくらいの出来栄えの時もあり、楽しい作業なのだそうだ。自分は暗闇の中でやる落語に慣れているが、みなさんは不安ですよね?と、闇の中で落語を聴く心得をアドバイス。闇の中、目を凝らして見ようとせず、いっそ目を瞑ってしまうといい、と。談春師は2年前に初めてこのイベントに参加した。与えられた杖で周りをコツコツと叩きながら前に進んだが、自分が確認できる世界はこの杖が届く範囲だけだと諦めると、それなりに前に進むことができ、さほど不安ではなくなった。「そこに○○がありますよ」などという周りからの注意の声はかえって邪魔だったという。それは「芸と同じだ」と言う談春師。自分の世界はここまでだ…と決めて雑音を無視すれば心はラクになる…ということでしょうか。


談春師の合図で照明が落ちた。真っ暗闇…と思いきや、談春師の後ろに立てた屏風のあたりだろうか、下のほうがぼんやり光って見える。どこからか光がもれているのかもしれない。また、出入り口の非常灯のあたりも残像のように白い。主催者が意図した“真の暗闇”とはちょっと違ったのかもしれない。とはいえ、わたしの席はかなり後ろだったので、そこに光があるということが分かるだけで、談春師の姿はもちろん、舞台上の一切のモノのカタチは見えない。もちろん、そこまでどれくらいの距離があるのかも分からない…。そんな闇の中で始まったのは、『死神』だった。


聴きながら、この状態は、落語を聴きながら眠りにつく、あの感覚に似てると思った。目を瞑ったまま聴いてると、ホントに眠ってしまいそうだったので、時々目を開けて、舞台のボーっとした光のあたりを確認しながら聴いていた。


死のうとしている男の前に現れた死神は、骨と皮に痩せて、頭には僅かな白い髪がぽやっと載っている、目だけが大きくギョロッとしてて、着ている衣はぼろぼろ…そんな姿。呪文を教え、医者になって金儲けをしろという死神に、男が「何故、おれにそんなことを教えてくれるんだ?」と尋ねると、死神「お前は他人のような気がしねぇ」。この言葉、ラストの伏線になる。
死神を追い払う呪文は「離婚会見で金屏風!ハイ、オッパッピー!」(笑)。
男「他のにしてくださいよぉー」
死神「それじゃ…『離婚会見で金屏風!どんだけぇ〜!』」
男「…オッパッピーにしてください」
死神「そうだろ?」
こんな冗談はあったけど、全体的には怖い『死神』だった。
人間の寿命のろうそくが海のように広がるあの場面。男は燃え尽きようとしている自分のろうそくの火を長いろうそくに移し替えようと試み、成功する。喜ぶ男。しかし、死神は言う。お前は、大金を手にし、贅沢をし、女を抱き、したいことはやりつくしたはずだ。それなのに、まだ死ねない。このまま生き続けるんだ、と。そして、いきなりその姿は消えてしまう。気がつくと男は、上も下も左右も分からないような闇の中に、ろうそくを手に一人取り残されていた。足の裏に感じる僅かな起伏を手がかりに、上へ上へと歩いていく男。しかし、本当に出口に向かっているのか?仮に方向が正しいとして、いつまで歩けばたどりつくのか?何の手がかりも確信もなく、闇の中を歩いていく男。気が狂いそうになる焦燥感。このシーン、場内の闇と談春師の語りが相俟って臨場感があった。まるで自分が闇の中に取り残された気分(実はわたし、狭くて暗いところが大の苦手。ちょっと想像するだけでかなり怖い)。
幸い、男は闇から脱出することができた。ようやく戻った地上は夜だった。大きな木のある、どうやらお宮のような場所らしい。手水場のようなところがあり、そこに溜まった水を覗き込む男。月明かりの中、水に映った男の顔は…。
ラストは『ドグラ・マグラ』風、あるいは昇太師『人生が二度あれば』風(…って言ったら談春ファンに怒られちゃうかな?)。


今のがサゲだろうなと思ったが、なにしろ場内は真っ暗闇、拍手をしていいものかどうか分からず、客席はシンとしたまま。談春師が客席に「おい、死んじゃったのかよ?終わったんだよ」と呼びかけ、それがきっかけで笑いと共に拍手が起こった。


談春師の『死神』は初めて聴いたので、前からこのサゲだったのかどうか分からないが、“暗闇の中で落語を聴く会”というコンセプトに相応しい『死神』だった。
ただ、一部の観客には、ちょっととまどう空気があったのかもしれない(笑うつもりで聴きにきた人なんかは、とまどっただろうと思う)。客席の反応に敏感な談春師、仲入り後高座に現れると、今日は二席目もこんな落語です、とニヤッとしながら念を押した。


最初に、前座さんに命じて“雨音”“風音”“水音”などを表現した太鼓の音を聴かせた(打ってるのは小春ちゃんかなぁ?と思って聴いてた)。談春師は“雪の音”の太鼓がお好きだという。再び合図で場内は闇に包まれ、闇の中に雪音の太鼓が鳴り続ける。そのうち下座のほうから笛の音が聞こえてきた。笛の音は、客席に下り、場内を下手から上手に移動する。やがて笛の音が消え、始まったのは『夢金』だった(笛を演奏しながら場内を歩いたのは、視覚に障害のある演奏者で、終わった後談春師がその方を舞台に呼んで紹介した)。


『夢金』は素晴らしかった。談春師の華麗な語りは、冬の寒さを、夜の大川で繰り広げられるドラマを、闇の中に絵のように浮かび上がらせた。登場人物の姿や情景を描くとき、談春師が用いる言葉、フレーズは実に繊細だと思う。また、そういう言葉やフレーズに相応しい口調、言い方をちゃんとなさるのだ。そういう細部が見事な落語世界をささえているように思う。“神は細部に宿り給う”って、こういうことかなぁと思う。
昨夜の『夢金』でいえば、例えば、浪人者の描写。やけて羊羹色になった黒紋付、その裾から覗く雪駄履きの素足。そんなところから猛烈に寒さを感じた。また、雪が降ってくる夜の空の描写。「見上げていると、吸い込まれていきそうな…」という言葉に、あぁ雪の降ってくる空ってそうだなと思い、思わず目を閉じたまま天井を見上げてしまった。目を開けてもよかったんだけど(笑)。
サゲは“キンをつかんで”というのはなく、「ひゃくりょお〜!」と寝言を言う熊に、船宿の主が「また寝言か…」とうんざり顔で呼びかける、という終わり方。


まっくらな中で落語を聴くという体験はなかなか面白かった。ただ、音に集中するので、周りの音が普段以上に気になった。私の隣の女子なぞは『死神』の途中で寝息を立て始めたものですから、何度もゆり起こしたい衝動にかられました。




談春師を聴くのは今年はこれが最後。聴けなくて残念だった談春落語はいっぱいある(『包丁』とか『芝浜』とか…)。でも、今年の最後にこの二席を聴けて良かった。特に『夢金』。暮れに相応しいステキな落語だった。来年も、どうか、談春師のいろんな落語をいっぱい聴けますように。素晴らしい高座にめぐり合えますように。