志らくのピン 〜古典落語編〜 11/20

11/20(火)19:00〜21:07@内幸町ホール
開口一番 立川志ら乃 『粗忽の釘
以下すべて志らく
『笠碁』
源平盛衰記
仲入り
明烏
『たちきり』





今回は、志らく師ご自身が「往年の東横落語会みたい」と言うくらい豪華な演目。独演会はこれが今年最後なので「いつになく全力モード」で挑んだという。談志十八番の『源平盛衰記』は、全篇、志らく師のセンスが散りばめられた“志らくの『源平盛衰記』”になってて、とても楽しかった。




志らく師は『源平盛衰記』に一番力を入れていた。ふだんマクラで話しているようなことも含めて、言いたいことは『源平〜』に盛り込みたかったみたい。で、志らく師は、一席目の『笠碁』は余計なマクラはなしで、座布団に座るなり「碁仇は 憎さも憎し 懐かしし」と始めた・・・かったんじゃないかなぁ?と思うのです、たぶん。でも、「碁仇は…」で一瞬絶句。「さっそくかんでしまいました」と苦笑し、ちょっとだけマクラをやった。ま、そんなことはともかく、この『笠碁』、爺さんふたりの友情を、志らくさんらしいタッチでほのぼのと描いてて、とてもよかった。志らく師には「『源平盛衰記』が一番!」って言ったほうが喜んでもらえそうなのですが、単純に個人的な好みでいえば、『笠碁』のほうが好きです。志らく師の『笠碁』の爺さんたちは、あんまり年寄りっぽくない可愛い気のある爺さんなのだった。特に“待ったなし”を提案しておきながら「待った」を言う爺さんが可愛い。
以前、あなたが困っていた時、助けてあげましたよね?と昔のことをもちだすところ。相手が、たしかに助けてもらったけれど…としぶしぶ認めると、嬉々として「でしょ?!でしょ?!」。子供のよう。碁をうつ相手をなくしてたいくつな雨の日。菅笠をかぶった碁仇が店先に現れる。「ベトコンみたいだね!」とけなしながら喜ぶ爺さん。パチン・パチンという音に誘われてついに店に入ってくる。そして「あたしがヘボか、ヘボじゃないか、試そうじゃないか!」「おう!」とめでたく仲直りすると、嬉しくて感極まった爺さん、ベトコン爺さんを熱烈にハグ!二人の爺さんを囲んで、店中の者がもらい泣き…。この場面、サイコーに可笑しくって可愛いかった。最後は、笠から雫が垂れていることに気づいてベトコン(すいません、ついにベトコンにしちゃいました)が「ちょっと待ってください、今、かぶり笠をとります」と言うと、爺さんニヤッと笑って「待てません」でサゲ。これ、いたずらっぽくて良かった。


パンフレットに“談志の弟子では誰もやらない噺なので、そろそろ私の十八番にしたいという気持ちもある”とあった源平盛衰記。地噺は実は苦手なので今回もかなり不安とも書いていらしたが、まったく危なげなかった。志らく師の世界にあっという間に引き込まれ、一気に最後まで運ばれた…という感じ。家元の『源平〜』がそうであるように、現代の風俗、最近のトピックス、お好きな映画等々を語り、そこに志らく師のセンスが光る。
平家の大群十万というが、十万の中には武士ではなく土地の農民も含まれていたという。黒澤明の『影武者』はカナダで撮影されたが、あの騎馬兵の群れの中には青い目の現地のエキストラがいた。志らく師、そのことに「黒澤明の老いを見ましたね」。『赤ひげ』では、“リアリティ”を追求するために、一度も開けることのない診療所の箪笥の引き出しにホンモノの薬を入れたんじゃなかったんかいな?…という具合。映画のことを語るところは楽しそうだったな。最後の壇ノ浦のくだり、家元のギャグ「アンタ、泣いてんのネ」がちゃんと入ってたのも心憎い。


仲入り後の明烏は、『源平盛衰記』のあとではやや大人しい感じではあったが、軽快で楽しかった。お茶屋の女将が可笑しかった。相手が話してもいないのに「あら、まぁ、そーですか!いやだ、あらあら」って相槌をうって、しまいに「イーッヒッヒ!イーヒッヒ!」って笑う、その目が完全に据わってる。志らく師の落語によく登場するキャラクター。この女将、源兵衛に「主役より目立つな」とたしなめられます。


最後は『たちきり』 志らく師は、主人公の若旦那を“源兵衛・太助のせいで吉原にハマった後の時次郎”に(そこはご愛嬌)、芸者を“柳橋芸者の小久”にしていた。吉原では散々遊んだ若旦那だったが、今は小久ひとすじ。二人が真剣であることを若旦那の母親だけは理解している。でも、若旦那はしょせん坊ちゃん。番頭に、遊びがやまないならば乞食になってもらいます、それがイヤなら百日、蔵にこもってくださいと迫られると、乞食になるのはイヤだと泣く泣く蔵へ。蔵に入れられる前、若旦那は小久あてに事情をしたためた手紙を番頭に託す。でも、番頭はその手紙をにぎりつぶしてしまい、悲しい結末に。
“若旦那が小久に手紙を書いた”というエピソードを入れると、若旦那は坊ちゃんなりにマトモな男に思える。わたしは聴いたことがないが、小朝師などもこのやり方をとっているらしい。志らく師は、「この噺に関しては」と断りをいれて、“落語のイマジネーションをぶち壊す気がする”と、三味線を入れなかった。
会が始まる前、パンフレットをもらってこの演目を見た時「え!志らくさん『たちきり』やるんだ!」とちょっと意外だった。『源平〜』やるのに、さらに『たちきり』も?と。わたしは、『たちきり』は談春さんの印象が強烈で、正直、志らく師の『たちきり』はちょっと物足りなかったが(今回は『源平盛衰記』に全力投球だったしなぁ)また、聞いてみたいです。




この後お芝居に突入する志らく師。病後と伺ったが、お体を大事にしてください、そしてまた来年、全力モードの落語を聴きたい。