鈴本余一会 柳家小三治独演会(最終回)

10/31(水)18:30〜21:05@鈴本演芸場
柳家ろべえ 『たけのこ』
柳家三三 『五目講釈』
柳家小三治 『百川』
お仲入
柳家〆治 『お菊の皿
柳家小三治 『鰍沢





2004年のある日。たまたま昇太さんの独演会の告知を見て「一生に一回くらいは、落語っていうのを聴きにいってみようかな」と思い、チケットを買ってひとりで出かけた。それが私と落語のファーストコンタクトであった。昇太さんを聴いて、落語って楽しいな、コレ好きだ、もっと聴きに行きたい!…と思ったけど、周りに落語を聴く人が誰もいなくて、どこに寄席があるのか?いつ・どこで・どんな落語会をやってるのか?それをどうやったら知ることができるのか?とかとか、さっぱり分からなかった。それで、当時はCDを聴いたり書店で目についた落語関係の本を読んでせめてもの慰めにしていた。そうやって手に取ったのが『まくら』で、読んで鈴本の小三治独演会というのに行きたくて行きたくてたまらなかった。
ちょっとずつ独演会情報の集め方とかチケットの買い方とかに慣れて、憧れの鈴本小三治独演会のチケットを初めて手に入れたのが、ようやく去年のことです。そして今回は初めてかなり前方のいい席をとれた。小三治師の表情がよく見えてとてもよかった、嬉しかった。…それなのに今日で最終回なのだ。何事も終わりあるのが定めの世ではありますが、本当に寂しい。寂しくてたまりません。


開口一番のろべえさんは、噺に入る前、何度か「ええっとですね…」と口ごもり「最終回という大変な会なので緊張してるんです」。ろべえさんの「緊張してます」は、師匠・喜多八師の「身体弱いんです」同様に怪しいのだけど、今日はもしかしたらホントに緊張してたのかもしれない。でも『たけのこ』は、お侍もなかなか上手で楽しかった。ろべえさんの落語は、『元犬』とか、いわゆる前座噺しか聴いたことがなかったので新鮮でもありました。


三三師の『五目講釈』は夏の大銀座落語祭以来。また聴けて嬉しい。今日は小三治師の会だから、あの時よりもサラッと軽くやったように思うが、講釈のところは前回聴いた時よりも軽快でいっそう楽しく感じた(単に私の気のせいかな?)。ともかく、三三さんの『五目講釈』は好きです。余談ですが、痩せてて髪を短く刈り上げた三三さんのお顔は、常々“鳥”のようだなぁと思っていたが(スイマセン)、間近に見た今日は散髪したてのような頭がますます鳥っぽかった。「エミューだ…」と思った(ほんとにスイマセン)。一昨日のあの美しい豊志賀は錯覚だったの?と不安になった、ちょっとだけ。


小三治師登場。『百川』はネタ出ししてあったが、いつものマクラ(噺とはほとんど関係ない、その日その時のご自分の関心事などについて語るマクラ)ではなく、小三治師のCDでも聴いたことのある“『百川』のマクラ(ペリーが黒船でやってきた時、そのもてなしの料理を作ったのが『百川』である…等々)”をふって噺にはいった。小三治師の『百川』は、CDでしか聴いたことがなかったが、しみじみ可笑しくて好きだ。純朴な百兵衛がいいです。「うーっひゃ」が可愛い。それをライブで聴けて嬉しい。慈姑を飲み込む百兵衛の表情を近くから見れたのも嬉しかった。ホンっとに可笑しい、でもって一緒に涙ぐみたくなるくらい可愛い。


仲入り後、〆治師が『お菊の皿をサラッとやって(シャレではないです、ホントにサラッとやったんです)、再び小三治師登場。“日蓮宗”“南無妙法蓮華経”というワードが出たので鰍沢と分かった。ちょっと意外だった。もちろん、この時期に『鰍沢』というのはちっとも意外ではないけど、こういう節目の会に三遊派の大ネタをやるんだ…と。それにひそかに小三治師の十八番的な大ネタをやってくださらないかなぁと期待もしていたので。※追記:自分は小三治師匠がこういうスリリングな噺をやるのをライブで聴いたことがなくて、こういう噺は小三治師匠はなさらないのだろうと思ってた(恥)
でも、小三治師の『鰍沢』は素晴らしかった。登場人物三人(道に迷った男、お熊、お熊の亭主・伝三郎)の人物や場面・場面での心の動きや気持ちがとても丁寧に描かれていた。特に道に迷った男がいいと思いました。彼は吉原時代のお熊=月の戸花魁に密かに心を寄せていて、彼女に再会したことを心から嬉しく思っている…という風に描かれていた。男は「こんな話を聞いたことがあります。吉原の花魁は、馴染みになって気に入った客に玉子酒を振舞うと…」と嬉しそうに玉子酒を飲む。男は本当は酒に弱い。それなのにとてもおいしそうにほとんど一気に飲んでしまうのだ。この場面、我々は「でも、その玉子酒には毒が入ってるんだよなぁ」と思いながら観てるわけですが、男の喜びようが素直なだけに、可哀そうで、なんだか切なくなってくるのだった。


小三治師は、『鰍沢』もいつものマクラなしでやった。終わった後も、とりたてて言葉はなかった。太鼓が鳴る中で、小三治師が何度も丁寧に頭を下げて、幕がおりた。


この秋最初の『鰍沢』だった。冬が来てもうじき今年が終わるなぁと思った。鈴本の最後の独演会は、いつもの小三治独演会のようじゃなかったな、でも『百川』も『鰍沢』もどっちも良かった、聴けて良かった。だけど、鈴本の小三治独演会はもうないんだなぁ…ととても寂しい気持ちで帰って来た。