月例三三独演 10/29

10/29(月)19:00〜21:05@内幸町ホール
『蔵前駕籠』
茶の湯
仲入り
『豊志賀』





三三さんの『豊志賀』はきっといいだろうなとは思っていたが、想像以上によかった。今まで誰を聴いても、豊志賀という女がよく分からず、それほど好きな噺ではなかったが、昨夜の三三さんの豊志賀は、その心理や行動のつじつまよりも、些細なもの言いや顔つきにあらわれる我儘、可愛さ、哀れに共感を覚えた。豊志賀は時に可愛らしく時に憎々しく、そういう姿は女の人として自然な感じがした。


『蔵前駕籠』 三三さんはお侍やひょうきんな町人なんかも上手だから、この噺も聴いててとても楽しい。もうそれほど面白くない「女郎買いの決死隊だねぇ」ってくすぐりも、三三さんが言うと不思議と可笑しい。その決死隊の男が駕籠の中から下帯一つの姿で浪士を睨んでいる…というところ、片方の眉をきゅっとあげて上目遣いの三三さんの表情は、いかにも調子のいい見栄っ張りの江戸っ子という感じだった。


茶の湯 この噺では大笑いしたいのだが、昨夜の三三さんのはくすくすって感じだった、ちょっと物足りなかった。三三さん、この後『豊志賀』をやるということで、完全には『茶の湯』をやる気分にはなれなかったのかな?と思った。


『豊志賀』 高座の座布団に座ると、一呼吸おいてすぐに噺にはいった。三三さんのブログに昨夜の『豊志賀』のことが少しだけ書かれていたのだが、気がつくと予定していた出だしと全然違うことを喋っていて、自分でも怖かったそうだ。どうりで緊張感のある出だしでした(笑)、でも三三さんの緊張につりこまれるように、自分もスッと集中して聴くことができた。


三三さんの『豊志賀』は、ひとことで言うと全体的にくどくなくてあっさりしていた。それが自分の好みに合ったのだと思います。導入部では、豊志賀が身持ちの堅い女だとか、豊志賀と新吉が親子のように年が離れているとか、そういうことをあまりくどくど説明しなかったが、それも良かったのかもしれない。豊志賀が新吉を誘うところもあっさりと自然でよかった。
豊志賀をやる時、年とった女の嫉妬、卑屈、ヒステリーといったところを強調して描く人が多い気がするが、三三さんはそういうところをやや抑えていたように思う。そのせいで“胸の中いっぱいの嫉妬を表に出さないように抑えている女”という感じがして、それが良かったのかもしれない。だから、抱え込んだ嫉妬で胸が苦しくて、そのストレスが顔の醜いできものとして現れてしまう…というのにも納得がいった。新吉に、自分は年寄りだしこんなに醜くなってしまったら、自分の看病をするのは嫌だろう?自分が死ねばお久と一緒になれるのにすまないね…などと嫌味をいうところも、三三さんの豊志賀には拗ねて新吉に甘えかかるようなところがあって可愛らしささえ感じた。醜くなってしまった顔を恥じるようにうつむき加減でぼそぼそしゃべるところも哀れでよかった。三三さんを観ていて、今まで私が豊志賀を嫌だったのは、こういう場面であまりにもしつこくて醜かったからかもしれないと思った。
三三さんの豊志賀は、全体的に品のよい綺麗な豊志賀で、そこが好ましかった。できものが悪化するにつれて、豊志賀は夜中に新吉の胸に馬乗りになって縋るような、化け物じみた怖い女になっていくけど、怖い中にも凛とした綺麗さが残っているような感じだった。


化け物の怖さはないが、ぞっとした場面がある。寿司屋の二階で、新吉がお久を「一緒に逃げよう」と誘う場面。豊志賀を見捨てるという新吉。うつむいているお久が顔を上げながら「おまえは…」と言いかける、その声が途中から豊志賀の声になっていて「不実な人だねぇ」と咎めるように言う、顔を上げたお久の目の下にポツッとできものが吹き出し、みるみる醜く広がっていく…。この場面、お久が豊志賀に変わるところが凄く怖かった。会場は照明を落とさず明るいままだったが、ここで照明が落ちてあたりが暗くなったような気さえした。


三三さんの豊志賀は、39歳の女としては綺麗過ぎたかもしれないけど、色っぽさも嫉妬も我儘も、すべての度合いがいたって人並みという感じで、普通の女の人らしかったのがよかった。普通の女の人だったから、人ってちゃんとつじつまが合うことばっかりしたり言ったりしてるわけじゃないしなぁ…と思えて、堅い彼女が年下男子に溺れちゃったことにもすんなり納得できたのかもしれない。そんな三三さんの『豊志賀』だった。