志の輔らくごin下北沢 『牡丹灯篭』 初日

8月16日 19:00〜21:45@本多劇場


今年の志の輔牡丹灯篭』。昨年より一層進化(深化)していた。


10分少々の休憩時間をはさんで、前半1時間を三遊亭圓朝作「牡丹灯篭」という壮大な落語(いや、物語だな)の解説に費やす。天井から吊った巨大なパネル(NHK『ためしてガッテン!』スタッフ制作。あの番組で使われてるパネルを思い浮かべましょう)を使い、『牡丹灯篭』登場人物の相関図を作りながら、志の輔師がストーリー全体の構成を解説するのだが、内容は、落語でいうと「本郷刀屋」〜「飯島の仇討ち」のパートが中心になる。そして、後半1時間30分くらいで「お露・新三郎」(カラーンコローンと下駄をならして幽霊が通ってくる、あまりに有名な、というかほとんどの人がコレが全てと思ってるエピソードが含まれる部分)から大団円(最後に志の輔師オリジナルのエピソードが加わる)までを落語で観せる。


志の輔師は、去年、正月のパルコの一ヶ月興行をやり終えて脱力している時に、ふと圓朝全集を手にとって初めてちゃんと『牡丹灯篭』を読んだ。その時「これは怪談じゃない!」と思ったのがきっかけでこの壮大な圓朝作品をやることを決めたそうだ。師は、この噺は“二つの縦糸(ストーリー)が交差する因縁噺”と強調している。二つの縦糸というのは…
1)黒川孝助が、父そして主人・飯島平左衛門(この人は実は父の仇でもある)の仇討ちを果たす物語
2)新三郎に仕える小者として細々と暮らしていた伴蔵が小金欲しさに悪人に落ちていく物語
志の輔師は、「牡丹灯篭」を“善(1の縦糸)”と“悪(2の縦糸)”の二つのストーリーが所々で絡み合って進行していく壮大なドラマと捉え、我々に見せてくれたのだ(「善」と「悪」という言い方はあまり適切でないけど、ここではとりあえず、そういうことにしておきます)。
解説のセッションと落語に分けた構成・演出を含め、この観せ方は昨年の「牡丹灯篭」となんら変わらない。しかし、今年は二つの物語の対比が一層くっきりと鮮やかになっていると感じた。


志の輔師は牡丹灯篭の膨大なエピソードの中から、とりあげるもの・捨てるものを、徹底的に峻別していると思うが、今年は更にふるいにかけられ、我々の頭の中に志の輔師の意図する印象を残すために適したものだけが残されている…と感じた。例えば、去年は、伴蔵がお札をはがした報酬として幽霊お米からもらった100両の出所は…?というエピソードを挿入したが、今回はカットしていた。そういう細かい因縁エピソードを捨てたことで、二つのストーリーの色がより分かりやすくなったのではないかと思う。


特に素晴らしかったのは落語部分、伴蔵のストーリーだ。これは昨年より一層怖くなっていた。「怖い」というのは、いわゆる“祟り”とか“怨み”とかそういう類の恐ろしさではない。
普通の人が金に困って追い詰められて、簡単に悪に転がっていく、その怖さ。犯した罪を隠してウソを重ね、それがいつばれるかと怯え、どんどん猜疑心が膨らんで平常心を失って狂っていく様、それが怖いのだ。その怖さを、志の輔師は所々笑わせながらも、終始緊迫感を保つ演出で観せた。
特に見事だったのは狂言回し的役割の医者・山本志丈。
栗橋宿で偶然に再会した伴蔵に「…だよねぇー?」と声をかけ、幽霊にもらった100両を元手にいまや荒物屋の主人におさまっている伴蔵を「すっごーい!あなた、すっごーい!」とヨイショする幇間医者。その軽薄さは笑いを誘うのだが、そのヘラヘラした物言いで伴蔵をゆすり、じわじわと追い詰めていく。それが不気味だ。
特に、殺されたおみねが伴蔵の店の奉公人達に次々と憑依して、新三郎を殺したのは伴蔵だと口走る場面。熱を出してうなされていた奉公人ががばっと起き上がり、布団の上にぴょんッと座って「金無垢の海音如来…萩原さま…殺したのは…お前っ!」甲高い一本調子の声で繰り返し叫ぶ(このシーン、かなり怖いです)。慌てる伴蔵。それをヘラヘラと押し留め、その告白から全てを察する山本志丈。ゾッとするいやぁな小悪人だ。こうした人物が登場して進行する落語、昨年も聴いているにも関わらず、すっかり引き込まれ、1時間半という時間の長さをまったく感じなかった。


一方、主に前半の解説の中で語られる孝助の仇討ちのストーリー。これは駆け足で説明されている観がいなめない。しかし、限られた時間の中で牡丹灯篭全篇をやるとなったら、この構成はやむをえないと思う。ただ、この部分にも、自分が去年は気づかなかったことがあった。今年、ふと、志の輔師はこのパートを“孝助のビルディングロマン”と捉えているのではないか?と感じたのだ(考えすぎかなぁ?)。
それは、解説の中で飯島平左衛門を“大人物”と強調していたこと、そして、あのオリジナルのラストについて、志の輔師が「あれがないと、私の『牡丹灯篭』にならなかったのです」と言った意味などを考えていて思ったことだ。
最後の場面。飯島家を継いだ孝助が深夜屋敷にいると、遠くからカランコロンと下駄の音が…。それは、お露ではなく、飯島平左衛門の霊。その霊に孝助は「ありがとうございました」と深々と頭を下げる。暗転、幕が下り、会場いっぱいにBGM(憂歌団『胸が痛い』)が流れる。
“慈父”のような存在、飯島平左衛門(の霊)に見守られながら、困難をのりこえて仇討ちを成し遂げた孝助の物語。もう一つの縦糸は、そういう物語だと言っているように感じるのですが。私は、このパートを志の輔師はもっともっと進化させるつもりではないか?と期待をこめて予想している。




2日目にご覧になったマイミクさんの日記によると、来年の再演もあるらしいです。観てない人は是非、観たほうがいいと思います(これを知らずに人生を送る人は可哀そうだと思うくらいです、本当に)。