さん喬・喬太郎親子会 & 三越納涼寄席

6/30梅雨祓落語競演 さん喬・喬太郎親子会
14:05〜17:00@吉祥寺 前進座劇場
開口一番 さん若 「子ほめ」20分
喬太郎 「小言幸兵衛」35分
さん喬 「水屋の富」35分
仲入り 15分
喬太郎 長いマクラと「午後の保健室」30分
さん喬 「唐茄子屋政談」40分



「小言幸兵衛」マクラでは、師匠と一緒なので今日はいつになく緊張していると言っていたけど、そんな風には見えなかった(でも、後で考えると、仲入り後のはじけっぷりに比べれば確かに大人しかったかも)。幸兵衛の細かさ、後半のつっぱしる妄想は、喬太郎さん自身と重なるように思う。幸兵衛のように口に出すか出さないかはともかく、心の中でこの種の小言を言っている男の人は少なくないと思うのだけど、喬太郎さんのような人は、実に細かーいことが気にかかるのではないかなぁと想像する(それがイライラまで達するのかどうかは分からないけど)。婆さんがフキンを絞って干そうとすると「おいおい、フキンかけにかけるんなら、ちゃんと真ん中でかけて両端を同じ長さにそろえなさいよ」なんていうのは、自分の知人にも“シンメトリー”にこだわる男性がいるので、リアルで可笑しかった。喬太郎師の「小言幸兵衛」は女房と別れろと言われた豆腐屋が「かかあとは、一つのものを半分に、半分のものは四半分…」と分け合ってきた仲なんだと訴え、バカヤローと叫んで帰っていく…というやつだったが、これは誰のやり方なのかな?談春さんもこれだった。


「水屋の富」喬太郎さんの“緊張している”発言を受けて、今日は師を前に神妙な喬太郎師だが「酒が入るとそうじゃない」と。いつぞや酒席で「ししょー!『幾代餅』おせーて!」と言ったとか(喬太郎さんの口調をマネた)。“師匠と弟子”という話題で、小さん師匠の思い出をいくつか披露。有名なエピソードらしいが、小さん師匠が冷蔵庫に冷やしておいた桃とパイナップルの缶詰を弟子達が食べてしまい、食べたいなら一言いえと怒り、二階の自室にひきあげる途中、小さな声で「楽しみにしてたのに」とつぶやいたという話が微笑ましかった。
小さん師匠は世間でミネラルウォーターが一般的になるずっと前から富士ミネラルウォーターを飲んでいて、それがとても贅沢に感じられて憧れていた。子供の頃は、夏になると東橋に“レモン水売り”が出て、そのレモン水がなんともいえず冷たそうでおいしそうに見えた。レモン水の作り方、氷柱を立てた大きな盥のようなものに、水とレモン色の液を入れ“カラーン、カラーン”と回す。その説明と“カラーン、カラーン”という口調が涼感を呼ぶ。そこから「水屋の富」へ。この入り方、演じ方は5月の落語研究会で聴いたものと概ね同じだったように思う。


「午後の保健室」「さきほど一部の出演者から不適当な発言がありましたことをお詫びして訂正します」と笑わせる。さん喬師匠に「おせーて!」と言ったのは「『幾世餅』ではなく○○(なんて噺って言ったのか、失念した)です」。
「小言幸兵衛」で今日やるべきことは全てやった!と気分が軽くなったそう。さん喬師匠が小さん師匠の思い出を語るのを聴いて、自分もさん喬師のエピソードを紹介しようと思ったが、「なんだか偲んでるみたいなんで」やめて、学校寄席の話。ある時は工業高校の怖い男の子達を相手に、ある時は幼稚園児を相手に落語をやる、幼稚園児たちのお母さん世代が43歳の師の“どんぴしゃ”だそうで、お母さんたちを“お花畑”、園児たちを“道路工事(ジャリ・ジャリ・ジャリ…ジャリばっか)”と評した。何度かきいているけれど、面白くて好きな話。そんな長いマクラから「午後の保健室」へ。


「唐茄子屋政談」徳三郎に代わってかぼちゃを売ってやる男の、「俺にもおめぇのおじさんみたいなヒトがいたらなぁ」という一言で、この男の人物が浮かぶ。腹掛け姿でかぼちゃを売るのを恥じていた徳三郎が、大詰め、大家に向かって「おれは八百屋だー!」と叫ぶところ、ちょっとばかし胸をうたれた。
実は、昨日は終わった後、人と約束があった。喬太郎さんの「午後の保健室」が終わったのが4時20分。「唐茄子屋政談」と分かって、あーこれは5時すぎるなと思い、時間が気になっていた。最後の一席をゆったりした気持ちで聞けなかったのが残念だった。






7/1 三越納涼寄席 三遊亭圓朝作品集
13:00〜16:35@三越劇場
開口一番 「子ほめ」

※開演時間前からやっていて、途中で入ったので前座さんが誰かわからなかった。
三遊亭遊雀 「死神」
隅田川馬石 「真景累ヶ淵 宗悦殺し」
鈴々舎馬桜 「真景累ヶ淵 深見新五郎」
仲入り
柳家 小菊 粋曲
五街道雲助 「真景累ヶ淵 豊志賀」
大喜利 かっぽれ



「死神」遊雀師「今日はこのあと延々と怖い噺が続くので、短く明るくやってくれと頼まれましたので」と20分くらいで。女房は登場せず、死のうとする男のもとに早々に死神が登場。呪文は「アジャラモクレン日本橋 にしき(二匹)のライオン がーお!テケレッツのパッ」という今日しか聞けない呪文でした。男は「あぁ、人間、何が起こるかわからねぇ」と嘆きながらローソクの火を燃えさしのローソクにうつそうとする。ローソクの火は死神がくしゃみで消した。「あ、死んじゃった!えへへ、人間、何が起こるかわからねぇ」とニヤッと笑う死神。こういうノリは遊雀さんらしい。


この後の真景累ヶ淵は、落語を聴くというより、授業あるいは修行であった。
本を読むよりは噺を聴いたほうが面白そう、CDだと絶対途中で寝ちゃうので、この機会に聴いとこうと思って行ったのだけど、再び聴き通す自信はありません。初めて聴くから最後まで聴けたけど。しかし、今日の三席はまだまだ序の口で、この後も噺は続くわけで、これを延々聴くのは辛そうだなー。この噺といい牡丹灯篭といい、昔の人はどんな環境でどんなところに面白さを感じて聴いていたのか。
「豊志賀」はいちばんよく演じられているパートらしいが、そんなに面白いと思わなかった。
いくら時代が違うとはいえ、同じ女性として豊志賀のキャラクターがよく分かりません、彼女は39歳、新吉は21歳、そんなに妬くならその歳で21歳男子とつきあってはいけないんでないか、なんで「新吉と結ばれる女は七人までもとり殺す」とか言うかなー。


主催者・師匠方は、重い三席が続くので客が飽きないかと心配したのか、ずいぶん気を遣っていた。馬桜師は噺を始める前に「皆さんがエコノミー症候群になったりするといけませんから」と笑わせて、客を立たせ伸びをさせた。終わった後は、“奴さん”“たいこもち”を踊って陽気な空気にして中入り。中入り後は、小菊姐さんの粋な唄と三味線で幕開け。
小菊姐さんの三味線の糸がピシッと切れる!という、ちょっとびっくり&背筋ヒンヤリの一幕もあったが、最後は、雲助師・馬桜師・馬石師・小菊姐さんが、皆でかっぽれを踊って明るくお開き。






※昨日は3時間、今日は3時間半。さすがに疲れました。