志の輔らくご 21世紀は21日【追記あり】

19:00〜21:15@新宿明治安田生命ホール
ロビーゲスト ネコマジ
志の春 「饅頭こわい」
志の輔 「千両みかん」
松元ヒロ
志の輔 「江島屋騒動」


志の春くんの「饅頭こわい」のお稽古の後(志の輔師がそう言ったんですー)登場した志の輔師匠、最初のマクラのキーワードは“思い込み”。
今年初めに不二屋騒動があったばかりだというのに、コロッケに豚肉を混ぜていたミートホープ、社長一人でこっそり豚肉を混ぜていたというならともかく、多くの社員が関わってやっていたこと、誰かの口から漏れるに決まっているではないか、それなのに「あの社長、ばれないと思い込んでいたんですなぁ。んー」しかし、どうしてそんな風に思い込めるのか?それが分からない…と。システムダウンで全便欠航になったANA、考えてみれば、コンピューターで全てを管理しているのだから、コンピューターがダメになればすべてがダメになるというのは理屈なのだけれど、日本人って飛行機は必ず時間通りに飛ぶものだと思い込んでいる。だから、あんなに混乱する…等々。
そんなマクラから始まった「千両みかん」。

「千両みかん」と分かった途端、おかしくてクスッと笑ってしまった。一昨日の中野でも志の輔さんは「千両みかん」をやったそうだ(私はこの日は談志独演会に行くつもりだったが、結局仕事の都合でどこにも行けなかった)。あの日の中野に行って今日も会場のどこかにいる知り合いはさぞ落胆しているだろうなと思ったら、気の毒だけど、なんだか可笑しくなってしまったのです。そういうお客さんは他にもたくさんいらしたみたいで、私の後ろの席からも「えー、また千両みかんだわー」と小さく嘆く声が聞こえた。
そういう方たちには誠に申し訳ないのですが、私は志の輔師の「千両みかん」は初めてだったので楽しく聴きました。一個千両のみかん、ふさが十あるから一ふさ百両。若旦那がみかんを食べる様を「あーー!今、百両を飲み込んだー」と実況中継する番頭。観ていると、番頭と同様に、掌の上のたった三ふさのみかんがいつの間にか「この三百両」に思えてくる。


松元ヒロさんのパントマイムコントが終わった後は、中学生の時の英語のリーダーには小泉八雲「怪談」の「むじな」の英文が載っていた…という話から、ハリウッドのホラー映画と日本の怪談の違いについて。ホラー映画も怪談もたくさんあるが、ホラー映画は登場する“怖いキャラクター”に、日本の怪談は“因縁”にバリエーションがあるのが違い…というようなお話だった。「怪談、何をするのかなぁ?」と聞いていたが、“因縁”というワードに「もしや?」と思ったら、やはり圓朝でした。

「江島屋騒動」。この噺は、上・下に分かれているみたいですが、「上」のお里が名主の息子に乞われて嫁入りを承諾する発端から入水まで→「下」のお松と番頭の出会いから江島屋主人の目がつぶれるクライマックスまで…というふうに、事件が起こった順に時系列的にやるのが普通なのでしょうか?
志の輔師は、路に迷った番頭が宿を借りた小屋でお松と出会うところ(「下」の冒頭?)から始めた。番頭がお松に、囲炉裏に布(お里の形見の着物)をくべて灰に書いた目の字を突くという異様な言動のワケを尋ね、お松が身の上を語り始める。お松のモノローグは、途中から一転、お里に嫁入りを持ちかける権右衛門とお松のやりとりの場面に変わる。こういう、あたかもドラマの回想シーンみたいな転換があるところが志の輔さんらしいと感じる。
最後がすんごく怖かった。番頭が「こうやって、婆さんが囲炉裏の灰を突くんでございますよ!」とお松を真似て火箸で灰をつく、すると旦那が絶叫!…じゃなくって、ハッと目を押さえ、いったい何事が起こったか?と茫然として「…なんであたしの目を突くんだい」と静かに問う。
ここんとこで、ぞーーッとした。


志の輔師は、終わった後、本当はこういう怪談は8月くらいにやるものだが「今日はとても暑かったので」やりましたと話した。暑い一日に相応しくてよかった。


【追記】
一夜明けて、ふと昨夜のテーマは“プロの矜持”ということだったかもしれないなと気づきました。

豚肉を混ぜたコロッケを“牛ひき肉コロッケ”と偽って売った業者。縫い賃を惜しんでノリではった着物を売った江島屋。ごまかしの果てにどっちも痛い目をみたわけですが。
対して、みかん問屋。夏にみかんを求められた時に「うちには、ございます」と胸をはって売り、さすがだねと言われたい、そのために僅か数個でも夏まで残ればいいという覚悟で、50箱、100箱のみかんのほとんどを毎年腐らせてムダにしている。夏にみかんを買いに来る酔狂な客なんか滅多に居ない、でも、絶対居ないとは言い切れない(現に番頭が来たわけだし)。あるかないか分からない、しかしプロの値打ちが認められる大事な時のために、「オヤジの代から」毎年みかんを腐らせている。そうやって売るみかんだから「千両は高いとは思いません」みかん問屋は言う。

コロッケ屋(とは言わないか?)も江島屋もごまかしてコストを下げて安いものを売って儲けようとしたわけだけど、みかん問屋はムダと思えるコストをかけて、たかがみかんを千両という価値に高めたわけ。本物ならば、よそで買えない価値のあるものならば、高くても売れる。プロはこうありたい。

…とゆーことだったのかなぁ?と、思いました。的外れかもしれませんが、例によって。


志の輔らくごだから、ちゃんとわけあって振ったマクラ・選んだ噺だったはずで、志の輔師のメッセージをちゃんと受け止められる、感度のいい客になりたいなーと思う。一夜明けてようやく気がつく自分は、全然ダメダメなのだ。