6/11 立川談春独演会

19:00〜21:05@イイノホール
厩火事
仲入り
「らくだ」




厩火事
おサキが、自分が年とったらあのヒト(亭主)は若い女を引っ張り込むに違いない、だってあのヒトは女がほっとかない男だもの、なぜならば…と滔々と男性観を語ったところ。あそこは面白かった。昨夜の場合は、若い未婚女性がどういう男を好むかとかいうことだったけど、談春師のイマどきのいろんな事象の分析、その語り口(ロジカルに、しかもナマナマしく饒舌に語る)は面白くて、自分にとってはそれが談春師の高座の魅力の一つです。志の輔師の現代的な切り口も共感するのだけど、自分なんかには、ある部分では、談春師のほうがよりストレートに届く。談春師と年齢が近いせいかもしれない。昨日は“そこそこ成功したもんでそろそろ女にモテようかと思ってるジジイのヒタイには「俺はこれまで一生懸命やってきたんだ」的な苦労とか屈折がオリのように、あるいは灰汁のように浮いてて、そういうのをヒタイからモヤモヤ出してる男はモテナイ”ってゆー説に笑った。ああいう分析、表現が鮮やかで好きだ。


らくだ
願人坊主が出てくるあたりを詳細にやるバージョンを聴いたのは昨夜が初めてだったのだが、とても面白かった。でも、考えてみると、この噺は半次と久蔵のキャラが入れ替わってくるあたりから結構残酷だ。久蔵が死んだらくだの髪を乱暴に剃るところなんかは、そういえばちょっと怖かった。
それに、久蔵の過去(商家の若旦那。金の怖さを知らずに、呑気に他人に施しをするような世間知らずだった)とか、らくだの生い立ち(親のない可哀そうな子供だった)なんかのエピソードには、「屑屋って、らくだって、ホントはどんな人?」と興味が湧いた。
でも、残酷が気になったり気持ちがシンとなる前に、サッと笑わせる。酔った久蔵が生前のらくだにどんなに酷い目にあったかを語るところなんかは、ちょっと暗くなるのだけど、半次に、それは屈折したらくだの愛情表現なのだと説明させる。半次の「らくだはおまえが好きだったんだなー(泣)」っていうのには笑った。
残酷と笑いのバランスの絶妙さ。一緒に観た人が誉めていたのは、こういうところかな?と思った。
ところで、立川流ファンの方から教えてもらったのだが、昨夜の下げは家元のやり方だったみたいだ。その方によると、昨夜の通夜道中とか道行の言い立ては初めての試みなのではないか、黄金餅を移植したものでは?とのこと。そういうことが分かるともっと楽しいだろうなぁと羨ましい。立川流のヒトを聴くなら、やっぱし家元バージョンを知っといたほうがより楽しめるみたいだ。談志百席は聴いたほうがいいと今までにも何度思ったかしれないのだが、いまだ買っても借りてもいない。CD聴くよりナマで聴きたい派なのだ。それにCD聴いてると、たいてい途中で寝ちゃうんだよなぁ、私。