5/30 第467回 落語研究会

国立劇場小劇場 18:30〜21:15

三遊亭歌彦 「牛ほめ」
入船亭扇治 「花筏
瀧川鯉昇 「茶の湯
〜仲入り〜
柳家さん喬 「水屋の富」
柳家喜多八 「付き馬」

この会と「東西落語研鑽会」と「高田笑学校 立川流vsSWA」のどれに行くかすごーく迷って、結局この会にしました。行けるかどうか分からなかったけど、前回行った時に会場でチケットを買っておいてよかったです。しかし、今日は少々疲れてたので「牛ほめ」「花筏」はうとうとしてしまった。

茶の湯久々の鯉昇師匠。淡々ととぼけた風情でちくっといじわるなことをおっしゃる、芸人らしいというか噺家らしいというか、そういうところが柳昇チルドレンなのか。あの個性的なお顔(失礼)でやられた“隠居&定吉、ブクブク泡立つお茶を飲んで悶絶するの図”がたまらなかった。
「水屋の富」八百両がいつ盗まれるかと怯え、夜な夜な悪夢にうなされる水屋。八百両を手にしたというのに、朝が来ると律儀に商売に出かけなくてはと思い、竿で縁の下の八百両があるのを確かめて安堵し…という姿を丁寧に描いて、観ていると貧しい水屋が哀しくなってくる。最後の場面、水屋が縁の下に隠しておいた八百両が盗まれたことに気づく。ショックで泣き出し、しかしその号泣がやがて笑いに変わっていく。「あぁ、これで眠れる」という下げはほろ苦い。さん喬師匠の高座は、いつもお芝居とかドラマ―それもクラシックで品のある―を観ているような気持ちになります。
「付き馬」パンフレットに長井好弘氏の喜多八師「付き馬」の解説が載っていて、それによると、師は志ん朝師匠の「付き馬」が好きで、この噺をやるとどうしても「ポンポンと調子のよい志ん朝型になっちゃう」のだと書いてあった。気が気じゃない若い衆を従えて男が仲見世をひやかしていくところ、まったく心がない無駄口(まるで高田純二、心がないにも程がある)がぺらぺらぺらぺら口を挟む隙なく続き、すごく面白かった。志ん朝型というのはこういうところなのかな?私は志ん朝師の「付き馬」は聴いたことがないけど、師のあのカン高い声とテンポでここを聴かされたら、気持ちいいだろうなという気がした。
次から次へと、あれをしないか?これはどうだ?と若い衆を誘い、それにのらない相手に「え?やらない?熱い血潮を感じないねー」なんていうところは喜多八師っぽいと思いました。師のやさぐれ加減は廓話にとても合ってて好ましい。