4/26 第466回落語研究会

国立劇場小劇場 18:30〜21:10

古今亭菊可 「壺算」
桃月庵白酒 「徳ちゃん」
入船亭扇遊 「干物箱」
〜仲入り〜
春風亭昇太 「お見立て」
柳家権太楼 「大工調べ」


「壺算」この噺は立て板に水の話術でいいくるめる兄貴分と、それにまんまとだまされる店の主人が見どころと思うのですが、菊可さんの「壺算」は、自分には、兄貴分にも店の主人にも惹かれるものがなかった。
今までそんなに多くの人の「壺算」を聴いたわけではないのですが、兄貴分は志の輔さんの、店の主人は昇太さんの「壺算」が好きです(昇太さんのは総合的にも一番好きなんだけど)。
志の輔さんは兄貴の口のうまさを、兄貴を描くのではなく、彼に一方的にまくしたてられる主人の表情をみせることで、観る人に分からせるというやり方でした。だから兄貴が何を言ってるのかはわからない、でも、それになんとか口を挟んで抵抗しようとし、しかしできず、ついに何も言い返せないまま根負けして代金をまけてしまう店の主人を観て「すげーな兄貴…」という気持ちになるのだった。
昇太さんの店の主人の場合は、まず“パニックに陥っていく様”が面白いです。真剣にそろばんを入れては払い、払っては入れているうちに、何が何だか分からなくなっていく主人の焦りとか狂おしいような気持ちとか、すごくよく分かる。ヒトの必死な姿って可笑しい。半べそをかきながら「うちはもう“まける”とか“引き取る”とかはやめたんでございます!小僧ッ、暖簾をしまっちゃいなさいッ!」と怒鳴ってる姿とか、何度観ても笑ってしまう。それでいて、同情の気持ちも湧いてくる。「そもそも商人にむいてない、いいヒトなんだよね、可哀そうだ…」って。昇太さんの主人にはそういう気持ちをさそう可愛げがあります。そう!菊可さんの主人には必死と可愛げが足りないんだな。


「徳ちゃん」お金ない、スケベ、おバカ、と三拍子揃った芸人が、安さにつられて入った悪所(オネエサンのいるお店)で恐ろしい目に遭うというお話。“小千谷出身の巨漢の娼婦”というのが登場します。丸顔小太りの白酒さんがこれをやるのです、むくむくした太い指で「カモーン!」って誘うのです、すげー笑った。マイミクさんから面白いと伺って期待していましたが、期待通りでした。白酒さんは、寄席で観たことがあるような気もするが、ちゃんと噺を聴いたのはこれが初めてかもしれない。見るからに面白いって人ではなく、話してる時もやや淡々とした感じなのですが、すまして可笑しいコトを言う。若い人でそういう言い方をする人って、ちょっとイヤミな感じがすることがあるけど、白酒さんはそういう感じはしなくて好感がもてた。


「干物箱」扇遊師匠は、4/4の若手研精会OB連落語会で「お見立て」を観たのでした。その時もちらっと思ったのですが、扇遊師匠の落語って、私には「教科書」のような印象があります。面白いし、落語を聴いてるって気分になれるし、全然不満はないです。でも、整いすぎてるような感じで、「すごーく面白い!」とか「心惹かれる」って感じまではしないんだなー。


「お見立て」この前昇太さんの「お見立て」を聴いたのは2年前の独演会だった。その時の印象は喜瀬川花魁がまるでワガママなコギャル(これ、もう死語ですか?)のようだったのだけど、昨夜の花魁は、もうちょっと年とって落ち着いた感じがした。気のせいかな?ま、それはともかく、昇太さんの古典は、他の誰も描けない昇太ワールドになってるから好きだ。田舎者とか与太郎を、昇太さんは徹底的に子供が描いた画のようにデフォルメしてしまうけど、だからって単純な感じはなくて、それがかえってたまらない可笑しさを生んでいる気がします。杢兵衛大尽なんか、もう“差別”ってくらい田舎者にしちゃうんだけど、そのおかしさったらない。
「こけーこぉー、こけーこぉー」(ここへ来い。ここへ来い)とか、「ばーけゃろぉー、ばーけゃろぉー」(バカヤロー、バカヤロー)とか、昨夜大笑いしたセリフがいまだ耳に残っております。
あと、昇太さん独特のセンスは、小さなとこでは時々比喩に表れるような気がします。例えばこの「お見立て」だと杢兵衛大尽の鼻の穴―田舎モノでブサイクな杢兵衛大尽の顔を、昇太さんは鼻が低くて、まるで顔のまんなかに2つ穴が開いてるだけみたいの人としているんだけど―を、「そそっかしいミツバチだったら、あの穴にもぐりこんで女王蜂探しちゃうよ」って言い方で表す。ミツバチとかもってくるところが可愛いくないですか?


「大工調べ」権太楼師匠、きっちり上下をやってくださった(ちなみに、会場でもらったパンフレットには長井好弘氏の解説「柳家権太楼と『大工調べ』」があって、それによると権太楼師匠が、飽きるほど演じていながら、今回も「大工調べ」をやる理由は“「サゲまできちんと演じること」への挑戦”なのだそうです(そう言われてみると、この噺、後半だれますね)。権太楼師匠の「大工調べ」は、与太がいいです。おおらかで愛しさがこみあげてくるようなキャラクターだと思いました。そして、こういう大工、こういう大家、こういう世界は、もう権太楼師匠クラスの大御所でないと観れない。こういうのは本当に今観ておかなくちゃと思います。
去る4/11の市馬落語集でのこと。
市馬師匠いわく「花緑のところに17歳の弟子が二人入りました。落語の世界に初めて平成生まれが入ってきたわけでございます」。客席のあちこちから、「へぇー…」と、ため息ともなんともつかない声があがった。
平成生まれの噺家が高座にあがる。そしていつかはそういう噺家が主流になるわけです(…ま、その時落語が過ぎにし薔薇になっていなければという前提の話ですが)。ともかく、そうなった時、平成生まれがイメージする江戸とか古典落語の世界と、自分の心にあるそれは、確実に違うと思います。
自分が親しんだ世界、好きなモノ、コト、ヒトが、自分の胸の中だけにしか存在しなくなってしまう。「○○が好きだ」という自分の気持ちに共感してくれる人たちも周りにいなくなってしまう。その淋しさったら、ほとんど絶望かもしれないと思った。志ん朝亡き後「落語は終わった」と言い放つ小林信彦の気持ち、分からないでもないなぁと思いました。
何かに惹かれたり何かを素敵だと思ったり、そういう感覚が共通している人が周りにたくさんいるというのは、幸せなことです。でもそういう時間は思っているほど長くは続かないのです。ですから、今観るべし!なんです!(ドンドン)

権太楼師匠「大工調べ」から話がそれましたが、ま、最後はそんな気持ちになりました。昨夜は。


※その他もろもろ。
●昨日は満員御礼の札が出ました。当日券は44枚でした。私は張り切りすぎて3時前から並んでおりましたが、たぶん5時前までに並べれば当日券で観られると思いました。それでも“5時”だからね。普通のお勤めの人にはかなり難しいよね。
●当日券だから、席は限りなく後ろのほうだった。だから噺家の細かい表情はよく見えなくて残念だった。最近“近くで見たい!”という気持ちが強くなってきて困っている。チケットとるだけでも大変なのに、席の好みまで言い出すとますます大変だ。
●明日は仕事が順調に終わったらビクター落語会に行きます。さん喬師匠が楽しみです。この前、「芝浜」聴いて泣いちまって以来、さん喬ヤバイ!の心境なのであった。