立川志らく独演会 昭和の名人に挑戦

銀座ブロッサム中央会館

開口一番 志ら乃 「反対俥」
志らく 「心眼」
 〃  「お直し」
仲入り
志らく 「双蝶々」


志らくさんの独演会に行ったのは今日が初めてです。もちろん、何度か落語は聴いたことはあるのですが、落語はともかく、志らくさんという人がどうも苦手な気がしていました。こんな人が傍にいたら辛ぇなぁという気がするのです。“繊細”とか“ナルシスト”とか“男のシット”とか、まぁ、そんなような言葉が浮かんでくるのです(志らくファンの方にはまことに相すみません)。
しかし、“苦手”というのは、実は“とっても惹かれる&好き”だったりもするので、一度はちゃんと聴いておこう。という気持ちで今日は参りました。


パンフレット(志らくさん筆)より抜粋
〜私が最も影響を受けたのは談志と馬生。今回はその二人はよけて、一般的に名人と言われている三人の影響を受けたいと考えこのような会を催してみました。どれもこれも陰惨な噺をチョイス。陰惨だからあまり演ずる落語家がいません。演じたとしてもそれほど面白くない。だから…なに?というのが正直な感想です。やはり面白くなくては落語ではない。だからこの陰惨な噺をどこまで楽しく出来るかが今回のテーマでございます。〜


上述とほぼ同じ内容がチラシなどにも記載されていて、それを読んで思ったことは「…うーん、この噺を楽しくするって無理なんじゃないの?つか、楽しくしなくてもいいんでない?」ということでした。
で、今日、志らくさんが、自分がやる三つの噺について、こんなようなことを言われたのです(言葉はこのままではありませんが、意味合いとしてはこういうことだったと思うのですが…)。例えば、誰かの葬式。斎場に行ってお骨をあげている間、親戚一同酒を呑みながら妙に盛り上がって大笑いしたりする。今日はそんな感じの笑いをやりたい。
それを聞いてなるほどねーと腑に落ちた気がしました。
そんな感じの可笑しさでした。笑うことがはばかられる、でも、この状況は可笑しいよ!という感じ。
そういう可笑しさを見ない、気づかないふりをするのが常識人で、志らくさんおよび志らくさんを好む人というのは、そういう処に立ち止まらずにおれない人なのかなぁと思いました。


その他、噺を聞きながら思ったいろいろ。
●「お直し」について。今日の会に行く前に予習のつもりで志ん生の「お直し」を聴いたのですが、志ん生志らくさんも、どっちも滑稽で哀しいと思った。あと、誰が書いた文章だったか忘れたけど、志ん生について“古典をぐいぐいと自分の方に引き寄せた人”というのを読んだ覚えがあるのだが、そういう姿勢においては、二人は共通しているような気がする。
●「心眼」「お直し」を聴きながら、落語の世界というのは、つくづく男の世界だなぁと思った。21世紀に生きる女子として、多少の抵抗を感じるべきなのか、許容すべきなのか、そのあたりよく分からない。しかし、女の賞味期限を過ぎ消費期限も間近の身故、ま、どーでもいい気はする。


以上、ビギナーの感想でございました、笑ってお許し下さい。


さて。
来週月曜日は朝日名人会のチケット発売でございますよ。知人によると、このチケットは秒殺らしいです(ちけぴで約30秒で売り切れ)。…頑張ってみよう!とりあえず。
↑訂正!再来週だった。(…何を勘違いしたんだろー。すいませーん)