立川談春独演会

会場:銀座ブロッサム中央会館

本日の演目は…
宮戸川
・短命
仲入り
・たちきり
(全て談春

幕があがると、いきなり談春さんが登場。
座布団の位置を直し、なんだかんだのつぶやきの後
「本日は満月でございます。月に祟られながら、気が狂ったように落語をするという会で…」
お!
いいなぁ、そのセリフ。
狂わせちゃってください、ルナティックらくごby談春
期待満々の構えになりました。


一席目『宮戸川
ちょいと堅物で純情な半七、若さ故恐れを知らぬ大胆なお花を
瑞々しく活き活きと描いて、二人の出会いの場って、こんなに“爽やか青春ラブストーリー”だったんだと、今更ながら知りました。
若い男も、娘も、
昔の道楽のおかげで物の分かったおじさんも、婆さんも、
こんなに活き活き演じ分けられるのは、
さすがだなぁと思いました。

二席目『短命』
色にとどめさす年増、三十歳、伊勢屋の娘。
色黒、がさつ、でも世話女房、八五郎のおかみさん。
色気でもって男の命を縮めるのも、
馬鹿だけど腕がよくって人のいい職人の亭主に尽くして長生きさせるのも、どっちも女冥利に尽きるなぁと思わせてくれる一席。
(機械発言のひと、蔑視でも、このくらい粋なら
非難の声も出ないんじゃぁないの?)


仲入り
今夜は色っぽい噺が続くなぁ
と思っていた。


幕があがって
「今夜のテーマは“男と女”でございます」と種明かしして下さった。
お、次は何だ?と思ったら、
「“一本立ち”という言葉は、花柳界から出た言葉だと申します」
あ、『たちきり』か!
談春七夜「緋」の会で、
客席のそこここで涙ぬぐう気配がしたという、あの『たちきり』か!
思わず身を乗り出しました。


『たちきり』をライブで聴いたのは、今まで3回くらいです。
上方の『たちぎれ線香』は、桂染二さんで初めて聴いた。
一番最近聴いたのは、昨年11月の青山寄席の鶴瓶師匠。
で、今まで『たちきり』あるいは『たちぎれ線香』で泣いたことはなかった。
皆、どうして泣けるんだろう?泣けない私が無粋なのか?と思っていたのです。


で、今夜の『たちきり』で、ついにうるっとできました(…“できました”ってヘンだけど)。


私が今まで聴いた『たちきり』あるいは『たちぎれ線香』では
最初、芸者にいれあげる若旦那をどーするか?って親族会議から始まってました。
その親族会議で、若旦那は、親戚中から箸にも棒にもかからない奴と呆れられてる。すごーく軽んじられてる。
当の若旦那は、その親族会議の様子を小僧から聴いて、いとも簡単に憤る。
そういう始まり方なので、若旦那って、根は悪くないかもしれないけど、ただのバカでチャラい男としか思えなかったのです。
で、そんな男に、文字通り死ぬほど惚れた小糸の気持ちが分からなかったのです。
だから、どうしても同情できなくて、泣けなかったのです。


一方、談春さんの『たちきり』は、若旦那を蔵に押し込めてからちょうど50日目、番頭と大旦那(若旦那の父)の語らいから始まる。
二人は「あんなに堅くて親切だった息子」が、こうも芸者に入れあげてしまうことが分からない、不思議だって思ってる。
つまり、二人ともそもそも若旦那のことを信じてるのだった。
だから、小糸という芸者のことも「うちの息子がそこまで思い込んだ娘」なんだから、商売の水に染まりきってない可憐な娘に違いないと思ってて、大旦那は「あたしは嫁にもらおうと思うんだ」と言う。


誰も悪くない、二人も、周りの大人も
ただ、もし何が悪いと言うならば、
若旦那と小糸、二人の「若さ」。
未熟で、バカで、純だったから
二人は、芸者とお客という虚構の中で出会ったんだけど、
一目で惹かれあう、一生に一度の恋に落ちちゃったのね…と。
(要は「ロミオとジュリエット」なんですね)
そういう前提を、しっかり納得させてくれる構成なのでした。
なので、すんなり悲恋の世界に入れたのだと思う。


ぐっとくるセリフが一杯だった。
特に、小糸の母親のセリフ。
「(若旦那に)あなたは心変わりするような人じゃありません。
どうしてあの娘は、それを信じられなかったんでしょうねぇ。
それが悔しくてねぇ」
「(男と女に)永遠(とこしえ)なんて、ありません。ないんですよ」


妖しい満月の夜に相応しい落語を聴きました。


それにしても
談春さんは、どんどん艶っぽくなるなぁ。
男は四十雀!と思った。